弁理士の日々

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6月18日東電報告書(4)2号機

2011-07-02 11:42:58 | サイエンス・パソコン
東電が6月18日に公表した「地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について」のうち、今回は2号機について読み込んでみます。報告書の18ページから28ページまでです。

2号機は、全電源喪失時でも圧力容器を冷やし続ける隔離時冷却系(RCIC)が、3炉のうちで一番最後まで機能を継続した炉でした。
その隔離時冷却系が機能を喪失したと判断したのが3月12日13時25分、しかし、消防車で本格的に海水注入を始めたのは19時54分と遅れました。この間、18時22分には水位が下がって燃料全体が露出しています。
海水注入を始めた以降も、14日深夜から15日未明にかけて燃料棒が露出していた、という報道が以前ありましたが、今回の報告書では触れていません。

2号機でのもう一つの事象は、15日6時頃に圧力抑制室付近で大きな衝撃音が発生し、同時に格納容器と圧力抑制室の圧力が急速に低下したことです。これにより、格納容器内のガスが一斉に外部に放出し、とてつもなく高い線量(1000μSv/h以上)が観測されるとともに、飯舘村や福島市が放射能汚染される原因となりました。

以上のような状況に立ち至ったのはどのようないきさつに基づいているのか、その点を今回の報告書から読み解くのが目的です。

《高圧注水が可能な系統》
地震発生とともに、圧力容器は蒸気タービンと隔離され、圧力容器の圧力は主蒸気逃がし安全弁を圧力調整弁とし、約60気圧の圧力に保持されています。このような高圧では、消防車からの注水が不可能です。
高圧でも注水できる機能として、制御棒駆動水圧系(CRD)とホウ酸水注入系(SLC)があります。電源が必要です。津波来襲の後、2号機の電源盤(パワーセンター)の一部は機能しており、この電源盤に電源車を接続できれば、圧力容器の圧力が高圧のままでも、ホウ酸水注入系を駆動して冷却水を注入することが可能でした。
そして、12日の15時30分頃、努力の結果電源車を2号機パワーセンターに接続完了したのですが、その直後の1号機建屋水素爆発の結果、ケーブルが破損して送電が不可能になりました。そのまま、14日の段階でもこのラインは復帰しなかった模様です。
ということで、圧力容器が高圧のままで冷却水を注水する可能性がなくなりました。

《消防車での注水》
消防車で注水するためには、圧力容器圧力を0.69MPa(約7気圧)以下に下げる必要があります。そしてその動作は、主蒸気逃がし安全弁を「開放」することによって行います。
1号機は、海水注入前に圧力容器に穴が開いたためか、自然に圧力が下がりました。3号機は、社員の通勤車両からバッテリーをかき集めて電源とし、冷却機能が喪失してから7時間近く経過してやっと圧を下げました(6月18日東電報告書(3)3号機)。2号機ではどうだったのでしょうか。
まず第1に、「圧力抑制室の温度・圧力が高いので、主蒸気逃がし安全弁を開放しても減圧しにくい可能性がある」との判断があったようです。そのため、まずは格納容器ベントを行い、その後に主蒸気逃がし安全弁を開いて圧力容器を減圧し、その後に消防車による海水注入を行おう、という方針になりました。
しかし第2に、16時頃、ベント弁の開実施まで時間がかかる見通しとなったため、主蒸気逃がし安全弁の動作を優先することに変更しました。
しかし第3に、主蒸気逃がし安全弁を開くための電源がありません。車両からバッテリーを集めて中央制御室に運んでつなぎ込みましたが、バッテリーの電圧が不足し、さらにバッテリーを追加したりして、18時頃にやっと減圧が開始されました。
圧力容器圧力が0.63MPaまで下がったのは19時3分でした。

消防車は16時30分頃に起動し、圧力容器減圧時に注水が開始されるよう準備していたのですが、19時20分に、消防車が燃料切れで停止していることが発見されました。給油実施後、海水注入を開始したのは、19時54分に1台目、19時57分に2台目となりました。
結局、隔離時冷却系による冷却が止まってから海水注入まで、7時間ちかく冷却水が注入されず、最終的には燃料棒が全露出するにいたりました。

その後、消防車による海水注入で、圧力容器水位は上昇したのか否か。その点は不明のままです。

現在判明している原子炉パラメータにおいて、圧力容器の温度データについては、1~3号機いずれも、3月22日頃までは一切のデータがありません。
1号機については、圧力容器温度が判明してみたらその温度が400℃という高温であることがわかり、あわてて消防ポンプを1台から2台に増やして圧力容器温度を下げました(1号機はどうなっている?温度データ)。

2号機についても温度データは3月22日ころまで公表されていません(2号機温度データ)。しかし1号機と違って、判明した22日頃の圧力容器温度は100~150℃程度であり、さほど注入海水量が少なすぎた、ということではなさそうです。ただし、5月23日東電報告書でのシミュレーションでは、「2号機での海水注入では燃料棒を浸漬できるに足りる海水は注入されていなかった」という【その2】の前提のもと、地震後109時間で圧力容器は破損するに至った、という解析を行っています(5月23日東電報告書(4)2号機-2)。実態は不明のままです。
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