パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

詩(哲学)と長編小説(ブルックナーとマーラー)

2016年12月01日 08時52分33秒 | 音楽

毒にも薬にもならないどうでもいい話

音楽の後期ロマン派の作曲家にブルックナーとマーラーがいる
ふたりとも大きなオーケストラ構成の長大な交響曲を書いた 
年齢はブルックナーの方がだいぶ上だが
一時期は一括りにされて扱われた

残された写真を見るとマーラーの神経質そうなイケメン風な顔に比べて
ブルックナーはかわいそうなくらい田舎の親父っぽい
風貌だけでは絶対興味を持つ対象にはならない

でも自分はこの田舎の垢抜けないブルックナーが大好きだ
彼との付き合いは高校生の時、何ヶ月に一度レコードを買える時
町のレコード店でマーラーの巨人とブルックナーの9番を
聴かさせてもらたときからだ
財布の事情でどちらかを選ばなければならなかったが
冒頭の数分の試聴で自分はブルックナーを選んだ
何かよくわからないが、深い響きが、体全体を包み込むような響きが心地よかった

それからずっと長い付き合いだ
後期ロマン派と一括りされるこの2人
多分納得する人は少ない(いない)と思うが、自分は
ブルックナーの音楽は詩、または哲学で、マーラーのそれは
長編小説のように思えてならない

一見、どこに向かうかわからないような音を鳴らし放しに思える
ブルックナーの音楽も、慣れてくると不思議に見通しが良くて
それなりのまとまりがあるようにとさえ思えてくる
一方マーラーは、長編小説だから最後まで読まないとよくわからないような
そんな面がある

この2人、当たり前といえば当たり前だが
表現したい内容が(関心が)全然違う
聴きやすいところではマーラーの5番のアダージェット
映画音楽にも使われた耽美的な曲と
ブルックナーの7番の第2楽章は、これらを聞いて結果的に
自分の中に作られる世界が大きく異る
マーラーの場合はあくまでも音を聴いている、客観的な自分を感じる
(バーンスタインの入神の演奏であったとしても)
しかしブルックナーの場合はときに自分が音になったような
その響きの中にいるような気さえする

と個人的な印象だが
彼らの最後の交響曲となったアダージョの楽章を聴き比べると
興味深い
まずはマーラー

この曲を聴くと自分はいつもヨーロッパの(多分文化の)終焉を感じてしまう

今まで作り上げてきた壮大な体系としての文化の終焉
そんなものを思い浮かべる

次にブルックナー

なにか具体的でない訳のわからないものを、それは個人的なものに過ぎないかもしれないが
それでも多分人の心の中に存在する何かを刺激するような、、 
そしてこの楽章の沈潜した第二主題が、年齢とともに益々愛おしくなっていく

ブルックナーは嫌いな作曲家の一番に挙げられる事が多いようだ
ブルックナー信者の自分は、なぜこんなに豊かな世界を嫌うのか
さっぱり分からないが、それは人それぞれだから、、、仕方ないか

ところで、上の動画長いので全部聞くのはしんどいけど
最初の数分だけでも聴くことをお勧めします
はたしてどちらが気に入るか?

(ブルックナーと言って欲しいけど、、、)

 

 


 

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