笑顔浴

優しい時間

般若心経

2009年09月27日 | Weblog
昨夜は久しぶりに、柳澤桂子先生の
「生きて死ぬ智慧」を手にしました。
般若心経を和訳と英訳なさった書です。

人から受け入れてもらえないと感じたときの
恐れや不安や怒りや悲しみや惨めさは
体のだるさや口の渇きなどにすぐ影響します
どうすれば、この息苦しさから逃れられるのでしょう。

私は、あとがきに書かれている「原子」の考え方が気に入っています。
わかりやすく私なりに解釈すると

私とあなたを、自己と他者とに分けると、執着が生じます。
ちょうど物質間の引力のようなもので
好きと言って欲しい。
人に認めてもらえないと私は存在してはいけないと自然に感じてしまう。

般若心経は「空」(くう)の考え方を提案しています
私と他者の区別がなくて、動物も植物も金属も、
この世界では、全て原子レベルの粒子の集合体として存在しているイメージ。

山の中で視界の悪い霧に包まれた状況をイメージしてください。
山の下の方から風が吹きあがり
ちょうど霧の中の濃淡が、人影として映ればそれが私。
近くに犬の形をした霧があれば、それはハリー君
霧が動くたびにハリー君と私は渾然一体となっている世界

私はあなたの一部となり、あなたは私の一部となり
区別がなくなると執着が消えてゆきます
私のものだか、あなたのものだかわからなくなり
私なんだか、あなたなんだか あいまいになります

私の一部であるあなたを好きでいられますように
あなたの一部である私を好きでいてくださいますように











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謙虚

2009年09月26日 | Weblog
スーパーバイザーからスーパーバイズをいただきました。
費用が1万円かかるので、毎回と言うわけにはまいりませんが
なにしろ1時間は集中して個人指導を受けられるのですから
たいへん贅沢でありがたいことです。

特に印象に残ったことは、
「謙虚さ」についてのお話でした。
心理カウンセラーは、謙虚でいなさい。

謙虚とは、どういうことかあれから考えてみました。

自分以上でもなければ、自分以下でもないという考えかた。
謙遜したり卑下したり、過剰に私をおとしめず
かといって、優れていると過信して、傲慢にならず。
素直な心でいること。

人より私が常に優れている必要はないし、
かといって、私の優れている要素を否定することもない。
今できることはできるし、今できないことはできない。

私にできないことがあるのだから
他の人にも、できないことがあるでしょう・・他者に寛容になれます。
私にできることがあるのですから
他の人にも、様々できることがあるでしょう・・他者を尊敬します。

徳は、謙虚な立ち振る舞いの中から生まれます。
徳とされる 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
の どの心にも謙虚さが必要です。

 仁・・・思いやり、慈しみ。
 義・・・人道に従い、道理にかなうこと。
 礼・・・尊重し、人の道に従うこと。
 智・・・物事を知り、わきまえていること。
 忠・・・心の中に偽りがなく、心から尽くそうとする真心。
 信・・・言葉で嘘を言わない、相手の言葉をまことと受けて疑わない。
 考・・・工夫をめぐらすこと。親孝行すること。
 悌・・・兄弟仲がいいこと。










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NO 

2009年09月20日 | Weblog
遺伝毒性を持つ発がん物質グリシドールを作る可能性のあ
るグリシドール脂肪酸エステルが『健康エコナクッキングオイル』など
に不純物として高濃度に含有されているという資料が厚労省から提出されて、
花王(株)「エコナ」の安全性の問題は4年前から議論されていました。

食品安全委員会新開発食品専門調査会では、
ジアシルグリセロール自体の安全性については問題がないとしていました。

しかし、2005年から主婦連合会(主婦連)は
ジアシルグリセロールが分解時にグリシドールを作る可能性が否定されない限り
「高濃度にジアシルグリセロールを含む食品」が特定保健用食品として推奨
・販売され続けることは極めて重大な問題であるとして、
2009年9月11日,花王の「エコナ」関連食品について,
特定保健用食品としての認可取消しと、安全性が確保されるまで一時販売停止
などを求める要望書を、消費者庁や厚生労働省、花王株式会社に提出。

これまでエコナの「安全性については問題ない」としてきた
   http://www.kao.co.jp/econa/050920/index.html

花王(株)も、ついに9月16日、特定保健用食品「エコナ」シリ
ーズの関連全商品について、17日から出荷・販売を停止すると発表しました。

現在、自民党から民主党への大きな政変が始まって
国民の声を聴こうとしていますが、
主婦連への花王の対応も、意見をよく聴こうとする点で
共通しているようにみえます。

主婦連の安全に関する息の長い熱心な取り組みに感心しました。
企業を否定しているわけではないので、
花王が毒性を否定する研究結果で不安を払拭できたら
商品として今まで以上に販売できることでしょう。
「NO」はチャンスへのスタートですね。

*サラダ用のベビーリーフが育ちました。
 産地直送で新鮮です、収穫の喜びを感じながら
 今日は春菊の種を蒔きましょう。
 
 我が家のドレッシングは、オリーブオイル
 をベースにして3回分を手作りします。

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お知らせ

2009年09月16日 | Weblog
「9月18日(金)午前8時35分~
NHK生活ほっとモーニングで、
「生命のスープ」辰巳芳子さんの特集があります。
そこで大阪北市民病院の進藤先生のスープサービスが紹介されます。
お時間がありましたら、ビデオにとってごらんください。」

彦根病院の田村先生を中心に
緩和ケア病棟で命のスープを患者さんに飲ませる
活動をはじめていらっしゃいます。
田村先生やボランティアの皆さんは、
直接辰巳先生に習ったとうかがいました。
辰巳さんは、病床のお父様のために
生命のスープを考案なさったそうで、
私も、とっても関心があります。


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バジルの芽

2009年09月13日 | Weblog
残暑が厳しいぞと感じたのでバジルの種まきをしました。
季節はずれなのに、かわいい芽がニョキニョキでてきました。
秋から冬は、室内で育ててあげるね。

私は「今日イチニチ」を、どのように生きても自由だから
わくわく、こまごま過ごしています。

それでも時々、自由であることを忘れて
妙につまらないと感じる日もあります。
何かをしない、何かをできない「言い訳」が上手になって
「まあ、いいか」とあきらめる日もあります。

時間がないからとか
お金がないからとか
体力がないからとか
楽しいことができないんだよと思う日
それは、ホントカシラ~??と思い直して

時間がないと感じるときは、20分の自由時間で
お金がないと感じるときは、千円以内の小遣いで
体力がないと感じるときは、自宅オンリーで
とルールを作って、お愉しみを大切にします。

お料理やお掃除の時もあります。
ベランダ菜園もパワーをもらえます。
たのしい心で、笑顔になりましょう。 

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無い

2009年09月11日 | Weblog
前例が無い
経験が無い
資格が無い
肩書きが無い
財産が無い

無いからおもしろい

    
田中つとむ ひとりごと(第2集)にある
「無い」という詩を見つけて、ニーと笑いました。
これは、わたしの気持ち。


今年も実家でいちじくが収穫できました。
とっても甘くて美味しいのですよ。
「無花果」(いちじく)は、花を咲かせず実をつけるという意味の漢語
ですが、外から見えないだけで内部に小さな花を咲かせるそうです。

何をもって「無い」とするか、ですね。
無い現実を良しとし、おもしろいと言う場合、
そこには、希望が育っています。

無花果の花と一緒で、希望も外から見えないけれど、
内でしっかり花を咲かせて、時がくれば実を結びます。



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すだち

2009年09月11日 | Weblog
仕事先の優しい方から、すだちをいただきました。

ちょうど、秋刀魚も美味しい旬で、
今夜はすだちで豪勢な夕食にいたしましょう。
血糖値を抑える効果もあると聞いたような。
お醤油から柑橘の果汁に変えると減塩効果も。

「スダチは酢橘(すたちばな)→スダチ
 カボス(香母酢)より小さいんじょ」と徳大病院で同じ病室の人が
 味噌汁に絞っていたのを思い出します。

高校生のクラスメイトで出席番号がひとつ違いの友人が徳島にいます。
いつだったか立派なスダチを贈ってくれました。
スダチをみると思い出します。元気にしているかしら?
もう5年はあっていないことに気がつきます。
1年に1~2回くらい電話で話す程度ですが
会えば、昨日まで一緒だったように違和感がない
人を友人と呼ぶのでしょう。

近くの友人には頻繁に逢うかというと
やっぱり1年に1回会うか会わないかだから、
どうも住まいの距離は関係ないようです。
すぐ逢えると思うだけで、
いつでも逢えると思うだけで
安心しているのかもしれません。

「今年必ず再会したい人」と手帖に書いた人がいます。
今年もあと三ヶ月、今夜は思い切って電話をかけてみましょう。
年賀状だけで15年以上も逢っていないけれど
お目にかかれたら、どんなに嬉しいでしょう。








 


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「忙しい」と感じるとき

2009年09月10日 | Weblog
「急がしいんよ!時間がないんよ!」
若い頃から母にこんな風に言ってきました。

それで母は今でも
「今日は忙しいの?」ときいてくれます。
最近は「全然、大丈夫」と応えるようにしています。
「忙しい」を理由にできるほど、
母と私の楽しい時間が残っていないと思うから。

では、私が「忙しい」と感じる時はどんなとき?
仕事や遊びの絶対量が多いときと思ったら
自分の心が疲弊していると、さほど仕事もないのに
すごく忙しいって慌てています。

心が死んでる状態って書きますから
多分、余裕がなくなってる状態なんですね。

忙しいと感じるとき・・
①仕事が短時間に立て込んだり、締め切り時期が重複したとき
 (あれもこれもしなきゃと考えたとき)
②不得意分野・新しい分野の仕事
 (得て不得手で、負担が違う。●得意分野ならスイスイ)
③体力
 (偏頭痛の時 疲れている ●朝ははかどる )
④気持ち
 (困難だ 心配・不安。●大丈夫と思っている間は忙しいと思わない)
⑤人間関係・トラブル
 (仕事に集中できない ●クヨクヨイライラしないとはかどる)
⑥サポーター・敵の有無
 (一人でやるか仲間と分けるか 攻撃的な敵がいるか●心の平安で集中)
 

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アルコール問題

2009年09月06日 | Weblog
第27回中国四国アルコール関連問題研究会
~心を病むアルコール~に昨日参加しました。
初めてアルコール問題の研究会に参加して
現実の悲惨さや過酷さが消化できず、帰宅した後も悶々としています。

いくつかの事例からわかることは
アルコールに手を出す前は、それぞれの人生の分かれ道で
うつ状態になったり、精神的に追い込まれる状況に陥ってること。
ここでサポートを探した人は大丈夫!

孤独を埋めるためにアルコールに溺れると
暴力や失業で暮らしを失い
飲酒運転による死亡事故や加害、経済的にも周囲に負担をかけ
家族からも見捨てられ、退院後に帰る場所がなく、
ますます孤独を深める結果に。

開会のご挨拶の中に、アルコール依存症になり
兄弟に迷惑をかけ続ける息子を殺し、
ご自分も入水自殺した母親が救助されたお話があったり
「この方は自殺してしまった」と声を震わせる発表者がいて、
何ができるのだろう?どうすればいいのだろう?
という現場の苦悩が痛いほど伝わってきました。

サポートの鍵は、断酒会や自助グループでの仲間の絆、
叱ってくれる先輩の存在 飲み仲間との決別
断酒に成功した人々の体験談の聞き取りから
人との出会いが人を変えてゆく様子を学ばせていただきました。
一人ぼっちを感じさせないことがよくわかりました。

ただ、
「昔は病室コミュニティが存在したが
30代~40代の患者を中心に、
病室でも1日中カーテンを閉ざし
他の患者と交流を拒絶する人が増加している。」
という心配も報告されました。
断酒会や自助グループへの参加も継続が困難のようで
再飲酒止のため断酒会に参加しない人々に対して
退院後の電話でサポートが効果を挙げる一方、
もうやめてほしいと断られて、病院と切れてしまうケースもあるそうです。

15年以上断酒した人でも逆戻りする事例では、
きっかけは、仕事が順調で忙しくなったこと。
会に参加しなくなり病院とも離れたことで、患者意識がなくなり
普通に暮らしているのだから、もう大丈夫だと思った。
完治したと判断した家族が一杯位ならOKと誘い
再飲酒が始まるという話を聞くと、
断酒は一生続けないといけないのかと驚きました。

こんなに大変な状況の中でも本人を尊重すること。
相手を性急に変えようとしないで、受け入れること。
本人の立ちなおる力を信じること。

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風まかせ

2009年09月05日 | Weblog
前世で、両親に私を産んでくださいと約束して、この世に生まれた。
だけど、二人の遺伝子を受け継いで
結果として私が存在している。

前世で、この世で親しくなる人と約束して、この世で出逢う。
だけど、クラスで一緒になったり、旅先で知り合い
結果として偶然仲良くなった。

前世で、自分の仕事を決めて、この世で働く
だけど、不採用になったり、採用になったり
結果として相手の都合で職業が決まった。

今夜、「私はこうなりたい」と具体的に願わないが
どうでもいいと匙を投げているわけじゃない。

前世の私の計画通りにスケジュールは進むから
明日の風任せなのだ。

明日、私の出会う人が、
私に新しい展開を贈るメッセンジャーだとしたら、
私は素直に従えばいい。









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