笑顔浴

優しい時間

少子化問題

2015年02月23日 | Weblog

 

動物のドキュメンタリー番組に惹かれる。

人間も動物の一種だから、共通した本能のようなものを感じてしまう。

集団のルールは、種が生き残る為に必要だと納得できるし

身体の変化やその適応能力には驚くばかりだ。

遺伝子の能力は、どこまで凄いんだろう。

 

 

子供を母親だけで、産み・育てるホッキョクグマ。

授乳するのでお母さんが育てる。

単独でも獲物をとれ、しかも北極に天敵がいないので

夫婦や群れを作る必要がないという解説に はっとする。

 

父親だけで子育てをするオオヒクイドリ。

お乳が要らないのでお父さんでも子育て可能である。

オーストラリアの熱帯雨林には天敵が多く

餌として殺されるので 魚のように多産でないと 子孫を残せない。

そこで、母鳥は卵を産むと子育ては父親に任せる。

次のオスの卵を産んだらまた子育てを任せて、さらに別のオスの卵を産む。

こうして、短時間に卵を産むことだけに専念する。

 

欧米の子供達は、例えば 馬のように

生まれた直後から 自らの足で駆けることを求められる

アジアの子供達は、例えばカンガルーのように

大きくなっても、お母さんの袋で過ごすことができる。

実家でひきこもれるのは、日本文化のメリットであるときく。

 

先進国は少子化傾向で、途上国では多産傾向

豊かな国では個で暮らし 貧しい国では集団で暮らす

昔、数十人でした田植えを、今は一人でできるようになった

環境に合う生活に変化するなら

文明の発展と共に、益々個に進むのかしら

 

人間は何のために子供を産むんだろう。

個人の好き嫌いレベルを超えて、
 
社会的な影響が大きく、
 
少子化は、国家の問題として取り組まれている。

縄張り争い、貧困格差、他への攻撃性と集団結束力を見比べても

所詮、私達も猿の群れの一種にすぎない。

置かれた環境で、仲間で幸せを感じられる

そういうルールが生まれるように

考えなくてはと想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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健康でいよう

2015年02月17日 | Weblog

 

 

人間ドックの予約を3月に入れた。

最近、美味しいものばかり食べているので、

中性脂肪や血糖値が高くなっていると想像する。

内科で血圧のコントロールをしている母も

原因不明のフラフラを気にして一緒に受けるという。

こんな年寄りが受けてもいいんだろうか?と、

公費を使う気兼ねもあるが、

「ぴんぴんころり」が目標なら、入院しないで元気でいることだ。

 

 

歯科の予約も3月に入れた。

「痛くない・怖くない歯科」をネットで探した

母の希望である、「抜かない・削らない歯科」とも一致したので、二人で受診する。

総入れ歯にするべく、残った前歯を抜かれるのが嫌で、

かかりつけの歯科に行かなくなった母の気持ちもわかるので

とりあえず、セカンドオピニオンになればいい。

 

身体の不調は、心の不調を引き起こし

心の不調は、身体の不調を招く

老衰は、ただ一方向に着々と進むから

今日が残された人生で一番若く、動きやすいはず。

今日なら、どんなことでも まだやれる気がする。

そんな 今日この頃

 

 

 

 

 

 

 

 


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おせっかい/おせったい

2015年02月16日 | Weblog

民生委員さんの研修会に

自殺予防のゲートキーパーの話をするチャンスをいただいている。

訪問して一緒に考える時間を共有できることが嬉しく

現場を学べる貴重な時間になっている。

 

「死ぬしかない」と思いつめてる人や、自分から助けを求めない人は、

それに気付いて 話を聴いて、専門家の力も借りて、

さりげなく気にかけてあげる人が必要だ。

 

おせっかいは、おせったいから、と先日うかがった

お遍路さんが雨に濡れて歩いていたら

もしもし、傘はお持ちですか?と訊く

持っているけど、雨に濡れて歩きたいのだと言われたら

お気をつけて~と見送る

どこかで置き忘れてしまった・・と聞けば

300円の傘ですけど、どうぞ使ってくださいと差しだす。

小さな異変に気付いて

昔は、声をかける人の割合が多かったが

今は、声をかけない人の割合が多いときいた。

 

周囲の人々に、ひと声掛けられる余裕を

常に持ち合わせられる私でいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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回復

2015年02月10日 | Weblog

 

「休息とは回復であり、何もしないことではない。」

 ダニエル・W・ジョセリン(作家)

 

高熱がでたり、吐き気や、めまいやうつ病などで

身体を思い通りに動せない方々が

すべきことがあるのに何もできなくて辛いとおっしゃる。

何もしないで、ただ休むことが苦痛と感じておられる。

「休むことは回復することだから、何もしていないわけではありません。」

今 私達がすること一つ一つに、大事な意味が存在することを一緒に語りたい。

どんなこともその人にとって必要なことで、無駄と思えないから。

 

毎日がハードワークで疲労困憊の人が、疲れを癒すために

週末の2日間ずーっと布団の中でうとうと眠っていたら、少し、もったいないかも。

寝だめはできないし、生活ペースが乱れると脳が混乱する。

8時間~10時間ほどで起きてきて、

いつもしない事をしてみると、精神的な回復が期待できる。

料理でもいい、買い物でもいい、掃除もいい、

家の修繕や菜園や、日帰り旅行も面白い。

見慣れない景色を眺めてサンドイッチやおにぎりをほおばるのも楽しい。

回復期に何もしないというよりは、

むしろ新しい刺激でエネルギーを満たす手もある。

気分転換で元気回復

 


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潮を待つ

2015年02月09日 | Weblog

能島には、20歳代の桜咲く春に、一度

花見シーズンだけ運行する船に乗って、大勢で出かけたことがある。

あの広い場所が、水軍の城址だったんだ

あの頃は「潮目を読む」難しさを教えて貰った。

 

潮を待てる私になりたいと願ったきっかけは

今治市(大島)宮窪町の、村上水軍博物館を訪れた時に

「ちょっと、潮待ち」

という部屋で腰かけた体験からかもしれない。

潮が変わる事を知っているからこそ待てるわけで

永遠にこのままだと考えたり、

もっと悪化したらと妄想すれば

一刻も早くと焦って 船をこぎ出し転覆する。

何せ、ここの潮流は恐ろしく早い。

http://www.noshima.jp/

 

 

その後の民生委員さんとのゲートキーパー研修の自己紹介で

時間待ちのおかげで観光できたことを喜び、

自殺しか問題解決の方法がないと考え始めた人は

もしかすると「潮を待つ」ことができない状態かもしれないと述べた。

「待つ」という行為は、希望が無いと困難だから。

 

「目の前の状況を見ていると、

想像できないかもしれないけれど

潮流がピタリと静かになる時刻が来る

もう少し、待ってごらん」

と、言う人がそばにいたら、どんなに心強いだろう。

 

ゲートキーパーは、話を聴いて、応援集団につなぐ人

その後も、さりげなく見守ってくれる人。

3月は一緒に自殺予防を学ぶ研修会が3回ある。

参加した皆さんの意見を引き出すのが私の役割だから

まさに最前線で関わる皆様から教えていただくことばかりで

私が一番、楽しみにしている。

 

 


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字名をつけてみよう

2015年02月07日 | Weblog

 

昔の人は、名前をいくつも持っていたし、

本名で呼ぶことは、良しとされなかったと聞いた。

 

「利休」という名前は、

私利私欲を休むとかいて

私はむさぼらない生き方をすると宣言している。

 

「一休」という名前は、

この世は、あの世までの一休みにすきない、

せいぜい自分の生きたいように生きるさ と宣言している。

 

「如水」という名前は、

水のごとく、入るべき器を選ばず

石に穴をあけるほどの力を発揮し

穏やかに暮らしも支えたいと宣言している。

 

「雲霧」という名前は、

雲や霧が人知れず生じ、人知れず消えてしまうように

小さな水滴として常に在りながら、変幻自在、

やる時は、やりまっせと宣言している。

 

もし、私がこれから生きる方針を

名前に込められるとしたら

どんな、字名をつけようか?

 

「潮待」

潮を待つと書く。

潮の満ち引きを受け入れて

流れの変わり目を 待てる私になりたい。

焦るな。

急ぐな。

私の思い通りにしようとするな。

 


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フワフワ

2015年02月05日 | Weblog

 

起き上がる時や頭を動かすとフワフワして気持ち悪いという母に、

「一度大きな病院に行った方がよい」と

伯母ちゃんがすすめていたよと伝えたので、

母は受診すると決めた。

 

フワフワに対してかかりつけ医から トラベルミンが屯服で処方された。

血圧を下げる薬が効き過ぎて低血圧になったか、飲み忘れて高血圧になったか、

血圧のせいかな?と想像していたので

タイミングよく、まさにフワフワしている時に

カーブスのスタッフさんが血圧を測定くださって大感謝。

上は125 下は75 血圧は良い感じ。

起立性低血圧なのかなあ。

 

フワフワしつつも、カーブスを半周。

「頑張るねー、今日はこれで家に帰る?」と訊くと

「3時に行くと約束しとる」というので

スーパーで、ミニ薔薇やチョコやきんかんや苺をもとめ

母が頼まれた伊予柑とハガキのおまけに持参した。

思いがけないおまけは、伯母をしばしば喜ばせる。

 

施設からの帰り道、

珍しく「ステーキを食べる」というので、ガストで夕食にした。

「美味しかったね、満足、満足」の頃

「今は、フワフワせん」らしく、原因は低栄養??と話し合った。

「今朝は、何食べたの」

「おかゆと牛乳」

食欲があるので、すこし安心。

伯母から依頼された用事を終えて、緊張がゆるんだのかもしれない。

脳ドックに行きたいというので、近いうちに日程を調整してみよう。

 

 

「ついてきてくれる?」と言われて、

「いいよ」と返事したが、

母は1人で行くものだと考えていた私に気付いた。

老いてだんだん、心細くなってゆくことを教えてくれる。

お一人様の老後を迎える私は、それなりに準備を整え、覚悟しておかねばなるまい。

いつまでも、若い頃のままでいられると つい勘違いしてしまう。

 

実は私も時々フワフワする。

アサイチで紹介された かの「不活発病」かもしれない、

深夜までデスクワークの連続で、本当に運動不足だもの。

いかんなあ。

今日から習慣を見直さなくては!!

 


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立春

2015年02月04日 | Weblog

 

小さいフライパンを買いました。

ウインナー1本 ピーマン1個 お肉塊 1個でもういっぱい。

1食分、食べきり料理に便利で、満足しています。

 

今日から暦の上では春。

陽射しが明るくなりました。

寒さはまだまだ厳しいですが、

春ときくだけで、不思議と気分が上向きになります。

 

昨日は伯母に、いちご4粒入りのパック差し入れました。

食欲のない人には、ちょうどよかった。

ブロッコリーが半分、スライスかぼちゃ、

1個売り、小分け野菜も増えました。

必要な分量だけを購入できるので私は喜んでいますが、

世の中のお年寄りも若者も、一人暮らしが増えた結果ときくと

1人で食べる食卓と、誰かと囲む食卓の両方が

1ケ月の内に、バランス良く組まれていて欲しいと願います。

 


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明日は節分

2015年02月02日 | Weblog

 

昨日から2月、明日は節分。

来るな、出て行け!と豆をぶつけて追い払う 「 鬼 」について

1年に1度くらいは触れたいと思い、ネット上の記事を読む。

 

印象に残ったのは、大和国の酒呑童子出生伝説だった

ウキペディアからコピペさせていただいた。(感謝して)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90

 

「大和国の酒呑童子出生伝説[編集]

大和国(現・奈良県)の白毫寺の稚児が、近くの山で死体を見つけ、
好奇心からその肉を寺へ持って帰り、人肉だと言わずに師の僧侶に食べさせた。
その後も稚児は頻繁に肉を持って帰り、
やがて死体の肉を奪うだけでなく、生きている人間を襲って殺し、肉を奪うようになった。
不審に思った僧が稚児の後を追って真相を知り、稚児を激しく責め、山に捨てた。
この稚児が後に酒呑童子となり、捨てられた場所は「ちご坂」の名で後に伝えられた[7]

別説では、白毫寺の住職のもとに生まれた子が、
成長に従い牙や角が生え、後には獣のように荒々しい子供となった。
住職は世間体を恥じて子供を捨てたが、後にその子が大江山に入り、酒呑童子となったという[7]。」

 

これを読むと・・

もしや僧侶は死体の人肉と知らず「美味しいね~」と喜んだのではないか。

稚児は愛されたくて、途中でやめられなかったのではないか。

間違った子供に上手く対応できない保護者が、

手におえなくなった子供を捨て、排除して「鬼」と呼ぶ。

鬼にされたら、戦うことでしか里の人と交流できない。

だから、親は子を鬼にしてはならぬ、というメッセージが聞こえてくる。

 

 

 




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