先々月、浜松のおじいちゃん(故・義父の父)が入院したことを書きました。
そのときは元気いっぱいで、病院から出して、
と言っているくらいだったのですが
おととい...7月4日朝5時50分、亡くなりました。
それを聞いたのはその日の夕方でした。
7月5日の夜はお通夜。
7月6日、今日は告別式。
92歳になろうとしていたおじいちゃんの葬儀ですから
ひっそりとしたお式でしたが、
最後までひとに気を配ったおじいちゃんらしく、
親族もみんな揃ったし、
思いの外、多くのご近所の方々がいらっしゃって
おじいちゃんの人柄が現れていたように思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/12/331be165effa74b42d491af885a0630f.jpg)
お通夜の直前に。おじいちゃんがずっと過ごした家です。
僕がおじいちゃんと接した期間は短かった。
でも、おじいちゃん、ほんとにありがとう。
いつも僕らのことを心配してくれていたね。
激動の昭和を生き抜いてきたおじいちゃん。
ゆっくり休んでね...
おじいちゃんのバイタリティ、心配り、やさしさ。
僕らは忘れません。
>>荼毘にふしたあとのおじいちゃんのお骨は、
とても90歳を越えたとは思えないほどしっかりしていて、
量も多かったです。
これって病気で亡くなったのではなく、
老衰で、しかもカラダが丈夫だったからこそ。
それって、すごいなあって思った。
まさしく大往生...。
そのときは元気いっぱいで、病院から出して、
と言っているくらいだったのですが
おととい...7月4日朝5時50分、亡くなりました。
それを聞いたのはその日の夕方でした。
7月5日の夜はお通夜。
7月6日、今日は告別式。
92歳になろうとしていたおじいちゃんの葬儀ですから
ひっそりとしたお式でしたが、
最後までひとに気を配ったおじいちゃんらしく、
親族もみんな揃ったし、
思いの外、多くのご近所の方々がいらっしゃって
おじいちゃんの人柄が現れていたように思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/12/331be165effa74b42d491af885a0630f.jpg)
お通夜の直前に。おじいちゃんがずっと過ごした家です。
僕がおじいちゃんと接した期間は短かった。
でも、おじいちゃん、ほんとにありがとう。
いつも僕らのことを心配してくれていたね。
激動の昭和を生き抜いてきたおじいちゃん。
ゆっくり休んでね...
おじいちゃんのバイタリティ、心配り、やさしさ。
僕らは忘れません。
>>荼毘にふしたあとのおじいちゃんのお骨は、
とても90歳を越えたとは思えないほどしっかりしていて、
量も多かったです。
これって病気で亡くなったのではなく、
老衰で、しかもカラダが丈夫だったからこそ。
それって、すごいなあって思った。
まさしく大往生...。
が、それよりもっとタフそうに思われたおじいさんが
亡くなってしまうとは…
実は3月に、我が家と深い付き合いのあった叔父が亡くなったのですが、
ガンで亡くなった叔父の遺骨は、まだ58歳とは思えないくらいボロボロで、
所々黒くなっていて…
おじいさんはとても健やかな生涯を送られたのかな、なんて思います。
まさに、大往生でしたね。
ご冥福をお祈りします。
大往生ですね。
90年生きるというのはすごいことですね。
私の年の約3倍ですよ。
ieさんのおじいちゃんも、うちのおじいちゃん、おばあちゃんも、
私たちが今感じているようなことを通り越してさらに60年も生きたんですね。
どういう境地に達するんだろう。
これから60年生きて、感じたいですね。
長生きしたいと思える人生を歩みたいですね。
御冥福、お祈り申し上げます。
>タフそうに思われたおじいさん
いやほんとです。まさか、と思いました。でも話を聞いたら、最後は多臓器不全的だったこととのことで、やはり歳には勝てなかったのでしょうね。
>所々黒くなっていて
骨は真っ白でした。驚きました...
寿さま>
>90年生きるというのはすごいこと
ほんとです。僕が生まれたときもう57歳だったなんて...関東大震災も、戦争(徴兵)も経験してきたんですよね。すごいです。
サボテンTSさま>
>天寿
僕もそう思います。おじいちゃんは生き抜いたのだと。素敵な人生だったのではないでしょうか。
ひっそりとした、「しかし思いの外、多くのご近所の方々がいらっしゃって・・・」というのは、まさに理想の葬儀ではないかと私は思います。
おじいさまはきっとご近所の方にもとても親しまれていたのでしょうね。素敵なおじいさまだったことが偲ばれます。
ありがとうございます。近所の方々のかなしみ方を見て、近所に愛されていたんだなって改めて思いました...。