AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

蝋管を結んだ二つの国(4)

2016-12-01 18:43:08 | 言の葉の輪転機




それは朝日新聞での記事掲載から始まりました。
「ポーランドでエジソンの蝋管が発見された。」という記事です。




調べていきますと、ピウスツキという樺太に抑留されていたポーランド人でした。今は便利なものでWikipediaにも載っておりました。1899年にはウラジオストクへ渡り、翌1900年のパリ万国博覧会用の資料を提供する。1902年にアイヌとウィルタ(オロッコ)の調査のため樺太へ戻り、写真機と蝋管蓄音機を携えて資料収集を行う。同年農民身分となる。年末には、樺太南部にある集落・アイ(日本名:栄浜村相原)で村長バフンケの従妹チュフサンマと結婚し、一男一女をもうける(二人の子どもは第二次世界大戦後、北海道に移住した。彼らの子孫が現在も日本で生活しており、長男木村助造(1903年-1971年)の子孫はピウスツキ家唯一の男系子孫である。チュフサンマは晩年失明し、1936年1月に樺太で死去した)。その後もロシア語などをアイヌに教える一方でアイヌ、ウィルタ、ツングース族などの資料収集を行っていたが、日露戦争勃発後の1905年、バフンケに反対されたため家族を止む無く残して日本へ渡る。1905年4月12日、「樺太アイヌ統治規定草案」(沿海地方国家歴史図書館蔵)を作成とのこと。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%wikipediaから引用させて頂きました。)



ピウスツキが録音したと言われるアイヌのユーカラは樺太アイヌの歌です。
金田一京助先生は北海道アイヌ言語学者でしたから、全く未知の発見だったのです。
蝋菅に録音された音をNHK技研と北海道大学が再現しました。この歌が何なのかを探る構成でした。


11月30日(水)のつぶやき

2016-12-01 02:51:21 | 百済ない話