ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

仕事に就いてから・その25

2007年03月21日 12時38分06秒 | 思い出ねーさん
退職後は年に1度のペースで皆で会う機会があった。
まだ在職していて海外赴任している男子が帰国する機会に合わせるように、皆が集合して飲み会が催された。

ねーさんが退職して5年ほどたった頃だった。
友人と「そろそろ彼帰国の頃だねぇ…」などと話題にでていた時期だった。
いつも会の連絡をくれる男子がいるのだが、どういう訳だか、いつもすぐ電話をとるねーさん・友人がこの時に限って電話に出なかったことがあった。
「まぁ、そんな急ぎの用事でもないだろう。」そんな感じでまたかかってくるのを、のほほーんと待っていた。

翌日はおだやかな休日だった。
部屋の掃除も一段落してやれやれと思っていた時に友人からの電話。
「昨日の男子の電話が彼女から回ってきたな~」と思いつつ、電話に出る。
ねーさん:「はい!」
友人:「○○君。(海外赴任の彼)」
ねーさん:「うんうん!(やっぱり予定通りの帰国で飲み会ね!と思いつつ…)」
友人:「亡くなりました。」
ねーさん:「えっ…(絶句&涙)」
友人:「昨日亡くなったって…。なんでお前たちすぐ電話出ないんだよって。その連絡くれてたんだね。」
ねーさん:「涙、涙、涙」

この時は父親の死よりも泣けた。亡くなったと聞いたとたん涙があふれてあふれておさえられないっていう経験をしたことあるだろうか。皆は。
変な話だが、哀しみとか感動とかで涙があふれるのは、だんだんと感情が高まる前置きがあって、そして涙が出てくると思うんだ。
ねーさんはそれまでの涙は悔し涙(ねーさんらしい)か感動の涙しかなくて、それは感情が高まる前置きがあっての話だ。
父親が亡くなる時も枕元に立って最後を看取った。ドラマのシーンのように心電図が横一本の線になり、心拍数が0を表示すると、やはり涙がわっとあふれてきたが、経過を見てるのでまた違う涙なのだ。

彼はねーさんより1つ年上なだけで、若すぎる死だった。
皆の予想通り、彼は日本に帰国するはずだったのだ。日本に向かう海外の空港で手荷物を預けている時に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
遊び仲間の一員で一緒に旅行に行ったり、スキーにいったり、湘南でバーベキューをしたり、今でもその当時の写真をみるだびに感傷的になる。別に付き合ったりした仲でもなんでもないが、いつも何かといえばその場にいて、「俺たち、どうせバーベキューやるならかっこよくやりたいんだよな~!」「そうそう!」みたいなことを言い合う昭和40年代同士。
キムタクを見ていると彼を彷彿させる時がある。
とにかく爽やかにかっこいいのだ。憎たらしいくらいに外見もセンスもいいし、父親とお茶も嗜むような品まである。父親ってところがニクイ。(笑)
性格も嫉妬するくらい歪んで無くて、なのに嫉妬されず、男女問わず人気がある、そんな感じ。
そんな彼が逝ってしまった。

この事実はとっくに辞めた人たちの間にも、あっという間に広がった。
ねーさんらが通夜・告別式に参列することをとがめた人もいた。それはあの改革劇に翻弄されて辞めざる終えない状況に追い詰められ去っていった人たちだ。
しかしねーさんらは自らの考えの元会社を去っているわけで、彼との最後のお別れを放棄するのはまた別問題なのだ。
人ひとりが亡くなったこんな時にもそんな感情が入り乱れる実情に、あらためて「あの改革は一体なんだったんだろう。」と考えさせられた。
人間主体じゃなく、会社主体の改革。
致し方ないのは理解するが、あまりにも人の気持ちを無視した、いや、鈍感な人間達が短期間に行う改革はこうなるという結果を見た気がした。

/(.^.)\あゆモバ
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