ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜び

2024-01-07 11:28:58 | 食材
マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜びとは、マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣を鍋に放り込んでグツグツし、その殻蓋をこじ開けて食べる行為の喜びを言う。“鍋の季節である。鍋は旨い。鍋があるから冬は好きだ。だから岩谷産業(本社は大阪)には足を向けて眠れない”そんな日本人は少なくないはずである。似非30代独身日本式サラリーマンであっても鍋は好きだ。普段は“このまま死にたい” と思うほど孤独なのに、イワタニの五徳に小ぶりな土鍋を置いてグツグツさせ、クタクタになった野菜をつついて熱燗を飲むと、 “このまま死んでもいい” と思うほど幸せになる。今回はそれに牡蠣を加えて幸福感を倍増させる企画である。


この鍋に関する情報は以下のとおりだ。参考になると嬉しい。


①アジア系スーパーにある牡蠣
北米のアジア・スーパーには生け簀があり、そこで生きた牡蠣が売られている。筆者の北米生活は10年近くになるというのに、恥ずかしながらそれを購入したことがなかった。それは何だかイロイロと怖いからである。奴らはいつでもアジア・スーパーの生け簀にいる。なので賞味期限が不明だし、天然なのか養殖なのかも不明である。それに何故こんな小さな生け簀で平気で生きていられるのかも不明で怖い。それに日本のように“生食用”“加熱用”とはっきりとした調理方法の指定がないのも怖い。しかし、普段は孤独で“このまま死にたい”と思っているのに、一体何を怖がっているのだろうと、とある土曜日に思ったのだった。そしてマリーナ・スーパーの生け簀に暮らす網袋に入った1ダースの牡蠣を買い物かごに入れたのだ。



②それは蓋つきの牡蠣
それは蓋つきの牡蠣である。手のひらサイズの大振りの牡蠣で迫力がある。米国の高めなシーフード・レストランで偶に出てくる無駄に高い小判サイズの牡蠣とは品種が異なるようだ。筆者は恥ずかしながら蓋つきの牡蠣を見るのは初めてであった。奴らはじっと蓋を閉じ、動かない。頑強に閉じられた殻と蓋からは強い意志を感じる。1ダースを一気に食べることは難しいので、とりあえず彼らを水を貯めたボールに入れ、冷蔵庫の中で保存することにした。


③蓋つきのまま鍋にぶち込む
日本のウェブサイトを見れば、日本の牡蠣は片栗粉や塩などを使って下処理をする必要があるようだ。だがせっかくの生きている牡蠣を“殺してから、洗ってから”食べるのは無粋というものだ。だいたい生で食べられる可能性が高い牡蠣なのである。であるからここでは適当に外側を水洗いしたらば、豪快に蓋つきのまま沸騰した土鍋へぶち込むことにした。残酷ではあるが、仕方がない。



④蓋つきのままの牡蠣鍋
煮えたぎった鍋に入れられた牡蠣は、ハマグリなどの二枚貝のように『グエー』とニンゲンに食べられるために大きく蓋を開くような真似はせず、粘り強く蓋を閉じている。そのため火が通ったのかどうかが判りにくい。それでも煮えるのに十分な時間が経ったと判断したら、鍋から取り出し小さな万能ナイフで蓋をこじ開けてみる(火傷に注意したい)。そうすると宝石のように光沢のある牡蠣が現れるのだ。蓋つきのために半ば蒸されたような状態になっているためだろうか、身が縮こまっておらず、“プリプリ”という擬態語はこのためにあるかのようだ。ポン酢をちょっとかけてむしゃぶりつく。まるでニンゲンに食べられるために生きてきたかのような濃厚な旨味が口中に広がり、映画タンポポの役所広司をまた思い出す。


マリーナ・スーパーで売られている牡蠣は1個1ドルなので、日本よりも安くてお買い得感がある。冷蔵庫のボールに入れた牡蠣は1週間ほど経っても様子は変わらずに、筆者は十分に牡蠣鍋を楽しむことができた。牡蠣はそのほとんどの生活で殻に閉じこもり、外の世界との間に頑強な蓋をしているようだ。筆者に食べられてしまった1ダースの網袋に入ったマリーナ・スーパーの生け簀の牡蠣共は、自身の周りに11体の仲間が居ることを知っていたのだろうか。翻って我々似非30代独身日本式サラリーマンはどうだろうか。実は似ているのかも知れない。ただしストレスにさらされるとすぐに『グエー』と諦めるところは、二枚貝の方に近い。

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