ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

うま安

2022-10-24 01:34:40 | 食事
うま安とは、愛知県四日市市の居酒屋である。新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの一時帰国休暇だ。夕方成田空港に降り立った筆者は、フライト疲れを癒すことなくすぐさま長距離列車を乗り継ぎ四日市へ向かった。2022年7月、日本国内への入国にはアメリカ出国72時間前までのPCR検査によるコロナウイルス陰性証明が必要だ。検査の確認は指定されたアプリで行う。入国審査カウンターへと歩く区間、空港係員が各所に立っており、『アプリの緑の画面を出しておいてくださーい』と声を張り上げていてる。この光景だけを見ると、デジタル化が省人化に寄与しているようには思えない。それでも筆者はそのアプリ確認の行列で、虎舞竜のボーカルのような名の、ハワイでサッカーチームの監督をされている方と少しだけ仲良くなったりもしたので、割と楽しい時間でもあった。



この居酒屋の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①四日市の町
ビジネスホテルでチェックインを済ませた後、疲れた体で酒場を探しに歩く。午後9時をまわった頃の近鉄四日市駅周辺は歓楽街の香りだ。それも若者の町というよりは、中年男のための町の雰囲気だ。中京工業地帯の工場勤務者や出張中のサラリーマン狙いの酒場、スナック、その他の店が並び、客引きがたむろする。だがコロナの影響もあるのだろう、客足は多くなく、筆者のような怪しい30代独身日本式サラリーマン風の男にも客引きは寄ってくる。しかし帰国した当日だ。ついついニッコニコで『NO, Thanks! 』と答えてしまい、パツ金ロン毛の客引きにぎょっとされてしまった。



②居酒屋うま安に入る
30代独身日本式サラリーマンの酒屋選びは自然と裏通りに足が向かう。銀行裏の路地に入り込むとポツポツと酒屋の灯があり、そこでうま安に遭遇した。民家の外壁を白壁風にした昭和の面影残る酒場である。引き戸をあけて暖簾をくぐると、奥のテーブル席にサラリーマングループ1組あるのみで落ち着いた雰囲気だ。L字に仕切られた調理場カウンター内には男性と女性がいて、女性店員に “22時には閉めてしまう” と言われる。ゆっくりはできないが、閉店まで小一時間居座ることにして、手前のカウンター席に腰かけ、瓶ビールを注文する。目の前の生け簀に小さなアジが泳いでいる。



③居酒屋うま安で飲む
もう一人の大将風の男性店員は、注文や支払いなどの客とのコミュニケーションをもっぱら女性店員(おそらく女将さん)に任せているようだし、愛想を振るう様子もなく黙々と調理をしている。女将さんとのやりとりも基本不機嫌そうで、昭和がんこ男の雰囲気が溢れている(この日たまたま機嫌が悪かっただけかも知れない)。日本酒メニューがたいへん豊富で飲みたくなり、カウンターに向かって『すみません、日本酒は1杯から頼めるものですか?』と声をかけても、大将はこちらを見てうなずくだけであった。こういう酒場は好きだ。



④居酒屋うま安でまだ飲む
タイの刺身と甘辛い鶏モツ煮をつつきながら、瓶ビールの次は筆者の地元の酒を飲む。女将さんが優しく「閉店も近いのでメインになるものはいかがですか」と尋ねてくれたので、豆腐ステーキを頼んだ。大将が無言で作り始める。これが山芋入りのフワフワでまた美味であった。筆者は続けて伊勢の酒“宮の雪”を注いでもらう。これもよい酒だと女将さんに伝えると、普段は伊勢の酒をたくさん揃えてあり、飲み比べセットなどもあるのだといろいろと教えてくれた。大将はやはり無言だ。どうやら普段はもっと遅くまで開けているようだが、仕入れのせいなのかコロナのせいなのか、早仕舞いをしている様子だ。こういう趣のある酒場には、頑張って残ってもらいたいと思いつつ会計を済ませた。




店を出てホテルに戻る途中、空いている台湾料理屋を見つけてしまってついつい入り、ラーメンを食べた。隣のテーブルでは飲み会終わりの小学校教師グループがおり、酔った男性教師が大きな声で教育論をぶち上げている。久々に日本に戻って日本語を聞くと、やけにクリアに耳に入ってくる。しかも米国ではなかなか聞けない酒場での酔客の論議に、“あぁ日本に帰ってきたのだな”と実感する。筆者がこれまで四日市市について知っていたのは喘息だけで、三重県なのか愛知県なのかすら知らずにいた。駐在員として長く異国にいると、日本国内の様子に詳しくなる機会が失われてしまうので、できるだけ知らない町に降り立って、知らない町で過ごすのがよいように思う。そんなことを考えながら、台湾料理屋で豚骨ラーメンを注文したことを悔やみつつ、筆者は安宿に戻った。

Masood’s Liquor & Deliの照り焼きチキンサンド

2022-10-22 21:46:38 | 食事
Masood’s Liquor & Deliの照り焼きチキンサンドとは、カリフォルニア州ベンロモンド市にある酒屋兼デリ “Masood’s Liquor & Deli” で売っている照り焼きチキンサンドのことである。ベンロモンド市はサンノゼ市とサンタクルーズ市の間の山間部の町で、比較的秘境なので訪れる機会は多くない。だが17号線や9号線の山道ドライブは気持ちがよく、ベイエリア30代独身日本式サラリーマンの孤独な週末にはよい暇つぶしになるのでお勧めだ。そしてその際にはMasood's Liquor & Deliに立ち寄り、当該照り焼きチキンサンドをパクつくことはけっこう有意義なのでここで紹介する。


この照り焼きチキンサンドの詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①ベンロモンド市
サンノゼ市とサンタクルーズ市を結ぶ道路は17号線と9号線の2本だ。どちらも日本の80 ~90年代の走り屋が喜びそうなカーブの多い山道である。17号線が自動車専用道路であるのに対して、9号線はサラトガのハコネ・エステート・ガーデンに始まり、道沿いには古そうな集落や州立公園が並んでいるので、かつての古道であった様子がうかがえる。ベンロモンド市は9号線沿いの町で、谷下の隠れた家々などは平家の落人集落を思わせるような雰囲気すらある。それに道行く人々(多くが白人)にはどことなくヒッピー臭があって、町の歴史を調べるのも面白そうだ。



②Masood’s Liquor & Deli
Masood’s Liquor & Deliはベン・ロモンド市の9号線沿いにある。店構えはログハウス風で、店前のバーベキューグリルではたいてい何かがグリルされているので、モクモクと煙が上がり独特な雰囲気がある。丸太でできたフロントデッキを上がり店内に入ると、まず酒類の豊富さに驚かされる。それはおよそ山奥の酒屋とは思えない豊富なラインナップで、一通りのビール・ワイン・ウイスキーは安物から高級まで並んでいて、ベンロモンド市住民のアルコール依存度の高さが垣間見えるというものだ。また、酒類以外にヒッピー臭が強いプリントのTシャツや、サンタクルーズのマウンテンエリアをフューチャーした意識高い風のデザインのパーカーやキャップなども陳列されており、付近のキャンパーやハイカーの集客も狙っているようだ。奥まったエリアには日常生活用の冷凍食品などもあり、地域住民の生活も少なからず支えていることも見て取れる。



③Masood’s Liquor & Deliの照り焼きチキンサンド
Masood’s Liquor & Deliの最も奥には小さなカウンターがあり、そこがDeliになっていて、サンドウィッチが注文できる。それがまた地域住民には人気のようで、昼時には数人程度の行列が絶えずできている。だが筆者がレコメンドする照り焼きチキンサンドはDeliメニューにはなく、Deliカウンター脇にある冷蔵庫に眠っているのだ。冷蔵庫には他にもブリトーや出来合いのサンドウィッチが並んでいるので、間違えないように選びたい。タバコや酒小瓶、それにスクラッチくじで一杯のレジカウンターには、意識高い風の酒場らしくない風采の上がらない小男の店員がいる。声は小さいが気のいい男だ。



④照り焼きチキンサンド
照り焼きチキンサンドは、手のひらサイズの食パン風の平たい耳付きパンに、こぼれ落ちそうなほどのたっぷりソースに浸された鶏もも肉とチーズ1枚が挟まった一品で、見た目にもボリューミーだ。しかもこのパンは程よく焦げ色が付くくらいにトーストされていて、いわゆる柔らか軟弱フェミニンサンドウィッチとは様相を異にしている。あまり米国では見ない型のサンドウィッチだ。そしてこれが実際、30代独身日本式サラリーマンの“財布、味覚、食欲”を満たす良質サンドウィッチなのである。鶏モモ肉はよくグリルされているからか脂こさがなく、燻製肉のようなソリッドな肉質が楽しめる。また何といってもこのタレがよい。欧米風の珍妙ソースでなく、どことなく日本のスーパーで買える安い焼き鳥のタレに似た甘じょっぱさがあって嬉しさがこみ上げる。食パンは温めなくとも耳と焦げの食感がしっかりした歯ごたえと風味がある。1つ食べれば30代独身日本式サラリーマンの腹は9分までは満たされ、それでいて価格は6ドル(税込)、そこらのファストフードよりずっと安い。




 持ち帰り用に余計に買っておけば、自宅でビールと一緒に楽しめる。苦めのIPAビールなどと相性がよいはずだ。ただ、かじる度にタレがボタボタと滴るので、運転しながら食べたりするのはむつかしい。しっかりと腰を据え、キッチンタオルを用意して食べることをお勧めする。サンタクルーズの山々のドライブは主要道路を逸れて気の向くままに森の中を走るのがよい。海岸沿いの都心部から離れ小川のほとりでひっそりと暮らす、金持ちなのか貧乏なのか、まともまのかヒッピーなのかよくわからない人たちの生活の様子は、だだっ広いカリフォルニア平野の雰囲気とは少し異なった情緒がある。

喫茶敏美

2022-10-19 11:58:06 | 生活
喫茶敏美とは、三重県北牟婁郡紀北町長島にある喫茶店である。友人の墓参りをすべく、10年ぶりに紀伊長島くんだりにやってきたものの、生憎ご実家が留守であり、筆者は途方に暮れかけていた。諦めてそのままとんぼ返りでも良かったのだが、このまま牛乳屋のおじさんや “えがお” の女性ドライバー以外のニンゲンと言葉も交わさずに帰ったのであれば、ほぼほぼ “来ていない” と同義になりそうでさみしくなり、もう少し爪痕が欲しくて何となく赤羽川沿いを少し歩いてみると、喫茶敏美が見えてきたのだ。



この喫茶店での出来事は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①喫茶敏美に入る。
喫茶店は都合がよかった。それは友人の親御さんの帰宅を待つ時間潰しになるという理由に加え、実は留守の場合に備えて書置き用のカードを購入してあったから、喫茶店であればゆっくりとテーブルで手紙を書くことができるのだ。しかし駅前でもないこんな辺鄙な川辺に佇む喫茶店が、『果たして普通の喫茶店なのか』という不安は確かにあった。正面から見る喫茶敏美は不可思議な正五角形の建屋で、前面の駐車場(2台分)にある看板の回転灯が点灯している以外には開いている気配がない。でもやるしかない。思い切って入ることにした。



②喫茶敏美のママに会う。
ドアを開け、『すいません、一人ですが。』と言って立ち入ろうとすると、和装の老婆ママ(たぶん敏美さん)に『あ!手を殺菌して。』とピシャリと言われ、“やはり敬遠されたかな”と思いつつ入店する。何せ田舎喫茶である。一見の怪しい渡世人の来店には警戒反応が出るのは仕方がない。喫茶敏美の内装は洋風、正面のカウンターには槐色の丸椅子が並び、昭和初期のバーのようなレトロな雰囲気がある。窓際のテーブル席も洋式純喫茶風ではあるが、窓には和雑貨が飾られ、BGMには琴の調べが流れる。和装のママ(たぶん敏美さん)には、“見るからに優しそうな老婆”といった雰囲気はなく、いささか苦労人の風貌がある。それでも水を持ってきてくれた時に、それとなく窓に飾った和雑貨の紹介をしてくれ、一見客の緊張をほぐしてくれたので、“そこまで敬遠されていないのかな”と思わされる。




③喫茶敏美で盛り上がる。
筆者はアイスコーヒーを注文する。和装のママ(たぶん敏美さん)はコーヒーを煎れながら、『ゆでたまごは好き?』と尋ねてきて、好きである旨を伝えると、持ってきてくれた。『朝をあまり食べていないので助かります』とおべっかを使えば、今度は『じゃぁ、トーストも食べる?ジャムついてるけど』と言ってくださる。結局ジャムトーストもいただいて、何となく打ち解けた雰囲気になった。どうやら敬遠されていなかったようだ。調子づいた筆者は“もしかしたらば友人宅の情報が得られるかも知れない”と思い、和装のママ(たぶん敏美さん)に紀伊長島来訪目的をかいつまんで話してみた。和装のママ(たぶん敏美さん)は、友人の家とは直接の知り合いではなかったものの、さすがは田舎喫茶の情報量でいろいろと話してくださった。中には学生時代に友人から直接聞いた話まで出てきて、『あぁ、それは昔あいつから聞きましたよ!』などと懐かしい気持ちで盛り上がったりもしたのだった。




④喫茶敏美を出る。
“やはり親より先にあの世に行くのは褒められたものではない”といった話題から、和装のママ(たぶん敏美さん)のご家族の話になり、ついには人生論・若者論まで盛り上がり始めた時、常連の中年男性客が入ってきて、そこで会話は水入りになった。筆者はおかわりホットコーヒーを注文し、置手紙を仕上げて店を後にした。支払い時に『駅まで歩ける距離だろうか』と尋ねると、寡黙な中年客が競馬新聞を広げながら『普通の男なら10分程度で行けるやろう』と言い、ジロリとこちらを見てきた。




店を出て再度友人宅へ立ち寄るも、残念ながらまだ留守だった。ドアにカードを挟んで駅まで歩く。足取りが軽いのは中年客に煽られたからではなく、今回の紀伊長島探訪が楽しかったからだ。 “墓までは行けなかったが、事前に電話して段取り通りに墓に会いに行くよりもずっと面白かっただろ?”そう友人と話しながら橋を渡り、山を眺める。汗が噴き出てどうしようもなくなったので、ファッションパークナカミチでタオルを購入する。駅前の赤坂商店の前には、先ほど“えがおタクシー”を手配してくれた親切なおじさんがまだ居たので“さっきはありがとう、おかげでたどり着きました!”とばかりに大きく手を振ったらば、さっきのおじさんとは別のおじさんだった。人生はいろいろなことが起きる、そのほとんどは避けられないのだ、と思った。

ソウル・ゴム・タンでモツ鍋バカ食い

2022-10-18 06:39:01 | 食事
ソウル・ゴム・タンでモツ鍋バカ食いとは、サンノゼ市のコリアンタウンの韓国料理屋“ソウル・ゴム・タン”でモツ鍋を、30代独身日本式サラリーマンが一人でバカ食いすることをいう。久々の外食グルメ紀行である。宇露紛争やコロナ明けの供給不足・需要過多が影響し、目下世界的なインフレである。外食の値段も1,2割は上がったように思える。だが、円安ドル高で30代独身日本式駐在サラリーマンは名目資産が爆増し、俄然強気になってきたため、再び外で飯を食う気力が芽生え始めた。それに食欲の秋でもある。


このグルメの特徴は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ソウル・ゴム・タン
ソウル・ゴム・タンは、サンノゼ市エルカミノ通り沿いのコリアンエリアの中でもローカル食堂の雰囲気が強く、30代独身日本式サラリーマンフレンドリーな店である。L字型商業建屋の根本に静かに佇む店構え、看板にはハングル文字しかないので店の名前がソウル・ゴム・タンであることは、一見では分からない。中に入ると中年コリアンおばさんが数名働いている。反日運動などで2000年代にテレビでよく見たような、いかにもな雰囲気の韓国おばさん達でとても楽しく、けっこう気さくな人たちで心地もよい。メニューには大きく写真が載っているし、英語の説明書が付いているので注文もしやすいというものだ。『あんたメニューはいるの?』という質問が来るので、メニュー要らずで注文するローカル客の多さが覗える。




②モツ鍋を注文する
そもそもモツ鍋は大陸に近い福岡県が発祥とされているし、山口県下関市や福岡県田川市などといった在日朝鮮人の人々が集まるエリアでも盛んであったことから、朝鮮半島由来の食べ物に違いない。ここで食べられるモツ鍋はコプチャンチョンゴルという名前で、コチュジャンの入った真っ赤な地獄風もつ鍋である。値段が60ドルと高値であり、おそらくは二人前料理なのだと思われた。だが北米でモツ鍋を食べられる機会は多くない。30代独身日本式サラリーマンは職場ではなかなか出さない強い口調で、“コプチャンチョンゴル!”と注文すると、コリアン姐さんは『おっしゃ』とばかりに頷き厨房に戻ろうとしたので、慌てて呼び止め『ビールもお願いします』と注文すると、笑顔を見せた。




③モツ鍋が来るまでの間
すぐに白飯、小皿にカクテキ、パキムチ、キムチの三種が金属の容器で出される。薄くて飲みやすい韓国テラ・ビール大瓶をコップに注ぎ、チビチビ飲みながら前菜を楽しむ。カクテキは酸味が効いて美味、パキムチとキムチの漬かり具合も十分だ。おばさんは黙々とチョンゴルの段取りをする。卓にはカセットコンロが置かれ、金属製の容器が渡される。さらにはお玉にトングやハサミなども用意されていく。店の角のテレビでは、韓国語のニュースが流れる。



④コプチャンチョンゴル
コプチャンチョンドルは、底の浅くて大きな鉄丸皿に入ってやってくる。このときはまだ煮えたぎってはいないが、すでに火が通してあるようで『一二分加熱したら食べられるよ』と教えてもらい、カセットコンロに火をつける。赤いスープはなみなみで、グツグツが始まるとすぐにこぼれてしまいそうだ。待つこと数分、ついにスープが沸騰し始めたので、我慢できずにお玉で具材を器にかきこんでパクつき開始。美味い。まずは具材の多さだ。牛モツはホルモンだけでなく胃袋系までどっさり入りボリューム満点、野菜は白菜玉ねぎハラペーニョ人参大根マッシュルームととても豊富で、エゴマの葉のえぐみが味にパンチを添える。それに豆腐と餅にウドンまでが入っている。真っ赤なスープは決して辛くなくコクがあり、具材のうま味がにじみ出ている。それぞれの具材の食感のコントラストが楽しくて金属箸が止まらず、冷たいビールで食道を冷ましながら二人分を一気に平らげてしまった。さすがのコリアンおばさんも、30代独身日本式サラリーマンの食欲には驚きの色を隠さなかった。



これまで韓国料理屋ではついついスンドゥブ豆腐ばかり注文し、生卵を入れて満足していた。それはそれで美味ではあるが、やはり韓国といえばホルモンでしょう。季節の変わり目、体調を崩しやすくなっている。そんなときはモリモリの牛モツを具沢山の野菜と一緒にバク食いし、スタミナ回復に努めたい。万一食べきれなかった場合でも、ソウル・ゴム・タンのコリアンおばさん達はお持ち帰り用の容器を優しく手渡してくれる。日韓友好である。日韓友好といえば日本では安部元総理の銃殺をきっかけに、統一教会の問題がクローズアップされている。霊感商法や過剰な献金などの被害が多く報道され、日本の統一教会は存在危機にあるだろう。それは自業自得ではある。しかし“統一教会に救われた人々”に関しては、例えばそれが数万人いたとしても、それをいくらロジカルに統一教会が説明したとしても、『いや、それは洗脳だから』の一言で片づけられてしまうのは、少し気の毒に思う。ふと、誰が誰に洗脳されているのか判らなくなることがある。

紀伊長島

2022-10-17 06:01:59 | 生活
紀伊長島とは、三重県南部の町である。正確には北牟婁郡紀北町長島のようだ。2022年の夏、一時帰国休暇を利用して、久方ぶりに紀伊長島を訪ねることにしていた。近鉄四日市を早朝に出発し、車窓から夏の伊勢平野を眺めながらゆっくりと南へ向かう。狭隘貧弱な筆者の地元と比べてすこぶる豊かな平野は、伊勢を治めた為政者の力の大きさが想像される。紀伊長島へ行くには、津駅でJR紀勢本線に乗り換える。駅のホームで、看板の『つ』の一文字の可愛らしさを写真に収めた記憶があるため、前回も同じルートで訪ねたに違いない。ベイエリア30代独身日本式サラリーマンの一時帰国休暇は、懐かしい場所や行ったことのない場所をのんびりと一人で訪ねてみる以外には、あまりすることがない。


この紀伊長島への旅の記録は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①JR紀勢本線で紀伊長島へ
JR紀勢本線は、多気駅を過ぎるあたりから平野ではなくなり、伊勢市へと流れ下る宮川に沿って山奥へ入っていく。川面は透明で日本庭園のような岩が切り立つ。それに高さはないが独立した姿のいい山々があって、秘境の匂いがしてくる。狭い谷あいに人々が暮らし、田畑があるのだが、ところどころソーラーパネル場となっているところが秘境らしさを損ねている。単線はどんどんと山奥に入っていき、『確か紀伊長島は海の町のはずなのだが・・』と思い始めたころにトンネルを抜け、急に景色が開けて海が見える。これも10年前と同じ記憶だ。JR紀勢本線は無人駅ばかりのため、運賃は先頭車両(といっても2両編成だが・・)の運賃箱に整理券と共に支払う。近鉄四日市から津までの切符しか購入していなかった筆者は、JR分の料金を調べて小銭を両替機で予め段取りしていたが、到着直前に『紀伊長島駅は有人なので駅で支払うように』と放送がなって肩透かしにを食らう。



②紀伊長島駅へ降り立つ
だが降りてみると紀伊長島駅も無人だ。何でも駅員が来るのは9時30分からとのことで、改札には切符を入れる箱がポツンと置かれている。平日の朝のJR紀勢本線、しかも紀伊長島駅など、利用者は定期券使用者しかいないのだろう。筆者の来訪目的は友人の墓参りだ。しかし墓の場所を覚えていない。判るのは友人の実家の住所のみだ。10年前は友人宅は訪ねず、墓に煙草とビールをお供えしたのだが、いったいどうやって墓にたどり着いたのか記憶がない。所詮小さな町なので、墓地が数か所しかないのかとグーグルマップの衛星画像を調べてみても、最近はソーラーパネル群が増えて墓地と区別がつかずに難儀する。面倒なのでとにかく実家に押しかけてみようと考えたのだ。留守だったらそれまでだ。20年も訪ねていないことでご実家の様子もわからないため、電話するのは気後れしていた。


③紀伊長島駅から友人宅へ
早朝とはいえベイエリアから戻ったばかりの独身サラリーマンにとって、日本は酷暑である。それに駅には期待したコインロッカーもないし、タクシー1台も止まっていない。帰国の荷物を詰め込んだバックパックを抱えて途方に暮れてしまった。しかしデジタルコミュニケーションが発達した現代社会でも、ニンゲン同士の助け合いはある。駅前の唯一の商店らしき、牛乳屋の赤坂屋さんのおじさんに相談したところ、筆者の風体を怪しむこともなく『タクシーではないが、それに近いものならある』と策を施してくれた。 “それに近いもの”が来るまで、会話を楽しむ。紀伊長島駅がかつては鉄道基地になっていた話、人が減っていく話などだ。さらにはハローページのようなもので調べてもらい、友人の実家がまだ存在していることも明らかになった。




④えがお
それに近いものとは、町営のおでかけサービスタクシー“えがお”だった。どうやら少子高齢化が進む町内の、免許を返納した老人用の交通サービスのようだ。えがおの運転手は気のいい中年女性だ。さすがにこの女性は、筆者に対して怪しさを感じたようだ。平日の朝に、中年男が何しにこんなところまで・・しかも住所しか知らず、相手先とアポもとっていない・・確かに怪しい。会話の中でそれとなく事情を探られながら、当該住所へ向かう。歩いて行けない距離ではなかったのだそうだが、コインロッカーなし、そのうえこの暑さで徒歩は厳しい。数分のドライブで目的地に着くが、玄関先の車庫に車がなく、すぐに留守らしきことがわかった。



友人宅は20年前に訪ねた時のままだ。留守ではあるが、玄関前には取れたての玉ねぎがぶら下がっているし、裏手には洗濯物も見えたのでちょっとした外出のようだ。少し待てば会えるかも知れないと思った。それに、家主(友人の父親)の名前の表札のとなりには友人の名の表札もまだ掛けてあった。これも確か20年前にもあったはずだ。筆者はその表札を見て何かほっとした、訪ねてもよかったのだと思った。赤羽川の護岸に腰を掛け、しばらく景色を眺めた。北方に見える山々は雄々しく、登ってみたくなる。『来訪記念にもう少し散策するか・・』そう思って川辺の道を少し上ると、そこに喫茶『敏美』があったのだった。