85号線の旅とは、筆者が2020年の10月の、やはり暇な週末に出掛けたドライブの記録である。85号線はハートフォード市の東10マイルほどの場所にあるボルトンという小さな町から南東に延び、ロングアイランド湾の町ニュー・ロンドンまで続く道だ。ニュー・ロンドンという古い港町にはこれまで訪ねたことがなかったし、85号線沿いの町にも何か楽しいものがあるかも知れないと思い、出かけてみることにしたのだ。とはいえこのブログを書いているのは2021年の1月で、この日の出来事についての記憶は薄れかけている。だから憶えている範囲での記述になる。
このドライブの詳細は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。
①ニュー・ロンドンに着く
85号線は44号線ほどに見どころはなく、森の中の単調なドライブだったのだろう。特段記憶がないのだ。朝の9時前にはニュー・ロンドンに到着した。港町ニュー・ロンドンはテムズ川の河口に位置する。“ロンドン、テムズ川”という名から、たとえ歴史に詳しくなくても入植者たちには“この地を新しいロンドンシティに”という熱い思いがあったのだろうと想像する。ここはロング・アイランド湾のなかでも水深が深く、大型船の出入りが可能であることから早くから海軍の本拠地が置かれ、軍港としても発展を遂げたようだ。19世紀には捕鯨船の本拠地としても栄えたという。
⓶ニュー・ロンドンを歩く
町の中心部のステイト通りの路肩に車を停めて散歩を開始する。当然コロナの影響もあるだろうし、そのうえ日曜の朝方なので案の定町は閑散としていて人通りも少ない。ポツンと開いているダイナーから長身の黒人男が出てきて何か話しかけてきたが適当にやり過ごし、とりあえず鉄道の駅の方角へ歩いてみた。オイスターバーなどのレストランも看板があるばかりで開いているのかわからないほど中が暗く、町は寂し気だが、街路樹やガス灯風の電灯、レンガ作りの古い比較的高層のビルが並んでいて街並みはキレイだ。レンガ建屋の壁に鯨の画が描かれている。
③ニューロンドンを歩く2
すぐに駅に着く。鉄道駅舎もまたレンガ作りの大きくて歴史のありそうな荘厳な建物だ。駅前のロータリー広場はきれいに整備されていて、鯨の尾っぽのオブジェの噴水や誰か知らない偉人の像などが作られ、段差の低い階段が市民が憩いのエリアとして使えるようになっている。でも憩う人は見あたらなかった。だがふいに駅舎から3人の若い女学生風のグループが出てきて、鯨のオブジェで写真を撮ったり、割と「キャッキャ」とはしゃぎ始めた。いちおう旅行スポットとしての認知度はあるようだ。筆者は「私も旅行者ですよ」とやんわりとアピールのつもりで駅舎をカメラにおさめたりしてみたが、特段コンタクトはなかった。
④ニューロンドンを歩く3
駅舎の中は天井が高く、木目調の内壁や窓枠や天井がレトロで楽しい。中でぼんやりしていると、切符売り場の黒人女性が『ニューヨークへ行くの?』と大きな声で訪ねてきた。生きている駅である。東側の壁には帆船が難破した様子の大きな絵が飾られていて、何か歴史的な出来事なのかと調べてみたがよくわからなかった。駅舎の隣にはフィッシャーアイランドやブロックアイランドなどに渡るクルーズ船やホエールウォッチングの船が出ているようで、これもまたメイン観光になっているのかもしれない。筆者はそこそこ興味深い経験をしたが、もうすることはなくなったので来た道を戻り、さっきの黒人が出てきたダイナーで朝食(コンビーフベネディクト)を食べた。細長く奥行きのある内装の都会風ダイナーには、いかにも町の食堂の女主人といった白人女性がおり、数人の馴染み客がコーヒーを飲んだりしていた。
⑤州立公園
朝食後はやはり暇になった。グーグル地図を見てみると、ニュー・ロンドンからさらに南へ少し行けば海岸沿いに大きな州立公園があることが分かったので行ってみることにした。公園は昔の貴族の家屋のような建物が少し残り、その周囲は海を見渡せる気持ちのいい芝生の広場になっていて、多くの市民が凧を上げたり、ジョギングや球技を楽しんでいたり、寝転んだりしている。筆者も運動のためしばらく広場を練り歩いたが、やがてに飽きたので車に乗り込んだ。帰りも85号線を使って戻っていると、大きなアンティークショップと鉱石や化石のお店が並んでいるのを見つけて立ち寄った。アンティークショップではしおり用に昔のハートフォードの絵葉書を数枚買い、鉱物のお店で化石や鉱石の標本を眺めてしばらく時間を潰したが、またすぐに車に乗り込んだ。
⑥コネチカット大学
夕暮れにはまだまだ時間があった。長屋に帰っても不健康な時間が増えるばかりなので、思い切って北側に逸れてコネチカット大学を訪ねてみることにした。以前の44号線ドライブの際にその存在に気付いたものの、プロビデンスへ向かうため素通りしたことを思い出したのだ。コネチカット大学は“University of Connecticut”を略して“UCONN(ユーコン)”の愛称で呼ばれている。なんだか新種の野菜の様な響きを持つこの大学の本拠地はずいぶんと山あいの田舎にある。そのため通学が難しいので、広い構内には新しい寄宿舎のような建物が並び、その周辺にはスーパーやカフェ、バーやラーメン屋まであって、学生だけのための町がつくられているかのようだ。訪れた時間が昼下がりで、晴れていたせいもあってか若い男女がそこらじゅうでくつろいだり、スポーツをしたりしている。イェール大学の学生よりもやや性生活に乱れがありそうなエッチっぽい女学生が多いようでじろじろ見てしまう。筆者はイエール大学のように昔の建物が残る立派な学舎があるのだろうと期待していたのだが、同志社大学京田辺キャンパスのようなガッカリキャンパスだったのでやや残念だった。でもまぁ、エッチっぽい女子大生を幾人も見ることができたので「よし」としたのだった。
この85号線の旅はやや疲れていたのか、二日酔いだったのか、面白いものを探そうという気力が薄いドライブだった。だがこうやって三月もたって思い出してみるといろいろと出てくるものだ。特にユーコンの女子大生たちの記憶は鮮明で、今もその映像を思い出すことができる。30代独身日本式サラリーマンも機会があればややエッチっぽい女子大生を見に大学へふらりと行ってみるのも健康によいだろう。周辺の町から孤立した寄宿舎暮らしの学生しかいない大学をお勧めします。先生の居ない修学旅行のような雰囲気がむんむんして、若さが蘇りますよ。
このドライブの詳細は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。
①ニュー・ロンドンに着く
85号線は44号線ほどに見どころはなく、森の中の単調なドライブだったのだろう。特段記憶がないのだ。朝の9時前にはニュー・ロンドンに到着した。港町ニュー・ロンドンはテムズ川の河口に位置する。“ロンドン、テムズ川”という名から、たとえ歴史に詳しくなくても入植者たちには“この地を新しいロンドンシティに”という熱い思いがあったのだろうと想像する。ここはロング・アイランド湾のなかでも水深が深く、大型船の出入りが可能であることから早くから海軍の本拠地が置かれ、軍港としても発展を遂げたようだ。19世紀には捕鯨船の本拠地としても栄えたという。
⓶ニュー・ロンドンを歩く
町の中心部のステイト通りの路肩に車を停めて散歩を開始する。当然コロナの影響もあるだろうし、そのうえ日曜の朝方なので案の定町は閑散としていて人通りも少ない。ポツンと開いているダイナーから長身の黒人男が出てきて何か話しかけてきたが適当にやり過ごし、とりあえず鉄道の駅の方角へ歩いてみた。オイスターバーなどのレストランも看板があるばかりで開いているのかわからないほど中が暗く、町は寂し気だが、街路樹やガス灯風の電灯、レンガ作りの古い比較的高層のビルが並んでいて街並みはキレイだ。レンガ建屋の壁に鯨の画が描かれている。
③ニューロンドンを歩く2
すぐに駅に着く。鉄道駅舎もまたレンガ作りの大きくて歴史のありそうな荘厳な建物だ。駅前のロータリー広場はきれいに整備されていて、鯨の尾っぽのオブジェの噴水や誰か知らない偉人の像などが作られ、段差の低い階段が市民が憩いのエリアとして使えるようになっている。でも憩う人は見あたらなかった。だがふいに駅舎から3人の若い女学生風のグループが出てきて、鯨のオブジェで写真を撮ったり、割と「キャッキャ」とはしゃぎ始めた。いちおう旅行スポットとしての認知度はあるようだ。筆者は「私も旅行者ですよ」とやんわりとアピールのつもりで駅舎をカメラにおさめたりしてみたが、特段コンタクトはなかった。
④ニューロンドンを歩く3
駅舎の中は天井が高く、木目調の内壁や窓枠や天井がレトロで楽しい。中でぼんやりしていると、切符売り場の黒人女性が『ニューヨークへ行くの?』と大きな声で訪ねてきた。生きている駅である。東側の壁には帆船が難破した様子の大きな絵が飾られていて、何か歴史的な出来事なのかと調べてみたがよくわからなかった。駅舎の隣にはフィッシャーアイランドやブロックアイランドなどに渡るクルーズ船やホエールウォッチングの船が出ているようで、これもまたメイン観光になっているのかもしれない。筆者はそこそこ興味深い経験をしたが、もうすることはなくなったので来た道を戻り、さっきの黒人が出てきたダイナーで朝食(コンビーフベネディクト)を食べた。細長く奥行きのある内装の都会風ダイナーには、いかにも町の食堂の女主人といった白人女性がおり、数人の馴染み客がコーヒーを飲んだりしていた。
⑤州立公園
朝食後はやはり暇になった。グーグル地図を見てみると、ニュー・ロンドンからさらに南へ少し行けば海岸沿いに大きな州立公園があることが分かったので行ってみることにした。公園は昔の貴族の家屋のような建物が少し残り、その周囲は海を見渡せる気持ちのいい芝生の広場になっていて、多くの市民が凧を上げたり、ジョギングや球技を楽しんでいたり、寝転んだりしている。筆者も運動のためしばらく広場を練り歩いたが、やがてに飽きたので車に乗り込んだ。帰りも85号線を使って戻っていると、大きなアンティークショップと鉱石や化石のお店が並んでいるのを見つけて立ち寄った。アンティークショップではしおり用に昔のハートフォードの絵葉書を数枚買い、鉱物のお店で化石や鉱石の標本を眺めてしばらく時間を潰したが、またすぐに車に乗り込んだ。
⑥コネチカット大学
夕暮れにはまだまだ時間があった。長屋に帰っても不健康な時間が増えるばかりなので、思い切って北側に逸れてコネチカット大学を訪ねてみることにした。以前の44号線ドライブの際にその存在に気付いたものの、プロビデンスへ向かうため素通りしたことを思い出したのだ。コネチカット大学は“University of Connecticut”を略して“UCONN(ユーコン)”の愛称で呼ばれている。なんだか新種の野菜の様な響きを持つこの大学の本拠地はずいぶんと山あいの田舎にある。そのため通学が難しいので、広い構内には新しい寄宿舎のような建物が並び、その周辺にはスーパーやカフェ、バーやラーメン屋まであって、学生だけのための町がつくられているかのようだ。訪れた時間が昼下がりで、晴れていたせいもあってか若い男女がそこらじゅうでくつろいだり、スポーツをしたりしている。イェール大学の学生よりもやや性生活に乱れがありそうなエッチっぽい女学生が多いようでじろじろ見てしまう。筆者はイエール大学のように昔の建物が残る立派な学舎があるのだろうと期待していたのだが、同志社大学京田辺キャンパスのようなガッカリキャンパスだったのでやや残念だった。でもまぁ、エッチっぽい女子大生を幾人も見ることができたので「よし」としたのだった。
この85号線の旅はやや疲れていたのか、二日酔いだったのか、面白いものを探そうという気力が薄いドライブだった。だがこうやって三月もたって思い出してみるといろいろと出てくるものだ。特にユーコンの女子大生たちの記憶は鮮明で、今もその映像を思い出すことができる。30代独身日本式サラリーマンも機会があればややエッチっぽい女子大生を見に大学へふらりと行ってみるのも健康によいだろう。周辺の町から孤立した寄宿舎暮らしの学生しかいない大学をお勧めします。先生の居ない修学旅行のような雰囲気がむんむんして、若さが蘇りますよ。