ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

85号線の旅

2021-01-20 12:58:04 | 生活
 85号線の旅とは、筆者が2020年の10月の、やはり暇な週末に出掛けたドライブの記録である。85号線はハートフォード市の東10マイルほどの場所にあるボルトンという小さな町から南東に延び、ロングアイランド湾の町ニュー・ロンドンまで続く道だ。ニュー・ロンドンという古い港町にはこれまで訪ねたことがなかったし、85号線沿いの町にも何か楽しいものがあるかも知れないと思い、出かけてみることにしたのだ。とはいえこのブログを書いているのは2021年の1月で、この日の出来事についての記憶は薄れかけている。だから憶えている範囲での記述になる。


このドライブの詳細は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。


①ニュー・ロンドンに着く
85号線は44号線ほどに見どころはなく、森の中の単調なドライブだったのだろう。特段記憶がないのだ。朝の9時前にはニュー・ロンドンに到着した。港町ニュー・ロンドンはテムズ川の河口に位置する。“ロンドン、テムズ川”という名から、たとえ歴史に詳しくなくても入植者たちには“この地を新しいロンドンシティに”という熱い思いがあったのだろうと想像する。ここはロング・アイランド湾のなかでも水深が深く、大型船の出入りが可能であることから早くから海軍の本拠地が置かれ、軍港としても発展を遂げたようだ。19世紀には捕鯨船の本拠地としても栄えたという。



⓶ニュー・ロンドンを歩く
町の中心部のステイト通りの路肩に車を停めて散歩を開始する。当然コロナの影響もあるだろうし、そのうえ日曜の朝方なので案の定町は閑散としていて人通りも少ない。ポツンと開いているダイナーから長身の黒人男が出てきて何か話しかけてきたが適当にやり過ごし、とりあえず鉄道の駅の方角へ歩いてみた。オイスターバーなどのレストランも看板があるばかりで開いているのかわからないほど中が暗く、町は寂し気だが、街路樹やガス灯風の電灯、レンガ作りの古い比較的高層のビルが並んでいて街並みはキレイだ。レンガ建屋の壁に鯨の画が描かれている。



③ニューロンドンを歩く2
すぐに駅に着く。鉄道駅舎もまたレンガ作りの大きくて歴史のありそうな荘厳な建物だ。駅前のロータリー広場はきれいに整備されていて、鯨の尾っぽのオブジェの噴水や誰か知らない偉人の像などが作られ、段差の低い階段が市民が憩いのエリアとして使えるようになっている。でも憩う人は見あたらなかった。だがふいに駅舎から3人の若い女学生風のグループが出てきて、鯨のオブジェで写真を撮ったり、割と「キャッキャ」とはしゃぎ始めた。いちおう旅行スポットとしての認知度はあるようだ。筆者は「私も旅行者ですよ」とやんわりとアピールのつもりで駅舎をカメラにおさめたりしてみたが、特段コンタクトはなかった。


④ニューロンドンを歩く3
駅舎の中は天井が高く、木目調の内壁や窓枠や天井がレトロで楽しい。中でぼんやりしていると、切符売り場の黒人女性が『ニューヨークへ行くの?』と大きな声で訪ねてきた。生きている駅である。東側の壁には帆船が難破した様子の大きな絵が飾られていて、何か歴史的な出来事なのかと調べてみたがよくわからなかった。駅舎の隣にはフィッシャーアイランドやブロックアイランドなどに渡るクルーズ船やホエールウォッチングの船が出ているようで、これもまたメイン観光になっているのかもしれない。筆者はそこそこ興味深い経験をしたが、もうすることはなくなったので来た道を戻り、さっきの黒人が出てきたダイナーで朝食(コンビーフベネディクト)を食べた。細長く奥行きのある内装の都会風ダイナーには、いかにも町の食堂の女主人といった白人女性がおり、数人の馴染み客がコーヒーを飲んだりしていた。



⑤州立公園
朝食後はやはり暇になった。グーグル地図を見てみると、ニュー・ロンドンからさらに南へ少し行けば海岸沿いに大きな州立公園があることが分かったので行ってみることにした。公園は昔の貴族の家屋のような建物が少し残り、その周囲は海を見渡せる気持ちのいい芝生の広場になっていて、多くの市民が凧を上げたり、ジョギングや球技を楽しんでいたり、寝転んだりしている。筆者も運動のためしばらく広場を練り歩いたが、やがてに飽きたので車に乗り込んだ。帰りも85号線を使って戻っていると、大きなアンティークショップと鉱石や化石のお店が並んでいるのを見つけて立ち寄った。アンティークショップではしおり用に昔のハートフォードの絵葉書を数枚買い、鉱物のお店で化石や鉱石の標本を眺めてしばらく時間を潰したが、またすぐに車に乗り込んだ。




⑥コネチカット大学
夕暮れにはまだまだ時間があった。長屋に帰っても不健康な時間が増えるばかりなので、思い切って北側に逸れてコネチカット大学を訪ねてみることにした。以前の44号線ドライブの際にその存在に気付いたものの、プロビデンスへ向かうため素通りしたことを思い出したのだ。コネチカット大学は“University of Connecticut”を略して“UCONN(ユーコン)”の愛称で呼ばれている。なんだか新種の野菜の様な響きを持つこの大学の本拠地はずいぶんと山あいの田舎にある。そのため通学が難しいので、広い構内には新しい寄宿舎のような建物が並び、その周辺にはスーパーやカフェ、バーやラーメン屋まであって、学生だけのための町がつくられているかのようだ。訪れた時間が昼下がりで、晴れていたせいもあってか若い男女がそこらじゅうでくつろいだり、スポーツをしたりしている。イェール大学の学生よりもやや性生活に乱れがありそうなエッチっぽい女学生が多いようでじろじろ見てしまう。筆者はイエール大学のように昔の建物が残る立派な学舎があるのだろうと期待していたのだが、同志社大学京田辺キャンパスのようなガッカリキャンパスだったのでやや残念だった。でもまぁ、エッチっぽい女子大生を幾人も見ることができたので「よし」としたのだった。



 この85号線の旅はやや疲れていたのか、二日酔いだったのか、面白いものを探そうという気力が薄いドライブだった。だがこうやって三月もたって思い出してみるといろいろと出てくるものだ。特にユーコンの女子大生たちの記憶は鮮明で、今もその映像を思い出すことができる。30代独身日本式サラリーマンも機会があればややエッチっぽい女子大生を見に大学へふらりと行ってみるのも健康によいだろう。周辺の町から孤立した寄宿舎暮らしの学生しかいない大学をお勧めします。先生の居ない修学旅行のような雰囲気がむんむんして、若さが蘇りますよ。

ノース・アダムス

2021-01-18 02:59:33 | 生活
 ノース・アダムスとはマサチューセッツ州北西部にある古い町だ。2020年の11月は依然としてコロナウイルスの影響で地球人は難儀な暮らしを強いられており、強制性はないものの州境を越えることは何となく控える空気が漂うし、賑々しい都市の施設は閉館しているものが多い。そのような状況下、筆者は翌春にニューイングランドを去ることになってしまい、『いつでも行ける』と高を括っていた場所のほとんどが『行けず仕舞い』になってしまうことになった。そこで近辺で日帰りで何となく楽しめる場所を探していたところで見つけたのが、このノース・アダムスである。いくつか30代独身日本式サラリーマンでも一人で楽しめるものがあったので、それを報告する。


この場所の特長は以下のとおりだ。参照にしてもらいたい。


①アクセス
ハートフォードからのアクセスは91号をノーサンプトンまで北上し、そこからは北西方向へ9号、116号、8A号となだらかな山道を走る。信号も対向車も少ない気持ちのいい尾根道が続き、時折通過する集落の朝の景色がまたいい。前日から気温が下がりハートフォードでは初雪になったがこの日は快晴。朝の空気が吸いたくなってついつい車窓を開けてみては、寒いからまた閉めるを繰り返しながらずんずんと走る。1時間弱の運転で山々を越えてピッツフィールド市に入る手前の8号を北上し、まずはマウンテン・グレイロックへと向かった。



⓶マウンテン・グレイロック
マウンテン・グレイロックは南北18キロに延びる山で、ノース・アダムスはその北端の麓の町だ。この18キロの尾根上にはレジャー用の舗装道路が整備されており、ドライブやサイクリング、それに各所からトレイルが延びていてトレッキングなども楽しめるとのことだ。 また、山頂には第一次大戦で亡くなった人を偲ぶための塔が建てられ、そこから見下ろす景色は雄大だということであり、筆者はここをノースアダムスを訪ねる際の主要なスポットと位置付けていた。7号線から分岐する専用道路に入ると道は急こう配で、一直線で尾根をぐいぐいと登り始める。空はまさに快晴で、まるで空中をドライブするような心持になる・・・はずであったが10分ほど走ったビジターセンターのところで道路は閉鎖されていたのだった。前日の雪と低気温の影響とのことだ。失意のうちに筆者は来た道を戻った。



③樹氷
失意のまま7号線を北上しノース・アダムスへと向かう途中に思いがけず素晴らしい景色と出会った。樹氷である。朝日がマウンテン・グレイロックを越えて、山の西側を照らし始めたとき、枯れ木の森に一斉に氷の華が咲き始めたのだった。木々はその細い小枝の先端までびっしりと、でも薄っすらと白い霜に覆われ、晴天の下で何ともいえない景色を作り出す。この感動的な景色はノースアダムスに到着するまでの20分間程度のドライブ中に延々と続き、筆者は先ほどの失意をすっかり忘れ、景色に見とれて何度も畑や牧場に車を突っ込むところであった。



④ノース・アダムス
マウンテン・グレイロックでの不測の事態の所為で、筆者は予定時間よりもずいぶんと早くノース・アダムスに着いてしまった。美術館はウイルス拡散防止のために完全予約制になっており、入場時間までは時間を潰さなくてはいけない。町を散歩する。ノース・アダムスは1745年に入植がはじまり、中心部を流れる川の水力を利用して工業の町として発展した。20世紀初頭には大きな電子機器メーカーの工場があったが、大戦後に米国のその他のニューイングランドの町と同様に廃れた。その工場跡が現代アート美術館になっている。工業利用のためにコンクリートで完全に護岸された河川や鉄道を跨ぐ道路橋からダウンタウンを眺めればレンガ作りの古い建屋が並び美しいが、どでかいホテルのビルが酷く景観を損ねている。それにアンティークショップへ行ってみたり、町に点在するアートを眺めたりして時間を潰した。



 美術館は順路がなく、まるで迷路のようなつくりの建屋の中に、ポップなものから理解不能なものまで様々なアートが置かれておりなかなか楽しい。土地の狭い日本では難しい大型アートの展示にも迫力がある。筆者はお約束のとおり鑑賞中に便意をもよおしトイレに駆け込んだ。この日は便の出が便意の強さに比べると滑らかでなく、筆者は「フゥ!ハぁ!」と荒い息づかいとともに、声をもらしながら何とか便を出し切った。疲労と爽快感でしばらく便座に腰を掛けたまま、「あー、ふー」などと声を漏らし続けていると。隣から「じゃー」とトイレを流す音が聞こえてきた。完全個室と思っていたが、隣の女子トイレとの仕切りは上の方で開いており、筆者の喘ぎ声はすっかり隣に聞こえていたのだった。『きっと麻薬でもやっていると思われたかも知れないだろうな』と思った。帰りはマウンテン・グレイロックの東側の道を南下した。麓の町からはこの山はとても近く、優し気に横たわっている。この山が人々に親しまれるのがわかるような気がした。

コネティカットを去る段取り

2021-01-13 12:51:05 | 生活
 コネティカットを去る段取りとは、筆者が2021年の正月にコネティカット州を去る準備をすすめた数日の回想である。30代独身日本式駐在サラリーマン諸氏には少しだけ役に立つ米国内引っ越しのコツを紹介できるが、ほとんどは筆者のおセンチな回顧録になるであろう。アメリカでは2020年11月初旬に大統領選挙が行われた。その結果民主党のバイデン候補を推す選挙人が多くの州で勝利し過半数を獲得したものの、得票数は僅差であり、さらには選挙の不正疑惑・中国や国際金融資本グループの選挙への介入などの陰謀論が飛び交い、アメリカは完全に分断したかのように見える。1月20日の大統領就任式まで予断を許さない状況で、筆者は不安を感じつつも、ドナルド・トランプという、破壊者なのか救済者なのか分からない不思議な男の魅力と、それを信奉する多くのアメリカ国民について考えることが多かった。



この日々の回想は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①グッドウィルで必要なものをリースし、そして返却する。
筆者はせっかちである。であるから引っ越しの荷造りを早々と終えてしまい、その所為で退去日までの数日は衣類や食器類などの不足で生活に不自由を来すという間抜けな事態に陥ったのだ。プラスチックや紙製の使い捨て食器はどこにでも売られているものの、インスタントみそ汁や米を入れるような深い茶碗状のものは少ないし、あっても質が悪い。それにほんの数枚しか要らないのに、アメリカはいつでも何でもアメリカンサイズで売っているので大量に余ってしまうのもやり切れない。そんなときにこそグッドウィルを活用したい。グッドウィルはリース会社としても使える。つまり格安で中古の食器や衣類を手に入れ、引っ越しの日にまた寄付しに行けばよいのだ。エコでサステイナブルでクリーンな非の打ちどころのない活用法だ。この活用法は引越し先で荷物を待つ間の不自由な時間にも活用できるので、お勧めしたい。



⓶余った酒は乞食に恵む
30代独身日本式サラリーマンなら誰でも、冷蔵庫の上などに余った酒を抱え込んでいるに違いない。“余った酒”とは、評判を聴いたり酒屋で何となく惹かれたりして勢いで買ってはみたものの好みとは合わず、だが“いつか飲むかもしれない”などとけち根性で貯めこんだ酒類のことである。筆者も瓶3/4のホワイトラム、同じく3/4ほどのカナディアンウィスキー(砂糖入り)、そしてコロナ渦の消毒の為に買い込んでいた度数95%のウォッカなどが余っていて転居にあたり処分に苦慮していた。水道に流すと酒の神に祟られるのは必定だし、とはいえたった数日で飲み切れる量ではない。そんなときにこそ乞食を活用したい。たいていの乞食はお金もそうだが、酒にも飢えている。さっそく筆者は余った酒瓶を紙袋に入れ、いつもの乞食がいる自動車専用道路のランプへ向かった。そこには普段2人の乞食のどちらかがいるのだが、その日は運よく筆者の贔屓にしている大柄ひげもじゃの60歳前後の乞食が正月にも関わらず仕事に精を出していた。もう一人の痩せぎす小男の方は、朝方に酒屋でよく顔を合わせるので酒好きには違いないのだが、どうも恵み甲斐のない風貌をしているのだ。「神のご加護がありますように」そう言って大柄ひげもじゃ乞食は紙袋を嬉しそうに受け取ってくれた。ウィン-ウィンでエコな取引とはまさにこのことである。



③車を運送屋に引き渡す
家具類の引越と車の輸送は別業者にした方がよいというのが筆者の経験である。というのも引越屋に車の輸送を一括で頼むと何故かとても高いのだ。安いところでも車の輸送屋の倍額で見積りを出してきた。それに天候等のトラブルでスケジュールに支障が出た場合に備えて、長屋の退去日(引越日)と転居先へのフライト日は数日ずらす方が安心なので、その期間は車を使用できる方がよいだろう。しかしフライト日と車の発送日もずらしておかないとまたトラブルの際に困ってしまう。悩んだ挙句、筆者は長屋引き渡し日の翌日に車を運送屋にピックさせ、その翌日にフライトという予定を組み、数日間はホテルで過ごした。運よくトラブルはなくスケジュールとおりに事は動いたが、もう少し余裕を見ても良かったと今は思っている。車の輸送屋のトラック運転手はたいていがロシアやウクライナから来た英語が不自由な人々で、同じく英語が不自由な筆者とのなかなかスリリングなコミュニケーションがあるが、分かり合えたときの感動をお互いに(筆者だけではないことが重要)感じることができ、よい思い出になるに違いない。




④ウーバーに乗る
車を引き渡すと移動手段はもうない。だからレンタカーを借りたりウーバーを利用することになる。筆者が利用したウーバーの運転手はハイチ出身の男であった。英語では「ヘイデー」というので筆者はしばらく理解せずにいると、察しのいい運転手が“ハイチ”と発音してくれた。黒人が独立を世界で初めて勝ち取ったハイチ共和国は、欧米各国の思惑や自然災害の影響で今は世界の最貧国のひとつである。初老の運転手はひとしきりアメリカがハイチから全てを奪い、人々は貧困から脱しきれずにいると筆者に訴えかけた。ハイチはもともとはフランスから独立したそうで母国語はフランス語と現地の言葉が混じったクレオール語ということだ。彼はフランス語も流暢にしゃべる。ここで筆者が感じたことを熱く語る勇気はないので省略するが、こうやって異なる文化や社会背景の人たちと語らうことができるのも、ウーバー利用の醍醐味ということにしよう。



そうしてまたカリフォルニアの青い空の下にいる。気温はコネチカットより随分と高いのだが、部屋に入ってくる隙間風が酷いので朝方は暖房が欲しくなるほどに肌寒い。コネチカットで出会った沢山のヒトやモノと別れるのはとても寂しいが、別れるからこそ大切に感じる。別れるときになって大切さを思う。『サヨナラダケガ人生ダ』井伏鱒二の訳にはそんな思いが含まれているのではないかな、と筆者は思うのだ。これからも沢山の素敵なサヨナラを得るべく、出会いを恐れずに行きたい。松村邦洋が新型肺炎から回復したニュースを見て、新しい年の初めに死んではいけない人が死ななかったことに一安心した。今年はよい年になりますように。