ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

弘明寺

2020-01-27 03:07:52 | 生活
 弘明寺とは横浜市南区の町である。黄金町で飲んだ郷里の友人の宅が弘明寺にあり、次の日はそこで友人家族と食事をすることになっていたのだ。二日酔いの朝、筆者と宇都宮は黄金町のホテルを後にし、黄金町で宇都宮と別れて弘明寺駅に向かった。京急黄金町駅のホームで宇都宮は、『家族サービスを放棄して休日を飲み会に使ってしまったので、嫁にネックレスでも買って帰らなくては・・』とぶつぶつと呟いており、家庭持ちもたいへんなものだと思った。京急電車は弘明寺駅にすぐに着いてしまった。昨晩、酔っ払った郷里の友人が三次会のタコ焼き屋で、聞いてもないのに『弘明寺まではタクシーで1500円程度で帰れる』と何度も言っていたのを思い出す。


弘明寺での思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ぐみょうじ
弘明寺は“ぐみょうじ”と読む。初見ではなかなか読めるものではない地名に“きっとなにかある”と思い調べてみると、弘明寺という名の横浜最古の寺があるという。また旧闇市の商店街が寺の門前町の様に広がっており、この商店街に風情があるとのことであった。友人家族との会食まではまだ時間があるので散歩してみることにした。都合よく天気は快晴で、11月だというのに暑気すら感じる。


②京急弘明寺駅から弘明寺へ
京急弘明寺駅は崖と呼んでもいいほどの急こう配地形の中腹に建てられており、西側の崖上には展望台のような公園が見える。駅の出口に面した細い道路も勾配のある坂道で、右へ下りると弘明寺があるという標識があったので、筆者はとりあえず坂を下ることにした。坂道の両側には小さな美容室や不動産屋や酒場などの店舗が並び、ここで生活する人々にとってはメインストリートのようで人通りも多い。坂道を数分下るとすぐに弘明寺の裏口駐車場に辿りつくが、せっかくなので正面から入ろうと思いさらに坂を下る。


③弘明寺
坂道を下りきったところに弘明寺薬局があり、そこから左手に商店街のアーケードが見える。そして右手に弘明寺の山門があり、それをくぐって石階段を上る。境内は砂利が敷かれ、広々としていてベンチもあったので、とりあえず腰を掛けて参拝する人々を眺めてみることにした。日曜の弘明寺には七五三の為におめかしした小児とその親らが訪れていて、何処にでもある田舎の“お寺さん”の雰囲気に包まれていたが、時おりハッとするほどの白人美女が通りがかったりするところが“流石に横浜だな”という気分にさせられる。しばらくベンチに座っていたものの、やや暇になったので寺を参拝し、500円を支払い観音様のご尊顔を拝し、裏口から寺を後にした。


④弘明寺商店街
そして弘明寺商店街をウロウロしてみる。京急と横浜地下鉄の両駅に挟まれた好アクセスに加え、住宅が密集し車の利用に不便があることもあってか商店街には賑わいがある。それでも軒を連ねる店にはローカル臭が漂い懐かしい風情があるというものだ。商店街のちょうど中央付近を大岡川が流れ、そこに架かる観音橋は小さな催しができるようなステージがある。この日は生憎学童保育に関わる署名活動が行われていた。橋の上から川面を覗くと人が一人通れるかどうかという細い草が生い茂る河川敷を、虫取り網を持った小児が2人で探検ごっこをしているように歩いていて、筆者は懐かしい気持ちにさせられた。商店街にレトロで怪しげな薄暗い中華料理屋を見つけ、“郷里の友人との食事はここが良いかもな”などと思ったり、薬局で絆創膏を購入したりして過ごした。


 その後筆者は駅裏の展望公園へ登ったり、小さな本屋で平山夢明の小説を買い求めたりして何とか時間を潰し、ついに郷里の友人家族と落ち合った。友人夫妻、その娘2人とお好み焼き屋に入り楽しい時間を過ごし、郷里から弘明寺に移り住んだ友人の母とも20年ぶりくらいの再会を果たした。さて、学生時代には筆者が“行きたい”という奇妙な場所にいつだってニヤニヤついてきた友人であったが、筆者がちょいちょいとレトロ中華料理屋に行きたいという趣向を伝えるも『昔入って娘が怖がった』と言って全く乗ってこず、家族持ちもたいへんなものだと思った。お好み焼き屋からの帰り道、件の中華料理屋の引き戸ががらりと開いて客が出てきたので中を見ることができた。“これはいつか行きたい” そう思わせる店内と店員が垣間見え、筆者は弘明寺再訪を誓った。