ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

サン・ミゲル

2021-12-31 13:34:41 | 生活
 サン・ミゲルとは中部カリフォルニアにある小さな町である。サンフランシスコとロス・エンジェルスのちょうど中間地点に位置する。筆者がこの町に立ち寄ったのは、いつかのサン・ルイス・オビスポへの旅からの帰り道だ。これまでこの町について書かなかったことに大した理由はない。ただ忘れていただけのように思う。2021年も終わりを迎えようとしていて、筆者は長屋で静かにデンマーク人のスエンソンという人の江戸幕末滞在記を読んでおり、そのせいでソルバング市のデンマーク村のことを思い出した。そして実は逆にこの本を手に取ったのが、ソルベング市探訪がきっかけだったことを思い出し、ついにはサン・ミゲルのことをも思い出したのだ。そして今、これを書き出している。記憶をたどる行為は時にニンゲンを前進させる。


この町の思い出は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①ミゲル
“ミゲル” とは、天使ミカエルに由来する言葉で、スペインやポルトガルの言葉では男性名である。英語ではマイケル、ドイツ語ではミヒャエルとなる。ウィキペディアでミゲルを検索してみると、やはり南欧や南米の有名人が並ぶ。その中で千々和ミゲルという、安土時代のイエズス会の布教によって波乱に満ちた人生を送った日本人男が出てきて面白かった。またかつて『消臭力~♪』で日本中を賑わせた、美声少年ミゲル君の記事も載っている。いちおう現在も芸能活動中ということだ。


②サン・ミゲルに立ち寄ることを決める。
サン・ルイス・オビスポやソルバングで訪ねたミッション・カリフォルニアのカトリック教会をきっかけに、スペイン人によるカリフォルニア支配に興味を持った筆者は、安宿でスペイン風の名前の町を調べてみた。そこで見つけたのがサン・ミゲルで、そこにもやはり古いカトリック教会があった。しかもこの町は101号沿いにあるので、帰り路の寄り道にもってこいである。サン・ルイス・オビスポからは小一時間のドライブだ。



③サン・ミゲルに着く
サンミゲルにて101号北行きの出口を下りるとY字路になっている。Y字路の真ん中は荒地のような広場で、そこにはぽつんとレンガ作りの鐘楼が建っており、周りにはサボテン風の植物が生い茂っていて雰囲気がある。鐘楼からは古くて崩れかけた低い壁が伸びていて、Y字路の右へ行く道に沿って続いている。その道を行けばすぐにミッション・サン・ミゲルに着く。その低い壁がそのまま教会の外壁に続いているのだ。道路の右側(教会の反対側)には鉄道が走る。鉄道の向こうもまた、ただただ広い空き地やぶどう畑があるばかりで、遠く丘陵が見渡せ、住居が少なく人の気配がない。筆者は教会にへ入る前に、町の様子を見るべくしばらくこの1本道を走ってみることにした。



④サンミゲルの様子
サン・ミゲルは本当に小さな町のようだ。メインストリートを思しきこの1本道には店は数えるほどもなく、宿泊施設もまるで日本の貧民長屋のような、小さく粗末な小屋が並んだものしかない。“どこかにダウンタウンがあるだろう”と思ってずんずん進むも、この道はほどなく101線に再び合流することが判明したので引き返した。引き返す道なりにもすれ違う車はない。そして目的地のミッション・サン・ミゲルに入った。



⑤ミッション・サン・ミゲル
ミッション・サン・ミゲルの内部は10ドル程度の入場料で拝観することができる。今回の旅で巡った教会と基本的には同じ作りなのであまり詳細な記憶がないのだが、境内でうっすらと流れる賛美歌や町のさもしい雰囲気もあいまって、カトリックの妖艶な雰囲気がよりいっそう強く感じられる教会であった。そしてそれと対照的な南欧風の穏やかな植物や気温が心を落ちつかせる。聖堂にはいくつものオカルティックな偶像があり、特にミカエルの頭上にある“神の目”などは陰謀論ともつながりそうな気配があって面白い。



ニンゲンは教会などを真面目腐って拝観すると腹が減る。ということで通りにあるサン・ミゲル・マーケット&デリという、さみしい小さなスーパーへ入ってみた。するとそこは完全なヒスパニックスーパーであった。サン・ミゲルの住民構成が予想される。店内の一番奥にデリがあったのでブリトーを注文する。10分ほど店内で待てば、赤子の腕ほどの大きさのブリトーがやってきた。駐車場へ戻り車内で頬張る、それは美味い。2021年は地球があと2回転すれば終わるらしい。そうすると、2022年になるらしい。だが筆者は永遠に30代独身日本式サラリーマンだ。

モリンガ

2021-12-23 03:07:58 | 食材
 モリンガとは植物であり、茶に利用される。ニンゲンはいつも健康についてご執心だ。そして資本主義社会に暮らすニンゲンは、お金にもいっそうご執心なので、世界は古今東西、健康への欲求に応える商品で溢れかえっている。30代独身日本式サラリーマンが記憶するところだけでも、海洋深層水、アガリクス茸、マイナスイオン、万田酵素、DHA、グルコサミン、ビフィズス菌と挙げれば枚挙に暇がない。その結果かどうか知らないが、ニンゲンの平均寿命は延び続けており、ついには“人生100年時代”などと言われ始めている。本当は人生は実に暇で、退屈で、孤独で不安で、だからこそ老後はなおのこと不安で、誰もかれも100年も生きることを恐怖しているというのに。今回紹介するこのモリンガは、そんな不安な世界を救う奇跡の植物ではなく、筆者がたまたまエチオピアスーパーで見つけたものに過ぎない。



この植物の茶の詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①モリンガ茶を見つける
サンノゼエリアには小さくないエチオピアコミュニティがあることは述べてきた。筆者が最近エチオピアフードに惹かれていることも読者はよく知っているであろう。だからこそエチオピアンスーパーへ行けば、まるで毎日のパンを買うようにインジェラが手に入るのではないかと思いたち、暇な休日に何度か数件のエチオピアンスーパーへ足を運んだのだ。だが黒い店員からは『今日はない』と、まるで“普段はある”ようなことを言われたり、『もし要りようなら事前に電話してくれ』などと言われるばかりでなかなかインジェラが手に入らないのだ。そしてエチオピアスーパーは都心のエキナカユニクロほどの広さしかなく見るものが少ないので、インジェラがなければもうすることがない。そんなときに見つけたのがモリンガ茶である。



②モリンガ茶を購入する
筆者は、エキナカユニクロほどの広さしなない商店で、しかも客が筆者一人しか居ない状況で、何も買わずに店を出る勇気を持っていない。『何か買えるものはないか・・』そう物色していて見つけたのがモリンガ茶だ。モリンガ茶は紙箱に入っていて、中には20個ほどのティーバッグが入っている。黄緑色の鮮やかな紙箱には『MORINGA』との記載があったので、筆者は興味が湧いて手に取った。ちょうどメキシコスーパーで“モロンガ”に挑戦したのと時を同じくしたので、その似たような響きに、何だか因縁じみたものを感じたのも確かだ。


③モリンガとは
モリンガを購入して長屋に戻ったあと、モリンガについて調べてみた。それは既に密かに日本でも、“健康にご執心の人々”をターゲットに売られていた。“究極のスーパーフード”“緑のミルク”“内側からキレイに”などと耳障りの良い言葉がネットに並び、高額で販売されている。現代ニンゲンの全知全能を集めたウィキペデアさんによれば、モリンガはワサビノキという熱帯・亜熱帯の樹木であり、生長が早く干ばつに強いという。その点でアフリカ大陸では重宝されているようだ。ちなみにモリンガ茶がよく飲まれるエチオピアの平均寿命は69歳(2021年現在)である。



④モリンガ茶
モリンガ茶はまずくない。苦くない。心地よい青臭さがあるばかりで、飲みやすい。メキシコフードと赤ワインですっかり腹が膨れた食後には心地のいい飲み物である。日本でモリンガ錠剤を売りつけようとする業者ホームページには、血圧を下げる、ガンを防止する、肝臓の負担を和らげる、禿げない、などの効果が列挙されている。確かにモリンガを飲んだ翌日は二日酔いが和らぐ気もするが、気のせいのような気もする。



 神田沙也加さんの転落死がニュースを賑わせている。肉体的に健康で、容姿がすこぶる端麗で、そして芸術の才能にあふれ、人々からあこがれの目で見られていても、ニンゲンの心は時に満たされない。そしてニンゲンは死にたくなる。そんな悲しい事実と対照的に、肉体的に不自由で、容姿が醜く、何の才能もなく、誰からも愛されなくても、30代独身日本式サラリーマンが死にたいほどにはこの世を嫌悪せず、何とか今日もこうして長屋でモリンガ茶をすすっているという現実とを、どう解釈していいのかわからりませんが、とにかく前回記事『モロンガ』のあとには絶対にこの『モリンガ』の記事を持ってこようと決めていたので、たいして内容がないのに無理くり文章にしました。

モロンガ

2021-12-19 11:23:02 | 食材
 モロンガとは、メキシコで食されているブラッドソーセージのことである。日本食では“動物の血液”を口にすることはほとんどないと言っていい。唯一の例外がスッポンであるが、それも一般的ではない。しかし食肉が盛ん、かつ血液に対する“穢れ”の思想が薄い地域では、貴重な栄養源になっているようだ。米国のアジア系スーパーの精肉コーナーには豚の血液を固めてプリプリしたものがよく売られているし、韓国では“スンデ”と呼ばれる、豚の腸に豚の血液や春雨などを詰めた、一種のブラッドソーセージが国民食になっている。モロンガは筆者がいつものメキシコスーパーでたまたま購入したものであり、よく調べてみるとブラッドソーセージだったのだ。今回はそれに関しての報告です。



この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①モロンガを見つける
モロンガの太さはちょうど成人男性が中指と親指で作る輪の内径程度、長さは長いものでも20センチほど、形状はひん曲がっていたり、先細りになっていたりとそれぞれまばらであり、それは大きめの幼虫のようで決して気持ちのよい見た目ではない。しかもモロンガの表面の色は成人豚の肌のような黒ずみのあるベージュ色、つまり日本人男性の陰茎の色に近いので、なおのこと気持ちが悪いのだ。そんなモロンガは筆者行きつけのメキシコスーパーの精肉コーナーで、山積みのチョリソーの隣のトレイに、たいてい4~5個がゴロゴロと置かれて佇んでいる。切断された面は赤黒く、ところどころに脂身の白がある。その珍妙な見た目にも、“モロンガ”という名前にも惹かれるものがあったが、おそろしくてしばらくは買わずにいた。



②モロンガを購入する
しかし本ブログのネタが切れかけてきたのでついにモロンガに手を出したのだ。モロンガはパウンド毎に注文することはできず、本数単位での注文になる。だが値段はパウンド毎で、8ドル/パウンド程である。初心者の筆者は当然最も短小ものを注文するも、メキシコ人店員は『セニョール! お前は“モロンガ”を食べるのか!?』と驚きの声を漏らした。帰宅して調べてみると、モロンガはブラッドソーセージなのだという。




③ブラッドソーセージ
ブラッドソーセージの本場は当然欧州である。30代後半独身日本式サラリーマンなどは、田中みな実アナがTBSでまだ駆け出しの頃に、ドイツ祭りの食レポで、『黒ーい、太ーい』とはしゃぎながらソーセージの先っぽを咥えるといったファンサービスに心を奪われた人も少なくないだろう。あれもおそらくはブラッドソーセージである、というのが筆者の予想だ。そしてメキシコの旧支配国のスペインには“モルシーリャ”という名のブラッドソーセージがあるとのことなので、このモロンガはスペイン由来のものだろう、というのが筆者の見立てだ。



④モロンガを調理する
持ち帰ったモロンガは乳酸風の香りがやや強く、『腐っているのではないか』という不安に駆られるも、前に進む。5~10ミリ程度の厚さで輪切りにし、ホットプレートで焼くことにしたのだ。中身の肉はボロボロと崩れやすく、慎重に輪切りをしなくてはならない。これは韓国ブラッドソーセージのスンデにも見られる特長だ。崩れ落ちた具材を見ると人参のかけらのようなものも入っている。輪切りにしたモロンガをやさしく摘み上げてホットプレートに載せ加熱すると、火が通りやすくすぐにジュウジュウと音を立てはじめレバー風味の血の香りが部屋に充満しはじめる。数分して裏返すと白い脂身がジュウジュウしていて、赤身部分はしっかりと焦げて旨そうだ。しかし焼きすぎると陰茎色の皮が焦げて縮みはじめ、具材と離れ離れになってしまう。




⑤モロンガを食べる
焼きあがったモロンガは美味い。具材の中にほどよい香辛料が含まれているようで、何もつけなくてもスパイスが効いて辛すぎず甘すぎずだ。ぐにゃぐにゃ包皮の歯ざわりとホクホクの具材のコンビネーションも楽しく、日本でもレバー嫌いの軟弱者以外には高評価を得てもよい食物といえるだろう。やはり赤いワインとの相性がよく、サルサ音楽を聴きながら陽気に楽しむことができる。




 モロンガを買ったことがよほど嬉しかったのか、メキシコスーパー店員は筆者の顔を見る度に『モロンガ!? モロンガ!?』と尋ねてくるようになった。人とのつながりに飢えた30代独身日本式サラリーマンにはそんな些細なことが、嬉しい。どこかで掛け違えてきて、気が付けば一つ余ったボタン。同じようにして誰かが、持て余したボータンホールに、出会うことで意味ができたならいい。出会いの数だけ別れは増える。それでも希望に胸は震える。十字路に出くわすたび、誰もが胸の奥に 秘めた迷いの中で 手にしたぬくもりを それぞれに抱きしめて 新たなる道を行く オーイエス オーイエス モロンガー。

山王飯店

2021-12-12 13:45:38 | 食事
 山王飯店とは、サンフランシスコ市のジャパンタウンにある中華料理屋だ。『30代独身日本式サラリーマンの贅沢!SFダウンタウン探訪と日本食三昧ツアー』の二日目の夜は、早い時間からモグラへ行き、日米ハーフの若い女性店員と世間話をしながらまったりと飲んだ後、 ジャパンタウンの東モールの二階にある “UMAIラーメン” というメキシコ人好きのするラーメン店に入ってみた。日曜の夜だけあって有名どころっぽいラーメン店はどこも混雑しており、待たずに入れるのはこの “UMAI” だけだったのだ。UMAI特製ラーメンは、ツルツル麺にスパイシーソーセージが載った、ラーメンマンもびっくりのなかなか面白商品であったが、悪くはなかった。文化は混ざり合うことで続いていく、そうでなければ淘汰される、もしくは文化 “遺産” になるのだ。山王飯店に行ったのはその翌日の昼である。



この食堂の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①山王飯店 立地・外観
山王飯店はジャパンタウンの中心でポツンと、でも堂々と佇む中華料理屋だ。近年ジャパンタウンは少しずつコリアン化が進んでいるようで、コリアン焼肉や韓国カラオケの店なが散見される。詳しい人の話によれば、もともとモグラがあった場所も韓国カラオケ店になったということだ。この山王飯店もジャパンタウンの緩やかな衰退の波に乗って開店したのかと思いきや、看板には“SINCE1977”とあるから、随分な老舗である。白地に赤文字楷書で店名が書かれたシンプルな看板には、麻雀パイの“中”ような力強い雰囲気があり、入ってみたくなる。




②山王飯店に行ってみようと思う
30代独身日本式サラリーマンは、話し相手が居ないにもかかわらずもっぱら話のネタを求めて生きている。 『日本食三昧ツアー』と銘打った今回の企画であったのだが、“サンフランシスコのジャパンタウンで中華料理を食べました”というネタの方につい負けてしまい、山王飯店の扉を開いたのだ。2021年11月のサンフランシスコ市のレストランは、店内での飲食にはコロナワクチン接種証明書の提示が求められ、これまでササやアキラ、ギンザやUMAIなどでは入店の度に提示していのだが、黄河の流れのように大らかなこの山王飯店では、特に提示を求められることなく席に案内された。



③山王飯店 中・店員・注文
店内は奥行きがあって、天井が高く開放的だ。壁には中国の書画が架けられて雰囲気がある。昼の早い時間の入店であったので、客は筆者ひとりだったが、店員は中国語で話しかけてきたので、客層は中華の人が多いに違いない。看板にマンダリン料理とあったように、中国北方地方の料理がメインのようで、筆者には嬉しいスープ麺や餃子が充実していて、チョイスに迷いつつも、水餃子とター・ロー・麺を注文した。それに青島ビールは忘れない。だが店員は、『青島はコロナの所為でおいてない。クロウドビールならある』と、韓国ロッテ社のビールを持ってきた。それにお通しのようにキムチの小皿が差し出されたのだ。不審に思いよくよく周囲を見てみると、ところどころにハングル文字がある。ここはコリアン系の中華なのだという。とはいえメニューにはカルビやチジミといった本格コリアンメニューはないので、あくまで中国北方の料理という理解でよいと思われる。出されたキムチは赤みや辛みの少ない所謂白キムチ風であった。




④水餃子とター・ロー・麺
具だくさんのター・ロー・麺は絶品であり、『ジャパンタウンで一番美味いラーメンとは?』と聞かれたなら、迷わず『山王飯店のター・ロー・麺!』と答えていいだろう。日本のタンメンに近いものがあり、テーブルにある酢や唐辛子を加えながら味に変化をつけて楽しむのがとてもよい。麺はモチモチふっくらで食べ応えがある。水餃子は安心の一品で、酢醤油につけてほくほくと頬張ってはクロウドビールで流し込む。山王飯店にはター・ロー・麺の他にもウー・ルー・麺やサン・ワン・麺などの楽しい響きの麺メニューがあるので、是非とも挑戦してみてもらいたい。



 ゴローニン日本俘虜記を読み終わる。印象的であったのが、囚われの身の最中に『ロシアに帰らず日本政府に仕官する』と言い出したゴローニン艦長の同僚についてだ。結局ロシアへ帰国できた後、誰も彼を責めはしなかったのに、ノイローゼになり自殺してしまったそうだ。ゴローニンは読者に、どんな苦難が起きたとしても自身のアイデンティティーを裏切るような行動をとることは自身の精神にとって危険である述べている。無意識のうちに、アイデンティティが自分を支えている。2021年の30代独身日本式サラリーマンのアイデンティティとは何だろうか。水餃子とター・ロー・麺で腹がパンパンになった30代独身日本式サラリーマンは、よたよたと宿に戻り、ツアー最終日の夜のために長風呂に入ったり昼寝をしたりしていた。

ギンザ・スシ&サケ

2021-12-05 08:12:59 | 食事
 ギンザ・スシ&サケとは、サンフランシスコ市にある日本料理屋だ。『30代独身日本式サラリーマンの贅沢!SFダウンタウン探訪と日本食三昧ツアー』の二日目の朝は、まず靴を仕入れることから始まる。というのもOKABASHIサンダルでの長距離散歩により、鼻緒がかかる親指と人差し指の間が擦れて痛くなってきたのだ。安い靴でよいので、とりあえずダウンタウンから離れて北西方向へ歩いてみることにした。筆者の宿はダウンタウンから西へ上る最初の丘の頂上付近にある。下り坂の街路樹の間からは、遠く教会や大学っぽい建物が見渡せて、いかにもサンフランシスコといった感じで気持ちがいい。だが下り坂ではサンダルのゴムが指の間に食い込むので、足がなおのこと痛む。



このお店の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①靴を求めてヘイト・アシュベリーまで歩く
サターストリートのジャパンタウン周辺には曹洞宗の寺院やJCCNCの建物、それに日系移民の生活を偲ぶ説明書きや小さな庭園などが遺されていて、多少の見どころがある。フィルモアストリートを越えると寂し気な住宅地になり、1階がガレージ、2階の入口への急階段、それに角ばった出窓が特徴的な3階建ての家々が並ぶ。これをビクトリアン・ハウスと呼ぶそうだ。筆者はこの住宅街の中では靴屋を求めることを難しく感じ始めた。それにジャンキー風の男が歩いていたりして怖かったので、南進して大通りに出てみることにした。すると思いがけずそこにターゲットが見えた。だがちょうどいい靴が見つけられず、地図を見ればヘイト・アシュベリーが近いことが判明したため、マニソックアベニューをさらに南下したのだった。サンフランシスコ大学を過ぎると早くもヒッピー臭がしてくる。



②ギンザ・スシ&サケへ
ヘイト・アシュベリーに着いたときは午前10時で、開いている店は少ないので辺りをウロウロして時間を潰す。雰囲気は相変わらずで、一人のヒッピーが寝そべって歩道のタイルにハートマークをひたすら描いていた。11時頃になってやっと店が開き始め、バッファロー・エクスチェンジで紺色のデッキシューズを20ドルでゲットした。そしてせっかくだからギンザ・スシ&サケで食事をすることにしたのだ。かつてのベイエリア生活時にはヘイト・アシュベリーには車で、そして当然日帰りで来ていたので、飲酒することが躊躇われていたために、気になっていたギンザ・スシ&サケにはずっと行かずじまいだったのだ。



③ギンザ・スシ&サケ 外装・内装
ギンザ・スシ&サケが気になっていたのは店の看板のデザインの所為もある。モノクロで描かれた魚と徳利を重ね合わせた屋号と、その横に描かれた小さなお猪口、それに店名“GINZA”の縦書きロゴなどが、いかにも日本人の作風である。それにこの立地にも“グレイトフル・デッドにあこがれたお洒落な日本人が作った寿司屋なのでは?”と勘繰らせるものがあった。そして意を決して中に入ると、店内は外からのイメージよりも広く、ヒッピー臭のかけらもない清潔なお洒落なバーの雰囲気だ。バーの棚には高く日本酒の瓶が並んでいる。黒っぽい店内の壁には浮世絵を少しモダンにしたような、洒落た大きな絵が描かれていて、これも独特だ。だが板前も店員も日本人ではなさそうだ。



④ギンザ・スシ&サケ 注文・味
筆者はサッポロビールを注文し、そしてチラシ・デラックスと枝豆も注文した。この日は和牛を使ったメニューを押していたが、あくまで海鮮で攻める。開店すぐの店には客は筆者しかいない。すぐに出されたドラフト・サッポロと枝豆で楽しく飲酒を始め、通りを眺めているとやがて円形の浅い器に盛られたチラシ・デラックスがやってきた。さすがデラックスだけあって、いくらやウニが載り豪勢だ。それに青じそや妻だいこんなどが添えられて彩りも楽しい。薄切りレモンが載せてあるのが斬新だが悪くない。サーモンが少ないのも素晴らしい。たいへん美味であったが酢飯の米には若干ぱさぱさ感があり、筆者の好みのもちもちねっちょり感が足りなかった。ビールの次に頼んだ日本酒がまた美味であったが、銘柄を記録するのを失念してしまった。メニューには“NEW!”との記載があったので、新しく仕入れ始めた酒だろう。




 訪れるたびに気になっていたこのヒッピー街のスシ店を満喫した筆者は、よい心地でウーバーに乗り込み宿に戻る。中国人ウーバー運転手は感じのいい男で、ダウンタウンの酔っ払いたちについて話を聞くことができた。サンフランシスコでも、時々しこたま酔っぱらって最終電車に乗りこむ男たちがいるそうだ。あのカルトレインの揺れと速度なら爆睡してとうてい起きれまいに・・・と筆者は思い、20代独身日本式大学生や、20代独身日本式サラリーマンだったときの失敗を思い出して夜を待った。