ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

アキラ・ジャパニーズレストラン

2021-11-25 10:12:03 | 食事
 アキラ・ジャパニーズレストランとは、サンフランシスコ市にある日本料理屋のことだ。『30代独身日本式サラリーマンの贅沢!SFダウンタウン探訪と日本食三昧ツアー』 の一日目のランチを “ササ” で済ませた筆者は、散歩がてらジャパン・タウンのニジヤを探訪し、非常用のビールとさつま揚げ、じゃがりこのり味を買っておいた。そしてジャパンタウンの短いメインストリートを歩く。角にある勉強堂の相変わらずの繁盛ぶりは嬉しいものだ。そして以前KAZUKOの梅干しを購入したスーパーミラに立ち寄り、日本茶とスパムおにぎりを購入する。これは宿での夜食や朝食用だ。ササで飲んだ熱燗のおかげでやや酩酊していたので、チェックイン時間前に宿に入れさせてもらい、そのまま昼寝をして夜を待った。夜はアキラ・ジャパニーズレストランへ行こうと決めていた。




このレストランの特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①アキラ
アキラ・ジャパニーズレストランのホームページには店の紹介がある。それによればアキラとは人の名ではなく、“Britght”を意味するものとして説明されている。そう、この店は日本人シェフの“アキラ氏”によって始められたものではなく、ミンソンという人が2016年に開いた比較的新しいお店なのだという。日本料理屋の皿洗いから始めて修行を積み、“ゴミさん”という師匠から熱い指導を受け、ついにエグゼクティブシェフにまで成り上がったミンソンさんのサクセスストーリーが手短に述べられている。写真にうつるミンソンシェフは小判帽に法被姿で、日本の板前風の気風の良さが表情に出ている。




②アキラ・ジャパニーズレストランへ
目が覚めた筆者はアキラ・ジャパニーズレストランへと向かう。ジャパンタウンからブッシュ通りをダウンタウン方面へ数ブロック歩くと下り坂になり、そうすると黒いオーニングテントに白抜きで店名が書かれたアキラ・ジャパニーズレストランが見えてくる。サンフランシスコ市民にとっての土曜日午後6時はディナータイムに早すぎるのか、あまり客がいないので気軽に入れる。小ぢんまりした店内はシンプルな内装だ。やはり一人でも楽しめるL字型のカウンター席があり、アジア系女性店員にすみっこ席を案内してもらう。すぐ目の前にシェフがいる贅沢な席だ。だが調理場に立つのは写真で見たミンソン氏ではなく、30代前半風の大柄で丸みがあるアジア風の男板前であった。サポートには中年風の東南アジア人板前がついている。




④アキラ・ジャパニーズレストラン オマカセ
アキラは日本の懐石料理をモデルにしているとのことだったので、思い切って“オマカセ”を注文した。3種の前菜、刺身は中トロにヒラメのこぶ締め、(たぶん)鱈の西京焼きに、メインの握りが3種、アジア風板前の手から簡単な説明とともに出される。どれも純日本料理として違和感ないメニューで、ネタも美味である。だいたいこの国でシェフに任せると、サーモンとマグロばかり出されて閉口することがあるのだが、今回の“オマカセ”はサーモンなしなのが好感が持てる。そして前菜のアワビに載った豆が美味。酒は瓶ビール大瓶から熱燗、そして冷酒は東広島の賀茂鶴。デザートは甘さ控えめの柏餅だったので筆者でも平らげることができた。一人客は早めの来店の方がゆっくり過ごせそうだ。食事を終えるころには混雑してきて二人のシェフは忙しい様子だったので、急かされるように次の品を出されてしまうかも知れない。



 満たされた気分で支払いを済ませて店を出れば、すでに辺りは暗い。周囲はダウンタウンから外れた住宅エリアだがポツポツと洒落たレストランがあって、光の中でサンフランシスコ市民が週末を楽しんでいる様子が見える。宿に帰ってじゃがりこの海苔味を齧るとこれがまた美味で、それをバリバリと食べながらYOUTUBEを見て過ごす。今日も誰とも会話しなかった。だが、町を歩いて人とすれ違う、目が合う、目をそらす、もしくは笑顔を交わす。そんなことが確かに社会を作っていると筆者は信じている。いつもの通りや店に誰も居なければ、ヒトは不審に思うはずだ。一人ひとりの意味のない行動が社会を構成していることに気づかない人が、孤独に悩んだり、ネット信仰に陥ったりするのだと筆者は思いつつ、じゃがりこ(海苔味)を頬張る。

ササ

2021-11-20 22:37:08 | 食事
 ササとは、サンフランシスコ市ジャパンタウンにある寿司屋のことだ。2021年の11月初旬、筆者は月曜と火曜に休暇をとり、サンフランシスコのジャパンタウン近辺に3泊の宿をとった。“30代独身日本式サラリーマンの贅沢!SFダウンタウン探訪と日本食三昧ツアー” の敢行だ。朝早く起きた土曜日、冷蔵庫に残ったサボテンサラダとクエリトスをトスターダに載せて胃の中に処分し、長屋からカルトレイン・サンノゼ駅まで、不愛想な韓国人風ドライバーが運転する空気圧が足りないポンコツ・ウーバーで移動した。土曜の朝のサンノゼ駅はガラガラで、旅の香りがする。やや肌寒く、素足サンダルでやってきたことに不安を感じつつ電車を待った。



この寿司屋の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①サンノゼからサンフランシスコへ
カルトレインの揺れはとても心地いい。2000年日本車両製の機内のその古びた匂い、それにゆったりとした速度が、筆者の故郷駅に近づくときの各駅停車新幹線を思い起こさせる。終点のサンフランシスコまでは2時間と少しの乗車だ。途中駅で徐々に乗客が増えるがそれでも車内はガラガラで、筆者は懐かしいベイエリアの景色を眺めたり、本を読んだり、居眠りしたりして贅沢に過ごすことができた。



②サンフランシスコからジャパンタウンへ
駅についた筆者はジャパンタウンまで町中を歩いてみることにした。4番街を北西へ向かうとダウンタウンの中心部に近づく。ユダヤ人現代美術館に立ち寄り(筆者にはレベルが高すぎた)、一風堂の開店前行列を横切るとマーケット・ストリートに着く。そのままマーケット・ストリートを進むと目的地から遠ざかってしまうので、北西へ向かうエリス・ストリートを選択する。高級ホテル群を過ぎればそこはニンゲンよりもホームレスの方が多いテンダーロイン地区で、ゴミや糞が落ちた通りを、誰にも目を合わせないように、そして糞を踏まないようにして歩く。どうも多くのホームレスは頭がおかしくなっているようで、ぼんやりと宙を見ていたり、ひとりでぶつぶつと延々つぶやいていたりする。だがこんな荒んだ通りにも食堂や雑貨屋が並んでいるし、健常者もそれなりに歩いている。そんな都市の暗部も数ブロック歩けば見えなくなり、道は上り坂になる。101号線を越えたのちに北上すればもうすぐジャパンタウンだ。美術館探訪を入れて2時間ほどの散歩である。




③ササ アクセス
観光地のジャパンタウンは人が多い。昼食をラーメンで済ませようと思っていた筆者は、待たずに入れる店をなかなか見つけられず難儀しながら彷徨っていたところ、ササを見つけた。ササはジャパンタウンの二つのモールのうちの東側、ダイソーがある建物の二階にあるお店だ。地方都市の駅ビル風の雰囲気が漂うモールの中で、ひと際お洒落な外観・内装なので、新しい店であることがわかるし、ヒスパニック風の家族で混雑していないところから高級どころと見て入ってみた。小さなカウンター席があって、一人客の来店に備えた内装になっているのが嬉しい。日本人風女性店員と『この人日本人かな・・』という探り合いをしつつ席に案内される。



④ササ 雰囲気・メニューなど
最近の高級なオーセンティック和食屋らしく、逆にアジアンテイストは内装から排除され、木の優しさに包まれたモダンな雰囲気がある。若くて幼顔イケメン風のアジア人板前が調理場に立ってせっせと動いている。80ドルする“オマカセ”に惹かれたが、まだ昼なので、“9種のちらし”と枝豆を注文した。そしてもちろんサッポロ・ビールもだ。ビールが瓶だったのに少しがっかりしたが、枝豆と一緒に昼から飲むことは嬉しいものだ。料理に先立ち出される黒い茶碗蒸し風の洒落たお椀に入った味噌汁にはレンゲが付かない。筆者はすぐにビールを飲み干し、そして熱燗を注文する。カウンター席の向かいのバーに卓上型電気酒燗器があって、そこにセットされている松竹一升瓶のラベルが一般に売っているものと違うように見えたので注文してみたのだ。これが雑味が少なくて美味しい(気がした)。バーの方へ身を乗り出して銘柄を確認したかったのだが、ちょうどそのとき“9種のちらし”がやってきたので忘れてしまった。




⑤9種のちらし
やってきた9種のちらしは普通のちらし寿司ではない。正方形の木の器は9つの小部屋に仕切られ、その中の小椀に9種の刺身が入っている。米は見えない。女性店員がひとつひとつ説明をしてくれる。中トロ、赤身、タイ、アジ、ウナギと卵、ホタテ、イクラ、イワナ・・・あとひとつ何だか忘れてしまった。たいそう豪勢だ。各部屋に刺身は2枚入っていて、2枚目の下にほんの少しだけブラウン・ライスが入っている。ちびちびと熱燗をやりながらつまむ。さすが使っているネタがそんじょそこらとは違うようで、美味である。“イワナ”はさすがに岩魚ではなくトラウトのことではいかと思うけど、ゆず山椒(たぶん)を効かせて上品に仕上げてある。見事です。幸先のよい“30代独身日本式サラリーマンの贅沢!SFダウンタウン探訪と日本食三昧ツアー”になった。



 ちびちび楽しんでいると、隣カウンターに若い白人一人客が座った。しばらくして彼のテーブルに運ばれてきた美しく盛られた前菜から、奴が80ドルの“オマカセ”を一人で食べに来ていることが判明し、『ナマイキナヤツメ!』と嫉妬心に駆られたのだが、すました風を装ってさっと会計を済ませたのだった。あまりジロジロ見ることはできなかったが、“オマカセ”もけっこうな料理のようですので、興味があれば挑戦してみてください。そうして筆者はホテルのチェックインの時間まで、ジャパンタウンをウロウロして時間を潰すことにした。

ポルコ・ラーメン

2021-11-10 12:50:47 | 食事
ポルコ・ラーメンとは、サンノゼ市にあるラーメン店のことである。『ラーメンが食べたい』と思うのは、まだ心身に若さが残っている証拠である。筆者はラーメンを、“そういえば最近食べていないな”とは思うが、“食べたい”とまでは思わなくなってきた。日々のインスタント麺に関しても、最近はこってりしたスープのものには手を付けず、Chu Noodle “筑”拌麺のような、黒酢などをちょっとかけたような、ざる蕎麦風あっさり麺を好むのだ。30代独身日本式サラリーマンも確実に年を取る。だが、とある二日酔いで何もする気がしない週末に、思い切って知らないラーメン屋に出かけることを決意した。


このラーメン屋の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ポルコ・ラーメンをチョイスする
ご存知のように筆者はたいそうなへそ曲がりな性格なので、ついつい日本人があまり行かないような珍妙な店名のラーメン屋を探してしまう。“TAKUMI” とか “ARASHI” などといった、ちょっと格好いい日本語単語を使ったラーメン屋や、『アメリカ上陸!』などと同僚の間でも話題になるような店はどうも気後れするのだ。そこでこのポルコ・ラーメンなら大丈夫であろうと出かけてみた。ちなみにポルコとはイタリア語で豚という意味で、他に豚から派生して “汚い、最悪、酷い” といったバッド・ワードでもあるそうだ。調べたところ、日本にも葛飾区青砥に『豚麺ポルコ』というラーメン屋さんがあったのだが、ここがカリフォリニアに進出しているとは考えにくい。



②アクセス・雰囲気
ポルコ・ラーメンは以前紹介したサンノゼ・フリーマーケットのある辺り、ダウンタウンの3マイルほど北東にある。そのとき述べた通りこのあたりは比較的土地の安いエリアで、今は徐々に開発が進んで高級アパートなどが建ち始めている。ポルコ・ラーメンが入る、道路が交差する商業エリア内には超ローカルな大型メキシカンレストラン、その裏手にもローカル臭強めなベトナム料理屋が入っていて、この土地のコミュニティを感じさせる。ポルコ・ラーメンは中の様子が見えにくく入りにくい。だが看板に描かれた子豚の愛らしさに勇気づけられて扉を開けた。



③中の様子・メニュー
看板のダサさとは裏腹に、扉の中は意外にもモダンな空間であった。黒系で統一された内装はクールでシックだ。高い天井から直線的に下がる照明にもお洒落な雰囲気が漂い、下手な日本画や提灯といったチープなアジアンテイストは完全に排除されている。“これは案外本物かもしれないな・・”と思い厨房の方を眺めれば、ホールと厨房を仕切るカウンターには黒い暖簾がかかり、その向こうでメキシカン風の店員がラーメン作りに勤しむ様子が少しだけ見えた。やがてメニューが出される。それによれば豚骨スープは14時間もぐつぐつした本物志向なのだという。筆者は“若さ”を取り戻すべくポルコ・ラーメンと唐揚げ、そしてサッポロ大瓶を注文する。



④味など
すぐに出されたサッポロビール大瓶はグラスが凍った状態で出され、筆者は自分の頬が緩むのを感じ、ぐびぐびと一杯目を飲み干す。やがてポルコ・ラーメンがやってくる。それはどうして本格的な豚骨ラーメンだ。焦がし醤油がサラリとかけられたスープは香ばしいコクがあり、その後に濃厚な豚骨臭がやってくる。麺はなんと硬めである。本格九州ラーメンがアルデンテを理解しないカリフォルニアで愛され始めている。チャーシューは豚トロっぽい脂の多い部分が炙られた感じのもので、これも悪くない。以外にも普通においしいラーメンだったのだ。そうして感動してラーメンをがつがつ食べていると、食い終わりになってついに唐揚げがやってきたのには少しがっかりした。



 さて、日本では小室圭さんと秋篠宮真子様が無事に婚約されたそうです。一連のニュースへの国民の関心の高さを見て、日本人のアイデンティティにおける皇室の存在の大きさを感じてびっくりしている。多くの国民が、『反対!』と思えるほどに、心の中で皇室の大切さを感じているのだ。客観的に見れば、まったくもって個人の自由だし、二人がどうなろうが自分の明日に影響する話には思えないのだが、そうでない(と思う)人が多数いる。つまり真子さんは、『愛されている』のだ。反対する人にも賛成する人にも、コムケイにも、とても愛されている。多くの人に愛されることは、誰にも愛されないのと同じくらい大変かも知れない、そんなことを思いながら熱々の唐揚げを何とか平らげた。

ハコネ・エステート&ガーデンズ

2021-11-10 08:07:39 | 生活
 ハコネ・エステート&ガーデンズとは、サラトガ市にある日本庭園のことである。日本の庭は西洋の人の美意識の琴線に強く響くものがあるようだ。筆者の知る限りでもサンフランシスコ市やサンマテオ市、そしてサンノゼ市には日本庭園を模した公園があり、市民の憩いの場になっているし、江戸末期や明治期に日本を訪れた人々の手記には日本庭園の美しさ、庶民の家々の植木のすばらしさ、生け花や盆栽の芸術性などが驚きをもって紹介されている。以前サンタ・クルズ方面からサンノゼの長屋へ戻る際に、あえて9号線を使ってみたときに見つけたのがこのハコネ~であり、このほど散歩がてら出かけてみることにしたのであった。2021年のハロウィンの休日の出来事だ。



この庭園の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①アクセス・受付
サンノゼ方面からではミツワマーケットがあるサラトガアヴェニューを南進すると、ほどなくしてサラトガ市に入る。このサラトガアヴェニューと9号線とが交わる辺りは低い山々のふもとで、そこがサラトガ市のダウンタウンだ。サラトガ市は何だか歴史のある町のようで、白人富裕層っぽい町並みが見られる。ダウンタウンを過ぎて山道に入るとハコネ・エステート&ガーデンズの入り口が左手に見えるのだが、入口を抜けるとかなりの急こう配の上り坂でちょっとしたスリルがある。坂を上りきると駐車場がある。駐車場の周囲を囲う木製の塀がすでに日本っぽい雰囲気にを醸し出す。日本家屋風の小さな建屋がギフトショップ兼受付になっているので、そこで入場料(10ドル)を支払うのだ。筆者がこの日訪れたのはだいたい午後1時頃であったが、駐車場には十数台の車があってそこそこの賑わいを見せていた。



②庭園
小さな木製の戸口から庭園に入るとまず寺社のような大きな門が見える。両側に大きな杉の木がそびえて雰囲気がある。石段を上って門をくぐると正面の斜面に木造の建屋があり、その前面の大きな池が回遊式日本庭園になっている。入場料をとるだけあって、サンマテオ公園の日本庭園よりも本格派で、植えられている植栽に手入れが行き届いているようだ。矢印が示す順路は池から離れる方向に向かっていて、その指示のとおりに反時計回りにゆっくりと歩みを進める。農家のような土間づくりの建屋、趣味の良い枯山水式の小さな庭園、さらに斜面を上れば茶室などがあり、植えらえている植物も和風である。森に囲まれて周囲の景色から遮断されていることもあって、本当に日本のとあるお寺に来ているような心持になる。



③庭園
茶室を通り過ぎると庭園内の斜面の最も高い場所になり、和の景色の向こうに遠くサンノゼの町が見える。斜面を降りきるところには竹林がある。青々とした若くて元気のある竹が伸びていて清々しい。竹林は西洋の人々にはミステリアスなようで、写真撮影をする親子などが見られる。そして石灯篭を数個見れば、再び正面の池に戻ってくるのだ。コスプレ写真を撮るのが目的なのか、和装や中国風の衣装を身にまとう女性がちらほら見られるのも面白い。池の錦鯉はゆったりと泳いでいる。




④歴史
歴史について調べると以下のことがわかった。この庭園はアメリカの慈善家(philanthropist要は大金持ち)によって建てられた。1915年にサンフランシスコで開かれた万博において、日本のパビリオンで見た庭園のすばらしさに魅了されたその大金持ちが、同様のものを自分の別荘として作りたくなり、自ら日本を訪れて箱根の庭をモデルに選び、日本から庭師や大工を雇い入れて作ったのだという。太平洋戦争中にはどのような扱いを受けていたのか不明だが、この道楽で作られた庭園が、別の金持ちや政治家らの努力で今日まで残っていて、今は市民に開放されているという状態なのだ。これがもとでサラトガ市と京都の向日市は姉妹都市提携に至ったというのだから、世の中には日常雑事に囚われてばかりの貧民だけではなく、時には思い切ったことをやってのける金持ちも必要なのかも知れない。


 
 ゆっくり見て回るだけなら1時間程度で終わってしまい、あまり有益な暇つぶしとは呼べない。そんなこともあろうと筆者は読みかけの本(タイタンの妖女の文庫本)を持ちこんでいた。だがけっこう人通りがあって、なかなかよい読書スポットが見つからず、結局入口の戸口脇のベンチに腰掛けたのだが、だんだんと日差しが正面に当たり始めて暑くなってきたので、読書も小一時間で切り上げて長屋へ戻った。でもなかなか雰囲気のあるスポットで気に入りました。日曜日には予約すれば中央の建屋の中で座禅ができるのだという。『株だ、そしてDXだ』などと、煩悩から永遠に解放されないシリコンバレーの30代独身日本式サラリーマンは、暇つぶしにこの成金の元別荘で座禅でも組んでみてはどうだろうか。自分はトラルファマドール星の機械に操られているだけってことに気が付くかも知れません。

焼くだけでよいメキシコスーパーの調理済み肉 その1

2021-11-01 00:54:26 | 食材
 焼くだけでよいメキシコスーパーの調理済み肉とは、メキシコスーパーの精肉コーナーで手に入る調理済み肉のことであり、『焼くだけ簡単、そして美味い』と筆者の中で話題である。最近は勤務時間が不規則かつやや忙しく、真面目に料理をする気力が湧かないので、メキシコスーパーで買ってきた調理済み肉をホットプレートに放り込んでジュウジュウと焼くだけだ。食事の片づけもここしばらく放たらかしにしていた所為で、テーブルにはマンハッタン島のビル群のように酒類の空き瓶・空き缶が並びそびえている。その横にあるホットプレートはさしずめヤンキースタジアムといったところだ。


この食材の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①アル・パストール・デ・ポロ
赤や黄色に色づいたこま切れ肉はアル・パストールだ。中でも鶏肉(スペイン語で“ポロ”)のアル・パストール・デ・ポロが、行きつけのメキシコスーパーでよく置いてある。唐辛子や果物やスパイスなどでマリネされていて、メキシコ人はこれをグリルしてトルティーヤに載せて食べるのだ。筆者はカリカリのトスターダの上に載せて食べるのがお気に入りである。色の割に味付けは濃くなく、日本人の舌でもとても食べやすいし、細切れなのでホットプレートですぐに火が通るのも嬉しい。パウンド5から6ドルと非常に安いのもありがたいものだ。ウィキペディアでアル・パストールの歴史を調べたならば、もともとはこの手のマリネ肉のグリルはレバノン由来なのだという。



②ファジータチキンまたはビーフ
ファジータは本当のメキシコ料理ではなく、テキサス発祥のメキシコ料理だそうだが、我々からすれば単なる肉野菜炒めである。牛肉や鶏肉に、玉ねぎと赤・青・黄色のパプリカを一緒にして塩コショウで炒める。メキシコ・スーパーの精肉店には既にこれらの材料が混ぜ合わせた状態で売られているので、自宅で包丁やまな板を使って切った張ったする必要がない。メキシコ人はこれにさらにサルサやサワークリームなどコッテリとしたものを足したりして食べるのだが、我々日本式サラリーマンにとってはこいつを炒めるだけで十分に味付けがあり、そして美味しい。ビールが進む一品である。




③鶏肉手羽元のマリネ
こちらはおそらくアル・パストールと同じ材料でマリネした鶏肉手羽元である。たいていのアメリカン・スーパーでは手羽元は大量にパックされて売られているので、一人分・一食分の手羽元を購入するのは難しい。ここではこのマリネされた手羽元を1本から購入できるので、30代独身日本式サラリーマンにはたいへんに都合がよいのだ。そのうえ、これをホットプレートで焼いたなら、抜群においしい。外がしっかりと焦げ色になったなら、箸でぶつぶつと穴を数本あけて中まで火を通す。そうして熱々になった手羽元は、香ばしさと中のふっくらが絶妙で、骨にむしゃぶりついてしまう。




④サルバドリアン・チョリソー
サルバドリアン・チョリソーは、1本が5センチほどの小ぶりのチョリソーだ。これも1本から購入できるのが、一人暮らしには都合がいい。赤いのは着色料ではなく赤パプリカということだ。日本で好まれるシャウエッセン風ソーセージとは異なり、噛むとグショっとくずれて中のひき肉がはみ出るタイプで、感動を呼ぶほどのおいしさは感じないが、まずこいつが1個あればホットプレートの上がいっそう贅沢な雰囲気になる。それに塩の効いたひき肉をちびちび食べながら飲酒するのはそれなりに気持ちがいいので、ついつい買ってしまうのだ。


 
 引き続き、江戸幕府に幽閉されたロシア人ゴローニン氏の手記を読んでいる。オランダ当時オランダのみと通商していた日本。独占を失いたくないオランダは江戸幕府に対して“ロシアは日本侵略を考えている”との噂を日本に流布したそうだ。それにオランダはその独占に胡坐をかいて、粗悪品を日本へ持ち込み高く売っていたそうだ。江戸幕府は天候不順のために代替でやってきた米国船が持ち込んだものが普段のものと全く違うことから、そのオランダの不正に気が付いていたものの、『前例を変えたくない。問題を大きくしたくない。』とのことで放置していたという。我ら日本のお役所体質はずっと昔から相も変わらずのようだ。メキシコスーパーには他にも調理済み肉があって、今後も紹介できそうだから“その1”としておいた。前例に囚われずに新しいものを食べに行きたい。