ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

サンノゼ・フリーマーケット

2021-03-18 13:20:20 | 生活
 サンノゼ・フリーマーケットとは、カリフォルニア州サンノゼで開かれているフリーマーケットのことである。フリーマーケットは楽しい。思いがけない珍品が見つかる面白さもさることながら、やはり“売る側”と“買う側”の距離感が近いのがいい。たいてい孤独な週末を過ごす30代独身日本式サラリーマンにとって、仕事関係以外のニンゲンとコトバを交わす貴重な機会になるというものだ。それに大きな会場のフリーマーケットに行けばぶらぶらと歩くだけで時間を潰せるし、比較的よい運動にもなるのだから、何もすることがない週末には是非とも出かけたいものだ。ということで、今回はサンノゼ・フリーマーケットを紹介します。



この市場の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。




①サンノゼ・フリーマーケット 立地
サンノゼ・フリーマーケットは一週間のうち水曜、そして金曜から日曜の合計四日開催されている。会場はサンノゼのダウンタウンから数マイル北にあり、車で向かうと会場付近には砕石置場や配管工場、工事機械置場のような割と土地の安い地域にある施設が目立つ。それでも新しいマンション建築現場も見られるので、最近開発が進んでいるエリアに違いない。フリーマーケット会場の入り口には交通整理員がいて、駐車場の方向を指示された後に7ドルの駐車料金が取られる。この高い駐車料金にも関わらず、広い駐車場は車で埋め尽くされてていることから、かなりの人気スポットであることが見て取れる。また、ここはBARTのベリエッサ駅に隣接しているため、BARTで来れば駐車料は不要だ。“なるほど。駅前フリーマーケットとして発展したのか”と思いきや、この駅は2020年にできたばかりで、それに対してこのフリーマーケットは1960年から続く歴史あるものなのだという。



②サンノゼ・フリーマーケット 雰囲気
広大な駐車場からフリーマーケットの会場方向へ歩いているときに、筆者は、会場へ向かう人々のほとんどがスペイン語を話す人であることに気が付いた。そして会場入りするとすぐに、このフリーマーケットが明らかにヒスパニック系の人々用であることを確信した。サルサのCD、トルティーヤ用の調理器具、フードコートにはタコスやチュロス、フリーダ・カーロの肖像画など、中南米グッズばかりが並ぶ。それに日本で想像するフリーマーケットというよりは、どちらかというと夏祭りや初詣の的屋街のイメージに近く、玄人の商売人がコンテナに保管した商品を広げて売っている。大学生などが自前のTシャツやキャップを売ったりするような場所ではないようだ。筆者の期待した“売る側”と“買う側”の距離感の近さは感じることができなさそうだが、せっかく来たのでとにかくひととおり見物することにした。




③サンノゼ・フリーマーケット 商品ラインナップ
数えきれないほどの店が並んでいるが、だいたい同じようなものが売られているので『見ていて飽きない!こんな思いがけないも商品が!』などという楽しさは最初の数分しか味わえない。それでも中南米特有のものがあって、見ていて興味深いものだ。よく目にした商品をいくつか挙げていく。まずは建設業関係の作業着や工具類の販売だ。カリフォルニアで作業員として働くヒスパニックの人々が沢山いるためだろう、反射素材の付いた黄色いベストやジャケットを売る店や、小型の電動ドリルといった中古の工事器具を売る店が賑わいを見せる。『いったいこの大量の中古の工事器具はどこで手に入れたのかな』などという疑問は持たないようにする。その次に目立つのがウェスタン衣装の販売である。カーボーイハットや皮のブーツにベルト、それにウェスタンシャツなどが並ぶ。これらは日本に帰国した際のお土産にもそこそこよかろうと思われる。もう一つ目に付いたのがイエス・キリストの像や画だ。メキシコ人は血なまぐさい歴史にも関わらず、素直にローマカトリックを信仰している。メキシコカトリックは偶像崇拝に対するアレルギーが薄いのだろうか、割と鮮やかな色調のイエス・キリストの像や画が多く売られている。このようにメキシコ人が好む日用品で、普通のスーパーで手に入りにくいものを取り揃えてあることが、ここの魅力だと思われる。グアテマラやホンジュラスといったマイナー国のサッカーユニフォームやジャージなども売られており、筆者はあやうく購入してしまうところだった。そういえば何故か毛布も人気のようで、大量に売られていた。




④サンノゼ・フリーマーケット ファーマーズマーケット
広い会場の中央の一列はファーマーズ・マーケットになっていて、主に果物や野菜が売られている。これもなかなか楽しい。雰囲気はオアハカの市場さながらで、ヒスパニックの人たちは駐車代分を回収すべく安くて質のいい商品を吟味して大量に買い込む。ニンジンやトマトといった一般的な野菜から、唐辛子やサボテンといったヒスパニックの人たちに好まれる野菜が山積みにされていて、入用なだけ袋に入れて重さで料金を支払う。ここはたいてい現金でしか買い物ができないようなので、ある程度用意しておくといい。筆者はミカンのような果物を数個とサボテンを5枚購入した。筆者の前で真剣にサボテンを選別する男に、『どうやって良し悪しを見分けるのですか』と尋ねると、彼は英語が話せず申し訳なさそうに首をかしげた、しかしその後筆者がサボテンをじっくり選んでいるのに気が付き戻ってきて、身振り手振りで『厚みのある奴がいいんだよ』と教えてくれたのだった。やはり市場にはコミュニケーションがある。




⑤サンノゼ・フリーマーケット エンターテイメント
上記のように生活に必要なものの販売に加えて、まるで祭りの日の出店のように、玩具やお菓子なども売られる。高値の玩具を買ってもらった子供は得意気だ。屋台の食べ物には赤や緑の粉でコーティングしたトウモロコシや、果物ジュースなどの甘味など、子供が喜ぶものが並び、大きな遊具も置かれていて子供たちはちょっとしたテーマパークに来たかの様に楽しんでいる。コロナがなければステージで出し物もあったりするそうだ。それからそれから、この会場内は缶ビールを飲みながら歩いてもよいようで、お父さんたちは楽しそうに缶ビール片手に歩く。日本の夏祭りのような、なんだか懐かしい光景なのだ。そしてこじきたちはいつになく俊敏な動きで、絶え間なく捨てられる空き缶をゴミ箱から拾い上げていた。




 カリフォニアに居ながら、本当にメキシコの市場に来たような感覚になれるところがこの市場の魅力だ。このフリーマーケットは1960年にとある廃棄物関連の仕事をしていた男が、毎日捨てられるガラクタを見ながら思いついた商売なのだという。上述のようにこのエリアはシリコンバレーのベッドタウンとして開発が進みつつあって、もともと駐車場だった北側のエリアは既に売り払われてアパートが建っている。駅もできたことからさらに土地の価値が上がっていくだろう。そうすればこのフリーマーケットも採算が合わなくなり、移転もしくは閉鎖になってしまうはずだ。自由主義経済の常である。そうなる前に一度遊びに行ってみてはいかがでしょうか。そのときは是非とも真っ赤にコーティングされたトウモロコシに挑戦してみてください。

ロシアン・カフェ&デリで見つけた上質なつまみ

2021-03-11 13:48:42 | 食材
 ロシアン・カフェ&デリで見つけた上質なつまみとは、筆者がキャンベル市のロシア系商店のロシアン・カフェ&デリで見つけた品のいい、そして旨い酒の肴のことである。ロシアン・カフェ&デリは小さい店ではあるが、老舗ロシア商店だけあって、他の店では見ることがないものが売られている。ロシア直輸入商品のため、商品名や製造会社名がロシア文字なので一体何なのか皆目わからず、調べようもないところがスリリングで、30代独身日本式サラリーマンの冒険心をくすぐるのだ。それに当てずっぽうで購入しても案外ハズレが少ない。実はロシア人と日本人の味覚は近いのかも知れない。今回は読者諸氏に、干しザンザー、サバの蕎麦漬け缶、タラ肝のタラ油漬けの三つの商品を紹介しよう。



この商品たちの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①干しザンダー
店の左奥にあるソーセージカウンターの上には真空パックされた干し魚が並んでいる。ほとんどは普通の魚なのだが、そこに何やら“真っ黒いもの”が売られていたのだ。ラベルの写真には魚が写っているし、形状を見るにどうやら小魚を干して燻製にしたものがぎっしり詰まっているように見える。手に取ってよく見ると、そのラベルの背景にはジョッキに入ったビールが写り込んでいたので、“これは良質なつまみに違いない”と勇気を出して買ってみた。貼られたステッカーには最低限の英語の成分表示があり、“干しザンダー”と書いてある。ザンダーとはヨーロッパ中東部から西アジアに住む淡水魚で、パイクパーチとも呼ぶそうだ。画像を見るとかなり大きな魚なので、この商品は稚魚を干したものであろう。輸入元はニューヨークのブルックリンにある会社で、東欧系のスイーツを扱うベーカリーも経営しているようだ。




②干しザンダーの味
開けてみるとこの黒い物体は魚を細く切ってあるもので、稚魚ではなかった。そのままでは固くてとても食べられない。そこで少しだけ水を垂らして湿らせて、それをラップに包んでレンジで10秒熱する。そうしてレンジと扉を開けるとチンチンに湯気が立ち、魚の香りがむわっと出てくる。そして少し柔らかくなる。それをガンジガンジと噛みながら酒を呑むのだ。いかにもシベリアの貧しくひもじい場所の食い物のような雰囲気で、30代独身日本式サラリーマンにはとてもちょうどいい。たいていのこういう食い物はしょっぱくて困るのだが、こいつは塩気が少なく、素朴な魚の味がする。

③サバの蕎麦漬け缶
ポーランドスーパーの記事でも紹介したが、東欧ではソバが主要な穀物として食されている。近年流行の脱・炭水化物志向から、ロシアの蕎麦料理は密かに注目されているようだ。筆者が見つけた缶詰は“OCETP”という商品名で、ラベルには蕎麦の実がぎっしり描かれている。“蕎麦の実を炊いて缶詰にしただけかな”と薄い期待のまま一応購入してみたところ、蓋を開けると中にはサバが入っていた。これはとにかく後味の蕎麦の香りが心地よい。脂の乗った鯖のこってり感が過ぎるとふんわりと蕎麦の風味が口中に広がり、なかなかどうして風情のある味に仕上がっている。白ワインや日本酒などとよく合う逸品で、和食として出されても満足がいく。しかしこいつは当のロシア人客には人気がないのか、それとも大人気だからなのか、初めての入手以来お店で目にしていない。





④タラ肝のタラ油漬け
上記のサバの蕎麦漬けが置かれていた缶詰群の中に、何と“タラのレバー缶詰”を発見したのですぐに購入した。ロシアの人々はこのようないわゆる“珍味”を食すのでとても親近感が湧く。日本でもタラが獲れる東北や北陸などでは、タラ肝を煮たり焼いたりして食べているようだが、非常に足が速いようで市場にはあまり出回らないとのこと。この缶詰は熱を入れたタラ肝がタラ自身の油に漬かっていて、質の悪い開けづらい蓋を力を入れてこじ開けているうちに中の油がタプタプとこぼれてくる。この油はビタミンAが非常に豊富で、“肝油”としてサプリメントに利用されてりもしているそうだ。だがそのまま食べるとさすがに脂っぽいので、肝を取り出しキッチンペーパーで油分を吸い取り、レモンやポン酢をかけて食べるとこれが美味だ。あん肝をさらに濃厚にした豊かな味で、けっこうな幸福感を味わえる。パテ状に近いので、フランスパンに塗って食べたりするのも美味であるはずだ。



 さて、日本がまだ豊かだった頃は夜の町には“ロシアン・パブ”というものがたくさんあった(今もあるのかな)。当時の日本と比べると貧しい東欧やロシアの女性が出稼ぎに来ていたのだ。筆者も地元の田舎町へ帰省した折に、高校時代の友人と試しに入ってみたことがある。このときの出来事もなかなか痛快で面白かったのだが、そんなことよりも当時は『なんだって言葉も文化も違う日本なんかに来るんだろう』と不思議に思ったものだ。だが、今はわかる。きっとあんな体ひとつで稼げるキャバレー文化のある国が少ないのだろう。今では差別だとか性的消費とか責められることが多いのだろうが、ロシアン・パブ文化が多くのロシア女性やその子供を救ってきた事実もあるだろう。数十年後にはジャパニーズ・パブがシベリアに沢山できいて、それに救われているニッポン人だってあるかも知れません。そんなことを思いつつ、干しザンダーを齧った。

130号線を行く

2021-03-05 13:12:18 | 生活
 130号線を行くとは、ベイエリアに舞い戻った筆者が週末に敢行した130号線ドライブの記録である。筆者はある日の早朝に長屋でグーグルマップを眺めていて、130号線を見つけた。130号線とはサンノゼ市からほぼ真東に延びる道であり、山を越えて高速道路の5号線と交わるまで町らしい町はなく、そのうえ山々を越えてすぐの町、例えばマルセド市やモデスト市に行くにはこの130号線を使うよりも大きく北へ迂回した方が早いという、存在意義が不確かな道であった。こういった道には何か面白いものがるのが常なので、それ以上は調べることを止めて車に飛び乗ったのだった。テキサス州では異常気象で雪が降っているようだが、ベイエリアは運のいいことにドライブ日和であった。


ドライブの詳細は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①130号線、山を登る。
市街地を抜けると130号線は直角に曲がり、それから徐々に山を登り始める。山は低草で覆われ樹木が少なく見通しがよいため、眼下にベイエリアの平地が広がり、空港を離着陸する飛行機や、サンノゼやサンフランシスコのビル群などが見渡せてとても気持ちがいい。この山全体を公園にしてもよかろうにと思われるが、どうやら富裕層の私有地になっているようで、道沿いに車を停めて景色を楽しむようなスペース等が設けられていないのが残念だ。130号線と交わる尾根からはたいてい私有道路が延び、その先端には富裕層の別荘と思われる高級邸宅がある。その他の土地は牧草地になっていて、牛が草を食んでのんびりと過ごしている。



②130号線、山を越える
山を越えるとそこにはもう人の住む気配はなくなり、遠く見渡す景色は山のみとなる。そして山を下りきれば自然公園の入り口がある。どうやらここを基地にしてサイクリングやトレッキングを楽しむ人が多いようで、ところどころにトレイルの入り口があって路肩に車が停めてある。ここから奥へ向かうドライブは自転車との並走になるので気を付けなくてはいけない。道はくねくねと湾曲しながら再び山を登り始めるも、路肩にはガードレールがなく、その向こうは空なのでやや恐ろしいが、楽しいドライブになる。根気よく進むと標高はぐんぐんと高くなり、ラジオの電波が良くなりすぎてジャズとサルサが交互に流れ始める。そしてついには山の頂上に近づき、頂上に居座る大きな白いドーム状の建物が見えてくる。『さては新興宗教の礼拝所かな』と思ったが、それは天体観測所であった。



③リック天体観測所と村
リック天体観測所は不動産投資家のジェームス・リック氏の融資によて設立された古い天体観測所であり、完成は1887年という。この標高1200mの山頂に建てられた観測所から、かつては土星の衛星など多くの新発見もなされたのだそうだ。130号線はもともとこのリック天体観測所のために整備された道路だったのだ。この頃日本は日清戦争前、果たして一人でも宇宙天体に関心を持っていた人はいたのだろうか、米国の先進性を感じる歴史である。今でもこの観測所は稼働中であり、勤務する人々がこの山の頂上付近に集落を作って暮らしている。かつては小さな学校まであったという。普段は施設の中を見学できるようだが、生憎コロナの影響で外観を楽しむことしかできなかった。そして筆者はさらに130号線を進む。



④黒く死んだ森を抜けジャンクションへ
リック天体観測所の山を一気に下りると低い山が連なる谷あいの道を走ることになる。この辺りは木々が黒く焼けていて、“死んだ森”という表現がぴったりの空恐ろしい風景が広がる。点在する川沿いの家屋は廃墟と化しているし、対向車もほとんどない、さらにはインターネットの接続もなくなるので筆者は恐怖を憶える。実はこれは2020年の夏に発生した山火事の影響で、ベイエリアにも煙が到達して問題になっていたのだという。確かにカリフォルニア山火事のニュースを見てはいたが、こんなにもベイエリアに近い場所で起きていたとは知らなかった。“もう戻ろうかな”そう思い始めるも、戻るよりも進む方が早くサンノゼに戻れるはずという信念で前進した。




⑥サン・アントニオ・バレー
黒く傷ついた森はしだいに消え、再び緑が増え始めると牧草地になり、そしてついに分岐に辿りつく。ここがサン・アントニオ・バレーという場所で、北へ向かえばリブモア市へ出て高速道路でサンノゼへ帰れるのだ。この分岐に“ジャンクション”と言う名の店がある。店の前にはバイクがずらりと並び、黒くて丈夫なバイカー衣装に身を包んだ屈強そうな白人バイカーたちが腰を下ろして休憩していて、ものものしい雰囲気である。普通乗用車でやってきていたのは筆者と、いかにも野鳥観測が目的のような老父のみで、場違いな空気を感じ取ったものの、けっこうな空腹だったのでハンバーガーとコーヒーを注文したのだった。“店員は無駄に鋲が打ってある革ジャンを着たサングラス白人だろうな、こわいな”と思ったが、意外にも親切なインド人で安心した。この周辺はベイエリアからのアクセスは簡単だし、信号が全くない湾曲した道路がスリリングだからか、ツーリングスポットになっているようだ。そしてジャンクションはそんなバイク野郎のための店なのだった。



 腹を満たした筆者はのんびりとドライブを続けた。近場なのにずいぶんな旅行をしたようなドライブであった。帰りにライオンスーパーで豚タンを買い、それを長屋に帰って薄切りにし、ニンニクと生姜のみじん切り、オイスターソース、醬油、塩、ごま油に一時間程度漬け込んだ後、フライパンでこんがり焼いた。これは美味い。ビールをグビグバと飲み干して喉を潤す。ショウペンハウエルは著書の中で、“幸せとは不幸でないことをいう”と言った。長屋の隣はまだ空き部屋なので、大音量でジャズを聴きながら、眠くなるのを待つ。“不幸じゃなさ”を噛みしめて筆者は眠りについたのだった。

老范家カップ麺

2021-03-02 14:41:11 | 食材
 老范家カップ麺とは筆者が見つけたカップ麺である。サンノゼ周辺ではライオン・スーパーマーケットという名の(たぶん)中華系スーパーの勢力が大きく、筆者がサンマテオ時代に世話になったマリーナスーパーマーケットや99ランチマーケットは押され気味に見える。長屋から一番近いアジア系スーパーもこのライオンなので、必然的に筆者もライオンに行くことが多くなるのだ。さて、本ブログでも度々紹介しているとおり、アジア諸国のインスタントラーメン業界の発展には目覚ましいものがあり、ジャパン・クオリティに負けないような新商品が次々に開発されているのだ。そのため筆者はアジア系スーパーのインスタントラーメンコーナーを徘徊し、見たことのない商品を手にすることが人生の喜びのひとつになっている。そして最近見つけてはまっているのがこの老范家カップ麺シリーズだ。これがぶちうまい。


このカップ麺の特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①老范家 見た目や値段
老范家カップ麺のサイズは日本で言うところのエースコックのスーパーカップほどで、かなり大き目だ。英語表記は“Fan’s Ketchen”であり、パッケージにはおそらくファン氏と思われる人物の肖像画が描かれている。ファン氏はどこか見覚えのある、いかにも“中国人シェフ”といった風貌で、その表情からは商品に対する自信のほどがうかがえる。また、老范家カップ麺は正面に“Premium Indtannt Noodle”と記載され、ひとつが2ドル70セントと、他のカップ麺に比べて価格はかなり高めに設定されており、高級志向のカップ麺のようだ。青色と赤色の二種類があり、青は麻醬担々麺、赤は重慶小麺ということだ。どちらもラベルにある写真のスープは真っ赤な唐辛子色なので、ファン氏は四川料理の達人なのだと思われる。基本的に筆者は安いカップ麺を買うことを信条としているのだが、ファン氏の自信たっぷりな表情に惹かれて二つとも購入してみたのだった。



②老范家 作り方
不思議なことにこの老范家カップ麺のラベルには作り方や湯を入れた後の待ち時間などの記載がない。とはいえたいていの30代独身日本式サラリーマンは熟練したカップラーメンの作り手であるだろうから、怖がることはない。蓋をあけるとさずがハイクオリティ志向だけあって、いくつもの小袋が入っている。それぞれの小袋には内容物が分かりやすく大きく一文字で、『菜』『粉』『脂』『醬』などと書かれているので安心だ。尚、フォークも入っているが、これは使わないので取り除いておく。湯の量ははカップの6分目ほどにうっすらと線があるのでそれに従うことにする。また、特に青の麻醬担々麺にはペースト状の材料があるので、湯を入れたらば一応かき混ぜることにした。
③老范家 スープが旨い
一般的なカップラーメンのセオリーに従い、湯を入れた後には約3分待ち、ついに食事タイムだ。まずスープが旨い。はっきりいってインスタントラーメンの域を超えている。そんじょそこらの中華料理屋で、それなりの食器に入れてこいつが出てきたとしても気が付かないレベルだ。赤の重慶小麺のスープは地獄のように赤く、見ているだけで鼻に汗がにじんでくるが、口に入れれば辛みは意外に穏やかで、麻辣の風味が強くてコクがある。青の麻醬担々麺も濃厚な胡麻風味の甘味のやさしさが唐辛子のパンチをほどよく和らげている。どちらも粉末スープの臭みが麻辣の香りでかき消されているせいか、インスタント臭がまったくないのだ。筆者はあっという間にスープを飲み干してしまった。




④老范家 蒸し麺の温かみ
老范家が強く推しているのが、その麺である。それはフライ麺ではなく蒸し麺だという。ラベルでは“中国では数千年にわたり蒸し料理を行ってきました。老范家は伝統的な蒸し麺の技法と最新のインスタント麺技術を融合し、繊細な風味を作り上げています”と自信たっぷりに謳っている。この麺がまた筆者の好みに合った。見た目は幅が狭い平麺で、湯を入れ3分待った麺はけっこう柔らく、カタ麺好きには物足りないほどのやさしい麺だが、食感にはわずかにもちもち感が残り、さらに麦のふんわりとした香りが味わえ、ジャンクなちじれカップ麺とは全く違う。四川省の山奥の民家で、子供を幾人も育てた女が作るような、家庭的で温かいラーメンといった雰囲気だ。

 

⑤老范家 人気
まだ発売されて日が浅いためか、老范家カップ麺の旨さに気が付いている人は少ないようだ。そのため老范家カップ麺はライオンのインスタントラーメンコーナーでも比較的目立たない棚の下の方に鎮座している。ファン氏の渾身の一杯が、今後ライオンスーパーのアジア人たちにどのような衝撃を与えるのかを見届たいという気持ちと、売り切れる前に全部買い占めたいという下賤な独占欲が交互に訪れ、ライオンスーパーへ行くたびに筆者は苦しい思いをする。



 談合の罪を認めずにリニア談合で起訴された大手ゼネコンの2社に対して有罪判決が出たそうだ。基本お上にぶら下がりの建設業界で、しかも他の大手の2社は『へへー』とすぐに罪を認めていた状況で、『これは談合ではない』と国を相手取って堂々と裁判を受けて立つ気概はなかなかだと思うし、ネットの書き込みを見ても同情的な意見が多数だ。あっさり罪を認めたふりをして、スノボ選手のように『すみませーん。これからはクリーンな会社を目指しまーす』と言っている残りの2社よりずっと信用できる会社だと思った。“これから衰退するのが確実な建設業で生き残るのはこの2社になるのだろう”長屋で鼻に汗をにじませながら老范家カップ麺を啜りつつ、ニュースを見ていてそう感じた。