ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ウェスト・ポイント・イン

2024-01-21 12:48:23 | 生活
ウェスト・ポイント・インとは、ミル・バレーのタマルパス山の中腹にある山小屋ホテルである。筆者は2023年のクリスマス・イブの前夜に、少なくない勇気を振り絞ってここに宿泊したので記録をここに残す。2023年のクリスマス(米国では祝日)は日曜日だったため、振替で土・日・月の3連休になった。精液とKFCの香りで充満する日本のクリスマスとは違い、北米のクリスマスは家族とゆったりと過ごすのが通常で、店は閉まり通りは犬もあまり歩かない。当然似非独身日本式サラリーマンには行く場所もなく、退屈だ。そこで“山にでも登ろうか”と思い、グーグルマップで散策しているときにこの山小屋ホテルを見つけた。ここでひっそりと酒を飲んで過ごし、日の出を見て帰ろうと思ったのだ。



このホテルへの宿泊記録は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。



①ウエスト・ポイント・インの位置
サンフランシスコ市からゴールデンゲート橋を渡った辺りは海が近いのに山がちで、大半のエリアが国立や州立の自然公園になっている。このエリアで最も標高がある山がタマルパス山だ。それはまるでサンフランシスコ市を見下ろすようなかたちの美しい山なのだが、残念ながら車で頂上付近まで行けてしまうのだそうだ(頂上には天文観測所のようなものがある)。それでも付近にはキャンプ場やトレイルが無数にあって、それはベイエリアの人々にとっては一大レクリエーション場だ。ウェブサイトによればウエスト・ポイント・インはそのタマルパス山の中腹にある。車でのアクセスはできず、近くのキャンプ場の駐車場から約2マイルの遊歩道を歩いて行かなくてはならないという。面白そうだ。



②ウエスト・ポイント・インの予約
ウエスト・ポイント・インは、ホテルのウェブサイトで直接予約をする。宿泊希望日を選択すると施設の間取り図と共に、空部屋の写真が出てくるので、好みの部屋を選択する(とはいえどれも同じような部屋だ)。合計7つの小さな部屋があり、トイレとシャワーは共同だ。そして山小屋だけに宿泊にはルールがある。①枕カバーやシーツは持ち込み、②食料持ち込み・共同のキッチンで各自調理し、③共同のダイニングとリビングで食事をするのだという。何となく一人客が泊まる類の宿ではないような嫌な予感がしたが、思い切って部屋番号6を予約した。前日に宿から電話がかかり、上記ルールの確認を受ける。




③いざウエスト・ポイント・インへ
キャンプ場からホテルまでのトレイルは車も走れる平坦なもので、マウンテンバイクの通行が多い。各所で枝別れして様々なトレイルが延びているが、今回は早めにチェックインして明るいうちから酒を飲む計画なのでひたすら進む。溶岩が湧出した後のような緑色の火山岩帯や、サンフランシスコ湾北部の入り江の景色、それに鹿などと退屈しないハイキングではある。1時間ほどのハイクでウエスト・ポイント・インに到着する。建屋の前は広く、簡易便所にベンチやテーブルが並んでいて、ハイカーやマウンテンバイカーたちの休憩所になっている。



④ウエスト・ポイント・イン
建屋は“ロッジ”という名前でイメージできるそのままの山小屋で、雰囲気がよい。サンフランシスコ湾を見下ろせる東側のデッキにぶら下がる水のみ瓶にはハチドリがたくさん群がっている。山小屋の玄関には住み込みの雇われ管理人がいて、彼から再度宿のルールの説明を受ける。台所の使い方などの細かいルールがある。筆者はお湯さえ沸かせれば台所に用はないほどの準備をしてきたので、適当に聞き流して二階の部屋へ入り、酒盛りの準備を始めた。部屋は小さい。一人でしか寝られそうにないベッド(一応ダブルらしい)に、小さなテーブルとイスがある。この椅子とテーブルを工夫して宴会場を拵えて、ふなぐちといいちこお湯割りを飲みながら、ラム肉サラミにチーズ、アボカドをナイフで切りながらつまみにする。小さな窓からは建屋の屋根と山が見え、レトロな寝台車で酒を飲むような雰囲気でとても良い。すっかり飲み過ぎてしまい、太平洋へ沈む夕日を見のがしてしまった。



目覚めると暗くなっていた。部屋には照明がない。だがそんなこともあろうと用意しておいたヘッドライトを装着し、再び酒盛りをしたり、読書をしたりして過ごす。長屋の近所で買っておいたスパムおにぎりも旨い。翌日は霧に包まれたサンフランシスコ湾と澄み渡った太平洋、そしてシエラネバダ山脈からそれらを照らし始める朝日を拝み、チェックイン時に割り当てられた仕事(デッキの掃き掃除とマットの掃除)をいそいそと済ませて、白人主体の宿泊客とはほとんと会話をせずに宿を後にした。2023年のクリスマスはなかなか記憶に残るものになった。さてこの宿はとても歴史が古い。かつてこのタマルパス山には観光蒸気機関車が走っていて、その駅と馬車の乗り換え地だったものを、山小屋として残すことになったのだという。

マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜び

2024-01-07 11:28:58 | 食材
マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣の豪快鍋を食べる喜びとは、マリーナ・スーパーで買ってきた牡蠣を鍋に放り込んでグツグツし、その殻蓋をこじ開けて食べる行為の喜びを言う。“鍋の季節である。鍋は旨い。鍋があるから冬は好きだ。だから岩谷産業(本社は大阪)には足を向けて眠れない”そんな日本人は少なくないはずである。似非30代独身日本式サラリーマンであっても鍋は好きだ。普段は“このまま死にたい” と思うほど孤独なのに、イワタニの五徳に小ぶりな土鍋を置いてグツグツさせ、クタクタになった野菜をつついて熱燗を飲むと、 “このまま死んでもいい” と思うほど幸せになる。今回はそれに牡蠣を加えて幸福感を倍増させる企画である。


この鍋に関する情報は以下のとおりだ。参考になると嬉しい。


①アジア系スーパーにある牡蠣
北米のアジア・スーパーには生け簀があり、そこで生きた牡蠣が売られている。筆者の北米生活は10年近くになるというのに、恥ずかしながらそれを購入したことがなかった。それは何だかイロイロと怖いからである。奴らはいつでもアジア・スーパーの生け簀にいる。なので賞味期限が不明だし、天然なのか養殖なのかも不明である。それに何故こんな小さな生け簀で平気で生きていられるのかも不明で怖い。それに日本のように“生食用”“加熱用”とはっきりとした調理方法の指定がないのも怖い。しかし、普段は孤独で“このまま死にたい”と思っているのに、一体何を怖がっているのだろうと、とある土曜日に思ったのだった。そしてマリーナ・スーパーの生け簀に暮らす網袋に入った1ダースの牡蠣を買い物かごに入れたのだ。



②それは蓋つきの牡蠣
それは蓋つきの牡蠣である。手のひらサイズの大振りの牡蠣で迫力がある。米国の高めなシーフード・レストランで偶に出てくる無駄に高い小判サイズの牡蠣とは品種が異なるようだ。筆者は恥ずかしながら蓋つきの牡蠣を見るのは初めてであった。奴らはじっと蓋を閉じ、動かない。頑強に閉じられた殻と蓋からは強い意志を感じる。1ダースを一気に食べることは難しいので、とりあえず彼らを水を貯めたボールに入れ、冷蔵庫の中で保存することにした。


③蓋つきのまま鍋にぶち込む
日本のウェブサイトを見れば、日本の牡蠣は片栗粉や塩などを使って下処理をする必要があるようだ。だがせっかくの生きている牡蠣を“殺してから、洗ってから”食べるのは無粋というものだ。だいたい生で食べられる可能性が高い牡蠣なのである。であるからここでは適当に外側を水洗いしたらば、豪快に蓋つきのまま沸騰した土鍋へぶち込むことにした。残酷ではあるが、仕方がない。



④蓋つきのままの牡蠣鍋
煮えたぎった鍋に入れられた牡蠣は、ハマグリなどの二枚貝のように『グエー』とニンゲンに食べられるために大きく蓋を開くような真似はせず、粘り強く蓋を閉じている。そのため火が通ったのかどうかが判りにくい。それでも煮えるのに十分な時間が経ったと判断したら、鍋から取り出し小さな万能ナイフで蓋をこじ開けてみる(火傷に注意したい)。そうすると宝石のように光沢のある牡蠣が現れるのだ。蓋つきのために半ば蒸されたような状態になっているためだろうか、身が縮こまっておらず、“プリプリ”という擬態語はこのためにあるかのようだ。ポン酢をちょっとかけてむしゃぶりつく。まるでニンゲンに食べられるために生きてきたかのような濃厚な旨味が口中に広がり、映画タンポポの役所広司をまた思い出す。


マリーナ・スーパーで売られている牡蠣は1個1ドルなので、日本よりも安くてお買い得感がある。冷蔵庫のボールに入れた牡蠣は1週間ほど経っても様子は変わらずに、筆者は十分に牡蠣鍋を楽しむことができた。牡蠣はそのほとんどの生活で殻に閉じこもり、外の世界との間に頑強な蓋をしているようだ。筆者に食べられてしまった1ダースの網袋に入ったマリーナ・スーパーの生け簀の牡蠣共は、自身の周りに11体の仲間が居ることを知っていたのだろうか。翻って我々似非30代独身日本式サラリーマンはどうだろうか。実は似ているのかも知れない。ただしストレスにさらされるとすぐに『グエー』と諦めるところは、二枚貝の方に近い。

岐阜竹の店

2024-01-01 03:56:40 | 生活
岐阜竹の店とは、岐阜県岐阜市にある竹細工のお店のことである。世界淡水魚水族館を大いに満喫した後、筆者は名鉄で岐阜市へ戻ってきた。この日の岐阜の天気は時折小雨がぱらついたかと思うと、雲が急に消えて青空が見えたりとはっきりしない。だが筆者の目的地の宿へと続く長良橋通りにはアーケードが延びているので、雨に打たれる心配はない。だから少し歩いてみることにした。駅前の交差点を渡ってアーケードに入るとスガキヤラーメンがある。筆者は人生初のスガキヤをここで体験した。飾らない、まるで学生食堂のような雰囲気のラーメン店は気持ちがいい、本来あるべきラーメン店の姿である、と思って調べると、実際にスガキヤは愛知県内の複数の大学に出店しているのだそうだ。竹の店とはその後に遭遇した。


この竹の店での思い出は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。


①岐阜の町
長良橋通りには、肉屋や信用金庫の店、それに楽器屋やスポーツ用品店などが並び、昭和の佇まいがあってとても楽しい。さらに北上を続けると長良橋通りは柳ケ瀬商店街と交差する。その薄暗い商店街もまた、昭和の雰囲気(少しだけフィレンツェ)がさらに濃厚で、タイムスリップしたかのような気持ちになった。それでもところどころ新しいお店があって小さいながらも活気がある、生きた商店街である。この町に漂う昭和臭は、“空襲に遭わなかったせいかもな”と思って調べると、岐阜市もしっかり米国の空襲を受けている。標的は真空管の製造工場(川西機械製作所岐阜工場)であったようだ。小一時間の爆撃で800名の人が殺され、岐阜の中心部は焼け野原となったとの記載がある。



②岐阜竹の店を見つける
柳ケ瀬商店街を高島屋(閉店予定)で折り返して長良橋通りに戻り、北上を再開するも、“ぜにや”の看板があるビルの交差点でアーケードは終わってしまう。しかし西側の歩道にはトタンの軒が延びる小汚いバラック風のアーケードが残っていたので、もう少しだけ歩いてみることにした。そして廃屋のような商工会議所(これは跡地だった)を過ぎたところで雨が激しくなり、ついに諦めてバスに乗ろうと思ったときに、通りの向かいに“岐阜竹の店”が見えたのだった。それは古びた昭和な3階建てのビルの1階にあり、シンプルな白地に行書体で書かれた看板が目を引く。ガラス戸の向こうには民芸品が飾られていて、一見したところでは外国人観光客目当ての店のようにも見えたので、興味本位での入店も許される雰囲気を感じた。



③岐阜竹の店に入る
田舎のクリーニング店のようなガラス引き戸を開けて入店すると、所狭しと竹かごなどの竹細工と民芸品が並ぶ。店内は静かで、誰もいないのかと不審に思い、竹細工が積まれたカウンターの奥をのぞき込むと、男性が椅子に腰を掛けて一人黙々と竹を削っていたので、びっくりして声を上げてしまった。そうすると男性はこちらを向いて、『あ、いらっしゃい』とだけ言い、再び一心不乱に竹を削り始めた。この男が竹職人である。筆者は職人には畏敬の念を忘れないように心がけるので、不必要に話しかけたりせずに大人しく店内を見て回った。



④竹箸、耳かきの購入
たとえ孤独な似非30代独身サラリーマンでも、旅先では何か記念になるものを買いたいと思う。そこで竹の箸と耳かきを手に取ってレジへ近づく。だが、竹職人は作業に集中していて筆者に気が付かない。筆者は職人には畏敬の念を忘れないように心がけるため、むやみに彼の仕事の邪魔をせず、彼が筆者に気が付くのをずっとレジの前で待っていた。数分後にやっと竹職人は筆者に気がついて、会計することができた。職人は申し訳なく思ってくれたのか会話がやや弾み、この竹は長良川で採ってくることなどを聞いた。そして40㎝ほどの反割の竹(足つぼ用)をもらったのだった。



調べてみるとこの店にはずいぶんと平成臭の強い貴重なホームページがある(できれば更新して欲しくない)。それによれば明治から続く歴史ある店のようだ。筆者が出会った竹職人の男性は三代目であり、代々“竹遊斎”と名乗り、竹で花入れなどの芸術作品を制作しているそうだ。さて、ここの竹箸はたいへんに使いやすくて驚いた、“もう他の箸は使えない”と言っても過言ではない。ただ割り箸と見まがうほどのシンプルな造りなので、ちょいちょい間違って捨てそうになる。値段がとても安かったので余分に買っておけばよかったと思うほどだ。それに足つぼ用竹もたいへん重宝している。踏めば踏むほど自分の足になじんでくるような気がしている。2024年が始まる。米国の一極支配は揺らぎ世界は混迷の様相だ。竹の役割が見直されるときがまた来るかもしれない。