ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

デュレット

2021-10-25 08:32:43 | 食事
 デュレットとは、エチオピア料理のひとつである。それは以前紹介したセーラム・エチオピアンレストランで出されているもので、読者諸氏に是非とも紹介したい逸品なので取り上げた。引き続き筆者は、江戸時代に蝦夷地で幕府の捕虜になった帝政ロシアの探検家ゴローニン氏の手記を読むが、そこには今と変わらない日本人のコレクター気質や形式に依存する気質、忍耐強さ、言いにくいことを言うのに苦慮する気質やらが、客観的でユーモアを込めた記述で残っていて楽しいものだ。季節は秋で、ベイエリアにも雨が降り始めた。


この料理の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①エチオピア料理屋で新しいものを注文する勇気
セーラム・エチオピアンレストランは、基本的にエチオピア料理を知っている人の来店しか想定していないようで、メニューは頼まないと見せてくれない。加えてメニューには簡単な説明書きしかないので注文のハードルが高いのだが、同じ”ニンゲン”が食べているものには違いないので、よほどの偏食家でない限りは楽観的でありたい。それぞれの遺伝子には先祖の食歴が影響されているのは確かだろうが、人種によって食べられるものが異なるという研究結果は今のところ出ていないし、きっとこれからも出ないだろう。思い切って挑戦し、新たな扉を開くことの方が価値がある。



②デュレット 概要
メニューの簡単な説明書きによれば、デュレットとは“羊の臓物と赤肉のミンチと、セーラム特製スパイスの混ぜ合わせ”とある。モツ肉大好き30代独身日本式サラリーマンならばすぐに飛びつく内容であろう。これまでずっと牛肉ティベや野菜コンボばかりを惰性で注文してきた筆者は、その40代風保守性を恥じ、迷わずデュレットを注文した。店員の黒人女性は『お、あなたこれに挑戦するの?』と挑発的な笑みを浮かべ、『調理はどうする? 半生? それともミディアム?』と聞いてきた。『初めてだから・・・ミディアムで・・・・』筆者はそう答える。どうやら生肉に近い料理の様だ。不安なのでお持ち帰りにした。



③エチオピアと生肉
以前“ワリヤ・エチオピアン・レストラン”の回でも紹介したとおり、エチオピア人は生肉食を好み、牛の生肉はキッフォ(クトゥフォ)の名で出され、それはエチオピア旅行を敢行した人々のブログなどで見ることができる。エチオピアの生肉食は、エチオピアの標高(首都のアディスアベバは標高2400m)が関係しているだろうか。生肉が傷みにくい、加熱調理がしにくい、などの理由かと予想する。ボリビアを旅した知り合いが、高地ボリビアの料理は水が100度未満で沸騰する所為か、加熱料理がとてもまずいとの話をしていたのを思い出す。




④デュレット 味
持ち帰ったプラスティックパックを早速開けてみると、予想通りごっそりとインジェラが入っている。インジェラをペラペラと数枚めくればデュレットが顔を出す。羊肉ミンチにニンニクの欠片たっぷり、パプリカ風の野菜に玉ねぎが入っている。デュレットをインジェラに包んで口へ放り込むと、それは旨い。ニンニクのパンチ、羊肉の臭み、半生肉と臓物のネチャネチャした噛み切れない歯ざわりが少々。それにインジェラのフカフカとした食感と酸味が、それぞれの突出した部分を抑え合って調和する。赤ワインとの相性が見事である。インジェラにかかっている香辛料がまばらなので、ときどきすごく辛くなるのも、用意したビールで口の中を潤すよい機会になる。




 後日再度来店したときには、店内で従業員家族が食事をしており、注文カウンターには7、8歳の黒人幼女が座っていたので、筆者は『あの、注文したいんですがー』と幼女を店員扱いしたところ、幼女はすっかり打ち解けた表情を浮かべ、別れ際には店から出てきて手を振ってきた。世界は決して安全でも健全でもないから、その純粋無垢な心は社会を知れば知るほどに狭める必要がある。だがいずれ成長したならば、たとえメニューに写真がなくても勇気を出し、見たことのない料理を注文してみてほしい。そう思った。このとき筆者はミディアムではなく“レア”を注文した。それはさらに羊肉の臭みとネチャネチャが増し、草食系30代独身日本式サラリーマンも心なしか“肉食系”になった気がしてきた。ユッケ・レバ刺しが追放された今、日本では生肉食がむつかしい状況にあるが、読者諸氏も機会があればデュレットに挑戦されたし。

Chu Noodle “筑”拌麺

2021-10-22 11:50:06 | 食材
Chu Noodle “筑” 拌麺とは台湾製のインスタント麺商品である。そう、30代独身日本式サラリーマンの “インスタント麺探訪” は続いている。けっこうな期間にわたり、こうして米国で見たり聞いたり食べたりしたくだらないことを記録していて、最近ふと筆者と同じように日本に滞在した西洋人の記録のようなものがないかと思い探してみれば、それはけっこうある。有名なところでは旅行家のイザベラ・バード女史、それにトロイ遺跡の発掘で名を挙げた考古学者のシュリーマン氏などが日本での旅行・滞在の記録を残している。だが30代独身日本式サラリーマンはいつもメインストリートを嫌うので、マニアックどころへ目が行く。このほど江戸末期に蝦夷地にて幕府の捕虜になった帝政ロシアのゴローニン氏の日記や、明治期に日本旅行をしたアメリカ人女性のシドモアさんの本を買い求め、今後の本ブログの方向性の模索を目的としながら暇な時間に読んでいる。そして腹が減ればインスタント麺を食べるのだ。


このインスタント麺の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①入手場所
読者諸氏の想像の通り、たいていのインスタント麺の新品・珍品はライオン・スーパーマーケットで手に入る。このスーパーマーケットはおそらくもともと中華系であろうが、その他のどのスーパーマーケットのインスタント麺コーナーより商品の入れ替わりが比較的多く、ベトナム系・マレー系等とアンテナが多方面に向いている点も評価に値する。実は各国の訳あり商品を、ろくな検査もせずに安価で受け入れているに過ぎないという噂もあるが、それは他のスーパーマーケットによる流言飛語に違いない。



②Chu Noodle “筑”拌麺のパッケージ
Chu Noodle “筑” 拌麺はパッケージに特長がある。それは一般的なプラスチック素材の袋ではなく、洋菓子の持ち運び容器のような紙容器に収められていて、容器の色は黒く、そこには器に入った汁なし麺の写真が載っている。写真の左上には商品名『 “筑” 拌麺』 が毛筆フォントで大きく書かれている。特に “筑” の文字が強調され、文字の背景に赤丸が施されている。念のため中国語で『筑』の意味するところを調べると、日本語の『築』の意味の他に、 “琴に似た古代の楽器” というものがあった。さらに “高筋麺粉 手工日曬 “High gluten floir, sun exposure by hand” と銘打ってある。この最後の難しい漢字は『サイ』、訓読みで『さらす』と読む。きっと高たんぱくの麺を手作業で日さらしにした高級麺ということだろう。上面に描かれた麺職人と思しき首タオル、ランニングシャツ、短パンにサンダル姿の男が棒に巻き付けている麺は、椀から高く円弧を描いて伸びていたりもするので、全体的に麺に力を入れている様子が見て取れる。だがこの男の頭部は帽子と頭髪の境界かはっきりしないので悶々とする。



③Chu Noodle “筑”拌麺を開け、作り方を確認する。
Chu Noodle “筑”拌麺の紙パッケージの封を切ると、小ぶりな透明の袋に入った麺が4つ入っている。即座にそのうちのひとつも開封すれば、確かにインスタント麺には見えない有機的で粉をふいていそうな白い麺が寝かされている。太さは冷や麦麺ほどなのだが、調理法を見れば何とこれを7分も茹でるのだ。その後に備え付けの黒いたれと麻醤風の赤いゴマソースをかけて食べるという。黒いたれを舐めるとこれは黒酢であった。




④Chu Noodle “筑”拌麺の味
“こんなか細い麺を7分茹でたらば、麺はきっとしおしおになってしまうだろう”と不安を抱きつつも、郷に入っては郷に従う精神でインストラクションに従い作ってみた。湯をしっかりと切り、椀に盛ってソースをかける。これが非常に良い。麺にはまだしっかりとコシが残り、ツルツルさも良好で、香りが豊かだ。黒酢ソースの酸味との相性が非常によく、さっぱりと楽しめる。だが麻醤風のたれが甘すぎて筆者の好みではなかったため、以降は黒酢のみで調理し、それにお好みで明太子ふりかけやライム、キムチなどを混ぜて楽しんでいる。自分の好みで何を足しても素敵なChu Noodle“筑”拌麺になるので読者諸氏は自分なりのChu Noodle“筑”拌麺を見つけてほしい。


 試しに茹で時間を5分にして麺を食べてみたところ、これはまだ硬くて食感がよくない。やはり7分茹でたい。そして斎藤佑樹さん。前回の記事で30代“独身”日本式野球選手と書いてしまったが、2019年に結婚されているそうでした。なんとなく仲間だと思ってしまっていたのが恥ずかしいです。失礼しました。さらには最近、中台の緊張関係の高まりを伝えるニュースをよく目にする。米英を中心とした6ヵ国の軍艦が南シナ海で訓練を行い、中国をけん制しているとのことだ。こうして台湾産のChu Noodle “筑” 拌麺を、好きなときに好きなだけ食べられるのも今のうちかもしれない。そう思って筆者は買いだめのため、再びライオンマーケットへ向かった。


メヌード

2021-10-17 16:56:22 | 食事
メヌードとは、メキシコ料理のモツ・スープのことである。サンノゼ市はヒスパニック系住民が非常に多いのだが、スーパーマーケットに関しては中華系やフィリピン系、韓国系などに見られる大型店舗があまりなく、各所に小さなスーパーマーケットが点在している。店舗の小ささや中が見えにくい点など、一見さんには入りにくい雰囲気があるが、どこもいたって普通のスーパーマーケットで、売っているものに大きな差異はない。でも流れているサルサ・ミュージックは心地よいし、精肉コーナーやデリの店員らは陽気だし、ときどき新商品が見つかるので、暇なときには新しい店を覗いてみるのだ。そこで見つけたのがメヌードである。


この料理の特長は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①ラ・パルマス・メルカド・イ・カニセリア
サラトガ通りをミツワよりも少し南に下がり、ウィリアムス通りを過ぎると左手に入りにくそうな店がたくさん入った建屋が見えてくる。そこに“ラ・パルマス・メルカド・イ・カニセリア”という仰々しい名前のメキシカンスーパーマーケットがあって、そこの精肉コーナーの隣にあるデリ・コーナーは小さな食堂のように中で食べることもでき、持ち帰ることもできる場所になっている。ここでメヌードを買ってみたのだった。ちなみにこのラ・パルマス・メルカド・イ・カニセリアでは前回紹介したクエリトスサラダは購入できないし、ここで売られているオアハカチーズは裂け具合がよろしくないので、今のところメヌード以外で用事はない。




②メヌードのことは実は知っていた。
以前サンマテオ付近に住んでいた時にメキシカンレストランで注文したことがあったので、筆者はメヌードのことは知っていた。だがそれだけで相当なボリュームで、30代独身日本式サラリーマンが一人で注文すると中盤からは流石に飽きてくることもあり、メキシカンレストランでも注文は敬遠していたのだ。ラ・パルマス・メルカド・イ・カニセリアで久々にメヌードに再会し、『持ち帰って食べるかな』という気分になった。ラ・パルマス・メルカド・イ・カニセリアのデリ・コーナーにはいつも数人の黒い服を着たヒスパニック女が働いていて、彼女らに欲しいものを注文して調理してもらう仕組みだが、英語を話せる人が少ないのでやや難儀するし、あちらもアジア系客の来店に困惑気味である。



③メヌード
プラスチック容器に入れらえた大量のメヌードは家に持ち帰っても熱々だ。トロトロに煮込まれた牛の胃袋や腸(たぶん)がたっぷりと入り、加えて牛の蹄が“どかん”と入っている。これも周りにコラーゲン風のプリプリ肉がこびり付いていて嬉しい。メヌードのレシピをネットで調べてみたところ、お好みの牛の臓物をよく洗い、ニンニクや玉ねぎやハーブなどとぐつぐつよく煮込んで、それに唐辛子やその他の香辛料を加えるそうだ。ちなみに牛の足を使うのは本格派のようだ。スープにカテゴリーされるだけあって基本薄味で食べやすくその色の割に辛さはない。玉ねぎのみじん切りとパクチー、そしてライムが別の容器に入れてあって、食べる直前にこれをかけ、さらにトルティーヤに載せて食べる。筆者はさらにグリーンホットソースをちょいと振りかけてから頬張るのを良しとしている。トゥルトゥルでクチャクチャの臓物を噛み締めたり、テュルリと飲み込んだりするのが幸せで、ビールやワインが進むというものだ。牛の足は蹄がそのまま入っていてグロテスクだが、周りについたプリプリ肉にしゃぶりつくとハイエナになった気持ちになる。持ち帰りにすれば大量のメヌードは3回くらいに分けて食べられるので飽きも来ないのだ。




 メヌードは地域によって具材や味付けが異なるようなので、またメキシコスーパーやメキシコ食堂を探検した際にはチョイチョイ注文してみようと思う。ウィキペディアをみたところ、メヌードは結婚式の後などお互いの家どうしでのイベントのような交流の際に大皿で出されていたものなのだという。大量の容器に入れられるのもうなずける。二日酔いに効果があると信じられていたらしい。そして30代独身日本式サラリーマンは長屋で一人、もくもくとメヌードを食べる、引退を決意した30代独身日本式野球選手の斎藤佑樹さんのことを思いながら。

クエリトス

2021-10-08 12:27:23 | 食材
 クエリトスとは、豚の皮を酢漬けにしたメキシコ食材だ。2021年秋、筆者はめっきりメキシコ人の食事に傾倒している。メキシコ人は何でも食べる。最近の筆者は健康の秘訣とは『何でも食べること』ではないかと思い始めている。何故なら口に入れるものの全ては基本は“栄養”ではなく“毒”だからだ。この世に食べれば食べるほどよいものなどはない。脂肪も金属も水も炭水化物もビタミンも、ニンゲンにとって必須ではあるが取りすぎると毒なのだ。ゆえに何でも食べる人こそが摂取物の偏りを防ぐことができ、つまり健康を維持できるのである。だからこそメキシコ人は国の豊かさの割に長寿なのだ、というのが筆者の予想だ。それにメキシコ人の食事は割と美味くて酒のつまみになるのも筆者の心を揺さぶる。今回はたまたま見つけたクエリトスを紹介しよう。



この酢漬けの特長は以下のとおりだ。参考にしてもらいたい。




①豚の皮
世界に誇る雑食民族ニッポン人ではあるが、家畜肉を大ぴっらに食用にし始めたのは明治以降であり、その点では他の雑食国に遅れをとっていることは否めない。クエリトス、少し間違えばドキっとする言葉になりそうなソレは、スペイン語では“豚の皮の酢漬け”を意味する。筆者は、最近頻繁に出入りする小さなメキシカンスーパーでクエリトスの瓶詰見つけ、“お。久しぶりに新しい発見だ”と嬉々として、精肉コーナーの男に『もしもし、これはどのようにして食べるのか』と尋ねたところ、男はすかさず『こうやで!』と冷蔵庫からプラスチック容器を取り出した。そこにはクエリトスの他に複数の野菜が入っていた。『なるほど。まずこれを買い、美味であればそれを真似て調理すればよいのだな』とつぶやくと、男は不満そうに『いや、(お前の調理などより)こっちの方が美味いはずだ』と言った。どうやら精肉コーナーの豚皮を用いて、男が自ら調理してソレを作っているようだ。早速筆者はそれを買い求めたのだ。



②クエリトスはトスターダに載せる
持ち帰ったクエリトスを開けると、中は豚皮の他にたっぷりのトマトの細切れ、それにパクチーと唐辛子風の野菜が入っている。事前にメキシコ人同僚のラミロ君にテキストし、その食べ方を訪ねたところ、トスターダに載せて食べるのだという。トスターダとは、トルティーヤを揚げたものであり、同じくメキシコスーパーで簡単に手に入る。筆者は先ほどのスーパーで買ったクエリトスを少し味見したところ、“辛さ”を足した方がうんと旨いと確信し、トスターダと共にグリーンペッパーを基調としたホットソースを買い求めた。長屋に帰りトスターダにクエリトスを載せて、グリーンペッパーソースをちょいと振りかけて食べれば、これはもう最高の料理だったのだ。



③クエリトスのトスターダ載せ、グリーンホットソースをかけて
クエリトスは、しっかり効いた酢の酸味がさっぱりして豚皮の臭みがない。加えてトマトとパクチーの野菜由来の酸味と苦みがほどよく合わさり深みがある。豚皮のプニプニ食感は、日本人なら誰でも好きな歯ざわり舌ざわりで、噛み締めたときのうっすらとした豚の臭みも酒飲みには嬉しい。何よりも歯触りのコントラストが逸品だ。トスターダのカリカリと、豚皮のプニプニ、それに野菜のしっとりが絶妙に調和し、食べても食べても食べ続けられるのだ。それにグリーンホットソースの辛みはパンチが効いているものの、他の食材の味を殺さない、むしろ活かす。筆者は改めてメキシコ人のグルメセンスに舌を巻いたのだった。ワインやビール、日本酒にも合う絶妙な料理である。



 
 豚皮を調理することは日本では多くないだろう。豚モツなどを出す店でたまに見かける程度のように思う。こちらで豚の皮とされている部位は5㎜程度の厚さがあって、かなりボリューミーのある食材だ。興味を持った30代独身日本式サラリーマン諸氏はメキシカンスーパーに行ったらば、まずはクエリトスの瓶詰を見つけ、それをデリ・コーナーへ持っていって店員に見せるとよい。気のいいメキシコ人店員はすぐにクエリトスと野菜の和え物が入ったプラスチック容器も持ってきてくれるに違いない。筆者はコロナの影響でなかなか一時帰国することができず、とうとうI94の期限が切れそうになっている。皆さんはいかがですか。

サン・ルイス・オビスポ周辺探訪 その4

2021-10-02 12:49:13 | 生活
サン・ルイス・オビスポ周辺探訪とは、筆者が2021年のレイバーデイ連休に、カリフォルニア州のやや南に位置するサン・ルイス・オビスポ周辺を探訪した記録である。3日目の朝は、サン・ルイス・オビスポを見てみることにした。だいたい今回の旅にサン・ルイス・オビスポの町を選んだのはまず町の名前だ。そのいかにも古い町の名前に「ぴん」ときたのだ。調べるとやはり小さくてかたちのいい山のそばにある風光明媚な都市で、文化的にも楽しいようだし、何かの資料によれば『アメリカで最も幸福な都市』なのだという。そこでここを旅の拠点にしたのだ。筆者は悲しき30代独身日本式サラリーマンではあるが、生まれてこの方“なんとなく”で選んだものにはずれがない(少しあるが・・)ので、今回もそれに頼っている。



この探訪の詳細(のつづき)は以下の通りだ参考にしてもらいたい。



①サン・ルイス・オビスポのジャパンタウン
実は宿探しをしているときに、サン・ルイス・オビスポ中心部のやや南西部に“ジャパンタウン”というエリアがあるのを見つけていた。だがグーグルマップ上には日本の面影はなにひとつ残っていない。不思議に思いインターネットで調べてみると、そこにはかつて立派な日系人街があったのだという。それを作り上げたのが、“江藤為治”という熊本県山鹿市出身の男で、彼がこの地の日系人の地位の確立に非常な努力し、地域の裁判陪審員にも推薦されるほどの人格者であったという。残念ながら太平洋戦争によってその地位を追われ、強制収容され、その後サン・ルイス・オビスポに戻ることはなかったようだ。筆者は朝、そのかつての日系人街付近を散歩してみると、そこにはエトー・パークという小さな小さな公園があったのだ。



②エトー・パーク
エトー・パークは中心街へとつながるヒグエラ通りから1本入ったブルック・ストリートという細い路地の行き止まりにあった。資料によればこの辺りがかつての日系人街で、旅館や商店などもあって賑わいを見せていたのだという。さらにこのブルック・ストリートはもともとは江藤為治の名前から“エトー通り”と名付けられていたのを、太平洋戦争を機に変えられたのだという。その小さな公園はかつての日系人街を偲んで2002年に作られた。日本庭園のようなオブジェが置かれ、石碑には子孫の方の思いが綴られていたりと、子供が遊ぶような公園ではなく、あくまで記念碑的な意味合いの強い広場になっている。だが訪ねる人は少ないようで、植え込みの奥まったところは乞食の寝床になっているようだった。その他に周辺に日本人街を偲ばせるようなものは何一つ残っていなかったが、ただひとつブルック・ストリートの小さな一軒家の玄関手すりに“ETO‐BROOK”と、かつての通りの標識が掲げられていだ。もしかしたら子孫の方だろうか、と思った。が、
思っただけでそこを後にして、繁華街へ行ってみた。



③繁華街の雰囲気
穏やかで、かつ賑やかなサン・ルイス・オビスポのメインストリートは、乾いた南欧の雰囲気があるお洒落な通りになっていて、ブティックやレストランが並び、主に白人たちが飲み食いを楽しんでいる。イタリア料理屋が多いようだ。幹が太く力強い広葉樹が通りに陰を作るのが印象的だ。きっといわれのある樹々に違いないと思って調べるも、特段めぼしい情報はなかった。通りの北側の店舗裏に並行して小さなサン・ルイス・オビスポ川が流れ、その脇が遊歩道として整備され、市民の憩いの場所として活用されているのも面白い。だがベンチにはたいてい乞食が佇んでいる。



④ミッション・サン・ルイス・オビスポ・デ・トロサ
繁華街の東端にはMission San Luis Obispo de Tolosaがある。この町ももともとはミッション・カリフォルニアのために建てられた町なのだった。建屋には趣があるし、中のL字型の聖堂も興味深いものの、基本的にはソルバングの教会と似たようなものなので書く内容にはネタ切れ感がある。とはいえ賑やかでハイソな街並みにこういった古い建物が残ると、門前町のような雰囲気が出て街の魅力を引き立てているのは確実だ。




 その後はモロロックを見に行ってシーフードを食べたり、ラッコなどを見たりして過ごしたが、もう長く書きすぎているので割愛する。夜はサン・ルイス・オビスポの“Mistura”という名の高級感のあるペルー料理屋で食べた。一人で入るには難しい店だったが、久々に勇気を振り絞ったのだ。店の名前からも、そしてなかなか繊細な味付けからも、『もしかしたらシェフは日系の人かな』と思わせるような結構な料理で満足し、ワインをガブガブ飲んでしまった。隣の席の40代くらいと思われる女性が突然泣き始めたのでびっくりしたら、どうやら指を蜂に刺されたのだそうだ。だがニンゲンは強い。大皿のパエリヤが運ばれてくると、女性は何事もなかったようにモリモリと食べ始めた。旅は続く、腹が減る限り。