ベイエリア独身日本式サラリーマン生活

駐在で米国ベイエリアへやってきた独身日本式サラリーマンによる独身日本式サラリーマンのための日々の記録

ワカマツ・コロニー

2022-02-13 15:01:26 | 生活
 ワカマツ・コロニーとは、筆者の2022年最初の小旅行の目的地である。ワット・ダンマララン仏教寺を跡にした筆者は、ストックトンのサムズ・カフェでロコモコを食べた後、北上を再開した。乞食だらけのストックトン市とサムズカフェの人々は相変わらずだ。ワカマツ・コロニーのワカマツとは、会津若松の若松である。それは19世紀後半に会津若松藩の人々が、移民として米国に入植した場所のことなのだ。その存在を書物で知った筆者は、すぐにグーグルマップで検索したところ、そこは今では “ワカマツ・ファーム” という名の農場になっていて、いくらか史跡のようなもが残っていると聞きつけ、いつものようにそれ以上は深く調べないまま、行ってみることにしたのだ。


このコロニーの詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①アクセス
ワカマツ・コロニーはサクラメントから20マイルほど東にあるゴールド・ヒルという名の場所にある。そこはストックトン市から1~2時間程度のドライブで着くが、自動車専用道路の50号線を下りてからの乾いた丘陵地を走るうねり路が長く、サン・ホゼ市から4時間近く運転していると、到着したころには疲れが出始めている。農場の納屋に『WAKAMATSU FARM』と看板がついているので見つけられるものの、それ以外は通りに並ぶ他の農場と違いがないので、GPSがなければ見過ごしてしまいそうだ。看板には“イベントやツアーの駐車場はこの先”との表記もある。100メートルほど進むと確かにゲートがあったが、門扉が閉じられていた。筆者はとりあえず門扉手前のふところ部に車を停めて、納屋の方へ歩いて戻ってみた。周囲は鄙びた農村地である。



②ワカマツファーム
ファームの中の様子はやはり普通の農家のようだ。人々の住む家屋や農機具の保管庫などが並んでいる。だが入口周辺のやや古びた建物には、若松コロニー時代を説明している看板があったりするので、『きっと市民に公開されているのだろう』という期待を込めて侵入してみることにした。銃社会アメリカにおけるこういった侵入行為は、90年代の服部剛丈(YOSHI)君の事件もあるし、慎重であるべきだ。特にこっちは怪しい30代独身日本式サラリーマンなので、相手に誤解を与える可能性は高いと言える。だが『日系男子が日系移民の史跡を訪ねているのだから、さすがに大丈夫だろう』と高をくくったのだ。




③ワカマツファームへ侵入
看板には会津赤松からやってきた人々の経緯についての説明書きや、残されていた写真などが載っている。写真の中の西洋スーツ姿の人々を見ると、黒人奴隷や中国人苦力などとは違いいくらか資産を持ってきた人々なのではと推察された。看板や建屋を眺めていると、奥の民家の前で数人の人が集まって何やら話し込んでいるのが見えた。怪しまれないように笑顔で手を振ると、振り返されたので、とりあえず安心である。しかし他に特段見るべきものはもうないようだ。せっかく4時間もかけてやってきたのに少々がっかりだと思いつつも、周囲の景色を眺めつつ、海を渡ってやってきた当時の人々のことを考えていると、農作業姿の若い白人女性が近づいてきた。『怪しいものではありません。日系移民が初めて来たところというので、訪ねてみました』と伝える。



④おけいさんの墓
その女性は、『墓を訪ねたいか』と尋ねてきた。『普段は予約制のツアーしか受け付けていないのだが、せっかく来てもらったのだから・・案内はできないが、自分の足で歩いて行ってもらうなら構わない』とのありがたいオファーであった。女性の指示に従って敷地内の遊歩道を歩く。そこは広い牧場になっていて、牛たちがじっとこちらを見ている。のどかな牧草風景と樹々と、そして青空にはイワシ雲が広がり、とても気持ちがいい。丘陵地の向こうには低い山々が見える。10分程度歩くと墓がある。そこは牧場敷地のほぼ北端だ。墓の傍には、このおけいさんの墓を建てた会津藩士桜井松之助の石碑も建てられている。“会津士魂 よくきたね、よく来らたっならし”との碑文が添えられる。




 実は墓へ続く遊歩道は枝分かれしていて、その先には神社のような建屋や日本庭園風のエリアも見えたのだが、特別に入場を許してもらった立場としてあまりウロチョロしては申し訳ないと思い、墓を参ったのちはすぐに引き返した。帰り道、牛は筆者への興味を完全に失ったようで、真剣な表情で草を食べていた。はっきり言って歴史的経緯や現在の状況を知る分には、現地よりネットで調べた方がずっと有益な情報がある。おけいさんについて、桜井松之助氏について、その他の移民やその子孫の人たちについて・・・後にネットからたくさんのことを勉強できた。しかしここを訪ねて良かったと筆者は思っている。おけいさんの墓では正直に自分の出身地を白状し、でも頑張りますと伝えておいた。さて、このワカマツ・ファームはAmerican River Conservancyという非営利自然環境教育団体に管理されているようで、ツアーもその団体を通して行うようだ。筆者のように運良く白人女性に声をかけてもらえなければ、墓参りは叶わない。読者諸氏が興味を持ったなら、予約しておく方がいいいだろう。

金元寶~風味小館~のカントリー焼きめし

2022-02-08 12:37:11 | 食事
金元寶~風味小館~のカントリー焼きめしとは、サン・ホセ市の中華料理店『金元寶~風味小館~』の焼きめしメニューである。筆者はとある休日の昼前に、“今日はアツアツの焼きめしを思い切り腹いっぱい食べたい”と思った。思えばそれは、30代独身日本式サラリーマンにしか味わえない贅沢である。何故なら幸せ家族や恋人同士、もしくはグループ交際をしている人々などにとって、焼きめしとは数人でシェアされるべきメニューであるために、ひとりでめいっぱいガツガツとは食べられない。それに一杯目を取り分けた後には皆が遠慮地獄に陥って、しばらく皿に残ってしまいがちなので、せっかくのアツアツがぐんぐん冷めてしまうからだ。二口三口分の僅かな量に取り分けられていく焼きめしを見ながら、『あぁ・・もっとガツガツ食べられたらな・・』と密かに嘆息した経験のある人は少なくないだろう。30代独身日本式サラリーマンにはそれができるのです。そしてすぐに金元寶~風味小館~のカントリー焼きめしに巡り合ったのは、筆者の強運のなせる業である。



この焼きめしの詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。



①金元寶~風味小館~アクセス
金元寶~風味小館~はサラトガ通りにある。ミツワ・スーパーマーケットを少しだけ南下すれば、“メイプル・マーケット・プレイス”という場末の香りが強い商業エリアが3ブロックに渡って並んでいる。どのブロックにも1階建ての広い建屋があり、そこに様々な店が入っているが、外観も雰囲気もローカル臭が強く入りにくいものばかりだ。金元寶~風味小館~はこのメイプル・マーケット・プレイスの北館の北端にあり、ネイルサロンとロシア系スーパーマーケットに挟まれている。白地の看板に書かれた主張の弱い毛筆フォントの店名には優しさを感じる。ちなみにこの店は別名をメイ・フラワー・レストランという。




②金元寶~風味小館~店内
金元寶~風味小館~の店内は狭い。しかも5、6脚ほどある卓の1つはテイクアウト商品の置き場になっている。中年の中国人女性がホールをひとりで切り盛りしているので、書き入れ時には頻繁にかかってくる注文電話や来店客の対応で忙しそうで、中国語でいつも喚いている。だが時間をずらせば静かである。店内は一応中華風に飾りつけてあるし、動物の絵画が架けられたりしているが、テイクアウト客メインで店内で食べる客は多くないようだ。壁にはサインペンやチョークのようなもので雑に書かれた漢字のみのメニューも貼られていて、ローカル臭が強みを増している。



③カントリー焼きめし
カントリー焼きめしは正式には家郷炒飯、英語ではCountry Style Fried Riceであり、筆者がそれを“カントリー焼きめし”と名付けた。一般的にアメリカン中華料理屋の焼きめしは “フライドライス”と呼ばれ、メニューはたいていメインの具材によってチキン・フライドライス、シュリンプ・フライドライスなどと分けられており、全部入ったのが“ハウス・フライドライス”と名付けられていることが多い。金元寶~風味小館~も同様に各種フライドライスがあったのだが、それに加えてこのカントリー焼きめしを見つけたのだ。『焼きめしが食べたい』と思いながらも、具材の炒め方が足りなかったり(焦げがなく茹でたに近い状態の肉)、塩気が強すぎたり、グリーンピースが入っていたりといった所謂“がっかり焼きめし”の経験が豊富な筆者は、このカントリー焼きめしに惹かれたのだった。



④カントリー焼きめし
『もう他ではフライドライスを注文できないな・・』筆者は熱々のカントリー焼きめしをパクつきながら、そう思った。絶品である。それは米国ではなかなか見られない高菜焼きめしだ。高菜と細切れ豚肉とネギと卵のバランスが抜群で、豚肉はよく炒めてあって香ばしく、高菜の絶妙な辛さが咀嚼するたびに食欲を増幅させ、二合近くはあるカントリー焼きめしはぐんぐんと口中へ、そして胃袋へ収まっていく。米がまたよい。パラパラすぎず、母のぬくもりを感じる米の粘り気が残って心地よい。ここまでエクスタシーを感じる焼きめしは、米国で出会ったことがない。




 『この焼きめし、すごく美味しいです!』と熱い思いを中年女店員に伝えると、彼女は嬉しそうな表情を浮かべ、『サンキュー、サンキュー』と繰り返してきた。そこで調子づいて、『この焼きめしは中国のどの地方の料理なのですか』と聞いてみた。今後の中華料理屋選びで何かヒントになるかもと思ったからだ。だが中年女店員は急に面倒臭そうな表情になり、『低いとこ、低いとこ』と顔を横に向けてぶつぶつ言うばかりで、これ以上の質問を受け付けない雰囲気を露骨に出してきた。このカントリー焼きめしには何か深い秘密が隠されているのか、それとも面倒な客だと思われただけなのか、確かめるためにも金元寶~風味小館~には通い詰めたい。でも年中無休と言いながら、日曜日は休みだったりするので気を付けたい。『生きることは楽しむことだ』親しい人にそう意見したら『それはあなたが特殊な能力があるからだ』と言われた。違う、誰でもカントリー焼きめしを食えば、楽しい。

ワット・ダンマララン仏教寺

2022-02-05 08:35:11 | 生活
 ワット・ダンマララン仏教寺とは、ストックトン市近郊にあるカンボジア仏教の寺院である。筆者は2022年初の小旅行へ出かけることにした。マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日(1月15日)が月曜であったため、3日間も連続で『労働できない日』が設けられてしまったためだ。目的地は若松ファームだ。だが若松ファームだけではつまらない可能性があるので、途中で立ち寄れるスポットを探していたのだ。そして見つけたのがこのワット・ダンマララン仏教寺だ。どうやら前回記事のパオ・フア寺を探訪したことをきっかけに、探訪スポット候補に自然と寺社仏閣が加わってきており、30代独身日本式サラリーマンの暇つぶし術に幅が広がったようだ。


この寺の詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。


①ワット・ダンマララン仏教寺アクセス
サンノゼからストックトン市へは1時間と少しのドライブになる。5号線をストックトン市のダウンタウンで下り、グーグルナビに寺の位置を入力すれば、グーグルは筆者にダウンタウンの横断、そして99号線の南下をてきぱきと指示する。99号線を5分ほど走り、指示通りの出口で下りれば、そこは廃車置き場や建設重機置場のような寂しい施設が集まるエリアになる。住宅地らしき路地に入っても田畑の間に手入れの行き届かない敷地の簡素な家屋ばかり、路肩は土砂がむき出しで、さらに木製の電柱と低い電線が尚のこと片田舎感を増幅し、まるで東南アジアの村落へ来たような気分になる。そこに忽然とワット・ダンマララン仏教寺が姿を現すのだから、おのずと胸が躍るというものだ。




③ワット・ダンマララン仏教寺
灰色の石造りの山門を車で潜るも、そこには鄙びた民家が数件あるばかりで寺社仏閣らしさは見られない。民家の脇には鶏が幾羽も飼われていて、忙しなく動いている。とりあえず民家の脇のスペースに車を停めると、貧しい風体のアジア人中年男が煙草を燻らせながら近づいてきて、『もっと奥に止めろ』と言ってきた。よく見ると彼の着る上着の下には山吹色の法衣が見えるので、僧侶に違いないが生臭そうだ。僧侶の指示に従い奥へ進めば、ついに本堂のような建屋と、そのもっと奥にたくさんの仏像が並んでいるのがわかる。ここで車を停めてまず仏像群の参拝スタートだ。




④サイケデリック仏像群
この仏像群にはとにかく驚かされる。文章で説明することは難しいが、ブッダの一生のシーンをモチーフにした作品が所かしこに並んでいて、そのデザインが、横尾忠則風とも漫画太郎風ともいえるほどのカラフルなサイケデリック感満載で、日本の抹香臭い仏教しか知らない未熟者にはエセ仏教に見えてしまう。各作品には薄汚れた説明書きが添えられているが、全てカンボジア文字表記なので読解不能である。また、イベント時の名残と思われる簡易椅子や万国旗の残骸などがそのままなのも、シュールさが出ていてエセ臭がし、日本の温泉街にあるようなトンデモ観光スポットを彷彿とさせる。特に、生まれてすぐに歩行し、“天上天下唯我独尊”と言葉を発したとされるシーンや、悟りを開く前に荒行に励んでいるときのあばら骨が浮いて皺だらけのブッダ像は一見の価値がある。釈迦が王子の頃に目にして悩むきっかけとなった四苦に苦しむ人々の像も見ものだ。



⑤本堂
しかし本堂の外観には厳かな雰囲気がある。扉に“靴を脱いで入るように”との貼り紙がある。薄暗い内部に入ってみると、日本の寺の雰囲気に近い。須弥壇には仏像が林立しているものの外の仏像ほどサイケなものは少なく、お経を揚げるための設備やその後ろで祈りを捧げる信者用のスペースも整っている。建立した人物と思われる僧侶の写真がかけてあるが真面目そうな表情だ。本堂を出る頃には信者と思わる数人の参拝客も目にした。



 ホームページなどで調べてみると、この寺は1980年代にカンボジア人により建立された真面目な寺院のようだ。サイケカラフル仏像も彼らにとっては普通のデザインなのだと思われる。ストックトン市は80年代にミスター・ポル・ポトによる超ストイックな反・知識層革命時の難民を多く受け入れたために、カンボジア人コミュニティができたのだそうだ。今でも全米でカンボジア人が特に多い町なのだという。筆者はなかなか興味深い寺院を訪ねることができて満足であった。車に乗り込み立ち去る際に、民家の前に腰掛けてタバコをくゆらすさっきの僧侶風の男に手を振るも無視された。カンボジアの媚びない仏教を思い知った筆者は先を急いだ。