ワカマツ・コロニーとは、筆者の2022年最初の小旅行の目的地である。ワット・ダンマララン仏教寺を跡にした筆者は、ストックトンのサムズ・カフェでロコモコを食べた後、北上を再開した。乞食だらけのストックトン市とサムズカフェの人々は相変わらずだ。ワカマツ・コロニーのワカマツとは、会津若松の若松である。それは19世紀後半に会津若松藩の人々が、移民として米国に入植した場所のことなのだ。その存在を書物で知った筆者は、すぐにグーグルマップで検索したところ、そこは今では “ワカマツ・ファーム” という名の農場になっていて、いくらか史跡のようなもが残っていると聞きつけ、いつものようにそれ以上は深く調べないまま、行ってみることにしたのだ。
このコロニーの詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。
①アクセス
ワカマツ・コロニーはサクラメントから20マイルほど東にあるゴールド・ヒルという名の場所にある。そこはストックトン市から1~2時間程度のドライブで着くが、自動車専用道路の50号線を下りてからの乾いた丘陵地を走るうねり路が長く、サン・ホゼ市から4時間近く運転していると、到着したころには疲れが出始めている。農場の納屋に『WAKAMATSU FARM』と看板がついているので見つけられるものの、それ以外は通りに並ぶ他の農場と違いがないので、GPSがなければ見過ごしてしまいそうだ。看板には“イベントやツアーの駐車場はこの先”との表記もある。100メートルほど進むと確かにゲートがあったが、門扉が閉じられていた。筆者はとりあえず門扉手前のふところ部に車を停めて、納屋の方へ歩いて戻ってみた。周囲は鄙びた農村地である。
②ワカマツファーム
ファームの中の様子はやはり普通の農家のようだ。人々の住む家屋や農機具の保管庫などが並んでいる。だが入口周辺のやや古びた建物には、若松コロニー時代を説明している看板があったりするので、『きっと市民に公開されているのだろう』という期待を込めて侵入してみることにした。銃社会アメリカにおけるこういった侵入行為は、90年代の服部剛丈(YOSHI)君の事件もあるし、慎重であるべきだ。特にこっちは怪しい30代独身日本式サラリーマンなので、相手に誤解を与える可能性は高いと言える。だが『日系男子が日系移民の史跡を訪ねているのだから、さすがに大丈夫だろう』と高をくくったのだ。
③ワカマツファームへ侵入
看板には会津赤松からやってきた人々の経緯についての説明書きや、残されていた写真などが載っている。写真の中の西洋スーツ姿の人々を見ると、黒人奴隷や中国人苦力などとは違いいくらか資産を持ってきた人々なのではと推察された。看板や建屋を眺めていると、奥の民家の前で数人の人が集まって何やら話し込んでいるのが見えた。怪しまれないように笑顔で手を振ると、振り返されたので、とりあえず安心である。しかし他に特段見るべきものはもうないようだ。せっかく4時間もかけてやってきたのに少々がっかりだと思いつつも、周囲の景色を眺めつつ、海を渡ってやってきた当時の人々のことを考えていると、農作業姿の若い白人女性が近づいてきた。『怪しいものではありません。日系移民が初めて来たところというので、訪ねてみました』と伝える。
④おけいさんの墓
その女性は、『墓を訪ねたいか』と尋ねてきた。『普段は予約制のツアーしか受け付けていないのだが、せっかく来てもらったのだから・・案内はできないが、自分の足で歩いて行ってもらうなら構わない』とのありがたいオファーであった。女性の指示に従って敷地内の遊歩道を歩く。そこは広い牧場になっていて、牛たちがじっとこちらを見ている。のどかな牧草風景と樹々と、そして青空にはイワシ雲が広がり、とても気持ちがいい。丘陵地の向こうには低い山々が見える。10分程度歩くと墓がある。そこは牧場敷地のほぼ北端だ。墓の傍には、このおけいさんの墓を建てた会津藩士桜井松之助の石碑も建てられている。“会津士魂 よくきたね、よく来らたっならし”との碑文が添えられる。
実は墓へ続く遊歩道は枝分かれしていて、その先には神社のような建屋や日本庭園風のエリアも見えたのだが、特別に入場を許してもらった立場としてあまりウロチョロしては申し訳ないと思い、墓を参ったのちはすぐに引き返した。帰り道、牛は筆者への興味を完全に失ったようで、真剣な表情で草を食べていた。はっきり言って歴史的経緯や現在の状況を知る分には、現地よりネットで調べた方がずっと有益な情報がある。おけいさんについて、桜井松之助氏について、その他の移民やその子孫の人たちについて・・・後にネットからたくさんのことを勉強できた。しかしここを訪ねて良かったと筆者は思っている。おけいさんの墓では正直に自分の出身地を白状し、でも頑張りますと伝えておいた。さて、このワカマツ・ファームはAmerican River Conservancyという非営利自然環境教育団体に管理されているようで、ツアーもその団体を通して行うようだ。筆者のように運良く白人女性に声をかけてもらえなければ、墓参りは叶わない。読者諸氏が興味を持ったなら、予約しておく方がいいいだろう。
このコロニーの詳細は以下の通りだ。参考にしてもらいたい。
①アクセス
ワカマツ・コロニーはサクラメントから20マイルほど東にあるゴールド・ヒルという名の場所にある。そこはストックトン市から1~2時間程度のドライブで着くが、自動車専用道路の50号線を下りてからの乾いた丘陵地を走るうねり路が長く、サン・ホゼ市から4時間近く運転していると、到着したころには疲れが出始めている。農場の納屋に『WAKAMATSU FARM』と看板がついているので見つけられるものの、それ以外は通りに並ぶ他の農場と違いがないので、GPSがなければ見過ごしてしまいそうだ。看板には“イベントやツアーの駐車場はこの先”との表記もある。100メートルほど進むと確かにゲートがあったが、門扉が閉じられていた。筆者はとりあえず門扉手前のふところ部に車を停めて、納屋の方へ歩いて戻ってみた。周囲は鄙びた農村地である。
②ワカマツファーム
ファームの中の様子はやはり普通の農家のようだ。人々の住む家屋や農機具の保管庫などが並んでいる。だが入口周辺のやや古びた建物には、若松コロニー時代を説明している看板があったりするので、『きっと市民に公開されているのだろう』という期待を込めて侵入してみることにした。銃社会アメリカにおけるこういった侵入行為は、90年代の服部剛丈(YOSHI)君の事件もあるし、慎重であるべきだ。特にこっちは怪しい30代独身日本式サラリーマンなので、相手に誤解を与える可能性は高いと言える。だが『日系男子が日系移民の史跡を訪ねているのだから、さすがに大丈夫だろう』と高をくくったのだ。
③ワカマツファームへ侵入
看板には会津赤松からやってきた人々の経緯についての説明書きや、残されていた写真などが載っている。写真の中の西洋スーツ姿の人々を見ると、黒人奴隷や中国人苦力などとは違いいくらか資産を持ってきた人々なのではと推察された。看板や建屋を眺めていると、奥の民家の前で数人の人が集まって何やら話し込んでいるのが見えた。怪しまれないように笑顔で手を振ると、振り返されたので、とりあえず安心である。しかし他に特段見るべきものはもうないようだ。せっかく4時間もかけてやってきたのに少々がっかりだと思いつつも、周囲の景色を眺めつつ、海を渡ってやってきた当時の人々のことを考えていると、農作業姿の若い白人女性が近づいてきた。『怪しいものではありません。日系移民が初めて来たところというので、訪ねてみました』と伝える。
④おけいさんの墓
その女性は、『墓を訪ねたいか』と尋ねてきた。『普段は予約制のツアーしか受け付けていないのだが、せっかく来てもらったのだから・・案内はできないが、自分の足で歩いて行ってもらうなら構わない』とのありがたいオファーであった。女性の指示に従って敷地内の遊歩道を歩く。そこは広い牧場になっていて、牛たちがじっとこちらを見ている。のどかな牧草風景と樹々と、そして青空にはイワシ雲が広がり、とても気持ちがいい。丘陵地の向こうには低い山々が見える。10分程度歩くと墓がある。そこは牧場敷地のほぼ北端だ。墓の傍には、このおけいさんの墓を建てた会津藩士桜井松之助の石碑も建てられている。“会津士魂 よくきたね、よく来らたっならし”との碑文が添えられる。
実は墓へ続く遊歩道は枝分かれしていて、その先には神社のような建屋や日本庭園風のエリアも見えたのだが、特別に入場を許してもらった立場としてあまりウロチョロしては申し訳ないと思い、墓を参ったのちはすぐに引き返した。帰り道、牛は筆者への興味を完全に失ったようで、真剣な表情で草を食べていた。はっきり言って歴史的経緯や現在の状況を知る分には、現地よりネットで調べた方がずっと有益な情報がある。おけいさんについて、桜井松之助氏について、その他の移民やその子孫の人たちについて・・・後にネットからたくさんのことを勉強できた。しかしここを訪ねて良かったと筆者は思っている。おけいさんの墓では正直に自分の出身地を白状し、でも頑張りますと伝えておいた。さて、このワカマツ・ファームはAmerican River Conservancyという非営利自然環境教育団体に管理されているようで、ツアーもその団体を通して行うようだ。筆者のように運良く白人女性に声をかけてもらえなければ、墓参りは叶わない。読者諸氏が興味を持ったなら、予約しておく方がいいいだろう。