鈍足親父の独り言

50歳目前でジョギングを始めた鈍足な親父が

ランネタを中心に日常生活を思いつくままに綴った徒然日記

祭りのあと

2019-10-29 | 各地で走る
♫ 祭りのあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら・・・

壱岐ウルトラマラソンというお祭りから早くも1週間以上が過ぎました。
この間も一応走っていましたよ。^_^
その距離は・・・100.4km,壱岐の1日分(笑)




通勤ジョグ:3.2km×3回

10/20(日)
実家の裏山,プチトレイル4.8km

10/23(水)
夜のLSDは茂原方面へ 31.5km
茂原公園,夜の弁天堂




茂原市の夜景




※ 25日の豪雨で私が住む緑区でも土砂崩れによる犠牲者が出ました。また,ここ茂原市も大きな被害を受けています。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに一日も早い復旧を祈ります。


10/26(土)
昭和の森公園,夕焼けラン18.3km




昭和の森の某所からは,まるで燃えているかのような富士山が見えました。






10月も下旬だというのに紅花栃の木の花が咲いています。




10/27(日)
昭和の森公園,ガチゆる走17.1km








「神社用のご朱印帳貸してね」と蛇窪神社(東京の白蛇さま)のを持って出かけた奥さん,結局お詣りした先で自分用のご朱印帳を買ったらしい・・・^_^
ついにご朱印ガールになるつもりかな?^_^






10/29(火)
東京ベイエリア19.1km






豊洲から見る久しぶりのレインボーブリッジです。ドラマの撮影(右下)もやっていました。




都会の夜景はやっぱり綺麗ですねー








黄金のGTRが・・・,ボルト選手に贈ったものと同じもの?




ラブワゴンも・・・,あいのりってまだやってるのかな?




ユニコーンガンダムも・・・




こんなに綺麗で楽しめるコースなのに,出会ったランナーさんはわずかにおふたりだけ・・・(前半はシャワーランだったからかな?^_^)

壱岐ウルトラマラソン2019

2019-10-24 | 大会レポ(ウルトラ)



故郷 壱岐の島をほぼ一周する「壱岐ウルトラマラソン(100km)」に参加してきました。2年ぶり3回目の参加になります。

コースはこんな感じで,ぐるりと名所旧跡を辿るような設定になっています。




壱岐は最高峰でも岳ノ辻の212.8mで,お盆を伏せたような平らな島ですが,100kmも走るとなるとそれなり(以上)にアップダウンがあります。
コースの最大標高差130m,累積獲得標高D+1,323m



【結 果】
12時間59分51秒(総合156位 年代別11位)
《参 考》
第1回:13時間40分01秒
第2回: 11時間48分50秒
第3回:不参加


完走率の推移(2019.10.31追記)
今回の完走率は,50km:86.9%,100km:68.1%,
全体で74.3%だったようです。

〈参考〉これまでの状況










◯スタート前

今回は,最近定番になりつつある「にわとり」で走ります。




坐骨神経痛からくる下肢の痺れはどうしようもありませんが,膝の痛み軽減のためにテーピングだけは施します。

持ち物は,スマホ,モバイルバッテリーとハンドライト(閃),そして補給食として mag-on(3袋),STC-FINISH(悪魔のジェル),STC-PERF,黒糖わらび餅(1袋),さらに念のためのコムレケア(1回分)・・・STCはもったいなくて使わずじまいでした(笑)。
なお,スタート前にSTC-NO-CRANP(攣り予防)とSTC-BCAA(筋肉痛抑制)を1本ずつ投入しています。

スタート前にお会いした大阪から参加のじゅりーさん,そして長野から参加のりえさんは第1回大会で初めてお会いした方々です。
スポーツアドバイザーのじゅりーさんは,昨年の大阪マラソンで「吉本女子陸上部」(末成由美さん・福本愛菜ちゃん・和田ちゃん・小林ゆうちゃん)の4人を完走に導いた完走請負人です。^_^ 今年も福本愛菜ちゃんのサポートをされるようです。




壱岐ウルトラが大好きというブロ友のBASS@Jさんは4回目の参加で皆勤賞です。




そして初めましての福岡のひまりんさんは,なんとワラーチで走られます。




大会MCは今年もこの方「絶叫MC SAYURI」さん!スタート時もゴールのときもランナーにパワーを与えてくださいます。
目立たないようにしていたはずなのに・・・,今回もインタビューを受けることに・・・(汗)




中学校の大先輩,壱岐未来座のD肥座長さんも100kmにチャレンジされます。スタート前にお会いできればと思っていましたが(お礼も言いたかったし・・・),残念ながらお見つけすることができませんでした((>_<))。


◯〜10km:57:47(57:47)

午前5時,長崎から博多経由で深夜に帰島された白川壱岐市長の号砲で一斉にスタートします。あまり関係ありませんがスタートロスは13秒でした。
キロ6分の予定でしたが,和歌山から参加の「よなきや」さんのTシャツを着た方とFM橋本の真理ちゃんのことなどを話しながら走っているとちょっと速くなってしまいました。

この時期の朝の5時はまだ真っ暗です。私は自分でライトを用意していましたが,大会側からもハンドライトが無料で貸し出されていました。さらに道路に置き型のライトを約20mおきに設置することでランナーの安全が確保されていました。

スタートして3kmも走ると上りが始まります。ここでじゅりーさんと一緒になり,付かず離れずで走ったため,ペースを落とすことができませんでした。
結局10kmの通過は予定より2分以上早くなってしまいました,これが後々に響いたのかもしれません。


◯〜20km:1:59:27(1:01:40)

10kmを過ぎるとコースは上り基調になります。その長い坂を登りきると左に半城湾を見おろす展望所に設置された御津ノ辻エイドです。
エイドに向かって淡々と走るじゅりーさん,なんと総合5位入賞です。




ここでスタート前に忘れていたトイレにお邪魔しました。ここからは黒崎半島入口まで下って,奇岩「猿岩」のエイドを目指します。

猿岩エイド到着,おにぎりと味噌汁をいただきました。




記念の写真も




従兄弟は,コース上を移動しながら動画や写真を撮影しています(大会公式カメラマンかな?)。




◯〜30km:3:02:55(1:03:28)

黒崎半島から「壱岐優介ジョギングロード」の坂を下り,1,500年以上の歴史を持つ古湯,湯ノ本温泉の街から生まれ故郷の勝本に向かいます。

サンドーム壱岐のエイドを過ぎると,前半の難所銀台の坂です。道路の対向車線に車にはねられたか,鼬が息絶えていたので,誘導スタッフに「都会の方は嫌がるだろうから,片付けてもらったほうがいいよ。」と声をかけておきました。

坂を上りきると勝本第七分団格納庫エイドです。ここには母親と弟夫婦が待機していて「ロキソニン」を差し入れてくれました(笑)。・・・持ってくるはずが,実家に忘れていました。 ^^;

エイドを過ぎて田園地帯からタンスの海岸方面に向かう途中で,従姉妹が娘さん,お孫さんと一緒に応援してくれました。ありがたいですねー。




◯〜40km:4:09:59(1:07:04)

30km過ぎの坂を上っていると,一人倒れた人をお仲間か?お二人で介抱されている現場に遭遇しました。
どうしたのか?聞くと,足が攣って走れなくなったとのこと。
エアサロを持っていないか?聞かれましたが,さすがにそれはないので,とりあえずこれを飲んで,エイドも近いのでそこまで頑張ってと,Mag-on とコムレケアを渡しておきました。・・・その後会ってないけど大丈夫だったかな?

島の北部,勝本町の馬場先では今年も中学の大先輩 徳さん(マルミ海産物)がフライキ(大漁旗)を振っての応援です。元漁師とはいえ,何時間も振り続けるのはたいへんだと思います。徳さんにはかざはやの桜守りまでやっていただいてありがたいことです。




神功皇后ゆかりの聖母宮の前からちょっと狭い勝本浦中通りを走ります。12日から15日にかけて聖母宮の例大祭,港まつりと賑わった勝本浦ですが,今日も町のおんちゃんやおばしゃんたちが通りの両側から声をかけてくださいます。

中通りから浜通りに出たところで「◯◯さん,写真!」と言って撮ってくれたのはどなただったのでしょう?(写真はS條さんからいただきました。)




おもてなしエイドの辰の島渡船場では,ドラゴンTにも気づいたいただけました(笑)。ここでしか手に入らないTシャツです。

イルカパークの手前,天ケ原には母親の友人riyoちゃんおばさんが駆けつけてくれていました。




壱岐イルカパーク&リゾートのみなさんの応援です。




天が原,子供のころはこのあたりの海岸でもよく泳いでいました。当時はこんな立派な道はなく,潮が満ちて海岸を歩けない場合ときは山越えしていました。




天が原のエイドでは,母親がよく効くというドリンク「気美人」を携えて待っていました。

さらにその先では,フィアンセを連れてきた甥っ子がその彼女と一緒に応援してくれます。写真もありがとうね。




天ケ原からまた勝本浦まで戻り,そこから坂(勝中坂)を上りますが,案の定足が痺れて思うようには走れません。
母校の勝本中学校では部活中の後輩たちから声援を受け,さらに霞翠(かすい)小学校前を通過します。その先で小・中・高の同級生U村くん(元中学駅伝部)を発見,私が走ることは知らなかったようですが,ランナーさんに声をかけながらの応援です。




◯〜50km:5:23:14(1:13:15)

平川橋の40km地点からレストステーションまでの10kmは,若干のアップダウンはあるものの比較的平坦なコースが続きますが,痺れとだるさでペースもどんどん落ちてきました。

三軒茶屋先のエイドでワラーチのひまりんさんが追いついてこられました。さすがです,上りであろうと淡々と足を進めていかれます。総合7位入賞,それもワラーチで!!

いよいよストレッチが必要になってきました。

10時23分,昨年より10分遅れて50kmのレストステーションに到着しました。
カレーをいただきながら,先に到着されていたひまりんさんや,品川病院の療法士さんと話しをしましたが,みなさんこれからの暑さを心配されていました。


◯〜60km:6:52:27(1:29:13)

レストステーションに約10分ほど(だったかな?)滞在してリスタート,

51km手前に同級生の歯医者さんがありますが,通過した時間帯は治療中でした。

ちんちりがんがん祭りの幟が立つ芦辺の町中を過ぎ,清石浜の手前まで来ると今年もブログ友の「おとめさん」が応援してくださいました。^_^

知り合いランナーさんにもパワーを送ってもらおうと,こっそり知らせていました。




今年もありがとうございました。




清石浜,綺麗な海水浴場です。


(写真,撮り忘れたので借り物です。)


あと47kmの幟
地元の小学生が作ってくれた距離表示の幟が99本(あと99kmからラスト1km まで)立てられています。絵と応援の言葉に力づけられて前に進めます。


(写真は前日強風のなかで撮ったものです)


左京鼻に向かう八幡半島の道路は,風が強く左を走っていても風で道路右側に体ごと持って行かれそうな風でした。でも,海はこんなに綺麗です。天気も回復してやはり暑くなりそうです。
ここで早くも50km(11時スタート)のトップ選手(K下さんかな?)に抜かされました。

そして,少し前から兆候がありましたが,足が攣り始めました。これまでウルトラで足が攣ったことはほとんどなかったのですが・・・
そうだ,コムレケアを投入! と思ったら30km付近で足攣りのランナーさんに進呈していたのでした(汗)。
とりあえずMag-onで様子をみます。




左京鼻も少し時化ています。




◯〜70km:8:19:36(1:27:09)

後半持ち直すことができればまだ11時間台もと思ったりもしましたが,この足の状態ではとてもとても・・・60km過ぎの漁民研修センターエイドではしばらく椅子に座らせていただきました。

干潮時になると海が割れて参道が表れるパワースポットとしても人気の壱岐のモン・サン・ミッシェル「小島神社」です。




昨日の夕方お詣りしたときはこんな感じでした。




小島神社を過ぎて上りにかかるころ,親父さーん!と50kmの部のゆきごんさんが追いついてこられました。しばらく喋りながら走りましたが,とても同じペースでは走れないので先に行ってもらいました。ただでは帰らないゆきごんさん,年代別3位入賞です。

そのあとしばらくは「牛さん」と一緒に走りましたが,やはり付いていけないので先に行ってもらいます。

そこからひとつ山を越えると長崎県で2番目に広い「深江田原平野」が広がっています。その中心地が弥生時代の遺跡,「原の辻」です。
壱岐のゆるキャラ「人面石くん」のモデル「人面石」もこの遺跡から発掘されました。

広くフラットな深江田原を走り,70kmが近づくころにはもう走り続けることも叶わず,走る-歩く-止まる-ストレッチ-歩く-走るの繰り返しになってきました。


◯〜80km:9:49:20(1:29:44)

70kmを過ぎ原の辻と別れるあたりでなんとアキレス腱が攣りました。アキレス腱が攣るものとは知りませんでしたが,よほど負担がかかっていたのでしょうね。

73.6kmの安川建設エイドでは,それまで順調に走られていた外国の女性ランナーさんがリタイアを申し出ていらっしゃいました。やはり暑さからの熱中症でしょうか?

山崎地区は子供の頃もほとんど炎がありませんでしたが,町のそこここで沢山の方が応援してくださいます。ここ山崎エイドのボランティア中学生たちは,ランナー全員をナンバーカードに書いたニックネームで声をかけてくれます。
エイドを出て,激坂をヘロヘロになりながら上ると塩津浜に到着します。

この付近の海岸にはかつて大量のイルカが迷い込んで息絶えてしまったことから,この海岸に沿った道路は「イルカの涙道」と名付けられ,浜に供養塔も立てられています。




筒城の漁港に入りなんとかあと20kmになりましたが・・・前回からはすでに1時間も遅れています。


◯〜90km:11:32:04(1:42:44)

筒城のキャンプ場に到着したところで,ついに芝生の上に横になってしまいました。脱水が進んだのかどうも熱中症気味です。

それでもなんとか立ち上がってエイドに向かっていると,
「◯◯◯,大丈夫?」
と言う声が聞こえてきました。
なんとここにも従兄弟(同級生)が待っていました。ここで不本意ながらにわとりを諦めることにし,実家まで届けてもらうよう頼んで従兄弟に預けました。

あとで聞いたら,足も攣ってかなり危なそうな様子だったので,無理にでも車に押し込んで連れ帰ろうかと思ったらしいです。^^;

ここからゴールまでは写真もありません。

ほとんど歩きで筒城小学校エイドに到着,ここでもしばらく椅子に寝ていたようです。
あとで見たら,このころに「ゴールは制限時間ギリギリかもしかしたらアウトになるかも」というメッセージを実家族ライングループに入れていました。

このエイドを過ぎてからは,リタイアを考える余裕さえありませんでした。
錦浜エイドを過ぎると激坂が続きますが,完全に歩きです。さらに吐き気までもよおしてきました。
が,
胃には吐くものもないのか,水分さえもでません。^^;

マリンパルのエイドを出て再びみたび坂を上りきると久喜の漁港が見えてきます。ここからの下り坂は少しでも時間を稼ぐため足が攣ってでも走ります。坂の途中が90km地点です。


◯〜100km:12:59:51(1:27:47)

地元のみなさんの声援を背に久喜エイドスタートしたころになって,やっと完走に自信が持てたのか,ライングループに 久喜到着!とメッセージを入れていました。

いよいよこのコース最大の難所に突入です。激坂が3段,4段と繰り返し襲ってくる約5kmの上り坂です。

第1の坂をクリアし,当田ダムのエイドまできたときに12時間台いけるかも・・・と根拠もなしに思ったりもしていました。

激坂はほとんど歩きでしたが,なんとか若松公民館に到着。ここからしばらくゆるい上りが続き,岳の辻入口からのラスト3kmはほぼ下りになります。ペースアップといきたいところですが,再びふくらはぎとアキレス腱が攣ってしまいました。
それでもストレッチで適当に伸ばしたあとは一気に下っていきます。

郷ノ浦大橋を渡って郷ノ浦トンネルに入るとMC-SAYURIさんの声が聞こえてきます。
最初はたしかに本名を呼んでいらっしゃいましたが,そのうちに「鈍足親父さ〜ん!」に変わっていました(笑)。
SAYURIさんとタッチを交わしてゴールテープを切り親父の故郷の島一周100kmの旅が終わりました。
終盤は時計を何度も見ながらでしたが,なんとか,なんとか,12時間台でフィニッシュすることができたようです。

ゴールシーンの写真はありませんが,ゴール後コースに一礼




このあと攣りの辛さに耐えきれず倒れ込んでしまったら,スタッフの方がやってこられて 「救急車呼びましょう! 」と言われるほど情けない姿を晒していました。
もちろん,「大丈夫です!」と丁寧にお断りしました。^^;


ちょっと元気になりました(笑)。




ゴールで待っていた母親と弟(スタッフのひとり)夫婦,そして甥っ子とその彼女
最後までありがとう!




スタッフ,地元中学生を始めエイドなどのボランティアのみなさん,そしてなにより島の方々の熱く暖かい応援に背中を押していただいて,苦しみながらもゴールにたどり着くことができました。家族・親戚そして一緒に走ったランナーさんも含めて全ての関係者のみなさんに感謝します。
いつかは自己ベストは無理としても,なんとかサブ11はやりたいなー・・・


神々の住む島

2019-10-22 | お出かけ
〜ウルトラのレポの前に〜

「第4回壱岐ウルトラマラソン」が開催される故郷壱岐の島は,神社庁に登録された神社だけでも150社,それ以外のものを含めるとその数は1,000社を超え,「神々の住む島」などと呼ばれています。
このうち「延喜式」に記載された式内社が24社,九州全体の式内社が109社ということを考えると壱岐の神社密度の高さがわかります。

このように神社がたいへん多い島ですが,お寺も少なくはないですよ。現在島内には35寺あり,そのうちの27寺が禅宗系(曹洞宗17寺・臨済宗10寺)ということです。ちなみに私の実家は,臨済宗大徳寺派(二等地)東光寺の檀家になっています。

話しを神社に戻して・・・,最近はご朱印帳を手にした神社女子の来島も多いようです。そんなみなさんのためにいくつかの神社巡りのプランが用意されています。昔はそんなものはありませんでしたね。^^;

◯七社巡り:壱岐の正月は,三社参りではなく七社参りです(実は知りませんでした ^^;)。住吉神社→本宮八幡神社→聖母宮→箱崎八幡神社→國片主神社→興神社→白沙八幡神社

◯パワースポット巡り:男嶽神社→女嶽神社→月讀神社→爾自神社→小島神社→塞神社

◯四十二社巡り:風の路・海の路・里の路・山の路と4つのコースが用意されています。

せっかくなのでフェリーが着いた港から実家に戻る途中,お詣りして100km完走のお願いをしてきました。

その前に・・・,
この春にオープンした漁師レストラン「かもめの朝ごはん」さんでお昼をいただきます。
注文したのは「まぐろカツ丼」,壱岐産の近海まぐろの大きなカツが載って800円!
すぐ横の郷ノ浦漁協セリ市場から入る新鮮な魚介類の朝ごはん(昼ごはん)バイキングが人気のお店です。






お腹を満たしたのちにお詣りしたのはパワースポットのひとつ「月讀神社」です。




(このあたりは,あおぞらさんの専門分野ですが・・・^^;)

古事記によると,黄泉の国から帰った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の左目から生まれた天照大神(あまてらすおおみかみ),右目から生まれた月讀命(つくよみのみこと),鼻から生まれた素戔嗚尊(すさのおのみこと)を日本の三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ぶそうです。
そして,天照大神は伊勢神宮(内宮)に,素戔嗚尊は出雲(須佐神社)にそれぞれ祀られ,月讀命が祀られているのがここ壱岐の島です。
京都市西京区にある月讀神社は,忍見宿弥(おしみのすくね)により487年に壱岐から分霊されたもので,これにより日本の中央に古神道が根付いたことから,その元宮である壱岐の月讀神社を「日本神道発祥の地」とする説もあるほどなんですね〜。

伊勢(伊勢神宮・内宮)や出雲(須佐神社)に比べればずいぶんと小さな神社ですが,どこか威厳も感じます。
階段を上がった正面に「月讀命」が




境内右手の赤い鳥居の右に月弓命,左に月夜見命がそれぞれ祀られています。この三柱はいずれも同神です。



【月讀神社由緒 より】
◯月讀命:讀むというのは月齢を数えることであり,日を数えるのは暦(大陰暦)である。したがって月讀と,稲作,潮の満ち干とはたいへん深い関係がある。

◯月夜見命:月夜というのは単に月のことである。月は夜出るわけであるから月夜といった。見は心霊を表す。したがってこの見は月を神格化した。

◯月弓命:三日月は弓の形をしている。そこから月讀が月弓に音が変化するのに伴って漢字も弓が当てられた。


神社裏手には磐座があり,これが月讀神社の「元」だそうです。




久しぶりの参拝だったのでご朱印もいただきました。




神社を後に途中本屋さんに寄り,今回手に入れたかった本を無事ゲット!
こんな本ですからこの島の本屋さんにしか売っていません。^^;





島を離れて数十年,使わなくてなるとだんだん忘れてきますが,やはり故郷の香りがする言葉は大事にしたいものです。

その足で「ブティック・ヒグチ」さんを訪れ,IKI MAP Tシャツを入手,素材がコットンなのでさすがにウルトラで着るにはちょっと躊躇われます。社長に次はドライでお願いします。と伝えておきました(笑)。

樋口社長は,高校の後輩です。年明けには壱岐の島新春マラソンに参加の予定だそうです。




これがあれば地図やガイドブックがなくても,島の観光名所を廻ることができます。ただ問題は,プリントが背中だけなので自分で見ることができない・・・(><)




実家に戻り母としばらく話しをして,地元町内の神社まで出かけました。




例大祭を終えたばかりでお詣りの方も少なくひっそりしている「聖母宮」です。
ここ聖母宮は,神功皇后の三韓征伐に因む神社で,征伐に勝利したことから勝負の神様として知られています。また,皇后がこの地で応神天皇を身籠り凱旋後に無事に出産したことから安産の神様としても知られています。
祭神は「息長足姫尊(神功皇后)」,「足仲彦尊(仲哀天皇)」,そして「上筒男尊」,「仲筒男尊」,「底筒男尊」の住吉三神です。

宮司さんも奥様も不在でご朱印をいただくことはできませんでした。

10月は,12日例祭,14日例大祭,そして15日勝本港祭りと長崎県でも有数の漁業の町が賑やかになります。
例祭の模様(写真は借り物です)。今年の宮世話人には同級生が二人います。






15日の港祭りのメインは,漁船による海上パレードと陸上での仮装行列なのですが,今年は時化のため海上パレードは中止となったようです。


この日の夜はウルトラマラソン前夜祭です。会場に向かう途中,毎回52km過ぎで応援してくださる「おとめさん」に挨拶をと訪れましたがこちらも不在・・・
こんな手作りボードまで用意してくださいます(マラソン当日に撮影),ありがたいことです。




時間を確認してもしかしたらと思い,内海湾に浮かぶ壱岐のモン・サン・ミッシェル「小島神社」へ・・・

この神社,通常は海中に鳥居が浮かんでいるだけにしか見えませんが,干潮時に海が割れ参道が現れて,一日のうち数時間だけお詣りができる神社です。
島全体が聖域のため,枝一本,小石ひとつも持ち帰ることはできません。




海が割れるのよ〜 道ができるのよ〜・・・




おー,干潮!ちょうどいいタイミングで到着しました。
約150mほどの海の道を歩き,島の裏手からの道を上ってお詣りします。
祭神は「素戔嗚尊」






この写真は翌日のレース中に撮ったものですが,潮が満ちるとこんな状態なので,のんびりしていると帰れなくなります(笑)。




もう一ヶ所,島の最高峰「岳の辻(212.8m)」に寄り道,天気がいいと島全体が見渡せるのですが,この日はあいにくの雨・・・

ある方の説によると,全国の龍が年に3か月間この壱岐に集まるのだそうです。壱岐には龍が住んでいると言われ,龍に関する伝説やスポットも多く存在しています。その中のひとつ「龍光大神(祭神は龍神)」がここ島の最高峰の地にあります。




鳥居と小さな祠がある程度の神社ですが,そこに立つ龍神は,なんと7つの爪を持っています。




龍の像や絵を見ると通常爪は3本ですが,中国では所有者の身分に拠って爪の数が異なるようで,3本の龍=庶民,4本の龍=貴(皇)族,5本の龍=皇帝 とされているのだそうです。日本の龍は,中国でもまだ3本爪が一般的で前述のような区分がないころに伝わってきたため3本が多いのだとか・・・
ところがここの龍は7本・・・,全国の龍が集まる訳はこのへんなのかな?笑



すぐ側には狼煙台が・・・,有事の際には,狼煙を使って 対馬→壱岐→九州(太宰府)→・・・大和朝廷 と報せが行ったのでしょうね。




18時からの前夜祭は「壱岐焼酎で乾杯」で始まり,壱岐牛や地鶏,郷土料理のひきとおし,うに飯のおにぎり(うにぎり),壱州豆腐などをいただいたり,子供達のダンスを楽しんだり,お久しぶりのランナーさんにお会いしたりとあっという間の時間でした。










あれっ,中学の同級生・・・^_^




本来ならホスト側の主役である(白川)壱岐市長は,出張先の長崎からの飛行機が欠航したため無念の欠席・・・しかし,長崎から福岡に移動して深夜0時発のフェリーで真夜中に帰島し翌朝の開会式にはちゃんと間に合ってスターターを務めていらっしゃいました。




長崎からのランナーさんも,同様の手段で来島されたようですが,
この方たち,ほとんど寝る間もなく100kmレースに挑まれました。
そのうちのひとり じゅりーさん,淡々と走って5位入賞,さすがでした。

ウルトラマラソン本編は,また後日・・・^^;

壱岐ウルトラマラソン(遅報)

2019-10-21 | 大会レポ(ウルトラ)
第4回壱岐ウルトラマラソン(100km),道中いろいろありましたが,前回より1時間以上遅くにボロ雑巾状態でなんとかゴールにたどり着きました。
応援いただいたみなさん,島のみなさんありがとうございました。

記録:12時間59分51秒




あと二日・・・

2019-10-17 | 四方山話
今般の台風19号により被災された皆さま,お見舞い申しあげます。ニュースなどを見ていると各地で甚大な災害となっており,復旧にも時間を要する模様ですが,一日も早く以前の生活が取り戻せますことをお祈りします。
わが家もあれこれと備えておりましたが(大したことはやってませんが ^^;),幸いなことに大した被害もなくやり過ごすことができました。

倒れるとお隣りさんに迷惑をかけそうな木を2本ほど切っていました。




被災者のみなさんがたいへんな思いをされているのに「マラソンか!」と言われそうですが,予定どおり土曜日に開催される「神々の島 壱岐ウルトラマラソン」に参加してきます。
生まれ故郷の島興しに少しでも貢献できればいいかなという思いと,82歳になる母親のご機嫌うかがいを兼ねての帰省です。




少し前までは,(大して練習もしていませんが)前回の11時間48分を少しでも短縮して,できれば11時間20分切りなどと皮算用をしていましたが・・・,ここにきてこれまでの腰の痛みや下肢の痺れに加えて(特に右)膝の痛みが気になるようになり,目標は「時間内完走」に下方修正します。(と,走る前からいい訳・・・^^;)

〜捕らぬ狸の皮算用〜




こんなのを作ってもレースの途中で見たことはほとんどありません(汗)。




一応走ることはできるのですが,膝蓋骨周辺を押すとかなり痛みます。
しかし,走るより歩いているほうが痛みをより強く感じるのはなぜなんでしょうね?

島の人やこの大会で知り合ったウルトラランナーのみなさんに会えるのを楽しみに行けるところまで行ってみます。

台風の強風に耐えて庭で花を咲かせています。

ホトトギス




金木犀




ソラナムパンプキン(茄子ですけど ^^;)




日曜日の昭和の森は,台風一過で綺麗な青空が広がっていました。




桜の木




尾花


眼 鏡 橋

2019-10-10 | 四方山話
昨日の仕事帰りに見た風景は,黄昏時らしい黄昏時でした。




この写真は,気にはなっていましたが今まで通ったことがなかった(通る必要もなかった)「蘇我北跨線道路橋(蘇我北陸橋)」の上から撮ったものです。

蘇我駅から北へ200mくらいのところにある跨線橋で,幹線道路に連絡しているわけでもなく,はっきり言って「必要なの?」と思ってしまうような橋です(笑)。
下からみるとこんな感じ・・・(暗くてよくわかりませんね ^^;)




これを上空から見ると




あれっ,何かに見えませんか?
えっ,フルタのハイエイトチョコ?たしかに似ていますね。まぁ,それと似たようなものですが私には「眼鏡」に見えるんですよね・・・,ただ,これを「眼鏡陸橋」とか「眼鏡橋」とかと呼ばれているということは聞いたことはありません(笑)。

以前居た大阪に「千本松大橋」という大きなループ橋があります。なみはや大橋とセットで走ったこともありますが,こちらの橋は市民からも「めがね橋」と呼ばれて親しまれているんですよね。




なのでこちらは,今日から蘇我の眼鏡陸橋と呼びましょう!(笑)


一般には石造2連アーチの橋を「眼鏡橋」と呼び,全国にも数多く存在しているようですが,九州長崎県生まれの私がすぐに思い浮かべるのは,長崎市中島川の「眼鏡橋」と諫早公園の「眼鏡橋」です。

全国的にも一番知られているのが中島川の眼鏡橋でしょう。1634年興福寺の2代目住職,黙子如定(中国より来日)により架けられた日本最初の石造アーチ橋です。
長崎勤務時代に中島川を遡ったときの写真です。




諫早の眼鏡橋は,本来本明川に架けられていましたが,1957年の諫早大水害のあと,1960年に今の諫早公園に移設されました。石橋としては日本で最初に重要文化財に指定されています。


(写真は借り物です)


2連アーチ以外の単アーチや3連アーチ以上のものも広義には眼鏡橋と呼ぶようです。たしかに以前旅行で行った熊本の通潤橋も眼鏡橋と呼ばれていましたね。


(写真は借り物です)


実は千葉県にも眼鏡橋があります。南房総市の長尾川に架かる石造3連アーチの「眺尾橋」です。


(写真は借り物です)


この週末はハセツネ,KOUMI100,宮城復興マラソンなど大きな大会が予定されていますが,超大型台風19号の関東接近あるいは上陸も予想されており,大会の開催自体が心配されますね。SAJさん主催の「奥武蔵もろやま/よこぜ往還マラソン」はすでに中止が発表されています。

また,南房総市をはじめ千葉県各地は先月15号台風でも大きな被害を受け,未だに復旧半ばのところが多くありますので,弱り目に祟り目とならないことを祈りたいと思います。

みなさんも備えは大丈夫ですか?私はとりあえずガソリンを満タンにしました。
くれぐれもご安全に!

神無月に

2019-10-01 | 千葉を走る(昭和の森)
早いもので今日から10月,今年もオクトーバーランというのが話題になっているようなので,よく分かっていませんが初めてエントリーしてみました。
ということで,今朝はちょっと早起きして昭和の森を走ってきました。




走り終える頃には朝焼けが綺麗でした。




ススキと秋の空,滝汗でしたが心地よく走れました。




今月はウルトラ対策がメインかな?
ただ,両膝(膝蓋骨)がちょっとやばいかも・・・,走っているときはあまり気にならないのですが,なぜだか歩くとき,特に階段を上るときにズキズキ痛みます。
まぁ,考えてもしょうがないので美味しい季節のものでもいただきます。^_^




めくったカレンダーの写真(秋吉台)に加ト語録カレンダーを重ねてみました。




そういえばUTMFの要項が公表されたようですね。エントリーに必要なITRAポイントは「12」から「10」に変更されたようです。それでも2ポイント足りません。あっ,仮に足りたとしてもエントリーはしませんよ,はい。^^;


UTMFポイント計算機より by HENRY王子さん