今回の撮影画像が前回に比べて少ないのは、コンデジを購入して初めてのテストも兼ねてるからです。公開している画像は、携帯電話で撮影した画像のみ。後はコンデジに撮りっぱなしとなってます。一度画像を確認せねば…と思いつつ、放置してます。
イカンなあ~。精密機器というのは、テストをちゃんとしないと、初期不良というのもあるのでな。
でも面倒臭いんだも~ん。ってな事で放置。
今日は赤坂迎賓館の北側から撮影した画像を載せます。
迎賓館の石畳はゴツゴツしています。…あんまりゴツゴツなので、わざと?だって酷いんです。ハイヒールならば、ヒールに傷がつくレベル。
そう言えば、迎賓館の玄関も国宝でした。どの玄関がそうなのか??
こっちは、道路に面してる入口玄関。あ。参観の入口はこちらではなく、西側です。身分証明書を提示した上で、持ち物検査がありました。受付証は、当選ハガキで変えられます。リストと照合して、ハガキは回収されてしまいました。
迎賓館に続くプロムナード。左右に並ぶ低い木は松です。松って洋館にもマッチするのですね。…確か、皇居の前にも、松が整然と並んでます。これまた綺麗なんですよね。
上の画像の左手は、赤坂迎賓館の和館とヘリポートがあります。こちらは非公開。洋館も公開されてるのは2階のみでして、階下の部屋やホールは一般には非公開となってます。一部、御付きの人の部屋だけ、南面の庭から覗き見出来ました。
さて。赤坂迎賓館参観のついでに、歴史散歩をします。
こちらは、迎賓館の和館の入口。東門です。
門のすぐ先に、紀之国坂信号があります。そこを左折して坂を上ります。
そうなのね、この坂は、江戸城の外堀を越える坂なのです。
ふと、右手に堀が見えました。
江戸城の外堀の名残です。左手の堀は埋め立てられて、現在は上智大学のグラウンドになっています。
埋め立ては、関東大震災の大量のガレキ処理を急いだ時の政府が、外堀をガレキ捨て場に使用したからです。もし江戸城の外堀が今でも完全な形で残っていたら、間違いなく世界遺産に認定されていただろう…。って「ブラタモリ」で言ってたような~。
外堀を眺めつつ渡りきると、江戸城外堀跡 喰違見附がありました。
説明板発見:左手の喰違見付跡は、江戸時代初期の慶長17年(1612)に甲州流兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝わる、江戸城外郭門のひとつです。
へえ~へえ~へえ~~!!残ってたんだぁ~~!!
感動です。
説明板に戻る:通常江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣を巡らしたものとなりますが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入り口)構造となります。
この地域は、二つの谷に挟まれた、江戸城外堀の中では最も高い地形に立地するため、寛永13年(1636)築造の江戸城外郭門に先駆けて、江戸城防御の要として構築されたと考えられます。減債は一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。この遺構は江戸城築城史を捉える意味で重要です。
花の命は短くて(2012年4月10日)の記事こちらに、牛込見附から市ヶ谷見付の間に現在の外堀の様子の画像を掲載しています。注目すべきは高低差です。
関東旅行 ブログランキングへ
あす、9月2日、創作同人誌即売会COMITIAに参加します。
開催場所:東京ビッグサイト 東5・6ホール 11:00-16:00
サークル名:竹里館出版局(ちくりかんしゅっぱんきょく)
サークル配置:たー19a
ジャンル:旅行 です。
今回は、直接参加サークル3368サークル。委託参加サークル88サークルだそうで。
んで、肝心のうちの新刊ですが…。すみません。ありません。在庫を搬入してます。よかったら見に来て下さい~。
え~、「赤坂迎賓館 参観」で検索をかけると、どうもこのブログ記事がヒットするようです。
それはそれで嬉しいのですが、実は記事を一読してわかるように、あんまり詳しく書いてません。なぜなら、既出記事に詳しいのがあるからです。
それは何か?ともうしますと、2010年9月16日ー9月21日の記事です。
ジャンプし易いように一つだけリンクさせておきますと、
迎賓館本館内晩餐の間って(2010年9月17日)の記事 こちらに彩鸞の間と花鳥の間の画像があります。
こんな感じで、迎賓館の内観が少し分かります。少しというのは、中は撮影禁止なんですね。見たけりゃ、参観申込して当てろ!って事ですね。
イカンなあ~。精密機器というのは、テストをちゃんとしないと、初期不良というのもあるのでな。
でも面倒臭いんだも~ん。ってな事で放置。
今日は赤坂迎賓館の北側から撮影した画像を載せます。
迎賓館の石畳はゴツゴツしています。…あんまりゴツゴツなので、わざと?だって酷いんです。ハイヒールならば、ヒールに傷がつくレベル。
そう言えば、迎賓館の玄関も国宝でした。どの玄関がそうなのか??
こっちは、道路に面してる入口玄関。あ。参観の入口はこちらではなく、西側です。身分証明書を提示した上で、持ち物検査がありました。受付証は、当選ハガキで変えられます。リストと照合して、ハガキは回収されてしまいました。
迎賓館に続くプロムナード。左右に並ぶ低い木は松です。松って洋館にもマッチするのですね。…確か、皇居の前にも、松が整然と並んでます。これまた綺麗なんですよね。
上の画像の左手は、赤坂迎賓館の和館とヘリポートがあります。こちらは非公開。洋館も公開されてるのは2階のみでして、階下の部屋やホールは一般には非公開となってます。一部、御付きの人の部屋だけ、南面の庭から覗き見出来ました。
さて。赤坂迎賓館参観のついでに、歴史散歩をします。
こちらは、迎賓館の和館の入口。東門です。
門のすぐ先に、紀之国坂信号があります。そこを左折して坂を上ります。
そうなのね、この坂は、江戸城の外堀を越える坂なのです。
ふと、右手に堀が見えました。
江戸城の外堀の名残です。左手の堀は埋め立てられて、現在は上智大学のグラウンドになっています。
埋め立ては、関東大震災の大量のガレキ処理を急いだ時の政府が、外堀をガレキ捨て場に使用したからです。もし江戸城の外堀が今でも完全な形で残っていたら、間違いなく世界遺産に認定されていただろう…。って「ブラタモリ」で言ってたような~。
外堀を眺めつつ渡りきると、江戸城外堀跡 喰違見附がありました。
説明板発見:左手の喰違見付跡は、江戸時代初期の慶長17年(1612)に甲州流兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝わる、江戸城外郭門のひとつです。
へえ~へえ~へえ~~!!残ってたんだぁ~~!!
感動です。
説明板に戻る:通常江戸城の城門は枡形門と呼ばれる石垣を巡らしたものとなりますが、ここは土塁を前後に延ばして直進を阻むという、戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入り口)構造となります。
この地域は、二つの谷に挟まれた、江戸城外堀の中では最も高い地形に立地するため、寛永13年(1636)築造の江戸城外郭門に先駆けて、江戸城防御の要として構築されたと考えられます。減債は一部土塁が削り取られているものの、その形状は保存されており、往時の様子を留めています。この遺構は江戸城築城史を捉える意味で重要です。
花の命は短くて(2012年4月10日)の記事こちらに、牛込見附から市ヶ谷見付の間に現在の外堀の様子の画像を掲載しています。注目すべきは高低差です。
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あす、9月2日、創作同人誌即売会COMITIAに参加します。
開催場所:東京ビッグサイト 東5・6ホール 11:00-16:00
サークル名:竹里館出版局(ちくりかんしゅっぱんきょく)
サークル配置:たー19a
ジャンル:旅行 です。
今回は、直接参加サークル3368サークル。委託参加サークル88サークルだそうで。
んで、肝心のうちの新刊ですが…。すみません。ありません。在庫を搬入してます。よかったら見に来て下さい~。
え~、「赤坂迎賓館 参観」で検索をかけると、どうもこのブログ記事がヒットするようです。
それはそれで嬉しいのですが、実は記事を一読してわかるように、あんまり詳しく書いてません。なぜなら、既出記事に詳しいのがあるからです。
それは何か?ともうしますと、2010年9月16日ー9月21日の記事です。
ジャンプし易いように一つだけリンクさせておきますと、
迎賓館本館内晩餐の間って(2010年9月17日)の記事 こちらに彩鸞の間と花鳥の間の画像があります。
こんな感じで、迎賓館の内観が少し分かります。少しというのは、中は撮影禁止なんですね。見たけりゃ、参観申込して当てろ!って事ですね。
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