ようやくこの現場に来ました。気が重くて、来るには少し時間が必要でした。
ここは普段からよく通る交差点です。交差点を渡って首都高速池袋線を潜ると雑司が谷に出ます。その坂を下ると鬼子母神があって、更に学習院下の明治通りを下ると高田馬場に出て、そのまま明治通りの坂を上がったら新宿です。あるいは明治通りを都電沿いに左折すると、神田川の遊歩道から早稲田大学に出ます。このように馴染みの交差点です。
あれから2週間近くが経過しました。今でも供物台にはジュースやお花が一杯です。手を合わせました。
ここで若い母親と幼い女の子が亡くなりました。加害者はアクセルを踏みっぱなしで、制御不能になって突っ込んで来た87歳の老人です。
老人が自動車を運転する弊害が叫ばれています。一方で、自動車が無ければ生活が成り立たない過疎地の人々がいます。過疎地で暮らした私の亡父も、「自分が一人で死ぬのは勝手だけど、他人を死なせては取り返しがつかないから」と説得して、やっと止めさせました。その後は妹たちの負担が増えましたが、我々子供たちはそんな負担より他人様に迷惑をかけなくて済んだことに安堵しました。しかしながら、子供等世話をする人がいない老人の生活を担保する国の政策は全くできていません。
せめて、こういった電車やバスの交通網が充実した都会の老人は車の運転を止める決断が必要ではないでしょうか?ましてや、加害者は「上級国民」と揶揄された裕福な人です。タクシーを呼ぶのが面倒だからとの理由だったりで人を死なせては、死んだ人が浮かばれません。
信号が変わって人々が横断します。
あの時のような暴走車はいません。
信号で停止した車内の人が供物台を見ています。やるせないです。
令和の式典に沸く日本の片隅で、不条理に死んでしまった親子を悼む人たちが居ました。
二度とこんな光景は見たくありません。
ご冥福をお祈りいたします。