Bunkamuraル・シネマで「ジャズ・ロフト」を見てきました。
写真家ユージン・スミスと彼と関わりのあったジャズ・ミュージシャンたちを記録したドキュメンタリーです。1950年代半ば、彼が住んでいたマンハッタンのロフトでは、気鋭のジャズ・ミュージシャンたちが夜な夜なジャム・セッションを繰り広げていました。ユージン・スミスは8年間にわたり膨大な量の彼らの写真とジャム・セッションのテープを残しました。刹那的、という言葉がまさに似つかわしい彼らの日々の記録をカメラは淡々と追っていきます…(以下、ネタバレ気味です)。
映画ではロフトを溜まり場にしていたミュージシャン達が紹介されています。セロニアス・モンク、ホール・オーヴァートン、カーラ・ブレイ、ズート・シムズ、…。個人的にはカーラ・ブレイの元気な姿をインタビューで見られたのが嬉しかったです。彼女が若かりし頃、ライブハウスでタバコ売りのバイトをしていたというのは初めて知りました。そこで演奏される曲を聴いて音楽を学び、タバコを所望する客には曲が終わるまで待っとけ、と言っていたとか。姐さん、さすがです…。セロニアス・モンクの当時の写真も。あの指を伸ばして弾く独特のスタイルです。彼がホール・オーヴァートンとタウンホールのコンサートに向けて打ち合わせやリハをする貴重な音源も紹介されていました。ホール・オーヴァートンは天才的な音楽教師で、スティーブ・ライヒのことも教えていたらしく、当時を語るライヒのインタビュー映像も。ユージン・スミスはジャズ・ミュージシャン達のなかでもズート・シムズが特にお気に入りだったようですが、今聴いてもとろけるような音色ですよね。彼の音が聴こえると、ユージン・スミスは決まってどこからともなく現れたのだとか…。
映画はユージン・スミス自身の人生も追っていきます。むしろ、そちらの方がメインかもしれません。彼の壮絶な人生と仕事ぶりも明らかにされています。膨大な仕事量、光と影の表現への異様なこだわり。彼は自分の写真をレンブラントの絵画に比していたそうです。狂気に近い没頭ぶりは、精神病院に辿り着いてゴールと語るジャズ・ミュージシャンのそれと重なります。彼は四人の子がいる家庭を持ち、郊外に美しい家を構えていたにも関わらず、「仕事に集中するために」全てを捨ててマンハッタンの薄汚いロフトに住み着きました。映画には彼の息子も登場します。あの「楽園への道」で妹を連れていた男の子ですよ…。幸せの象徴のように見えたあの写真の背後にあったものを知ると、胸が詰まるような思いです。ユージン・スミスは1971年にはロフトを離れ、水俣へと旅立ちました。ユージン・スミスの葛藤の時期、ジャズ・ロフトの8年間は、ミュージシャンの業と写真家の業がクロスした奇跡のような時間だったのかもしれません…。
写真家ユージン・スミスと彼と関わりのあったジャズ・ミュージシャンたちを記録したドキュメンタリーです。1950年代半ば、彼が住んでいたマンハッタンのロフトでは、気鋭のジャズ・ミュージシャンたちが夜な夜なジャム・セッションを繰り広げていました。ユージン・スミスは8年間にわたり膨大な量の彼らの写真とジャム・セッションのテープを残しました。刹那的、という言葉がまさに似つかわしい彼らの日々の記録をカメラは淡々と追っていきます…(以下、ネタバレ気味です)。
映画ではロフトを溜まり場にしていたミュージシャン達が紹介されています。セロニアス・モンク、ホール・オーヴァートン、カーラ・ブレイ、ズート・シムズ、…。個人的にはカーラ・ブレイの元気な姿をインタビューで見られたのが嬉しかったです。彼女が若かりし頃、ライブハウスでタバコ売りのバイトをしていたというのは初めて知りました。そこで演奏される曲を聴いて音楽を学び、タバコを所望する客には曲が終わるまで待っとけ、と言っていたとか。姐さん、さすがです…。セロニアス・モンクの当時の写真も。あの指を伸ばして弾く独特のスタイルです。彼がホール・オーヴァートンとタウンホールのコンサートに向けて打ち合わせやリハをする貴重な音源も紹介されていました。ホール・オーヴァートンは天才的な音楽教師で、スティーブ・ライヒのことも教えていたらしく、当時を語るライヒのインタビュー映像も。ユージン・スミスはジャズ・ミュージシャン達のなかでもズート・シムズが特にお気に入りだったようですが、今聴いてもとろけるような音色ですよね。彼の音が聴こえると、ユージン・スミスは決まってどこからともなく現れたのだとか…。
映画はユージン・スミス自身の人生も追っていきます。むしろ、そちらの方がメインかもしれません。彼の壮絶な人生と仕事ぶりも明らかにされています。膨大な仕事量、光と影の表現への異様なこだわり。彼は自分の写真をレンブラントの絵画に比していたそうです。狂気に近い没頭ぶりは、精神病院に辿り着いてゴールと語るジャズ・ミュージシャンのそれと重なります。彼は四人の子がいる家庭を持ち、郊外に美しい家を構えていたにも関わらず、「仕事に集中するために」全てを捨ててマンハッタンの薄汚いロフトに住み着きました。映画には彼の息子も登場します。あの「楽園への道」で妹を連れていた男の子ですよ…。幸せの象徴のように見えたあの写真の背後にあったものを知ると、胸が詰まるような思いです。ユージン・スミスは1971年にはロフトを離れ、水俣へと旅立ちました。ユージン・スミスの葛藤の時期、ジャズ・ロフトの8年間は、ミュージシャンの業と写真家の業がクロスした奇跡のような時間だったのかもしれません…。
この日は帰りにBunkamura Galleryで永井博「under the Azure Sky」も見てきました(展示は既に終了しています)。大瀧詠一さんの「Long vacation」のジャケットのデザインをされた方です。鮮やかな青空を描いた作品の数々を見ているとこちらの心持ちも晴れてくるような…。一見、平坦とも見えた青空が実は細かいグラデーションになっていて、浮世絵や新版画を思わせます。中に一枚、これ欲しいなぁ、と思った作品があったのですが、やはり売約済みになっておりました…。