aquamarine lab

アートネタなど日々のあれこれ

上野の夜

2016-05-16 02:04:15 | 美術
とある金曜、雨の夜、上野で展覧会のはしごをしてきました。

まず向かったのは、カラヴァッジョ展。だいぶ前に庭園美術館でカラヴァッジョ展を見た記憶がありますが、それ以来です。今回は、日本初公開の作品も多く含まれています。展覧会は「風俗画」「静物」「肖像」「光」「斬首」「聖母と聖人の新たな図像」といったテーマごとに構成されています。「風俗画」には「女占い師」「トカゲに噛まれる少年」。どちらも表情がえらく生々しい。「静物」のところにあった「果物籠を持つ少年」も果物がえらくリアルです。「光」の章には「エマオの晩餐」。カラヴァッジョが殺人を犯した後、作風が変わった、といわれる作品。たしかに闇は深い・・・。そして驚いてしまうのが「斬首」の章。ざんしゅ、です。もう、カラヴァッジョでなきゃあり得ない展開です。ここには画面から飛び出してきそうな「メドゥーサ」。グエルチーノの「ゴリアテの首を持つダヴィデ」もありましたね。最後が、聖母と聖人の章。「洗礼者聖ヨハネ」が何とも・・・バッカスの絵ともども、もう絶対、男が好きでしょ、という感じ。いや、この件については、これ以上突っ込みますまい。そして、ついにお待ちかね、「法悦のマグダラのマリア」。言葉を失ってしまうような作品です。あえて言うなら、法悦、恍惚は死に近いのかもしれない・・・。

ところで、この展覧会、解説の字が小さめだったこともあり、ろくすっぽ読まなかったのですが・・・家に帰ってパンフレットを見てみたら、「法悦のマグダラのマリア」について「本展会場ではライトに照らされて、背景左上にいばらの冠がついた十字架が浮かび上がります」とありました。み、見逃した・・・(泣)。

次に向かったのは東京都美術館。問題の若冲展です。金曜夜の7時頃ならそんなに待たずに入れるかな、と思ったら甘かった。雨にも関わらず大行列の50分待ち。まあ、50分って言っても実際はもうちょっと早く入れるんじゃないの?と思ったらこれも甘かった。実際は60分近く待った感じです。閉館時間を延長してくれたのが不幸中の幸いでした・・・。

当然ながら中は混み混み。特にLB階は何を見たのかほとんど記憶になく・・・鹿苑寺の障壁画の葡萄の絵だけはガン見ましたが・・・。「乗興舟」はあまりの行列だったので、まあ、以前一部見たこともあるし、とパスしてしまいました。そして1階が「釈迦三尊像」と「動植綵絵」。これらが円を描くように展示されていて、何とも華麗。が、残念なことに上半分しか見えません。なぜか「釈迦三尊像」の前だけが空いていたので、ガン見してきました。色鮮やかなお釈迦様達。ここも諦めて2階へ。「百犬図」はじっくり見られました。か、かわいい・・・コロンコロンの子犬たち。「菜蠱譜」も行列だったので、後方からちょこちょこ覗き込む感じです。そんな中で思わず心惹かれたのが「蓮地図」。今まで波立っていた心が静まるような作品。空いていたこともあり、ついつい見入ってしまいました。「象と鯨図」もまたダイナミック。そして「鳥獣花木図屏風」の前がまた大渋滞・・・。

ここで閉館時間近くなってしまったのですが、未練がましく、最後にもう一度、と「動植綵絵」のフロアに戻ってみました。さすがに人も少なくなっています。短い時間ではありましたが、最前列で作品を見ることができました。もう、言うことないです・・・生きとし生けるものたちへの讃歌・・・。

ふと、このあいだ聴いたメシアンの「鳥のカタログ」のことを思い出しました。洋の東西は違えども、人は最後は自然の中に永遠を見ようとするのでしょうか・・・。若冲とメシアンがこんなところでつながった、そんな不思議な上野の一夜でした。
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光と闇/はじめての美術館(その2)

2016-05-10 23:15:44 | 美術
目黒区美術館で「没後40年 高島野十郎展」を見てきました。

高島野十郎といえば、10年前に展覧会に行った記憶がありますが・・・あの蝋燭のシリーズは一度見たら忘れられないですよね。今回はわが家のニューカマー(1歳・♀)を連れて行ってみました。彼女にとっては、はじめての美術館です。

子連れなので、閉館間際に行きましたが、案の定お客さんはかなり少なめ。それはそれでちょっと寂しいですが。今回の展覧会は高島野十郎の全貌を見渡せるような展覧会です。しょっぱなの作品がなんと血を流している自画像。娘もただならぬ気配を察したのか「か、かあさん、大変・・・」というような顔でこっちを見ています。が、しばらくすると穏やかな風景画に。実はゴッホとかモネ、あるいはシニャックみたいだったりする絵も描いてたんですね。「れんげ草」も綺麗な作品でしたが、「滝」の前で足が動かなくなりました。野十郎はこの作品を描いている時、最初は水が流れているように見えたのが、いつしかバックの岩の方が動いているように見えたのだそうですが、まさにそんな感覚が伝わってきます。そして今回、意外に面白かったのが静物画。思わず見入ってしまうような作品が続きます。またもや足が止まってしまったのが「桃とすもも」。あのじゅわっとした舌触りをつい思い浮かべてしまうような作品です。あぁ、桃が食べたいよう・・・(←小学生かいっ!)。そして、今回、もっとも楽しみにしていた太陽と月の章。光彩を放つ太陽と孤高に光る月。野十郎は闇を描くために月の光を描いたとか。最後は蝋燭の章です。蝋燭の絵は知人に配るために描いていたらしいです。手紙のようなものだったんでしょうか・・・。それにしても、野十郎の絵を見ていると、何ともなつかしい感情を覚えます。家にひっそり飾っておきたくなるような作品です。何か綺麗な「気」のようなものが流れているような気がするんですよね・・・。

娘も、最初こそ驚いたようでしたが、あとは機嫌良く、手の指やら足の指やらをちゅぱちゅぱしゃぶりながら見ていました。この子はアート好きなお子ちゃまに育ってくれるでしょうか・・・。上の子に関しては「アートをたしなむ雅なお子ちゃま育成プロジェクト」は半ば挫折した模様ですが、この子はもしかしたらいけるかも・・・と、思わずほくそ笑んでしまった母(←ただの親バカ)なのでした。






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鳥のカタログ

2016-05-09 23:29:55 | 音楽
今年もラ・フォル・ジュルネ@東京国際フォーラムに行ってきました。

今年選んだのは、ピエール=ロラン・エマールが弾くメシアン「鳥のカタログ」。エマール氏と言えば、何年か前に見た映画「ピアノマニア」でのオタクぶりを思い出しますが・・・現代音楽の旗手と言われる氏の弾くメシアン、いうことでとても楽しみにしてました。

今回、演奏されたのは「鳥のカタログ」からモリヒバリ、モリフクロウ、ヨーロッパヨシキリ。演奏前に氏の解説がちょっとあり、この日の演奏時間である正午頃、こんな音が・・・と、高速トリルを聴かせてくれました。また、今回はエレクトロ・アコースティック作曲家かつ鳥類学者のベルナール・フォール氏による音源「鳥のカタログのプレリュード」が各曲の前に流されていました。舞台上方に投影された森らしき映像とあいまって、いい感じに森気分を盛り上げてくれます。

演奏はやはり素晴らしく・・・とりわけ最後のヨーロッパヨシキリが凄かったです。この曲は、鳥のカタログ全13曲の真ん中に位置する、約30分の長い曲です。鳥が鳴き交わす深い森の中に分け入っていくと、そこには・・・。単なる鳥の声の描写ではなく、鳥の声を通して、自然の、そして世界の神秘に触れようとしたのでしょうか。どんな素晴らしい音楽も鳥のさえずりにはかなわない、という言葉をどこかで聴いたことがあるような気もするけれど、それでも音楽を創らずにはいられない人間がいるし、その営為は尊い、ということをふと思いました。

それにしてもエマール氏の弾くピアノは不思議です。歌舞伎の黒子みたい(←変なたとえ)に、本人の気配は感じさせないのに、気がつくと事が進行しているという感じ。イヴォンヌ・ロリオの弟子にしてEICの初代ピアニスト(しかも当時19歳!)って、泣く子も黙る経歴のような気がしますが、至って淡々としたたたずまいです。それでいて「メシアンはこう弾くんじゃあ」(←いや、もっとお上品な表現ですが)という矜持のようなものを感じました。イヴォンヌ・ロリオが弾くメシアンのCDを初めて聞いた時、何だか色が見えるような気がする・・・と思ったものですが、この日も、それをところどころで感じました。

というわけで、約1時間、鳥の声に浸ってきました。そういえば、最後に鳥の声にまともに聴いたのはいつだったっけ・・・。今年のLFJのテーマは「ナチュールー自然と音楽」だそうですが、今の自分の生活が「自然」からいかに遠ざかってしまっていたか、ということをあらためて思い知ったGWの午後なのでした。

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