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アートネタなど日々のあれこれ

過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい

2021-05-18 00:30:28 | 映画
ホワイトシネクイントで「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道」を見てきました。

こちらも公開を知った時から楽しみにしていた映画です。氏の作品はこれまで展覧会で何度も目にしていましたが、映画を見るのは初めて。おまけにシネクイントのお隣の「ほぼ日曜日」では展覧会も開かれるし、期間限定でお得なセット券も販売されるし…行くなら今でしょ!ということで、いそいそと行ってまいりました(以下、ネタバレ気味です)。

さて、映画では冒頭に菅田将暉さんが登場し、森山氏の魅力を熱く語ります。菅田さん主演の「あゝ荒野」の特写が森山氏だったのですが、出会いの時のエピソードがまたいいんですよね…。お二人とも大阪の池田近辺のご出身という縁もあったようです。

映画では森山氏のデビュー作「にっぽん劇場写真貼」新生プロジェクトの模様と、氏へのインタビューとが交互に進んでいきます。森山氏は80を過ぎていますが、いまだ現役、タバコとジーパンが似合う写真家です。スタイリッシュとも無頼ともどこか違う、独特の佇まい…。映画では氏が写真を撮るシーンもありますが、本当にコンパクトカメラ一つで撮影をしているのには驚きました。機材も持たないんですよね…。そして、このパシャリがこういう作品になるのか、というのを目の当たりにさせられます。あのモノクロ写真を映画館の大画面で見るとさらに迫力が…。映画の中で、森山氏はある人の名前を何度も口にします。ライバルでもあり盟友でもあった写真家、中平卓馬氏です。本当に彼のことしか見ていなかった、というほどの存在だったようです。自分はフェリーニが好きで中平氏はゴダールが好きだったも言ってましたね…。写真について語る場面もありました。もうフィルムでは撮らないのか?と質問されて、自分は写真をプラクティカルなものと考えている、と答える場面も。写真をアートとか芸術とか思ってはいないと。バーのようなところで個展を開いた時には、作品を画鋲で留めていましたが、恐縮するスタッフに向かって、写真なんてそんなもんだよ、額に入れてありがたがるようなもんじゃない…とも言っていました。そんな森山氏ですが、深刻なスランプに陥った時期もあったようです。70年代後半、写真が撮れなくなり、撮れないのに写真とは、ということばかり考えていたのだとか。浮上のきっかけになったのは一枚の写真でした。世界最古の写真と言われるその写真を、氏は寝室に飾っているのだそうです。写真は光と影があればいい…そのことに気づいた時、森山氏が撮った写真が私は一番好きでした。モノクロームの芍薬は、原初の花のようにも見えます…。

さて、映画の後はお隣の「ほぼ日曜日」で開催されている展覧会「はじめての森山大道。」へ。森山氏は展覧会の展示構成にはこだわるタイプなのだそうですが、広くはないけれど凝縮された空間になっていました。「三沢の犬」のお出迎えの後、作品、言葉、グッズ…が所狭しと並んでいます。入口にはセルフポートレートが。「自ら路上のセンサーとなって撮影し続ける」のが唯一のカメラワーク、という言葉も添えられていました。「三沢の犬」の解説や、「にっぽん劇場写真貼」の長~いフィルムも。写真集150冊(!)も時系列で展示されています。あの花の写真もありました…。おみやげコーナーも充実。そして、森山氏愛用のカメラも展示されていました。なんと木村拓哉さんがCMに出ていたニコンのデジタルカメラです。なんかこれ欲しくなってきちゃったんですけど…。最後の方にはこんな言葉もありました。「ぼくが撮ったからと言って世の中何一つ解決しないけれど、ぼくは撮らなければ僕自身についてすら見えてこないしね。」


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まちへ出よう

2021-05-09 15:48:47 | 美術
ワタリウム美術館で「まちへ出よう~それは水の波紋から始まった~」展を見てきました。

「水の波紋95」とは1995年、青山・原宿地区の40か所で48名のアーティストの作品が展示された展覧会で、不肖わたくしも、ガイドの青いファイルを片手に青山じゅうを駆けずり回った記憶があります。今でこそ地域密着型の芸術祭も根付きつつありますが、当時はまだまだ珍しかったような…。さすがに四半世紀も前のこととなると、個々の作品の記憶はあまり残っていないのですが、トレジャーハンティングのような楽しい思い出はしっかり残っていて、いまだに私の中では伝説の展覧会です。今回の展覧会では当時の作品や資料、そしてその流れを汲むアーティストの作品を紹介しています。ちなみに「まちへ出よう」というタイトルは寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」から取られていて、人の心を解放することを意味しているのだとか…。

展示は4階から始まります。4階は「水の波紋95」の作品と資料が展示されていますが、作品のマップを見ていると当時の記憶がうっすらとよみがえってくるようです。当時の映像もありますが、観客のもの珍しげな顔が印象的です。キュレーターのヤン・フートのインタビュー映像もありました。「美術館の壁には文脈はないが、場所にはある」という言葉にはっとしました。美術館のホワイト・キューブの壁の前では良くも悪くも作品が均質化されますが、展示のためではない場所に作品が置かれると一種の相乗効果みたいなものが生まれるのですよね。あの時感じた不思議な高揚感の謎はこれだったのか…。3階には作品が3点。カールステン・ニコライ(アルヴァ・ノト)の「ケルネ(原子)」も。電球型の透明ガラスの中に水を入れ、竜安寺の石の配置に従って並べるというシンプルな作品ですが、見ていると心が空っぽになるような…。2階にはワタリウムのコレクションにつらなるアーティストの作品たちが展示されています。ソル・ルウィットにヨーゼフ・ボイス、キース・ヘリング…本当になつかしいです。かと思うとChim↑Pomのヤバい映像も…。ごく最近の作品では松下徹氏の作品が。ミニマルアートっぽい作品ですが、独特の不思議な色合いについつい見入ってしまいます…。ところで、この展覧会では会場内のQRコードを読み取ると作品の説明を聴くことができるのですが、これがけっこう面白いです(お願いすれば紙でももらえます)。自分も観客の一人として楽しんでいたあの展覧会の裏で、こんな大変なことが起こっていたのか…というお話がいろいろありました。

それにしても「まちへ出よう」という展覧会のさなかに、まさにまちへ出られない状況が出来上がってしまったというのは何とも言いようがない感じです…が、ある意味ワタリウムらしいとも言えるのかもしれませんね。不自由な状況のなかでの心の自由…。

さて、例によって、鑑賞後には甘いもの…ということで、on Sundaysでお茶してきました。今回はかぼちゃのケーキと自家製ジンジャーエールにしました。かぼちゃのケーキは甘すぎない素朴なお味、自家製ジンジャーエールもさっぱりしていて、美味しゅうございました。


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グラフィックデザインはサバイブできるか

2021-05-06 00:03:06 | 美術
銀座・グラフィック・ギャラリーで「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

世界を股にかけて活躍したアート・ディレクター、石岡瑛子の展覧会です…とはいっても、実際に見てからかなりの日数が経ってしまっているのですが、自分の心覚えのために…。石岡瑛子氏といえば、昨年末から東京都現代美術館でも大規模な展覧会が開催されていましたが、そのうち見に行こうと思っている間に緊急事態宣言が出たりして、結局、見逃してしまい、地団駄を踏んでおりました。が、こちらでも展覧会が開催されるということを知り、会期終了間際に滑り込みました。

展示は2フロアに分かれていて、1階の会場では彼女が残した言葉が展示されていました。大きな赤いボードに黒字で書かれた言葉にぐるりと取り囲まれた状態です。まず、「表現者にとって最も大切なことはDiscipline(訓練・鍛錬)」といった言葉が…。他にも刺激的な言葉の数々が並びます。「不安と期待と自信が錯綜している時間を持たない仕事はダメだと私は思う」「絶対に流行は追わない」というのもありましたね…。生前、彼女は「ORIGINARITY」、「REVOLUTIONARY」、「TIMELESS」という言葉をマントラのように唱えていたのだとか…。

地下の会場には石岡氏が残したグラフィック作品の数々が並び、彼女のインタビューの音声も流れています。とにかく、作品が強いんですよね…でも、男性の作品の強さとは違う、理知的でいてしなやか、凛とした風情があります。特にパルコの広告とかに顕著ですが、女性にしかできないと思われる、女性の強さの表現…どこかレニ・リーフェンシュタイルにも通じるところがあるようにも思います。そういえばレニ・リーフェンシュタイルの展覧会のデザインの仕事もしていましたね…。国内のみならず、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラのような世界的な映画監督とも対等に仕事をしています。「地獄の黙示録」のポスターとか今見ても怖いですよね…。個人的にはマイルス・デイヴィスとのエピソードが好きでした。彼女はアルバム「TUTU」のジャケットデザインで日本人初のグラミーを受賞しているのですが、高級スーツを着てかっこよく映りたい、と言うマイルスを説得して、彼の顔のクローズアップの写真にしたのだとか。帝王マイルスを説き伏せてグラミーを獲る日本人女性、かっこよすぎです…。

会場で流れていた彼女のラストインタビューはyou tubeでも公開されています(https://www.youtube.com/watch?v=SkYvodW3ydk)。このインタビューは病院を抜け出して敢行されたそうです。のっけから芸術と商業のマリッジの難しさについて語っています。汚い美、の話も面白かったです。そして、エンタメはオアシス、背後のドロドロも楽しむと。本当に強い人、としか言いようがありません…。
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サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス

2021-05-05 10:53:20 | 映画
シネマカリテで「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」を見てきました(この映画館での上映は既に終了しています)。

不肖わたくし、まだ若かった頃、フリージャズも多少は聴いておりました。サン・ラーも一応聞いてはいるのですが、直感的にこれはヤバい音楽だ…と思い、すぐに封印した記憶があります。好きとか嫌いとかいう次元を超えたヤバさです…深入りすると音楽的にというよりか、人生そのものがあらぬ方向に行ってしまいそうな…。この映画のことも存在自体は知っていましたが、長らく幻の映画でした。それが今このタイミングで公開されるというので目を疑いましたよ…。思わずサン・ラーの生没年まで調べてしまいましたが、生誕〇〇年とか没後〇〇年とかいうことでもなさそうです。サイトを見てみても「半世紀を経て突如!日本公開」とのことなので、本当に突如!なんでしょうね。ところで、昔はサン・ラという表記だったような気がするのですが、最近はサン・ラー、なんですかね…ついついサンラータンを思い出してしまうのですが…(以下、ネタばれ気味です)。

さて、この映画、サン・ラーが脚本・音楽・主演の「土星から降臨した宇宙音楽王、サン・ラーの革新的・暗黒SF!」なのですが、そもそも土星に生物がいたんかい…とか、最初から突っ込みどころ満載です。大宇宙を旅する宇宙音楽王のサン・ラーが理想の惑星を発見、ソウル・パワーによるテレポーテーションで、地球上で差別されていた黒人たちを救済するための移送計画を企てる、という設定なのですが、ソウル・パワーにそんな力があったとは初めて知りました。映画の中で一瞬、ソウル・パワーが炸裂するシーンがあるのですが、不覚にもわたくし、そこで笑い過ぎて涙が出てしまいましたよ…。映画としてはエド・ウッドやホドロフスキーあたりを彷彿とさせるのですが、明らかにベルイマンの「第七の封印」をパクったと思わしきシーンも。名作志向なのかカルト志向なのか今いちよくわかりません。そして、サン・ラーの謎めいた表情からは彼が大真面目なのかふざけているのか窺い知ることはできませんでした…ただ、眼は終始、笑ってはいませんでしたね。でもやはり、音楽はさすがです…基本的にフリーな感じなのですが、日常的なシーンではこ洒落たジャズとかも流れていて、もしかして普通の曲も書ける人だったの?という新たな発見もありました。全体的にカオスな展開の映画なのですが、サン・ラーが宇宙一のミュージシャンだということだけはひしひしと伝わってきました。そうですよ、サン・ラーの音楽は宇宙をも救うんですよ…(たぶん)。

不肖わたくし、映画を見ながら「なぜこの映画をこの時期に?」という疑問がずっと頭の中でぐるぐると渦巻いておりました…が、これは地球人の意思というより、土星にいるサン・ラーが混迷する地球に向けて放ったソウル・パワーによるものだと思い当たりました(たぶん)。サン・ラーは「地球は音楽なしでは動けない。地球は一定のリズム、サウンド、旋律で動く。音楽が止まれば、地球も止まり、地球上にあるものはすべて死ぬ。」という言葉を残しています。つまりは音楽を止めるなってことなのかもしれません。そして、長い年月を経て、若かった頃の自分の直感が正しかったことをも悟りました。もし、あのままサン・ラーの世界に深入りしていたら、きっと楽器の練習などとうに放棄して、宇宙と交信する練習とか始めていたに違いない…(たぶん)。
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Sleep マックス・リヒターからの招待状

2021-05-04 23:53:58 | 映画
ヒューマントラストシネマ渋谷で「Sleep マックス・リヒターからの招待状」を見ました。
(この映画館での上映は既に終了しています。)

ポスト・クラシカルの作曲家、マックス・リヒターによるライブイベント「Sleep」のドキュメンタリーです。「Sleep」は8時間以上に及ぶ楽曲が真夜中から朝方にかけて演奏され、観客はベッドに横になりながらそれを聴くという、かつてないイベントです。マックス・リヒターはたしか2年くらい前に日本にも来てましたよね…コンサートにも行きたかったのですが、都合が合わず断念し…映画館で彼の音楽が聴けるならと思い、行ってきました(以下、ネタバレします)。

映画はイベントの映像とマックス・リヒターやパートナーのユリアへのインタビューとで構成されています。Sleepはピアノとストリングス5人によって演奏される静かで荘厳な音楽。タイトルどおり、睡眠状態の心と対話するための音楽でもあり、寝ている人たちが主題なのだとか。ノンレム睡眠時の脳波とリズムとが調和する音楽を目指したとも。子宮内の胎児の聴覚環境を再現するということで、低音域が強調された音楽です。加速し続ける現代の生活への無言の抗議でもあると語っています。演奏する方は本当に大変そうですが・…。観客の反応もさまざま…ただ、時間が経つにつれ一種の一体感のようなものが生まれてくる様子は何となく見て取れました。長い夜を経て日が昇るシーンは本当に感動ものです…。

映画では本人やパートナーへのインタビューにも多くの時間が割かれています。マックス・リヒターというとポスト・クラシカルの旗手的存在ですし、数多くの映画音楽も手掛けているしで、順風満帆な音楽人生なのかと思ってましたが、思いのほか下積みの時代が長かったのですね。作品の失敗で多額の金銭的損失を被ったこともあったようです。そんな彼を支えたのがパートナーのユリアでした。映像作家でもある彼女は絵に描いたような素敵な女性ですが、その苦労は並大抵のものではなかったようです。経済的に苦しいなか、子育ての負担もあって病に倒れたこともありました。それでも彼の笑顔が自分にとっての幸せと語ります。マックス・リヒターは自分のやりたい音楽をやるために映画音楽で稼ぐと言ってましたが、このあたりクリスト夫妻を彷彿とさせます。音楽家というだけでなく、活動家的な側面もあるのですよね…インタビュー記事では素敵な音楽を聴きたいのであればモーツァルトやベートーヴェンを聴けばいい、個人として世に何かを発表するのであれば、存在する意味がないといけない、というようなことを語っていましたね…。

この「Sleep」、不肖わたくし時おりうつらうつらしながら見ておりましたが、やはり生で聴きながら眠ってみたかったですね…映画館の音響設備ではどうしても限界があるので…とはいえ、日本でこれを全部上演するのは難しそうですが…。ところでポスト・クラシカルといえば、故ヨハン・ヨハンソンの監督作(!)を夏に上映するらしいです。伝説のSF小説の映画化らしいですが、いったいどんなことになるのやら…今から楽しみです。
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複製芸術家 小村雪岱

2021-05-03 22:29:57 | 美術
日比谷図書文化館で「複製芸術家 小村雪岱」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

とはいえ、実際に展覧会に行ってからけっこうな日数が経ってしまいました…が、自分の心覚えのために…。小村雪岱の仕事は多岐にわたりますが、この展覧会では特に彼の装幀家、挿絵画家としての仕事に注目しています。そして、この展覧会に出ている作品は、装幀家であり小村雪岱の研究家でもある真田幸治氏の個人コレクションによるものということです。

会場に入るといきなり鏡花本のコーナーが。さながら小宇宙のような精緻な美しさに目を奪われます。とりわけ「愛染集」の雪景色の美しさ…もはや、本という領域すら超えているようでした。雪岱はその装幀デビュー作である「日本橋」以降、鏡花の本のすべての装幀を任され、雪岱という雅号も与えられています。小村という旧姓を使うよう勧めたのも鏡花だったとか。まさに運命の出会いですよね…。新聞連載小説の挿絵も。大正~昭和初期の新聞がずらりと並ぶさまは壮観です。当時、新聞連載の挿絵は花形だったそうです。最初に手がけた里見弴の「多情仏心」は不評でしたが、邦枝完二の「おせん」で雪岱調を確立します。今見てもスタイリッシュなモノトーンの線描。邦枝自身もおせんの挿絵は雪岱の代表作とも語っていたとか。雑誌の挿絵も数多く手がけています。ここでは「樋口一葉」に目を惹かれました。独特の風情があります。泉鏡花を中心とする九九九会の仲間たちの装幀本も手がけました。鏑木清方は美文家でもあったそうですが、その清方から雪岱が装幀を任されたという「銀砂子」は瀟洒な美しさ。雪岱は大正時代に資生堂意匠部に五年ほど所属していたこともありますが、その時代の作品も展示されていました。今に続く資生堂書体の元になったのは雪岱文字だったのですね。ノベルティの団扇もお洒落…。昭和に入ってからは大衆小説家の装幀本の仕事が増えてきます。長谷川伸の「段七しぐれ」は真っ赤な地に墨で題字が書かれた箱の中から、灰の地に墨地で材木問屋が描かれた本が出てくるという趣向になっています。

思いのほかボリューミーな展示で、雪岱の世界を堪能しました。雪岱の手にかかると本が魔法の箱みたいに見えてきますよね…こういう方は本当に唯一無二なのでは…。すっかり魅せられてしまったので、三井記念美術館の小室雪岱展も見に行こうと思っていたのですが、いつの間にか会期末までの予約枠が埋まっていました…無念です。やはりこれはと思った展覧会には早めに行っておかないと、ですね…。
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カリプソ・ローズ

2021-05-02 23:55:33 | 映画
ユーロスペースで「カリプソ・ローズ」を見てきました。

カリプソの女王と呼ばれるカリプソニアン(シンガーソングライター)、カリプソ・ローズを追ったドキュメンタリーです。1940年生まれ、80歳を過ぎてなお現役。15歳から曲作りを始め、これまでに作った曲は800曲以上、20枚を超えるアルバムを発表しています。2019年には世界でも最大級のフェスといわれるコーチェラのステージに史上最年長の79歳で立ったことで話題にもなりました。ちなみにカリプソ・ローズの名にはすべての花の母という意味があるそうです…(以下、ネタバレ気味です)。

この映画ではトリニダード・トバゴ、パリ、ニューヨーク、ベナン共和国を巡りながら、カリプソ・ローズの音楽と人生を辿ります。トリニダード・トバゴで牧師の娘として生まれた彼女は、幼くして里子に出され、音楽教育を受けたことはなかったものの、15歳でギターを片手に作詞作曲を始めます。15歳の時に作った「メガネ泥棒」は市場で女性から眼鏡を盗む男性を目撃したのをきっかけに生まれた曲でした。彼女は、カリプソニアンは報道記者みたいなもの、と言っていましたが、日常の出来事の語りがそのまま歌になっていくようです。映画を見ている限りでは、本当に歌が口をついて出てくるという感じでしたね…。しかし、カリプソの世界は恐ろしいまでの男社会で、彼女は若い頃から深刻なハラスメントに遭ってきました。女性だからという理由で賞を取り下げられたこともあります。それでも、圧倒的にパワフルな歌声とパフォーマンスで、カリプソの女王としての地位を揺るぎないものにしました。「カリプソ・キング」の称号も彼女によって「カリプソ・モナーク」に変わったほどです。「私は強い女」「何も私を止めることはできないの」と語る彼女は三度の心臓発作と二度の癌すら乗り越えています。カリプソの母とも呼ばれ、後輩のミュージシャンからも敬愛されるカリプソ・ローズですが、自分の子供はいませんでした。映画ではその衝撃の理由も明かされます。

映画では奴隷制度の歴史にも触れています。もともとトリニダード・ドバゴはイギリスの植民地で、アフリカから奴隷が連れてこられたのですが、カリプソ・ローズの曾祖母も奴隷でした。彼女は自分のルーツを辿って西アフリカのベナン島を訪れます。そこでブードゥーの司祭にも会い、また自分のアフリカの血を再認識します。カリプソというと、陽気な音楽というイメージがありますが、実は強烈なブルースなのかもしれませんね…。搾取する者たちへの怒りが「人々を幸せにしたい」という彼女の原動力につながっているようにも思えます。

生けるレジェンドの壮絶人生、それすら吹っ飛ばすようなパワフルな歌と笑顔にひたすら圧倒された85分でした。「生きているうちにやりたいことは、何でもやりなさい」という彼女のメッセージをしかと受け止めたいです…。
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佐藤可士和展

2021-05-01 16:27:31 | 美術
国立新美術館で「佐藤可士和展」を見てきました(この展覧会は既に終了しています)。

この展覧会は佐藤氏の30年にわたる活動の全貌を紹介する展覧会です。キュレーションもご本人によるもので、過去最大の個展ということです。さらにはご自身がロゴをデザインした国立新美術館で開催とは、まさに満を持してというところでしょうか…

展覧会は6章構成になっていましたが、最初は“THE SPACE WITHIN”。ここには初めてコンピューターでデザインしたという「6 ICONS」が。コンピューターの起動時にアイコンが浮かぶのを見て広告に開眼したのだそうです。“ADVERTISING AND BEYOND”は、縦長の空間に広告作品が並びます。赤・青・黄のSMAPの大きな看板には目を奪われます。音楽関係の仕事も多かったのですね。Mr.ChildrenやMy Little Lover、T.M.Revolutionなどなど…。その次の“THE LOGO”はさらに凄いことに。巨大サイズのロゴが壁一面に展示されています。セブンイレブン、ユニクロ、T-point、楽天、今治タオル、日清…あれもこれもそれも佐藤氏のデザインだったのか…という驚きの空間。もはや一人の人間の仕事量とは思えません。それにしても本当に強いロゴですよね…基本的にシンプルで、何のロゴかが一目でわかり、かつ一度見たら忘れられないインパクト。巨大なロゴも元は実に緻密に構成されているのだとか。展示されているロゴは企業の活動内容を示す素材でできていて、今治タオルのロゴはタオルでできていたりします。“THE POWER OF GRAPHIC DESIGN”はポスターや装丁の紹介。こちらはややマニアックな趣です。KITTY EX.も佐藤氏の仕事だったのか…。“ICONIC BRANDING PROJECTS”ではロゴやデザインが企業のブランディングにどのようにつながっていくか、が紹介されています。圧巻だったのはセブン部屋。手がけた商品が四方の壁にぎっしり…。そう、ある時点からセブンの商品が統一性のあるデザインに変わったな、と思ってましたが、氏の仕事だったのですね。デザインが統一されることで、商品自体が一段格上げされたような気になるのですが、こういうことだったのか…。企業のみならず、千里リハビリテーション病院やふじようちえん、団地の未来プロジェクトといった公共性の高い仕事も行っていて、個人的にはこういう仕事の方により魅力を感じました。ふじようちえんとか、本当に楽しそうですよね…。このプロジェクトの模様は公式チャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=eX0sFj3YX58)でも紹介されていますが、幼稚園で馬を飼いたいとか、温泉もあるといいな、といった無茶ぶりとも思える園長先生の希望を整理し、園長先生が本当に望んでいた幼稚園とは何ぞや、という本質にたどり着く過程が面白いです。そのジャンルに染まっていない、才能のある人に今までやったことのないことをやってもらうのが好き、とも話していて、それを実行していたのも印象的でした。こういった思考過程がおそらくあらゆる仕事に通じているのでしょうね…。最後は“LINES/FLOW”、佐藤氏のアーティストとしての作品を紹介しています。LINESは赤・白・青の直線で構成されている作品です。実は自然界には直線は存在しないということが解説に書いてあって、目から鱗でした。FLOWはドローイングのシリーズですが、飛び散る青絵具が鮮烈。基本的にクライアントのオーダーに合わせる仕事が続くと、自分のための作品を作りたくなる時がくるのですかね…。これが最後の章かと思いきや、この展覧会はこれだけでは終わらない。さらにミュージアムショップがすごいことになっていました。今まで展覧会にはいくつも行ってきたけど、こんなショップは見たことなかったです…。

そんなわけで、いろいろな意味で勉強になった展覧会ですが、残念なことに会期を残して中止ということになってしまいました。この展覧会は構想4年、巨大なアトリエを借りて原寸大で作品を検証していたのだとか。そういった徹底ぶりがあっての今日なのでしょうね…。そこまでしたのに無念の中止ですが、佐藤氏の公式You tubeでさまざまなコンテンツを見ることもできます(https://www.youtube.com/channel/UCxYmBxNRCI0OSV9MA3aIomg)。それに、考えようによっては今の日本自体が氏の展示空間と言えなくもないのかも…佐藤可士和氏のロゴやデザインをまったく目にせずに生活することって、今はほぼないですものね…。
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