松濤でひさびさに展覧会のはしごをしてきました。
最初に向かったのは戸栗美術館の「青のある暮らし 江戸を染める伊万里焼」です。伊万里焼は初の国産磁器だったのですね。17世紀に誕生し、上流階級に使用されていたものが、18世紀には庶民にも広まっていったということのようです。白地に青が涼しげなうつわたち。見ているだけで爽やかな気分になってきます。食器や日用品が中心ですが、中には面白いものも。「東海道五十三次文皿」には、まるで双六のように五十三の宿風景が描かれています。なぜか力士を描いた大皿というのもありました。かと思えば、駒が伊万里焼でできている将棋盤が。伊万里焼でできた引戸なんてのもありました。ところで、この展覧会は太田記念美術館との共同企画らしいです。ということは、太田記念美術館に行けば、ここで展示されていた伊万里焼を描いた浮世絵が見られるということでしょうか。そっちも何だか気になります・・・。
続いて向かったのが、「華めく洋食器 大倉陶園100年の歴史と文化」です(この展覧会は既に終了しています)。その名のとおり、大倉陶園の100年の歩みを追った展覧会です。大正8年に大倉父子によって創設された大倉陶園は、当時の高級洋食器が海外製品で占められていたことから、国産製品の育成を目指しました。後には、皇室用のお誂え食器も製造するようになります。大倉陶園の白磁は思わず、あっと声をあげそうになるくらいの驚きの白さです。陶器のような白い肌というときの陶器って、こういう陶器のことなのでしょうか。白磁に青の染付けを施した食器も。染み渡るような青です。とりわけ青いバラを描いたものが美しゅうございました。これでもかというくらい、華やかな食器の数々・・・思わずため息が出てしまいそうです。マイセンの影響を受けた動物シリーズもありました。入り口近くには立派なオウムが鎮座ましています。あくびするかわいい猫ちゃんもいて、思わずお家に連れて帰りたくなってしまいましたよ・・・。お誂え食器の数々も。現天皇陛下のお箸染めで使われたというクマちゃんの小さな食器がラブリー。昭和天皇のためにつくられたという「ヒドロ虫目呉須絵替り皿」には意表を突かれ、思わずガン見してしまいました。大倉陶園は戦争で工場が焼失するも、間もなく復活しました。最近のものではオテル・ドゥ・ミクニのための食器シリーズが、攻めてる感満載です。紫陽花も七夕も艶やか。100年の間を通じてみごとなものをつくり続けてきた大倉陶園、「良きが上にも良きものを」との心意気はひしひしと伝わってきました。
そんなわけで、ひさびさの松濤美術館めぐりを楽しんでまいりました。日頃、なにげなく使っている食器ですが、実はこんなに豊かな世界が広がっていたのですね・・・。
最初に向かったのは戸栗美術館の「青のある暮らし 江戸を染める伊万里焼」です。伊万里焼は初の国産磁器だったのですね。17世紀に誕生し、上流階級に使用されていたものが、18世紀には庶民にも広まっていったということのようです。白地に青が涼しげなうつわたち。見ているだけで爽やかな気分になってきます。食器や日用品が中心ですが、中には面白いものも。「東海道五十三次文皿」には、まるで双六のように五十三の宿風景が描かれています。なぜか力士を描いた大皿というのもありました。かと思えば、駒が伊万里焼でできている将棋盤が。伊万里焼でできた引戸なんてのもありました。ところで、この展覧会は太田記念美術館との共同企画らしいです。ということは、太田記念美術館に行けば、ここで展示されていた伊万里焼を描いた浮世絵が見られるということでしょうか。そっちも何だか気になります・・・。
続いて向かったのが、「華めく洋食器 大倉陶園100年の歴史と文化」です(この展覧会は既に終了しています)。その名のとおり、大倉陶園の100年の歩みを追った展覧会です。大正8年に大倉父子によって創設された大倉陶園は、当時の高級洋食器が海外製品で占められていたことから、国産製品の育成を目指しました。後には、皇室用のお誂え食器も製造するようになります。大倉陶園の白磁は思わず、あっと声をあげそうになるくらいの驚きの白さです。陶器のような白い肌というときの陶器って、こういう陶器のことなのでしょうか。白磁に青の染付けを施した食器も。染み渡るような青です。とりわけ青いバラを描いたものが美しゅうございました。これでもかというくらい、華やかな食器の数々・・・思わずため息が出てしまいそうです。マイセンの影響を受けた動物シリーズもありました。入り口近くには立派なオウムが鎮座ましています。あくびするかわいい猫ちゃんもいて、思わずお家に連れて帰りたくなってしまいましたよ・・・。お誂え食器の数々も。現天皇陛下のお箸染めで使われたというクマちゃんの小さな食器がラブリー。昭和天皇のためにつくられたという「ヒドロ虫目呉須絵替り皿」には意表を突かれ、思わずガン見してしまいました。大倉陶園は戦争で工場が焼失するも、間もなく復活しました。最近のものではオテル・ドゥ・ミクニのための食器シリーズが、攻めてる感満載です。紫陽花も七夕も艶やか。100年の間を通じてみごとなものをつくり続けてきた大倉陶園、「良きが上にも良きものを」との心意気はひしひしと伝わってきました。
そんなわけで、ひさびさの松濤美術館めぐりを楽しんでまいりました。日頃、なにげなく使っている食器ですが、実はこんなに豊かな世界が広がっていたのですね・・・。