2004年10月23日の中越地震発生から、きのうで8年が経過しました。新潟県中越地方の被災地では追悼の催しが各地で開かれました。
当時の画像を見て、穏やかな日の大切さを噛み締めています。 地震直後から長岡の小学校でボランティア活動に入りましたが、知人から小千谷慈眼寺の倒壊の危機を知らせる新聞をもらいました。地震前には何度も訪れ、平和の象徴である「会見の間」がなくなる恐れを知り、小千谷市役所で市長に訴えました。
しばらく経ってから慈眼寺からホームページでの復興支援要請がきました。 (中越地震の画像から)
当時の画像を見て、穏やかな日の大切さを噛み締めています。 地震直後から長岡の小学校でボランティア活動に入りましたが、知人から小千谷慈眼寺の倒壊の危機を知らせる新聞をもらいました。地震前には何度も訪れ、平和の象徴である「会見の間」がなくなる恐れを知り、小千谷市役所で市長に訴えました。
しばらく経ってから慈眼寺からホームページでの復興支援要請がきました。 (中越地震の画像から)
壊れた慈眼寺も立派に復旧されて多くの人達の心のよりどころとなっていることでしょう。
昨年はまた東日本大震災がありました。自然の脅威には立ち向かう術もありませんが、備えだけは忘れてはいけないですね。
寺にはよく言われるのですが、「ご縁がありまして」と。
人と人の付き合いは、みんな何かの縁でつながっています。
大切にせねばといつも思っています。
司馬遼太郎が「峠」という小説で、長岡藩の河井継之助の一生を描きました。
この峠のクライマックスが、慈眼寺で西軍と会談する場面です。
でも交渉相手が無能だったので、会談は決裂し多くの命が失われました。
消えてる・・・ショボン(ーー;)
コメントが長すぎて拒否されたのでしょうか。
意気消沈なさらずに、またコメントをお願いします。