高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

2017年春の旅(その11:旅のおわり)

2017-06-14 05:18:29 | 歴史
【上州白井城】
車の旅では宿泊先を決めないで、道の駅を利用する人も多く、最後の宿は旧三国街道白井(しろい)宿にあります「道の駅こもち」(渋川市白井)でした。この道の駅にしたのには理由があり、白井宿の高台に上州白井城があり、この城跡の探索が目的でした。


(道の駅こもち周辺図、左上に白井城跡)

 
(旧三国街道白井宿)

長岡は来年開府400年を迎えますが、長岡牧野家が全て順調だったわけではありません。1600年関ヶ原の戦いでは、秀忠に従い上田城攻めを担いました。関ヶ原に遅参した理由として、功を急いだ牧野家家臣の青田刈りの軍令違反を咎められました。家臣の処罰を拒んだ藩主康成は上州白井城に幽閉、後に初代長岡藩主となります忠成はいずこへか出奔しました。大胡城の牧野家は、藩主のいない時代を過ごしました。


(上州白井城)

4年後の1604年、やがて3代将軍になります家光の誕生の恩赦で、幽閉は許され大胡城に戻りました。 長岡藩主と家臣そして領民の結束が固いのは、大胡の時代に改易の危機を乗り越えたのも理由の一つとされます。

 
(ほとんどが畑の白井城三の丸と二の丸跡)

 
(のずら積みの石垣が残る枡形門と本丸跡)

1624年に上州白井城は廃城になり、本丸を囲む二の丸、三の丸そして多くの郭が農地になりますが、幸いにも土塁や堀切などはそのままの形で残されています。

 
(本丸付近から見下ろす吾妻川と吾妻川から見た白井城遠景)


(三国の山よ、さようなら)

(春の旅をおわります。ありがとうございました)

コメント (4)
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