AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

2020

2020年12月31日 | プログレッシヴ草稿
今年2020年は、忌むべき新型コロナウィルスの下で、無慈悲にも著名人を含む多くの人命が奪われた。
コロナ禍の影響か、俳優さんの自殺ニュースなんかも多かったように思う。


そして、これはもう最近毎年なんだけど、好きなミュージシャンたちの死。

なんといってもエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報はかなりの衝撃だった。
元フリートウッド・マックのピーター・グリーン、
あと、元ユーライア・ヒープのケン・ヘンズレーと・・・・
ニール・パートも今年だっけ?

自分が青春真っ只中だった十代の頃に夢中だった憧れのミュージシャンが毎年のように次々と死んでいってしまうのは、本当に寂しいことであり、自分の時代はもう終焉を迎えんとしているのだなぁ・・・って悲しい気持ちになってしまう。


そして実はこの一年間で、実に4名のキング・クリムゾン関係者がひっそりとこの世から去っていたりする。

まず、現キング・クリムゾンのドラマー/キーボード奏者であったビル・リーフリンが、3月24日に逝去。
まだ59歳だった。死因はクリムゾン参加以前より患ってたという癌。



リーフリンは90年代に、ミニストリー、ラード、KMFDM、ナイン・インチ・ネイルズなどのインダストリアル系のドラマーとして活躍したセッションミュージシャンで、私自信彼の存在を知ったのはクリムゾンに合流してからなんだが、十代の頃からすでに彼の音楽に触れていたんだなと。
そして2015年のクリムゾン来日公演で初に彼のプレイを拝んでいるが、その後、一時体調不良のためクリムゾンのツアーから離脱したというニュースは聞いていた。
ジェレミー・ステーシーという彼と同等の能力を持つ代役がクリムゾンに加わったにも関わらず、フリップは彼を切ることなくリーフリンはバンドに復帰、クリムゾン史上初のキーボード専任奏者となって2年前、2度目の来日を果たしている。

これが、彼の演奏する最後の姿になろうとは・・・(2018.12.9)



リーフリンのことでもうひとつ悲しい事実を知ったんだが、彼の妻は現代画家・イラストレーターであるフランチェスカ・サンドステンという方で、なんと彼が亡くなる約半年前に癌で亡くなっていたとのこと。
しかも、リーフリンが参加した2015年の日本公演のライブ模様を収録した『ラディカル・アクション〜ライブ・イン・ジャパン+モア』のあの印象深い一つ目男のカバーアートを手掛けたのが、なんとそのフランチェスカさんだったという・・・





そして、クリムゾンの史上初のキーボード専任奏者になり損ねた男というか、なることを拒んだ男、キース・ティペット。
今年の 6月14日、心臓発作により72歳で亡くなった。



『クリムゾン・キングの宮殿』リリースの2ヶ月後、オリジナルクリムゾンがあっけなく崩壊した後の、不安定な時期のクリムゾンをメル・コリンズと共に支えたフリージャズピアニストで、『ポセイドンのめざめ』、『LIZARD』、『ISLANDS』などに参加。
フリップからの熱心な誘いがあったが、決してクリムゾンの正式メンバーにはならなかった男である。

『ポセイドンのめざめ』の頃。
つかこのアー写はフリップ以外誰一人正式メンバーではない。


個人的に、シングル曲「Cat Food」にみられるような、キースのピャラピャラしたアヴァンギャルドなピアノワークはあまり好みではなかったが、アルバム『ISLANDS』のような、宇宙の深淵を漂うかのような、霊験あらたかで崇高なキースのピアノワークは絶品であるかと。

キースの魂よ、宇宙に飛んで、永遠によろこびの中に漂いたまえ・・・・


King Crimson - Formentera Lady (Instrumental Edit)




今年の7月12日に肺癌で亡くなったジュディ・ダイブル(享年71歳)は、キング・クリムゾンの活動には一切加わってはいないが、当時つきあっていたイアン・マクドナルドとともに、クリムゾンの前身バンドであるジャイルズ・ジャイルズ&フリップに参加していたシンガー。



ジュディの歌うオリジナル「風に語りて」は、JJ&Fの『The Brondesbury Tapes』で聴くことができるが、クリムゾンの『A Young Person's Guide to King Crimson ~新世代への啓示~』にも収録されている。

I Talk To The Wind (Giles Giles & Fripp)




そして、クリムゾンメンバーの中で、フリップの最も古い盟友と言っていい?ゴードン・ハスケルも、今年の10月16日に逝去。享年74歳。



ハスケルは、15歳の時に幼馴染のロバート・フリップと一緒に初めてのトリオバンドであるレイブンズを結成しベースを担当している。
その後、5人編成となってバンド名をザ・リーグ・オブ・ジェントルメンと改名。
第一期クリムゾン崩壊後、正式メンバーが定まらないままオーディションを繰り返しながら『ポセイドンのめざめ』をレコーディングしていた中、最初まだ売れてなかった頃のエルトン・ジョンが「ケイデンスとカスケイド」を歌うことになってたのが、「なんだあいつは?」とフリップが拒否。
そこで抜擢されたのが、フリップの旧友であるゴードン・ハスケルだった。
そのままクリムゾンの正式なメンバーとなるが、3rdアルバム『LIZARD』発表の2日後に脱退。
2人の間でどのような対立があったかは知らないが、74年のクリムゾン解散の節目に出されたベスト『新世代への啓示』には『LIZARD』からの曲は一切収録されず、91年リリースの4枚組BOXベスト『紅伝説』収録の「ケイデンスとカスケイド」のヴォーカルとベースをエイドリアン・ブリューに差し替えるなどから、フリップとハスケルとの確執は相当のものであったことが窺える。
聞くところによると、山口百恵のバックバンドを務めたこともあるのだとか。


クリムゾンファミリーツリーもそろそろ更新時だな。




で、このコロナ禍で身動きがとれず、自宅に閉じ籠もっているかのフリップ翁はどうしているのかというと・・・・

現在彼の最愛の妻であるトーヤ・ウィルコックスと毎週日曜に夫婦漫才を繰り広げて動画をアップしてるという、陽気なユーチューバーになり果てておったとさ。

恐竜の着ぐるみ姿のトーヤ夫人が、フリップの演奏で「21世紀の精神異常者」の替え歌を歌うという珍動画。




そういえば、今年は私の身内の者も亡くなっているんだっけ。
2020年は、忘れ得ぬ年となることだろう。


来年もそれなりに暗いニュースが続くとは思いますが、このフリップ夫妻のように楽しく心豊かに過ごせる年になればなと。

それではみなさん、よいお年を。
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海辺と煉瓦とポルカと羊毛と

2020年12月29日 | コンサート
今月に入ってSalyuが神戸でライブをやるという情報が舞い込んできたときは、迷わず行くことを決断した。

なにやら、神戸ハーバーランドの煉瓦倉庫内の先月新しくできた“海辺のポルカ”というイベント施設のオープン記念の一環として、2デイズでSalyuがアコースティックライブをやるとのこと。

今月は他に、Port of Notes、コトリンゴさんなど、連日けっこう私の好きそうなアーティストがこのオープン記念企画に呼ばれていて、もう全部見たいって感じだった。




直接店にメールを送って、抽選ではなく先着順だったようですぐに店側から予約確保のメールが届いた。
2日とも予約開始日の内にソールドアウトになったらしい。

まぁ12月に入ってから、全国的に忌むべき新型コロナウィルスの感染者数が日毎に過去最多記録を更新するという状況下で、「年末都市部に出向いたらやばいんじゃないか?」という懸念よりかは、「ヘタしたら急遽中止になるんとちゃうか?」という懸念の方がでかかった。
ライブ日が近くなってきた頃は、SNSで毎日のように情報をチェックしていたが、主催者側からライブを中止するような気配は一向になく、着々と執り行っているようで大変心強かった。

メディアが激しく感染拡大を警告、自粛を促しているとはいえ、そんなのは今に始まったことではないし、半年前とは違ってもう私自身毎日会社に出勤しているし、学生は学校に行ってるし、みなスーパーにだって出かける。家を出て人のいる所に行く限りはいつでもどこでもみな感染の可能性を持っているのだ。
ライブイベントの主催者さんもアーティストもみな仕事をしなければやっていけない。そんなことは言ってられないのだ。
コロナ禍のこの重苦しいご時世に、万全とまではいかないものの、なんとか感染予防対策を講じつつせっかく楽しみを提供してくれてるのに、「感染が怖いから」「自粛自粛!!」と家に籠って楽しみを放棄するという選択など、私には到底考えられなかった。


とはいえ、私もなるべく人と接触したくないので、今回は車移動を選択。
地元から2時間弱で現地に着いた。

神戸ハーバーランドは日曜日なのでそれなりに人で賑わっていた。
煉瓦倉庫には来たことがなかったが、ハンパないリア充感を漂わせた地帯でなかなか居心地が悪かった。




海側の手前の所が海辺のポルカさん。いい場所にオープンしたなぁ。



Uボートの停泊場でもあるのかよ!



とまぁ、ハーバーランドのリア充感を虚しく満喫している内にライブの時間となったので、会場に向かう。
会場内では、2年前にも大阪CLUB NOONでのウッタギッタのライブでDJを務めてた竹腰康広 (oops! here l go again)氏が、ムーディーでオシャレなBGMを流していた。




ライブ鑑賞は、2月のTTF以来となる。
席に座りスパークリングアップルジュースをチビチビやりながら、開演を待つ。
時間ピッタリくらいにSalyu、そして今回パートナーを務める市川和則 (羊毛とおはな)氏が入場。
市川氏に関しては全く情報がなかったが、Salyuは彼のことを「羊毛くん」と呼んでいたので、ふだんはおはなというパートナーがいるのかな?




このユニットで、どういうセトリをもってくるのか、開演前は全く予想がつかなかったが、割とシングル曲多めのオールタイムベスト的な選曲だった。

よそから拝借してきたセトリを転載させていただきます。



個人的には1曲目にレアで大好きなB面曲「光の束」がきて、この時点で早くもテンションMAX。
リリイ・シュシュからも1曲だけ「飽和」が演奏された。
実は今年の今月12月8日で、リリイは20周年を迎えてたりする。
なのでもう数曲やるのかなと思ってたんだが。Salyuもそのことは特に触れずで。




ずっと聴きたかった「HALFWAY」が聴けたのはよかった。この曲はアコースティックライブ向きだよね。
羊毛とおはなからの楽曲も数曲披露されて、まぁ正直曲を知らんのでアレだったけど、羊毛くんがSalyuとのコラボ曲として作った出来たてホヤホヤだという「エピソード」という曲に関しては「音源化してほしい」と思えるほど秀逸だった。

あと、途中20分の室内換気タイムがあったのは助かった。
ちょうどトイレ行きたかったもんで・・・


煉瓦倉庫の温かみのあるハコで、Salyuの相変わらずの圧倒的な歌唱、加湿器に関してのダラダラとした談笑と、あと隣の人とスティーリー・ダンやKIRINJIなどの音楽談義に花が咲いて、久しぶりに楽しいひとときを満喫できて、奈良方面から車とばして下道のみで神戸に来た甲斐がありました。


この一年、ほんとなにもかも楽しみを奪われ、様々な人間関係悪化にも苛まれた年であったけれど、この厳しい状況下の中、今年最後にこのようなステキなライブを企画開催して下さった海辺のポルカさんの英断にも感謝。

ほんまこんなことでもなければ、やってられませんって。

そして、オープンおめでとうございます。




リア充。




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ばるぼら 宝塚編

2020年12月16日 | 名所ガイド、巡礼記
梅田で映画『ばるぼら』を鑑賞する前、大阪出がてら実はちょっと寄りたいところがあって、宝塚くんだりまで赴いたのであるが。


私が宝塚に行くといったら、もうここしかありませんね。

そう、手塚治虫記念館。今回で4度目になるのかな?



記念館の入り口まで来て驚いたのが、珍しく20代前半くらいの学生らしき男女集団が館に入場しようとしていたのを目撃した時であった。
厳重なチェックを受けて入館してからも、若いカップルなどがけっこう目についた。
この神聖なる場所にリア充感を持ち込むとは不敬なとは思ったが、「オオ、ようやく最近の若者の間でも、手塚マンガの素晴らしさに理解を示す意識の高い者が増えたのか・・・」と、感慨ひとしおな喜ばしい思いにふけっていたのだが・・・・


こっち目的やったんかーーーい!!



どうやら手塚治虫記念館では、この度カプコンと手塚キャラとのコラボ企画が実施されてるみたいだった。
カプコンといえば、私が学生の頃から流行りだした格闘アーケードゲーム「ストリートファイター2」やら「ロックマン」などを生み出したゲーム会社で、若い頃はゲーセンに足繁く通っていた身としては馴染みあるものではあるんだが、そのゲームキャラクターには全く思い入れがないし、私はどちらかというと「鉄拳」派だったので。

今の若い連中がいまだ「ストリートファイター」に熱中してるとは考え難いので、おそらくそのキャラを描いたクリエイターの誰かが若者の間で人気があるのだろうと推測される。




そのコラボ企画の特設展示コーナーは30秒で通り過ぎて、私が一目散に向かったのは、やはりグッズコーナー。

正面では、今回のコラボ企画グッズがフィーチャリングされており、若い連中もだいたいそこに群がっていた。



もちろん今公開中の映画『ばるぼら』もフィーチャーされてましたよ。
隅の方の一角で・・・・

何を隠そう、私がこの来てもあまりメリットのない手塚治虫記念館に今回赴いたのは、映画『ばるぼら』公開記念グッズを漁りに来たからにほかならない。




しかし、なんと情けないことだろうか・・・・
手塚治虫記念館においても浮いた存在になってしまう、完全アウェイの私。
悲しいかな、売店の隅の方にひっそりと設けられていた「ばるぼら」グッズコーナーにかじりついて物色していたのは、オッサンの私ひとりだけだった。
あまりにも目立たないところに設置されてたので、最初なかなか見つからなくって一瞬「もう引き上げられた??」とほんまに焦った。


というわけで、今回の手塚治虫記念館での散財の品は以下の通り。


ばるぼらマグネット。



ばるぼらボトルキープホルダー。



缶バッヂ。瓶詰めのばるぼら。



ポストカードセットはことごとくデザインがオシャレすぎて、もっサイコー。



いやいやこれも手塚眞監督がばるぼらを実写映画化してくれた賜物ですって。
じゃなきゃこの辺のマイナー黒手塚キャラなんてなかなかグッズ化されないからなー


今の期間、売店で3000円以上お買い上げの人には、ばるぼら非売品缶バッヂが1個貰えちゃうという。


しかし、カプコンのキャラファンの人で美倉のオッサンの缶バッヂ貰って喜んでる客はいたのかな?と、心配してたんだが、ばるぼらグッズを含む3000円以上のお買い上げの人限定だったみたい。そりゃそやわな。


手塚治虫ライブラリーは今までスルーしてたんだが(だっていつもガキどもでいっぱいなんだもん)、洋書コーナーがあることを見落としていた。
手塚作品の洋書版は表紙がとてもオシャレなので是非チェックしたかったんだけど、やっぱ今の時期は閉鎖されてました。

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手塚眞のばるぼら

2020年12月08日 | しねしねシネマ
コロナ禍がいよいよ猛威を振るう中、先月、封切2日目に早くも手塚眞監督映画『ばるぼら』を梅田のシネ・リーブルにて鑑賞。

この日は配信による舞台挨拶もあったみたいだが、鑑賞前に大阪出ついでに色々行きたいところもあったので、それには参加しなかった。


今回は予めムビチケという名の前売り券を購入し、ネット予約で座席も確保するという万全の備えで臨んだ。

ポストカード付き。



シネ・リーブル梅田は、スカイビルの3~4Fに入居しているオシャレなミニシアターで、10年以上も前に一度フランス人監督の撮ったわけのわからん映画作品を、ヴィンセント・ギャロが主演だという浅はかな動機だけで観に行き、ゲッソリして劇場から出てきて以来。




手塚治虫先生の御子息であらせられる手塚眞氏に関しては、私の好きなインディーズ映画作品に一度チョイ役で出ているのを見かけた以外は、ヴィジュアリストというよーわからん肩書を持っている方で、ようは映像関連の仕事に多く携わっている方と認識していた。
映画も何本が撮られてるみたいだが、一本も観たことがなかった。
なので、本作も公開前からなかなかの評判ではあったが、「どうなんやろか?」と、正直半信半疑であった。

手塚ファンでこの『ばるぼら』という作品が好きな人はけっこういると思われるから、まぁまず「息子が父親の名作マンガを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」くらいのBJネタのイヤ味を言われることぐらいは覚悟して撮影に臨んだかと思われるが。
まぁでも手塚治虫の息子さんだからこそ、父親の作品を自由にできる権限も資金も持っているのであって、この手塚の隠れた名作を実写化しようなんて大胆な人間もまた、この人しか出来なかったとも思える。


尚、これからこの映画を観ようと思っている方は、これ以降の私の感想文も、手塚治虫の原作も読まないで鑑賞することをオススメしときます。


まずオープニングのBGMは、シャレたフリージャズっていうのがまぁ合っている気もするけど、無難やなって感じがしないでもない。
「都会が何千という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女、それがばるぼら」というナレーションをはじめ、冒頭はかなり原作に忠実に再現されていた。
1章、2章の人形愛、獣姦シーンはなかなかうまくアレンジ、表現されていて、特に人形愛エピソードのくだりは映像ならではの猟奇的な迫力があって、その後の展開にかなり期待が持てた。
まぁ舞台設定は70年代ではなく、スマホが普及した現代ってのがちょっと残念ではあったが、それでも原作の雰囲気はなんとなく出てたと思う。
眞氏は多分、ヨーロッパ系の映画をよく観てるんだと思われる。映像の表現の仕方がなんとなくそこらへんの雰囲気が感じられた。

『ばるぼら』本予告



出演陣もなかなか豪華な役者が揃ったといえる。
まぁでも観る前から思ってたけど、美倉洋介役に稲垣吾郎氏ってのはどうなのかと。少しクール過ぎる気がした。それほどアブノーマルな雰囲気もないし。
二階堂ふみさんのばるぼらの役は、ふみさんの声質や、やさぐれたしゃべり方からなかなか雰囲気が出てた。
ただ、少し魔性さに欠けたかなと。ふみさん本人の器量ではなく、演出が弱いというか、終盤なんて美倉に従順過ぎで翻弄してる風には見えなかった。
ドルメンの関西人の側面も出なかったし、美倉の頭をビール瓶でカチ割るくらいのアクションは見せてほしかった。


この作品で今回話題になっていたのが、2人の濡れ場シーン。
確かに想定してた以上に両者ともメチャクチャ体張ってはって、なかなか激しめの絡みを披露してくれているのだが、鑑賞者の殆どの人が言っているように、そこにあまりエロさというものはなく、2人ともプロポーションが綺麗なもんで、とても優美なSEXシーンだった。まぁここは美しくアートフルに撮りたいって監督の意図だったんだろうと思うし、このシーンにけっこう力を入れていたのが見て取れる。
ただ、そこまでフィーチャーするか?っていうほど長かった。
これもヨーロッパ仕立てってやつかな?
個人的にはアートフルなヌード写真集をつまらなく思うように、この濡れ場シーンはそれほど感銘は受けなかった。
まぁ終盤では原作になかった屍姦シーンにまでチャレンジしたそのアブノーマル精神には恐れ戦いたが。


とまぁ映画では、原作にない設定や登場人物もけっこう盛り込まれていて、まず美倉の秘書である甲斐加奈子の存在。
チャランポランな美倉を見捨てず、献身的に寄り添い、堕落して狂気に陥っていく美倉を救い出そうとするのだが・・・
これだけ意味深な存在でありながら、最終的に彼女が美倉とどのような関係になるのか、全く描かれずじまいでこのアレンジに一体どういう意味があったのかと。
ただ、ばるぼらの対比として登場させただけなのかな?

そして、美倉の作家仲間である四谷弘之だが、原作では何コマかに登場するだけで、セリフもなくチョイ役ですらなかったのが、映画ではやたらと美倉に絡んできて、ぞんざいに扱われてる加奈子をなぜか気遣う。兄妹という設定なら納得もいくが、四谷と加奈子の関係については全く説明されておらず、四谷は結局フェードアウトして後半は全く出てこない。マジで何がしたかったのかと。
てゆうか、この2人の登場でなんか中途半端に湿っぽい良心みたいな要素が介入してやすっぽくなったかと。
こんなの盛り込むくらいなら、なぜルッサルカ(ばるぼらの元カレのウルカ共和国の作家)のあの国際的ハードボイルドなシーンをハショったのか??理解に苦しむ。

ルッサルカのジュードーチョップシーン、観たかったなぁ・・・



で、今回私が最も期待していた(と同時に不安でもあった)悪魔主義的シーンだが・・・・
新宿の街中やラブシーンでは、フランス映画ばりの映像美をみせていたのとは裏腹に、ちょっと陳腐としかいいようがない仕上がりでガッカリ。
やっぱ日本の映画って限界あるよなぁ・・・って悲しくなった。

まず、渡辺えりさん演じる(よく引き受けて下さったなぁ)ばるぼらの母で妊婦土偶体型のムネーモシュネーだが、監督の肉親の方は「ハマってた!」って大絶賛してたけど・・・・
「いや、メタボ大女優さんが大仏のズラかぶってるだけのコスプレですやん!!」と、ちょっと私にはギャグにしか見えなかった。
いや、でも実写化すると誰が演ってもあれが限界だったのかな。高望みが過ぎる?
あのムネーモシュネーが出てくる妖気漂うコテコテの部屋のシーンは、なんか昔のドラマ西遊記を観ている心地だった。

ブードゥー式ヌーディスト結婚式のシーンも、偉大なる母神協会の案内役メンバーまでやけに厳かで型にハマったキャラでつまらなかった。

原作では善良なサラリーマン風の男が、なにかの商談をすすめるかのように淡々と手続きをすすめていくのだが・・・



契約する段になったとたん邪悪な表情を見せるこのギャップがメッチャ怖い!
ここが手塚先生のうまいところなのだ。
契約書もこの邪悪な図を再現していただきたかった。



思うに、この映画にはルックスが端正で上等な役者さんばっか出てて、クセのあるキャラが皆無なのがネックのひとつだったかと。

呪いの人形の小道具も、なんかちゃっちかったなぁ。

美倉仕様の呪いの人形。これは是非グッズ化してほしかった。



ラストの美倉とばるぼらの逃避行も、逃げる足がモダンな高級車って時点で雰囲気ブチ壊しだし、なんやねん、あの火曜サスペンスドラマみたいな打ちどころ悪かった展開。
魔の手から逃げてるっていう切迫感も緊張感もなかったし・・・


思うにこの映画『ばるぼら』、美しくオシャレにスタイリッシュにって部分が先行しすぎてて、その上等ぶってる感じが自分には合わなかったんだと。
その割には脚色されてる部分が妙に陳腐で中途半端だったりで。
って、やはりイチャモンばっかタレてしまったが、これは原作を読み込んでる黒手塚ファンならではの感想なので、映画を全くわかってない、高望みするにも程がある人間の勝手なおこがましい意見として軽く受け流していただければと。

そもそも、手塚治虫の1年にも渡った内容の濃すぎる複雑怪奇なこの連載マンガ作品を、2時間の映画で収めようってのが無謀だったかと・・・

それでも息子さんである眞氏が、父親の残した隠れたカルト名作マンガを、なんとか映像作品として残そうとしたその意気込みと努力には感謝と敬意を表したく思う。


パンフレットはなかったが、公式読本が出てたので購入。
映画のパンフレットより200円高いだけで、中身はなかなかオシャレな作りで、眞氏と永井豪氏の対談や、原作マンガの一部が掲載されてるなど、ギッシリ詰まった充実の内容でかなりお買い得。




永井豪先生によるばるぼら



聞くところによると、大きな書店では、現在この手塚治虫の『ばるぼら』が売り切れ状態になるほど売れているらしい。
もちろんゴローちゃん効果もあるのだろうが、一部の手塚マニアしか知らないようなこの隠れた黒手塚名作『ばるぼら』が、多くの方々に読まれリバイバルされることを大変喜ばしく思うし、手塚眞監督がこの作品を実写映像化した最大の功績だと思う。
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