AMASHINと戦慄

~STARLESS & AMASHIN BLOG~
日々ブログレッシヴに生きる

クラウド・ファンディング・ラムジー・フタグン

2021年03月30日 | ルルイエ異本
先月、かの森瀬氏のSNSで、心騒がされるワクワクするような知らせが舞い込んできた。

「 第2世代クトゥルー神話作家の雄、ラムジー・キャンベルの初期神話作品が一同に会す伝説的な傑作集、”Cold Print"の邦訳がクラウドファンディングにてお目見えです!
未訳だった重要作はもちろん、様々なアンソロに散らばっていた作品をまとめてお届けします!」

http://thousandsofbooks.jp/project/coldprint-2/


いや~、これはクトゥルーファンとしては非常に嬉しい。
思わず人生で初めてクラウドファンディングなるものに参加してしまいました。
やっぱクトゥルー神話は海外ものですわなぁ~

数年前にKADOKAWAより邦訳刊行されたリン・カーター(他)の『クトゥルーの子供たち』もクラウドファンディングでそれが実現したんですってねぇ。
購入した当初はそれ全然知らなくって。この作品も物凄く濃い内容で楽しめた。
森瀬氏らによる闇黒神話用語の注釈がハンパない!




ラムジー・キャンベルの神話作品は、英国版クトゥルー神話として、クトゥルーファンの間ではそこそこ人気あるかと思われます。

イギリスのアーカムと言われる、妖気漂う不穏の地、セヴァン・ヴァレー・ヴィレッジ・・・
“ブリチェスター”の湖畔や、“ゴーツウッド”の深い森の中で次々と起こる戦慄の怪異譚。
当ブログにても、過去に『真ク・リトル・リトル神話体系』で読みかじったものをいくつか紹介させていただいており、人気のオーガスト・ダーレスものよりかはオリジナリティーがあって断然おもしろいかと。


ラムジー・キャンベル(ラムゼイとも)。現在もバリバリの現役?



キャンベル作品は近年においても何話か未訳だったものがポツリポツリと邦訳されていた。
淡水の旧支配者グラーキが出てくる「湖畔の住人」も邦訳されたのはつい最近。が、すでに絶版。




キャンベルが創造したクリーチャーでは、グラーキ、アイホートのほか、首なしのイゴーロナクが人気あるみたいで。




個人的には惑星シャッガイからの昆虫種族が大のお気に入り。
彼らにサイケデリックな昆虫族の記憶を脳に注入されてトリップしてみてぇ~~
あとは『異次元通信機』(The Plain of Sound)に出てくる音の世界に住むスグルーオ人とかも好き。
どんなサウンドなんだろう。


今回のプロジェクトでちょっとモヤモヤするのが、仮タイトルが『グラーキの黙示録』ではなく、『グラーキの黙示』である点。
森瀬氏は、「『グラーキの黙示録』はグラーキを奉ずるセヴァン・ヴァレーのカルト教団の聖典ですが、この地域の怪事件を描く本書の物語群は黙示録に記された「黙示」の内容そのものであるとの意図に基づく仮タイトルです」と説明しておられる。

いや、それはわかってるんだけど、もうタイトルはズバリ『グラーキの黙示録』と付けていただいた方がクトゥルーファンにも馴染み深いし、希少な禁断の魔導書を所持しているようで楽しい。

そう、以前新紀元社より敢行された『エイボンの書』みたいに。
(ただ、本書の内容はめちゃくちゃディープで素晴らしかったんだが、いかんせん表紙が非常に稚拙で残念)。


まぁあくまで仮タイトルの話だし、ここで何を意見しようが、私には何の権限もないし言っても仕方がないんですが、せめて表紙だけは『エイボンの書』みたいなのは勘弁していただきたいし、できれば人皮装丁で。


そういえば、過去に森瀬氏とSNS上でキャンベル作品集のことで一度やり取りを交わしたことがあって、なんか向こうからリプ下さって、「こんな虫ケラのような私なんかに話しかけて下さるとは」と感激してたんだが、多分その頃からすでにキャンベル作品の編纂を構想していらっしゃったのだろう。


ちなみに、今回新訳収録される短編は次の通り。
おそらく、完成品では<グラーキの目次>と表示されるのでは。

「ハイ・ストリートの教会 The Church in High Street」(1962)
「橋の恐怖 The Horror from the Bridge」(1964)
「ヴェールを剥がすもの The Render of the Veils」(1964)
「湖の住人 The Inhabitant of the Lake」(1964)
「スタンリー・ブルックの遺志 The Will of Stanley Brooke」(1964)
「ムーン=レンズ The Moon-Lens」(1964)
「魔女の帰還 The Return of the Witch」(1964)
「立石のある島 The Stone on the Island」(1964)
「城の部屋 The Room in the Castle」 (1964)
「シャッガイよりの妖虫 The Insects from Shaggai」 (1964)
「ユゴスの陥穽 The Mine on Yuggoth」 (1964)
「音の世界 The Plain of Sound」 (1964)
「コールド・プリント Cold Print」 (1969)
「窖よりの狂気 A Madness from the Vaults」 (1972)
「フランクリンの章句(パラグラフ) The Franklyn Paragraphs」 (1973)
「誘引 The Tugging」 (1976)
「パイン・デューンズの顔 The Faces at Pine Dunes」 (1980)
「嵐の前に Before the Storm」 (1980)
「絵の中にこんなものが—— Among the pictures are these」 (1980)
「浜辺の声 The Voice of the Beach」 (1982)
「ブラックアウト Blacked Out」 (1984)


今回の企画が通り、成功すれば、今後の他の未訳の闇黒神話シリーズの邦訳刊行推進にも繋がっていくとのことで、これは是非実現させて頂きたい!
『無名祭祀書』、『セラエノ断章』、『妖蛆の秘密』、『ナコト写本』、『屍食教典儀』、『イオドの書』、『フサンの謎の七書』・・・・などの禁断の書物が続々と邦訳刊行されるなんてことを考えたら、もうワクワクしてくるじゃないですか!


クトゥルー神話ファンはもちろん、オーソドックスな怪奇ホラーファンも(『湖の住人』はちょっとしたゾンビものですぜ!)、こぞってこの恐るべき、そして素晴らしいプロジェクト実現の為に、クラウドファンディングに参加しようではありませんか!
(5月31日まで)


映画『カラー・アウト・オブ・スペース』風広告。
クリエイターさんたちはもうすでに動き始めてます!
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Coccoは歌謡かクリムゾンキング

2021年03月26日 | ♪音楽総合♪
三連続Coccoの記事で恐縮ですが・・・

先日、新作からまたCoccoがMVを公開して、なんや今回どえらい盛んやなぁと。
まぁこのコロナ禍で時間いっぱいあるやろうからなぁ。
家に籠ってますます創作意欲が沸く人なのだろう。

「女一代宵の内」



で、そのメディアの紹介文が「昭和歌謡ムード漂う新境地!DIY Music Video公開!」てな感じの鼻息の荒いもので、まぁCoccoがちょっとふざけたような曲タイトルにしたのも原因なんだろうが、なんかたいそうやなぁと。

いやいや、Coccoは以前からそういう楽曲けっこうやってはるよと。
最新作では「悲しい微熱」なんかもそうだし、「たぶんチャチャチャ」や「フレア」の曲調アレンジなんかモロやないかと。
特に復帰後(5th~)は、ちょっとイタいなぁと思うキャバレーっぽい曲をやるのが、Coccoの習癖みたいになってきている。
まぁ個人的にはそういうのはイロモノ的でやすっぽくなるので、Coccoにはあまりやってほしくないんだが、そういったものも元々Coccoの感覚にあった要素なのだろう。

今回の「女一代宵の内」は、Coccoののびやかな歌と、沖縄を想う彼女の郷愁を感じさす歌詞内容、そして後半の壮大な盛り上がりとCocco特有のエモーショナルなスキャットと、絶妙な仕上がりで、昭和のヒットメイカーが作った庶民向けの楽曲とは一線を画すものであり、安易に「昭和歌謡」などと表現するのはいかがなものかと。


ところで、私が当ブログで長年「Coccoは生粋のロックシンガーだ」と主張し続けているのは、いい加減ウザがられているだろうし、まぁCoccoはロックファン(とくに洋楽ファン)には、かなり過小評価されているフシがある。
ライブ会場に行っても、圧倒的に女性客が多いし(女性だからロックファンじゃないと言っているのではなく、ロック好きの客が多いならもっと男の比率が高いはずだと)、私のロック好き友達の間でもCoccoが好きという人間は皆無に近い。


だが!これ最近気付いたんだけど、ほぼ洋楽ロックファン向け(つまりオッサン向け)音楽雑誌『レコード・コレクターズ』で、私の大好きなロックバンドとCoccoとの共通点を指摘している記事を発見して、あまりにも意外すぎてビックらこいてしまった。

その記事が載ったのは2002年10月号で、「キング・クリムゾン進化論」というテーマでクリムゾンを特集した号だった。
確か、ライブアルバム『EARTHBOUND』と『U.S.A.』が初CD化された時期で、それに便乗した特集号だったと。



まぁその号は購入してなかったんだけど、2015年のキング・クリムゾン来日時に、レココレのこれまでのクリムゾン記事を総括した丸ごとクリムゾン特集本でその記事を確認することができた。

「クリムゾンのパースペクティヴ」というテーマで、クリムゾンのプログレッシヴな理性を共有するアルバムとして編集部が15枚選出していて、ムーディー・ブルースやP.F.M.、そして当時私がよく聴いていたロリンズ・バンドなどのアルバムの中に混じって、唯一女性VoのCoccoのアルバム『サングローズ』が選出されていたのである!

『サングローズ』(2001)




この記事を読んで「へぇ~そうだったのかぁ」と、感慨深い気持ちにはなったものの、普段からよく聴いてるこの両者が結び付いた事は正直今まで一度もなかった。
まぁライブでの破壊力や爆発するエナジーという部分では近いものを感じるし、そういったところはレッド・ツェッペリンやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどにCoccoとの共通点を見出していた。
あと、突如活動中止したり解散したりするところは似ているかもね。

ただ、この文章を読んでやはりひっかかったのが、「クリムゾン歌謡」という部分。
え?Coccoって歌謡音楽なん?
筆者がどういうニュアンスで「歌謡」という言葉を使っているのかわからないが、「歌謡」というのは昭和期に流行った流行歌などを差すものと思われるし、Coccoは90年代のなかば、世界的にはグランジやオルタナが流行っていた頃に出現したアーティストで、やはりその辺の音楽にモロ影響を受けていたし、だいたいその頃から出てきた日本の音楽はJ-POP、あるいはJ-ROCKと呼ばれ始め現在に至っている。

この筆者はCoccoの歌に昭和からのノスタルジーや古臭さを感じたというのだろうか?
私自身幼少期に、それこそベストテンやトップテンなどを観ててそれなりに昭和歌謡に慣れ親しんでた世代なので、その感覚というのはわかる。
ただ、その頃流行ったヒット曲をいまだスマホで聴くほど思い入れはないし(「異邦人」くらいか)、20代の時、Coccoを初めて聴いて衝撃を受け、私はようやく邦楽に興味を持ち始めた。
(思えば、Coccoを知ったのは、昔購読していた洋楽専門雑誌にCoccoの作品が紹介されていたのを読んだからだった)
Coccoの紡ぐその時代に流行ったアイテムやキーワードを全くといっていいほど含めない洗練された歌詞の普遍性、そして何年たってから聴いても切実に響いてくる凄まじいこのリアル感は、昭和期に聴いたどの音楽を思い浮かべても見当たらない。
なので昭和歌謡っぽい曲はあっても、Cocco=歌謡にはなりえないのである。


とはいえ、Coccoからキング・クリムゾンの遺伝子を見出すとは、その塩基配列を示してもらってもなかなか解し難いものがあるかと思われるが、根岸氏がその辺の音楽に影響を受けてるのはなんとなくわかるし、CoccoがただのJ-POPではないってことを、こういうプロの音楽ライターの方から発信していただけるのは非常に心強い。
なんのキャリアもない虫けらのような私が自分のフィールドで「Coccoはダテじゃない!」といくらわめこうと、何の説得力も影響力もないからなぁ。


4th『サングローズ』のジャケットは、中でも特に好きなCoccoのアートワークで、花、もしくは実を表しているかと思われる部分を(おそらく本人の)血滴で表した鮮烈な深紅の色合いは、あたかもクリムゾンレッドというシンクロニシティを今さら感じさせるのである。


2001年 @Tokyo
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Rockstar

2021年03月14日 | まったり邦楽
2019年11月のスターシャンク全国ツアーライブ終了直後くらいに、Coccoは早くもビッグサプライズなツアーを2020年春に敢行すると発表した。

それが、「Cocco Live Tour 2020 みなみのしまのはなのいろ~ダークサイドクイーン初訪の地、近隣住民近う寄れ~」というタイトルのツアーで、今までCoccoが訪れたことのない県のライブハウスを巡るという垂涎ものの企画で(後に「再訪の地、リクエストにお応えして」と題して東京、北海道公演も追加された)、なんと奈良公園・・・じゃなくて、奈良公演も含まれており狂喜乱舞した。
私は一応京都の人間ではあるが、奈良市街には車で15分で行ける所に住んでいるので。




まぁやはり抽選はあえなく外れたけど、チケット譲って下さる方をなんとか見つけ、もうそれはそれは楽しみにライブ日を待っていたのだが・・・・
無慈悲にもコロナ禍の波が全国に押し寄せ、ライブは7月に延期、そして、中止。

そこでCoccoはやむなく振替配信ライブという手段に切り替える。
ずっとライブ日に合わせてメンタルを調整し続けてきて、もうこれ以上気持ちを維持できないとの判断だったとか。




実は生配信日は残業してて見れなかった。てか配信ライブという形式にちょっと抵抗もあるというのがあって、アーカイブも見てなかったんですが・・・


そして、昨年末にその生配信ライブのダイジェスト映像が公開され、もうこれは円盤化の予告みたいなもんだった。




で、先月、ニューアルバム『クチナシ』の初回限定盤にそのフルライブ映像DVDが抱き合わせという願ってもない形でリリースされ、無観客とはいえ、ライブハウスでのCoccoの初のフルライブ映像ということで、正直アルバムにそれほど期待してなかった私としては、DVDが大本命だったりした。


まぁライブ配信後、セトリを見たらなんだか自分が思ってたのと随分と違っていて、「 濡れた揺籃」や「ドレミ」にテンション上がったものの、前作『スターシャンク』からの楽曲が中心で、初期の楽曲もほとんどなく、なんだかプレミアム感のない、それほどときめかないセトリだなぁなんて思ってたんだけど。




ところが、フタを開けてみたら、これが凄まじいことになっていた!
Coccoが昨年我々に見せたかったのは、これだったんだと!!
もう「してやられた!!」という感じだった。

@LIQUIDROOM 2020.8.31



本ライブは、Cocco(Vo)、根岸孝宗(B)、堀越信泰(E.G)、椎野恭一(Dr)の4人体制で繰り広げられる、究極の楽曲アレンジ大会の様相を呈した、今までとは随分とテイストの異なる実験的ともいえるまさに怒濤のプレミアムなライブだった。
曲が演奏されるごとに、もう「そうきたか!」のオンパレード!


一発目の「花爛」こそ、前ツアーの時くらいのアレンジで普通だったんだけど、2曲目「2.24」で歌が始まらないと何の曲かわからないほど大胆なアレンジが加えられ、歌の途中「三村エレジー」のフレーズをさりげに挟むというサブリミナルな絡め技に「え?」となる。

このあたかもレッド・ツェッペリンの「How Many More Times」における間奏部の「The Hunter」ぶっ込み技を彷彿とさせるこの手法は、その後もちょくちょく出てきて、特にマイナースケールにアレンジされた「願い叶えば」の後半部で「Rose Letter」(『クムイウタ』より)のフレーズが大胆にも挿入された時はほんとうに興奮を禁じ得なかった。

初期のナンバーでは「強く儚い者たち」のアレンジはちょっとアレで、個人的にはオリジナルでやって欲しかったなぁと思ったが、「濡れた揺籃」でのCoccoのピアニカの乱れ弾きは狂気さが際立つ演出だった。




本ライブはとにかく、前アルバム『スターシャンク』からの楽曲の大胆なアレンジ、拡張度合いがハンパなかった。
「Gracy Grapes」の、ビートルズの「Dear Prudens」を彷彿とさせるサイケな高揚感はレコーディングのとは比較にならない別次元のものになってたし、「Ho-Ho-Ho」なんてほぼ別物の曲になってて、2回目観たときに「ああ、これ新曲じゃなかったのか」とやっと気づいたくらい。

ネギさんスティック弾いてはる!!



そして、闇黒のドゥームナンバー「Come To Me」でのCoccoの妖艶な歌いっぷしは、さすが今回自らを“ダークサイドクイーン”と呼称するだけあって慄然たる魔性的な迫力があり、これもし客入りのライブだったならCoccoの魔力でみな石化したかのように会場全体が凍りついたんじゃないかなぁ。
それにしても、終演後の客の歓声があがらないのがなんとも寂しい。

Coccoの狂ったリコーダーインプロがヤバい。



Coccoが本格的にピアノ弾き語りを披露したのは驚きだった(今回専任奏者いないからなぁ)。
中盤ちょっとリズムが怪しくなるものの、6年前にComing' KOBEで無謀にもそれに挑まはったときとは比べものにならないほど上手くなってる。
なんせそのチャレンジ精神と度胸に驚かされる。




ラストは怒濤のヘヴィナンバー「インディゴブルー」、そして最新作より「Rockstar」の2連発で完膚なきまでに打ちのめされることになる。
久々に首筋が痛くなっちまったぜ。

こん時の初期のツアーメンバーである堀越氏(最新作では7曲参加)のギターの切り込みが冴えまくっている。
まじカッコよすぎ!!



Coccoの「ワン、ツー、スリー、GO!!」は一度生で聴いた方がよい。



まぁ近年外タレのベテランバンドによる予め「この曲やります」的なアルバム完全再現(厳密に言うとあまり再現されていない)や懐メロ大会みたいなライブが目立つが、ま、それも安心して楽しめていいんだけど、Coccoの今回のライブのように、本番まで手の内を明かさない、そしてこの意表をついた想定外の演目内容のものこそ、ライブの本当の、そして究極の醍醐味かと思われる。
Coccoはそういうことを本能的に知っている節があり、はっきりいってその外タレベテラン勢とはちょっと次元の違う存在であり、彼女こそがいまだ進化し続ける生粋のロックシンガーであるといっていいだろう。
つか、よく考えたらこの4人、全員40超に60近い人らでっせ!

それを昨年、全国のライブハウスで我々に披露できなかったのは、Cocco自身ほんとうに悔しかったと思うし、DVD化してくれたことはほんとうに感謝に堪えないが、我々もこの映像を観て、これをライブハウスという至近距離で目撃できなかったことが、よけい悔やまれるのである。


FUCK COVID!!


奈良 EVANS CASTLE。いつかここで観れる日が来ればいいね。
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背高のっぽのおしゃべりは

2021年03月07日 | まったり邦楽
早くもCoccoの新譜が我々のもとに届けられた。
つかこないだ出したばっかじゃなかったっけ?
前作は3年くらいブランクあったのに。
ともかく、Coccoの創作意欲というものはいまだ計り知れない。


昨年のコロナ禍期間中において、CoccoはYOU TUBEやSNSなどで「 自粛生活・おうちdemoトラック」と題して数週間ペースでオリジナル動画をあしらって惜しげもなく新曲を配信していた。

ちょっとピアノ弾いて作ってみました的なものから始まり、Cocco画のアニメーション、過去のMV
や家族写真らしきものを軽く編集したものから、本格的なオシャレMVみたいなのもあったり、お子様に向けたお絵かき教室みたいなものまであって、Coccoのユーモアセンスや芸術性がフンダンに盛り込まれた内容。
大半がコロナ禍で困窮に追い込まれてる人や自分の家族などに向けたメッセージ動画的なものだったと思う。

昨年からのコロナ禍の現状を風刺したアニメーション。



まぁ、このデモトラック動画作りが今回のアルバム制作のキッカケになったことは言うまでもないだろうが、聞くところによると、昨年の6月にすでにレコーディングが始まっていたのだという。
ただ、Coccoが突如音程がとれなくなるというスランプに陥り、一時中断していたのだとか。

で、音程取り戻すために思いつきで繰り返していたのが、この曲の冒頭のフレーズだったという。




この「ひとひら」のMVに今回のアルバムの要素がだいたい詰まっている感じで、まずCoccoが頭にかぶっているのはおそらくアルバムタイトルである『クチナシ』の花。
MVの中でCoccoがオール漕いでイカダみたいに乗っているのが、今回アルバムジャケットにもなっているクチナシヴィーナス(モナリザ?)。
Coccoが絵具で段ボールの上に描いたもので、ペーパークラフトの花などが散りばめられていて、いかにもDIY的かつCoccoらしくてナイスなアート。
復活してから出したアルバムカヴァーの中(5th~)で一番いいかも。
つか、ジャケットの絵を段ボールに描くなんてミュージシャンは、VOIVODのアウェイ以来じゃないか!?(まぁあれは単に金が無かったかららしいが)




口を花でふさがれたモナリザという構図と、『クチナシ』というタイトルがなかなか意味深で、MVのカチャーシーを取り入れたかのような妖艶な振り付けといい、これは米軍基地移設など、様々な問題を抱える沖縄を想うCoccoの政治的メッセージも内包されている感じがしてならない。

初回限定盤には段ボール製のスリーブケース付きという凝りよう。



正直前作から1年ちょいで作られたCoccoの作品に対する期待値はすこぶる低かった。
15曲も収録されているということで、また『きらきら』のようなクズっぽい曲が詰め込まれてるような予感がしていたいので。

一週目聴いたときは、1曲目いきなり美しいハープの調べの英詩ナンバー「White dress」でハッとさせられたものの、昭和歌謡、緩急の雑なオルタナナンバー、沖縄民謡と、色々な要素をやみくもに詰め込んだとり散らかったような内容だなと、イマイチな印象だったが、2回、3回と聴いていくとやっぱいいんだなこれが。
今回は音楽的に実に巧みというか、計算されてないようで計算しつくされてるような、なんだか頭を捻らせられる内容で、それはCoccoの持つ感覚的で芸術的な構成力の成せる業なのかもしれない。
クレジットとかみてたら、Coccoは最近音楽ツールを使ってプログラミングもやってるらしいのが驚き。


Coccoのキレッキレの捲し立て歌唱とオシャレなストリングスの「ダンシャリアン」、ピアノ伴奏で合唱団らとコラボした「え?菅野よう子作曲?」と思うほどに洗練された合唱曲「青葉」のマジメさ加減には驚かされるし(なぜNHKからお声がかからないのか?)、Cocco、根岸、椎野、堀越のカルテットで昨年のライブハウスツアーで演奏することを想定したと思しき「Rockstar」。まぁこれは「way out」を健全かつスタイリッシュにアレンジしたようなロックナンバーで、ベタベタな感じもするが語尾をいつも以上に強調したCoccoの歌いっぷしがカッコいい。
Coccoが三線弾きながら歌うウチナーグチ詩の(Coccoの父親が翻訳してくれたんだとか)小曲「想い事」の素朴感といい、とにかく今まで以上にバラエティ豊かさに満ち溢れてて非常に楽しめる飽きのこない作品に仕上がっている。


で、今回一番驚き、感銘を受けたのが、ラスト曲の「真白の帆」。
神妙な演奏で、Coccoが物語るように歌う壮大かつシリアスな曲で4分足らずで終わる・・・・

と思いきや、約1分間のインターバルをおいて、さっきとは全く違う雰囲気の抱擁感に満ち溢れた歌が始まるのだ。
Coccoがこういうシークレットトラック的なことをするのも驚きなんだが、このギミックにはいったいどういう意図があるのかと。

ただ、この後半の歌の詩は、なぜか歌詞カードには記載されていない。

実はこの部分は昨年のけっこう早い時期にdemoトラックでアップされていた。


アルバムに収録されているヴァージョンではラスト、ウチナーグチ詩の歌で締めくくられ、さらに崇高さが増している。
歌詞内容は全くわからないし、この後半部を同じ曲の続きと捉えていいのかさえわからないままだ。


ちなみに“真白”は、岩井俊二監督の2016年の映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』において、Coccoが演じた人物の名前と同一である。
その真白と関連性があるのかどうかも、やはりわからない。


アルバムジャケットから、曲構成、そしてトラックタイトルと、一大探偵推理小説のような実にミステリアスなこの謎解きアルバムのような本作を、私は今回とても気に入っている。



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