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昭和のプロレス:リングネーム別勝率

2024-05-10 06:29:29 | 日記
既に12

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではリングを盛り上げた脇役達を
取り上げています。
今週は「リングネームが多すぎる、スタン・プラスキー」です。
 183cm110kgの体格はレスラーとしてはやや小型。
1950年に地元トロントで本名のエリック・ポメロイでデビュー、
それが18才の時でした。
 その後全米各地を渡り歩きますが、イゴール・カルミコフ、スタニス
ラウス・プラスキーなどのリングネームを使っています。(wikipedia より)

 65年の12月に日本プロレスのウインターシリーズにスタン・プラ
スキーの名前で初来日。
 67年9月のダイヤモンドシリーズに再来日を果たします。
<27日宮城スポーツセンターで猪木とシングル対決し、11分10秒に
アバラ折にギブアップ。
10月23日に再び猪木と対戦し9分35秒にまたもアバラ折に敗退。
敗者のリングネームはザ・ラシアン>(Favorite Café より)

 帰国後はアイオワ州などを転戦。
69年5月10日にはスタン・プラスキーの名前でフランク・モンティに
反則勝ちの記録がありますが別の名も。
 <この地区ではマスクド・デストロイヤーを名乗ることもあった。
他の地区ではザ・マッドラシアン、エル・ロボ、ジ・インフェルノ、スタン・
バション、サージ・プトスキー、イゴール・カルミコフ、ザ・ラシアンの
リングネームも使っている>(NWA世界王者でたどる各地の熱戦譜 より)
 この時点で確認できたリングネームは既に12。

苦手を克服

 73年の3月には全日本プロレスのチャンピオンカーニバルにマッド・
ラシアンとして、同年11月のジャイアントシリーズにはスタン・プラス
キーとして参戦。
 3月17日の開幕戦ではセミでマシオ駒と対戦し18分18秒に両者
リングアウト。
11月24日の開幕戦では第6試合でデストロイヤーと対戦し10分6秒
に4の字固めにギブアップ。
 どちらの名前で出てもパッとしない戦績なので、リングネームを変える
ことにどんな意味があるのかと首を捻ってしまいます。
でもきっと本人の中では明確な違いがあるのでしょう。

 戦績を見てみると、3月には21戦してシングルで7敗1分け、タッグ
で7勝6敗。
11月は16戦してシングルで4勝9敗、タッグで3敗を喫しています。
 これまた甲乙つけがたい悲惨さですが明らかに異なる点があります。
それがマシオ駒とのシングルの対戦成績。
3月には4戦して1分け3敗。
ところが11月には苦手だった駒と2回対戦し、共に勝利しています。
 となると少なくとも日本ではスタン・プラスキーの方が験は良さそう。
ならば次はどんな名前でやって来たのか気になります。
残念ながら5回目の来日はありません。
コメント
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