あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

健康長寿:ウォーキングとCRP

2018-04-30 06:29:29 | 日記
知らない項目

 毎週月曜日は専門知識の欠片も無い私が、ウォーキングを通じて健康長寿
を手に入れようと奮闘するお話です。
 昨年健康診断を受けましたが、良い数値を更に伸ばし悪い数値は改善した
いと考えています。
その為にウォーキングがどんな働きをしてくれるかを調べています。
 血液検査項目の最後になる今週は、初めて目にした「CRP」についてです。

 現役時代に毎年会社で受けた診断表を見返してもCRPの文字は出て来ません。
昨年の受診で初めて経験しました。
 これは<体の中で炎症が起きている時に血液中で上昇するタンパク質>の
事で<風邪や虫歯、やけどや骨折などで増える>と言います。
(人間ドッグ・健診キャンペーン より)
 0~0.3mg/dlが正常値、~1mg/dlが軽度炎症の状態、~10mg/dlは
中程度炎症で、何らかの原因により炎症が悪化している状態、10mg/dl以上
は高度炎症、かなり進んでいる状態を示します。
 私の結果は0.04でしたが、基本的にはほとんど0に近いのが正常なの
だそうです。(Doctors より)

知らぬは恥

 体の中の何処で起きている分からない炎症が相手では、さすがのウォーキング
も功を為さない気がします。
ところが調べて見たらトンデモナイ、密接な関連がありました。
 腫れも無いし痛みも無いまま、長い間続く軽い炎症を慢性炎症と呼びます。
この状態はジックリと体内を痛めつけ、やがては動脈硬化を引き起こします。
 「そんな炎症とは縁が無いよ」と言いたくなりますが、実はお腹の中の脂肪で
起きているかも。
<肥満で脂肪細胞が膨れるとそこに免疫細胞が集まって来る。
脂肪を敵とみなして攻撃するので炎症が起き続ける。
過度の飲酒・ストレス・喫煙・高血圧・紫外線・加齢、運動不足・過度の運動
などは状態を悪化させる。>
 この症状は皮下脂肪では起こりにくく、内臓脂肪で起きやすいと言います。
対策は豆やキノコを食べて炎症を抑える事。
そして毎日30分ウォーキングをして体脂肪率を下げる事。(健康備忘録 より)

 <健康で長生きするにはこの値に留意することが重要>
(長生きの秘訣・方法!虎の巻 より)
 全く馴染みが無かったCRPですが、ウォーキングで健康長寿を標榜する身
としては、知っていなければ恥ずかしい名称でした。
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日曜日は川柳の日

2018-04-29 06:29:49 | 日記

 南北の首脳会談が行われました。
何はともあれ話し合いが最も大事。
私も話し合わなければ、女房と。
でもな切り出しにくいし、敵は強大。
今年も却下だろうなア、小遣いの値上げ交渉は。

 そこで今週の駄作を。

 <メーデーに 首脳会談 我が家でも>

 来週の予告編です。

30日(月)健康長寿:   血液検査のCRPって何だ?
 1日(火)雑草の日:   タンポポの新顔
 2日(水)身近な生き物: 赤いアリ発見
 3日(木)信濃の国を学ぶ:碓氷峠の話
 4日(金)昭和のプロレス:台湾王者
 5日(土)日々の愚問:  今回もどーでも良い愚問

 フキノトウが顔を出し、サクラが咲いて、今はフジが盛り。
気がつけばもう5月の連休です。
今年も33%が終わりました。
師走が猛スピードで近づいて来そうな気がします。
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日々の愚問:女房と大統領の格付け

2018-04-28 06:34:18 | 日記
13人の国賓

 先週の土曜日にNHKニュースを見ていて、ふと愚問が湧きました。
その話を女房にしたら「それはきっとこうなのよ」と、即座に答えが
返って来ました。
 素早くも自信たっぷりな返答には驚かされました。
果たして正解なのか、それを検証してみました。

 毎週土曜日は日々の暮らしの中で生じた、極々小さなどーでも良い愚問
を取り上げています。
今週は「アメリカの国賓」についてです。

 ニュースでは「フランスのマクロン大統領が初の国賓としてアメリカを
訪問する」と伝えていました。
トランプ大統領になって初めての国賓だそうです。
 えっ?安倍さんは国賓じゃなかったの?
イギリスのメイ首相も違ったの?
そんな話を女房にしたら「それはね、大統領と首相の違いなのよ」、自信
たっぷりにそう答えました。

 日本の場合国賓とは、<政府皇室が公式にもてなす外国の元首・王・首相
などの客を指す>のだそうです。
更に詳しく言えば<政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇に
あずかる外国からの元首やそれに準ずる者で、その招待などは閣議で決定
される。>(宮内庁HP より)
 大集団を引き連れてやって来た3月のサウジアラビア国王や、10月の
フィリピン大統領などを含め昨年は13人が国賓として招かれました。

大統領の復讐

 ではアメリカを訪問した安倍首相はどんな位置づけだったのでしょう?
<アメリカの外交儀典の規定では、国賓は国家元首が対象。
立憲民主国の日本では国家元首は天皇とされている。>(韓国経済.com より)
 その為安倍首相は一段下がった位置づけの公賓とされました。
公賓とは<政府が公式の待遇をする外国の王族・閣僚・特使などを指す。>
のだとか。

 以前日本を訪れたトランプ大統領も国賓ではありませんでした。
本来ならばそうあるべきでしたが、諸事情により公式実務訪問者と位置づけ
られたそうです。
 それでプライドを気付付けられた大統領が仕返しのチャンスを狙っていた、
小市民の私はついそんな勘繰りをしてしまいますがそれは見当はずれ。
規定に沿った対応なのでした。

 昭和天皇がアメリカを訪問した際には国を挙げての歓迎行事がなされた
と言います。
 アメリカ大統領が最敬礼をする相手は世界にたった3人。
それは天皇陛下とエリザベス女王とローマ法王。(ねっくのブログ より)
 一方で私が頭を下げる相手は数知れません。
今回の明晰な回答には女房殿に心の中で最敬礼をしてしまいました。
 こうして女房の格付けはどんどん上がっていくのです。
定年退職して以降、この傾向が続いています。

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昭和のプロレス:一族の崩壊

2018-04-27 07:36:45 | 日記
大いなる野望

 今ではどうか良く分かりませんが、その昔パキスタンはプロレスの
盛んな国でした。
 その中心にいたのが格闘技の伝統を守る一族でした。
政府の後ろ盾を受けて繁栄の極みにいましたが、たった一回の敗北で
金も名誉も全て失ってしまったのです。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
現在のテーマは世界の王者。
今週はプロレスとは縁遠い印象のパキスタンのチャンピオンを紹介します。

 この国ではボル・ブラザーズと呼ばれる一族が興行を取り仕切っていました。
中でも国民的な人気を博していたのが5男のアクラム・ペールワン。
 一族は本場マットから名の知れたレスラーを招いて試合を行いました。
荒っぽい試合が身上のブッチャー・バションや、ガチンコ勝負の実力者と
呼ばれたジョージ・ゴーディエンコたちが登場しています。
 しかしアクラムはもっと有名な男を倒して、自分の力を誇示したいと
本気で考えていました。
そこで目を付けたのがボクシング世界チャンピオンのモハメッド・アリと
戦った男です。
名前は知られているが実力は大したことが無いだろう、そう考えてアントニオ
猪木を招いたのでした。

プロレスを逸脱した試合

 1976年12月12日にカラチの大会場に、7万人の観客を集めて
試合は行われました。
現職の大統領まで観戦に訪れた注目の一戦ですが、いわゆるプロレスとは
一線を画す戦いでした。
「実力で渡り合う本当の戦いだと言えば、臆病者は試合前に降参するだろう。」
そう考えたアクラム側が、事前の取り決めの無いリアルファイトを提案した
と言われています。
 しかし相手が悪すぎました。
 猪木は目に指を突っ込み、アクラムは思い切り腕に噛みつきました。
凄惨な試合を制したのは、どんなに極められても参ったをしない相手の腕を
非情にも脱臼させた猪木でした。

 猪木に関わった人間は人生を大きく変えられたと言われています。
例えばハルク・ホーガンは猪木の生きざまを学んで、世界一有名なプロレスラー
に成り上がりました。
 一方でアクラムは人生を狂わせてしまいました。
この敗戦により一族の名誉は瞬く間に崩壊し、その衰退はそのままパキスタン
のプロレス人気の陰りにも繋がって行きました。
 繰り返しになりますが、猪木に関わった人間は誰もが人生を大きく変えて
しまいます。
半世紀前に猪木に夢中になった中学坊主もそうでした。
行き着いた先はプロレス好きの呑兵衛オヤジです。
 でも良く考えれば猪木の影響があろうが無かろうが、きっと同じ結末に
辿り着いたのでしょうが、私の場合。

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信濃の国を学ぶ:妻を娶ったら多かった

2018-04-26 06:29:39 | 日記
書物の復習

 信濃の国が県歌に制定されて今年で50年だそうで、昨日それを記念
する切手が発売されました。
5月には各種の催しも予定されていると聞くと、あるくあかるく木曜日
のテーマにビックリします。
意外にもタイムリーな話題を扱っているじゃないですか。

 木曜日は県歌・信濃の国を学ぶ日です。
1番の「信濃の国は~」から始まって、漸く最終最後の6番に至りました。
初っ端の「吾妻はやとし日本武(あずまはやとしやまとたけ)」の意味を
探りましょう。

 ヤマトタケルは捉えどころの無い人物。
古事記では父である第12代景行天皇に疎んじられた悲運の王子。
日本書紀では父から深く愛された英雄、として描かれています。
(MAG2NEWS より)
 それぞれに異なった記述が多く、知名度が高い割には生涯を代表する
エピソードに欠ける印象があります。
 略歴をふたつの書物から大雑把に抜き出すと、波乱の人生は父の命を
誤って受け止め兄を惨殺してしまう事から始まりました。
 恐れをなした父は九州の熊襲征伐を命じます。
敵陣の宴に女装して潜入し隙を見て頭領の兄弟を刺殺、死の間際に手を
掛けた相手からヤマトタケルの名を贈られます。

 目的を果たして都に戻ると、今度は東征を言い渡されます。
途中相模から上総国に渡る際に「こんな小さな海など一跳び」と豪語して、
神の怒りをかってしまいます。
荒れ狂う海を鎮める為に妻の弟橘姫(おとたちばなひめ)が人柱となり、
無事に海を渡り東征を果たすことができました。
 しかし病に罹り能煩野にて逝去、その後白鳥になって天を舞ったと伝え
られています。

早くも予習 

 さて6番の冒頭の「吾妻はやとし日本武(あずまはやとしやまとたけ)」です。
 ヤマトタケルは東征の帰路に現在の軽井沢あたりを通りました。
その際に自分を助ける為に入水した弟橘姫を思い出して、「我が妻よ」と
嘆いたと言われています。
夫は大きな仕事の完遂を目指し、妻は陰ながらそれを支える、そんな夫婦の
深い愛が歌われていると私は解釈します。
「でもね」と続くのですが。

 ヤマトタケルは6人の妻を娶ったと伝わっています。
それだけ大人数の相手に対して愛情の配分をどうやって采配したのか、他人事
ながら気になります。
 信濃の国に足を踏み入れた時には弟橘姫を思い出し、次の国に入る際には
別の姫を懐かしみ、そんな具合にローテーションを組んでいたのでしょうか。
 興味がありますが、その先は止めておきましょう。
昨今女性の人権に関する話題は非常にデリケート、余計な事を口にせぬ為には
話題から遠ざかるのが一番です。
 続く「嘆き給いし碓氷山(うすいやま)」の予習に取り掛かります。
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