オラが国のチャンピオン
毎週金曜日の「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」、今週から新シリーズです。
プロレスの醍醐味のひとつに「オラが国のチャンピオン」が外敵をなぎ倒す
カッコよさがあります。
それ故力道山から始まった日本のプロレスは、世界各国から強豪を招いて戦いを
繰り広げました。
本場アメリカはもとより「えっ?そこでもプロレスやってるの?」と驚く意外
な国からも続々とレスラーがやって来ました。
逆に言うならばそれらの国のプロレス興行では、その国のチャンピオンが外敵を
迎え撃つ図式となります。
そこで新シリーズでは意外な国も含めて、各国の王者がテーマです。
先ずは日本マットとは馴染みの薄いスペインの王者から。
191cm、120kgの大型レスラーのホセ・アローヨはスペインヘビー級
王者でした。
1981年国際プロレスの新春パイオニアシリーズで行われた「ルー・テーズ杯
争奪戦」に出場しています。
ネットで検索するとこの時の活躍が上位に並びますが、今回取り上げるのは69
年の初来日です。
半世紀で少し成長
当時中学生だった私はプロレス初心者、重大な欠陥を持ったファンでした。
その件は後にして、話をアローヨに戻すなら印象に残っているのはスキンヘッド。
如何にも極悪キャラですが、意外にも試合は正統派でした。
メインへの起用はほとんどありませんが、その前に行われるタッグマッチで毎週
のようにテレビに登場していました。
記憶が薄いのですが、抱え上げて投げ落とす技を連発していた気がします。
マニアは良く見ているもので、鋭く観察していたファンのブログを見つけました。
<ボディスラムの動作で相手を持ち上げてから肩の辺りで一旦固定し、背中からで
なく頭から、つまり脳天からマットに叩きつける技でした。
もちろんスピーディに行うと大変危険ですから、アローヨの場合はかなり優しく
マットに落としていました。>(ラファール魔風のファンブログ より)
派手な大技を期待する駆け出しのファンには、この渋い職人芸は地味過ぎました。
重大な欠陥の話に戻りましょう。
当時のプロレス界は主流派・日本プロレスと新興勢力・国際プロレスの2団体時代。
馬場猪木と豪華アメリカ人レスラーが戦う日プロの派手さに対して、駆け出しの
エースと無名のヨーロッパ勢が絡む国プロは地味ながらも見どころタップリでした。
しかし日プロ主体に取り上げるゴング誌に感化されたプロレス小僧には、国際
プロレスの良さが理解できません。
このシリーズにもビル・ロビンソン、アルバート・ウォール、ドリー・ディクソン
などの欧州勢が登場していましたが、アメリカマットで活躍するレスラーを上位と
する固定観念に縛られた目には欧州勢が何をやっても物足りなかったのです。
もったいない事をしてました、アローヨを筆頭に名レスラーがあんなに登場して
いたのに。
観戦歴半世紀、漸くそう思える程度に成長できました。
毎週金曜日の「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」、今週から新シリーズです。
プロレスの醍醐味のひとつに「オラが国のチャンピオン」が外敵をなぎ倒す
カッコよさがあります。
それ故力道山から始まった日本のプロレスは、世界各国から強豪を招いて戦いを
繰り広げました。
本場アメリカはもとより「えっ?そこでもプロレスやってるの?」と驚く意外
な国からも続々とレスラーがやって来ました。
逆に言うならばそれらの国のプロレス興行では、その国のチャンピオンが外敵を
迎え撃つ図式となります。
そこで新シリーズでは意外な国も含めて、各国の王者がテーマです。
先ずは日本マットとは馴染みの薄いスペインの王者から。
191cm、120kgの大型レスラーのホセ・アローヨはスペインヘビー級
王者でした。
1981年国際プロレスの新春パイオニアシリーズで行われた「ルー・テーズ杯
争奪戦」に出場しています。
ネットで検索するとこの時の活躍が上位に並びますが、今回取り上げるのは69
年の初来日です。
半世紀で少し成長
当時中学生だった私はプロレス初心者、重大な欠陥を持ったファンでした。
その件は後にして、話をアローヨに戻すなら印象に残っているのはスキンヘッド。
如何にも極悪キャラですが、意外にも試合は正統派でした。
メインへの起用はほとんどありませんが、その前に行われるタッグマッチで毎週
のようにテレビに登場していました。
記憶が薄いのですが、抱え上げて投げ落とす技を連発していた気がします。
マニアは良く見ているもので、鋭く観察していたファンのブログを見つけました。
<ボディスラムの動作で相手を持ち上げてから肩の辺りで一旦固定し、背中からで
なく頭から、つまり脳天からマットに叩きつける技でした。
もちろんスピーディに行うと大変危険ですから、アローヨの場合はかなり優しく
マットに落としていました。>(ラファール魔風のファンブログ より)
派手な大技を期待する駆け出しのファンには、この渋い職人芸は地味過ぎました。
重大な欠陥の話に戻りましょう。
当時のプロレス界は主流派・日本プロレスと新興勢力・国際プロレスの2団体時代。
馬場猪木と豪華アメリカ人レスラーが戦う日プロの派手さに対して、駆け出しの
エースと無名のヨーロッパ勢が絡む国プロは地味ながらも見どころタップリでした。
しかし日プロ主体に取り上げるゴング誌に感化されたプロレス小僧には、国際
プロレスの良さが理解できません。
このシリーズにもビル・ロビンソン、アルバート・ウォール、ドリー・ディクソン
などの欧州勢が登場していましたが、アメリカマットで活躍するレスラーを上位と
する固定観念に縛られた目には欧州勢が何をやっても物足りなかったのです。
もったいない事をしてました、アローヨを筆頭に名レスラーがあんなに登場して
いたのに。
観戦歴半世紀、漸くそう思える程度に成長できました。
欧州のレスラーを日本のプロレスファンに紹介してくれた功績は、本当に多大なものを感じます。