行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

裏磐梯の赤松は人工林だった

2014-08-27 17:58:35 | Weblog

星野リゾートの若いガイドO君の案内で五色沼巡りのトレッキングとなった。裏磐梯に来て先ず目についたのは高原一帯の赤松林の大木で、てっきり原生林だと思っていた。ところが、1888年(明治21年)の磐梯山噴火で膨大な岩や土砂のなだれで、桧原川がせき止められ、沼ができ、数十年間荒地となっていた。約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげた男がいた。鶴ヶ岡城の桜を植えた会津出身の遠藤現夢だ。赤松を中心に漆、杉などを植林して見事な森林に成長し、会津の観光資源として発展している。漆は会津塗に使われ、実の油からはロウソクが作られた。

沼巡りのトレッキングコースは当時の植林用の工事道路で広く歩きやすい。O君に言わせると、遠藤現夢は単に植林だけでなく、観光開発を考えて工事用道路も作ったゆえ、後世の雇用創出に貢献したと言う。ちなみに、O君は大震災の時に大学を卒業し、東京で就職が決まっていたが、震災復興ボランティア活動のため、地元に戻ってきた若者の1人で農業をやりながら、夏と冬はガイドをやっている。

磐梯山を背景に赤松に囲まれた瑠璃沼

磐梯山から流れてくるミネラルで青く見える青沼、葉が白くなっているのは水につかった時付着したアルミ

初めて見た大乳母百合、花が咲く頃葉が枯れるためにこの名が付いた


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