行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

終戦(敗戦)記念日、出てきた新事実

2012-08-16 23:32:41 | Weblog

NHKの番組で先の太平洋戦争末期、講和を何とか求めようとする当時の鈴木貫太郎首相以下6人のトップ会議(最高戦争指導者会議)の模様をドラマ仕立てで放送したが、その中で新事実が飛び出した。それはかなり早い段階でロンドンやジュネーブの駐在武官から所属の陸軍や海軍にソビエト参戦の情報が届いていたと言うことだ。そして縦割り組織の悲しさこの重大な情報は外務省には届いていなかった。

トップ6人の内、米内海軍大臣と阿南陸軍大臣はそれを知っていたにも拘わらず会議では言わず、天皇陛下にも報告せず講和をソビエトに仲介してもらおうということになったが当然相手にされなかった。また、これは有名な話だが、ジュネーブの陸軍武官は米国の外交官アレン・ダレス(後のCIA長官)とチャンネルを持ち、米国と直接講和を進めることを外務省に提案したがダレスの謀略だと一蹴されてしまった。

普通に考えれば、5月ドイツ降伏後、早期に講和を模索するのが日本政府トップの役割で、ソビエト参戦の情報は直ちに(少なくとも6月中に)講和を求める機会であったが、いたずらに会議を重ね、ソ連の満州や北方領土侵略、そして原爆の投下という悲劇を招いてしまった。陸軍は本土決戦を主張する主戦派を抑えられず早期講和を言い出せず敗戦を終戦という言葉まで生み出した。

6人のトップのうち誰もリーダーシップを取るものがおらず(=責任を取るものがいない)、いたずらに結論を先延ばし、6月に講和を決定できる機会を失った。日本の統治機構が悪かったと結論づけるのにはあまりにもむなしい。

他の終戦特番ではフィリピンにおける陸軍の不法処刑が明らかにされた。英語がうまい若き兵士が米軍と通じるかもと言うだけで処刑され、戦後悩む法務官の手記が世に出てきた。またきちんとした軍法会議もなく、逃亡したというだけで直ちに処刑された多くの兵士と遺族の苦しみもやりきれない。

いまだにこの戦争の責任者を明確にしてない日本、東京裁判で終わりにしてしまって良いものだろうか?その裁判で戦犯となった責任者を犠牲となった兵隊と一緒に祭る神社、拝む閣僚、国会議員、日本の統治機構はいまだ機能していないのではないか?


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