脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

8月の右脳訓練ータニタ食堂と丸の内界隈(後半アルツハイマー病の解説)

2018年08月27日 | これって認知症?特殊なタイプ

今回の東京行きでは、もうひとつ計画がありました。
タニタ食堂。体重計や体組成計などの健康計測機器メーカーのタニタが社員食堂のヘルシーメニューを丸の内で提供、というニュースはずいぶん前に知ったのですが、場所までは調べていませんでした。

今回映画館から美術館の道順を確認していた時に発見。ランチは丸の内タニタ食堂でと決めていました。
いくつか目に付く工夫がありました。
注文したのは日替わり定食で、野菜沢山の味噌汁、鶏胸肉のキノコあんかけ、野菜の小鉢二つの一汁三菜。

野菜を多く、また大きく切る、火を入れ過ぎないなどの工夫で、噛み応えを残し満足感を満腹感を引き出すのだそうです。
テーブルにスケールが置いてあって、「ご飯は100gを目途にしましょう」との説明があります。自分でよそうのですが、私は少し少なめでした。

もう一つは、食事に20分はかけましょうということで、20分を表示してあるタイマーが。ゆっくりよく噛むと同時に満腹感を感じる時間でもあるのですって。残念!ちょっと早過ぎた。

このような工夫は、実体験が伴うだけに効果的ですよね。
一汁三菜は、だいたいクリア。問題が一つ出来。薄味といわれる私の舌でも、やや塩分が足りないのではというくらいの薄味。つまりもっと塩分を控えなくてはいけない…それだと夫からクレームが出てきそう…
帰宅してからちょっとチェックしてみたら、全国展開していたのに、秋田店が撤退とか。薄味すぎるのかもと納得してしまいました。
日比谷ミッドタウンからタニタ食堂に移動中、丸の内シャトル発見。

このバスにも一度乗ってみたかった!
路線図で確認したら11番から乗って13番で下車なのですが、ぐるりと一回り9番で降りました。30分間車窓からの丸の内見物。新旧ビル、特にオープンのニュースを聞いていたホテルを何軒も見て、ホテルラッシュを納得しました。金融機関の多いこと。それから新聞社も集中してることが実感されました。

乗り場は11番第一生命。一時間4本運行というお知らせだけで、バスの時刻表はないのです。

少し待っていいる間に、ここは戦後GHQが置かれたビルだと気づき、意を決して入って見ることにしました。

正面にエスカレーターが4基。下の写真は右半分。これと対称にもう2基。真ん中に特別警戒中の警察官が。実はこの建物の左側と右側にもほとんど同様の大規模入り口がありました。

エスカレーターまでの広いロビーで視線を横にすると、大きな絵画作品が展示されていました。

第一生命が現代美術VOCA展をサポートしているらしいです。

南北ギャラリーに過去のVOCA展の大作が沢山展示されていました。石造りの重厚感と高い吹き抜けの開放感が作品を引き立てているようでした。珈琲で一服し、思いがけずゆっくり第一生命ビルで遊びました。

30分のドライブそして下車後、三菱一号館美術館への道すがらまたクラッシックなビル発見。
この明治生命館は、古典主義様式の最高傑作として高く評価され、1997年(平成9年)5月に昭和期の建造物としては初めて国の重要文化財に指定されたものです。

ここでもマッカーサーが出席した会議が開かれたとか。この入口から出入りしたのでしょうか。
「第一生命保険相互会社」は右から左の横書きでしたが、ここは「明治安田生命保険相互会社」と左から右の横書きでした。
竣工が昭和9年と早いのでちょっと気になりました。戦後改修の際にこうなったのかもわかりませんが、先日縦書きと横書きについて調べたのでこんなところに目がついたのでしょう。こうやって興味がつぎつぎつながっていくのも、脳(まさに前頭葉機能)の面白いところですね。

アイアンの細工がみごとです。

見上げてびっくりしました。まるで外国みたいです。華麗な装飾が特徴のコリント様式の巨大な柱でした。

こういうエクスカーションも楽しいものです。
大学生の時、母と一緒に霞が関を通った時「あ、文部省、外務省、厚生省」「国会議事堂!」「あのレンガ造りの建物は?」と大喜びしたことを思い出しました。母子って似るんですね。
そしてもうひとつ思いました。
「父がボケちゃったから、僕もボケるでしょうか?」「母がボケちゃったから私も心配」という質問をよくされます。
遺伝性といわれるタイプ(これが本来のアルツハイマー病)は、認知症の中で1~2パーセントととても少ないのです。遺伝子異常を持って生まれますから、生活実態にかかわらず必ず発症し進行もとても速い。そしてこのタイプは若年発症という特徴もあって、ほんとうに大変な病気です。
私は数千人の認知症の方にお会いしました。その中でこのタイプ(本来のアルツハイマー病)の方は、たかだか数十人しかいらっしゃいませんでした。そして両親ともにボケてないのに、突然その人だけ発症してしまった方がほとんどでした(孤発性といいます)
家族の中に遺伝子異常が共通している家族性といえるケースはたったの2例でした。

親子でボケることももちろんありますが、生き生きとした生活をしていたのに、そして双方とも50歳代までに発病し、急速に進行してしまったのなら「遺伝性しかも家族性」。
二代にわたってボケた場合は、「高齢になって何らかの出来事をきっかけに生きる意欲をなくし、趣味も生きがいも交遊もなく運動もしないナイナイ尽くしの生活を続けていった結果、だんだんにボケていった」という共通点があるはずです。これは「遺伝子異常」によるのではなく、単にその家庭の「文化継承」と考えればいいのです。仕事一筋、趣味や友人もなく、何か起きてしまえばナイナイづくしの生活をするしかないような、よくない文化は継承しないようにしましょう(笑)


8月の右脳訓練ー「カメラを止めないで」&ショーメ展

2018年08月24日 | 私の右脳ライフ

半月ぶりの東京でした。高校同窓会の幹事会出席が最重要課題だったのですが、それだけというのも…ということで、映画と美術展を楽しむことにしました。情報を収集するにはネットが便利ですね。電車の時刻も映画の上映情報も全部チェック。一番都合のいいところを選べます。
映画館は、今年3月にオープンしたばかりの日比谷ミッドタウン。

二回目(「4月の右脳訓練―東京で」の後半)でしたから、スムーズに第5スクリーンに到着。家を出たのが8時過ぎ。着席した時は10:35。予告編開始が10:40という離れ業。
「カメラを止めないで」この映画はその制作方法がユニークで評判を呼んでいます。ホラー映画に見えるのに喜劇というのが、見たらよくわかります。入れ子状態の設定が秀逸なアイディアです。ただ私は前半のホラー映画の部分を見るのに、とてもとても努力がいりました。後半は笑いながら見たのですけれど。
ちょっと疲れてロビーまで出たところ、たくさんの人たちが写真を撮っていましたので、私もパチリ。スナック売り場も広いです。

TOHOシネマですから、ゴジラがロビーにいます。

ゴジラのしっぽ側の窓からの景色。日比谷一等地にあるビル4階ですから、お堀を見下ろすこのような眺望も楽しめます。

三菱一号館の「ショーメ展」

私の興味の傾向からいえばショーメ展には行かないのですが、先日世界的なアンティークジュエリーの収集家のお話を伺う機会がありました。「もし安定を求めるとしたら、その究極の姿は宝石です。最も安定した姿は結晶ですから」ビッグバンから始まり地球創生期、山河や人類誕生。そして記録された歴史の舞台で、さまざまな形で登場する宝石に、このような見方があるとは思いませんでしたので、とても印象に残りました。下の写真は展覧会のパンフレット表紙より。

さらに興味深い解説も伺いました。
「宝石は地球が作り出した美。ジュエリーは人間の祈りの造形」「宝飾品は本来は、身を飾る人の生命を荘厳し、穢れをはらうもの。聖職者はその証として宝石を身につけた」そしてショーメ展を勧めてくださったのです。
ティアラの部屋がありました。

ここだけは撮影可でしたが「立ち止まらないで」という指示があるくらいの客がいました。
現代の作品。

三菱一号館美術館には何度か行っていますが、この美術館の持つ佇まいが、このコレクションと絶妙に呼応していると思いました。十分に満足できる展覧会でした。
一画にこの建物と静嘉堂文庫美術館の資料館が併設されています。

この建物は、三菱に払い下げられた東京丸の内地区で、日本初のオフィスビルとして建てられたことは結構知られていると思います。予想通り明治期の建築物というと名前のあがるジョサイア・コンドルが設計監督したものです。1894年の完成です。後に日本銀行本店、旧赤坂離宮と並ぶ「明治の三大建築物」に挙げられています。
復元には、展示されているビデオをみたら大変な努力が必要だったことがよくわかります。2010年完成。
さらに奥まった所には、静嘉堂文庫が持っている国宝や重文作品をデジタル画像と解説で楽しめるスペースが用意されていました。

新橋駅前での同窓会幹事会の開始時刻に合わせて、ゆっくり鑑賞することができました。もちろんグーグルマップで所要時間の確認をして、逆算しました。

 

 

 

 

 

 

 


8月の右脳訓練ーふるさとノスタルジック紀行(付録)

2018年08月17日 | 右脳の働き

戸畑で泊まった、築100年を超すいくよ旅館のトイレの前の鏡です。
「ルービンリキ」と「ンモレンリキ」にご注目。

横書きが、左から右へ読み進める左横書きになったのは、戦後GHQが決めたことだとばかり思っていました。
ブログに書くためにウィキペディアでちょっと調べてみたら、おもしろいことがわかりました。
「縦書きと横書き」

日本語表記は当然上から下、右から左が原則なのです。扁額などにあるように、右から左に読み進める横書きがありますね。これはあくまでも縦書きを右から左に読み進めているのだそうです。一行一字の縦書きということです。(スペースがあれば二字以上のものもあるそうです)
また横書きが使われるようになったのは、戦後どころか、江戸時代。蘭学が入ってきたことがきっかけだったとか。一行一文字の右縦書きではない、右横書きが散見されるようになりました。
太平洋戦争前から、文部省や陸軍が左横書きを推奨したにもかかわらず、国粋主義的な動きで実現に至らなかったという経緯もありました。
表記に関して強制的なことは行われなかったようですが、1951年に「公用文は効率上なるべく左横書きにする」という通達があり、そっれから半世紀たって2001年から裁判所における公文書も横書きになったということらしいです。
若戸大橋を望む戸畑駅前の小さなロータリーに若山牧水の歌碑がありました。自然石に縦書きで彫り込まれています。

横の解説版は横書き。この縦と横の使い分けはとっても納得性がありますね。
短歌や俳句などはどうしても縦書きでしょう。逆だと芸術性を感じないかも。これは右脳の世界。
解説には芸術性は不要で、論理的にきちんと説明できていればいいのです。左脳の世界。
このくらい縦横自由に使い分けることができる言語は珍しいでしょうね。

牧水が3度も戸畑に立ち寄ったことなど、全く知りませんでした。この齢になっても、新しいことを知る喜びってありますね。
もちろん古い懐かしいものにも心動かされます。
年若い後輩(30年後輩!)が、「世界の文房具展」に連れて行ってくれました。最新の文房具がたくさん展示されていましたが、会場にむかしの教室が復元されていました。まさに私の小学生時代!こんな机で勉強しました。

そしてまたその一角に、謄写版が。学校からの配り物は先生が謄写版で刷ったものを用意してくださっていました。ほとんどが縦書きだったと思います。

実は、私の家にも謄写版がありました。
夏休みの自主勉強用のプリントを父が作ってくれたことを、突然思い出しました。日付や天気を記入して、漢字や計算練習のコーナーや自由に書き込むコーナーなどがあって、1日1枚ずつ書いて最後に白表紙で綴じて提出するのです。決して勉強を強いる家庭ではありませんでしたが、教育熱心ではあったのかもしれません。

一緒にいた後輩に「やすり版の上に蝋紙を置いて鉄筆で一文字ずつ書いていくのよ」と説明していたら、ありました!そうこれです!60年のタイムスリップにちょっと興奮してしまいました。
会場には、記念撮影コーナーや最新鋭の文房具の展示もありました。

帰宅後アマゾンで早速注文しました。新しいコンセプトのホッチキスです。

ギャラリーの中では、新しい便利なものや、古い懐かしいものに触れあえることができ、脳がくすぐられたような気がしましたよ。
会場の北九州イノベーションギャラリーは産業技術保存継承センターともいわれ、官営八幡製鉄所の資料も展示されていて、会場そのものが新旧を包含したものでしたね。
暑い中、付き合ってくださった後輩のM島さん、本当にありがとうございました。

出口に掲げられていた八幡中央高校書道部による書道パフォーマンス作品。縦書きと横書きが無理なく一つの世界を作っていますね。
日本語の妙味です。


8月の右脳訓練ーふるさとノスタルジック紀行(同窓会総会後半に認知症予防メモ)

2018年08月15日 | 正常から認知症への移り変わり


同窓会のクライマックスといえば、「応援団演舞(OB)」それに続く校歌斉唱でしょう。

何回生かわかりませんでしたが、一生懸命さに心打たれました。見せてもらっている私ですら、彼らの高校生時代が眼前に繰り広げられるような気になるのですから、当事者の皆さんの心中はいかばかりかと。かつての紅顔の美少年たち、本当にありがとうございました。
応援団演武の時は息を凝らして見るのですが、全員参加になると会場はこんな様子になります。

恒例の当番幹事が全員登壇しての挨拶。この後、来年の幹事が抱負を述べました。
戸畑校区天籟同窓会の代表幹事は、一応3学年で担当します。今年の幹事は真ん中の学年、1年先輩たちは経験者としてサポート。1年後輩も来年のためにかかわっているようです。なかなかいいシステムですね。
今年のテーマは「縁」さて来年はどんなテーマのもとに集うことになるのでしょうか?
ところで今年の幹事は50回生、来年はなんと51回生が担当だとか。

ちょっと付録を。同期生のO田さんがラインに送ってくれました。関東支部の面々です。関東支部の和気藹々さが伝わるでしょうか?

ところで、同窓会総会の前夜祭?として、高校時代の友人たちが集まってきてくれました。談論風発。アッという間の4時間でした。
そして、同窓会総会の後夜祭は、何と56年ぶりの中学校クラス会。こちらも4時間!
何十年もの時間を飛び越えて、記憶を補い合いつつ盛り上がりました。その時どちらの会でも、「こんなの、知ってる?」とか「これを見せてあげたくて」とコピーして用意してくれた友達がいました。

初発は「笑点」だということを聞きましたがはっきりしません。私はフェイスブックで目にして、1人だったのでクスクスと笑いながら読みました。
ただし、骨、血糖値、アメリカと対戦、オリンピックまで生きたい、嵐寛寿郎は普通の81歳にあてはまりますが、逆走、風呂、何も覚えてない、徘徊は普通の81歳では起きません。全部認知症になって初めて出てくる症状です。
それなのに何となく、「81歳なら、あてはまる」と思ってしまうのはなぜでしょうか?
認知症のベースに加齢があるということと無関係ではないはずです。
こういうのもありました。

その通り、私たちは誰しも老いていくのです!特に肉体的な衰えはここにかかれている通りです。
ですが、それすら個人差があります。
まして脳の老化に関してはその差は大きなものがありますね!

これを紹介してくれた同級生は、第二の人生になって勧められるままに運動も、カラオケもサークルに参加して、人生を楽しんでいます。「千文字歌うのは4曲~5曲必要」という注釈もついていました。

これも。

私が初めて目にした時は、「きょういく」と「きょうよう」だけでしたから「きょうかん」をたしました。
共感ではなく「今日、感動した」の意味です。
これらの情報は、人は誰でも老いていくという圧倒的な真実と、その老いを少しでも先延ばしにする工夫があるという教示ではないでしょうか?
認知症予防の鍵は、生活態度そのものにあります。いかに生き生きと自分の脳をフル回転させるか。特に前頭葉を使う大切さに気付いているような表現もありますね。
生活者の視点から認知症を見るときには、高齢者が、何らかのきっかけで、ないナイナイ尽くしの生活に入るところから始まって小ボケ、中ボケと進んでいって10年近くもかけて、セルフケアもできないような大ボケになるという、ごく普通の認知症の理解ができないはずがありません。認知症を引き起こす犯人は、変化も楽しみもなく生活が活発でないそのような生活が、脳の廃用性の機能低下を起こすという単純なことなのです。紹介された生活の指針はそこを上手についています。


8月の右脳訓練ーふるさとノスタルジック紀行(若戸渡船)

2018年08月14日 | 私の右脳ライフ

いくよ旅館は戸畑駅前にありますが、そのまま海の方に進むとほんの2~3分で若戸渡船乗り場に着きます。洞海湾を挟んだ二つの町、手前の戸畑と湾の向こうの若松を繋いでいます。

母の実家が若松にあったので、子どもの頃よく船に乗って若松に行きました。船の旅といっても本当にあっという間。それでも電車や車に乗って小倉や八幡に行くのとは別の「旅情」を子どもながらに感じたものでした。

乗り場は若戸大橋の橋脚のすぐ下にありました。
まだ7時前にもかかわらず、乗客は自転車に乗った人も含めて10人ほど。大人料金100円。運行時間は3分。
出航してすぐ若戸大橋の下をくぐります。考えたら若戸大橋をくぐったことはあったのでしょうか?橋が開通したら車やバスで若松に行けるようになりましたから。

デッキから振り向きざまに撮りました。

何しろ3分ですから、すぐに到着。
折り返し便で帰ろうかとも思いましたが、せっかくの若松ですから、ちょっと散歩をしてみました。若松レトロとしてほんの少し光が当たっているのが旧古河鉱業若松ビル。

説明板もありました。

官営八幡製鉄所の火入れ式が行われたのは明治34年。
ここに製鉄所が建設された理由は筑豊炭田の石炭を鉄道輸送や遠賀川の水運を使って大量輸送できること。洞海湾を使った鉄鉱石搬入の利便性。そして軍事防衛上要の土地だということは、子どものころから何度も教えてもらいました。
そして「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録決定された1年後に、萩の友人を訪問する機会があって、たくさん勉強をしました。大きな国の動きとともに北九州が工業化されていったことがよくわかりました。
レトロなビルをもう一つ発見。

近づいてみると、やっぱり石炭関係。

筑豊の石炭を遠賀川を使って洞海湾まで持ってきた後は、ごんぞうと呼ばれた人の力で運びあげたのです。
レトロなビル群の道を隔てたところに洞海湾の波が寄せています。石の階段がすり減るほどの荷役の上げ下ろしがあった所だとか。

葦平文学散歩の文字が見えます。小説家火野葦平はごんぞう(沖中仕)を取りまとめる玉井組の跡取りでもありました。子どものころ母が小さな声で「玉井組って気が荒いごんぞうたちの組だから」と、なんだか微妙な声音で話してくれたことをふと思い出しました。結局何が言いたかったんでしょうね。

ごんぞうの説明板


戦後、日本製鉄が解体されて発足した八幡製鉄が巨大化していく過程と、私の成長期とはほとんど重なります。確か小学校6年生の時、東洋一の高炉が「八幡」じゃなく「戸畑」に建設されたと誇らしく思ったことを覚えています。
町に勢いはありましたが、今考えるととんでもない公害の町でもありました。「七色の煙」、「死の洞海湾」などの言葉を問題視することなく使っていましたから。
八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日鉄になったのが1970年。この年に私は大学を卒業しました。
工場の主力が千葉県君津市に移ったのでしょう、この時多くの知り合いが君津市へ移り、これをきっかけに戸畑は次第に勢いをなくしていったのだと思います。
高齢化も進み、人口も減っていってますが、落ち着いたやさしいまちに変貌した戸畑。なんといっても故郷、大好きですが、ちょっとだけ寂しい気持ちが湧き上がってくることも否めません。


8月の右脳訓練ーふるさとノスタルジック紀行(いくよ旅館)

2018年08月12日 | 私の右脳ライフ

母校の同窓会総会に出席するために、故郷北九州に帰りました。
だいたいは小倉駅近くのホテルに泊まりますが、ネット検索していたら戸畑駅前に築100年という旅館があるという情報を見つけました。
予約をしようと電話を入れたら「部屋は用意できるけど、古くてトイレも別だし、それでいいですか?」との返事。
「もちろん。よろしくお願いします」

角をこのように切り取った建て方からして、珍しく心そそられます。入口を入るとかなり広い玄関ホールです。

よく見ると大鵬、佐田の山の手形も。


チェックイン時のご主人。何と同じ戸畑高校の後輩でした。
玄関に立っただけで、贅沢な作りだとすぐにわかりました。奥にみえる応接コーナーのガラスは波打ってるようで磨き板硝子だと思われました。床は小さなタイルが張り詰められています。天井板のすばらしさ!
「この見事な柱は何の木ですか?」とお訊ねしています。「わからないんです」ですって。
ホールの右手には手の込んだ指物職人さんのお仕事。

広い玄関ホールから二階に続く階段は絨毯敷きになっていましたが、本来はサクラの板だったそうで「ぬか袋で磨かないといけないから、面倒でこうしちゃったんでしょう」確かに階段から続く二階の廊下は見事な風格を醸していました。

廊下の風情。各部屋を独立させた造りで、吟味された材料にもこだわりが感じられ、一つ一つの造作も手が込んでいました。

私が泊めて頂いた部屋の入口です。

前室が4帖だったか、お部屋は格調高いものでした。床の間は違い棚付きの二間の本床です。

床脇の窓の細工もスッキリ端正で素晴らしい。

私はこのようなデザインの障子は見たことがありませんでした。欄間も見事。

トイレは、ちょっと残念なことに近代的なものに作り替えられていましたが、壁には歴史を感じさせられるタイル画が存在感を放っていました。

二室あるトイレの両方とも。見事です。

作者のお孫さんが来られたことがあるそうで「当時、高い評価を受けていた方の作品だということが初めて分かったんです」とご主人が言われました。
トイレ前の廊下です。出窓は何の木でしょうか、みごとな一枚板。そして年代物の火鉢が無造作に置かれていました。

知識のある方が見たら、いくよ旅館は宝の山ではないでしょうか?
維持されることは大変でしょうが、どうにか保存できないものかと思いました。
私の住んでいる伊東市には東海館という旅館を保存して観光の目玉にしている施設があります。温泉旅館と商工業で栄えた町のトップ料亭や旅館として営業したいくよ旅館には差異があることは当たり前でしょうが、大正期~昭和初期の建築物としてどこか共通するものを感じました。
泊めて頂いて本当によかったです。ありがとうございました。


8月の右脳訓練ー大山祇神社にお参りする

2018年08月11日 | 私の右脳ライフ

ふるさと北九州で開催される、戸畑高校天籟同窓会総会出席のため、帰省しました。
旅程を立てていた時に「大山祇神社」の文字が飛び込んできました。

全国の山神社や三島神社約一万社の総本山がしまなみ海道の大三島にあること、福山から国道2号線経由で1時間もかからないことがわかりました。
学生時代から数えると何十回も山陽道を往来したのに、一度も寄り道をしようと思ったこともなかったのです。綿密に計画を立てることも大切ですが、ひょんなノリで旅をアレンジするのもまた楽しいものですよ。総鎮守というのは、なんだか優しそうでもあり、頼り甲斐もありそうです。



翌朝お参りに。
清々しいお宮でした。総門が新しく整えられていましたが、この門もまた長い時間を重ねていくうちにごく自然に神域の一部になっていくのだろうと感じました。

大山祇大神をここにお祭りした乎知命お手植えと言われる樹齢2600年の楠がご神木として注連縄を張られて大切にされていました。参道というより広い前庭と言ったほうが適切なようなひろばに圧倒的な存在感を漂わせていました。

山の神さまということと関係があるのか、巨木が境内のあちらこちらにあります。楠の枝を目で追っていくと、とんでもないところまで、縦にというよりもむしろ横に枝を伸ばしています。その縦横無尽さには、大きな力を感じます。

案内板には、日本最古3000年の文字が。

生樹の御門(いききのごもん)。強力なパワースポットとガイドブックに書いてありました。何しろ巨木ですから、全体像を写すのも大変ですが、一応挑戦。

巨木の幹の下部が二つに割れて「通行、可!」になっているのです。様子がうまく伝わるといいのですが…

途中はこんな感じです。樹木の中というよりも「悠久の時」が作り上げた自然そのものの中にいるような気持ちになりました。まるで岩山の祠のようでした。

通り抜けて振り返って見ました。

圧倒的な巨木群を見るだけでも大山祇神社にお詣りしたかいはありました。ここの地域は長い時間どんなに大切に敬われてきたことでしょう。その思いを継続させたのは神様なのか、自然そのものなのか、人智を超えたものに対する畏怖なのか。

神門からお詣りします。門をくぐると正面に拝殿が。

拝殿の飾りない力強さには心惹かれました。

手前には回廊が巡らされています。

回廊には参拝した方々の写真が掲げられていました。政財界の人たちのほか、昔は軍人、今は海上自衛隊や海上保安庁の方々が目立ちます。大山祇大神は瀬戸内水軍の守り神として崇められた神様でもあるのです。
日本にある国宝、重文指定を受けた武具のうち8割がここにあるとか。刀剣も何振りも国宝がありました。頼朝、義経奉納の甲冑も国宝指定を受けていました!何しろ「国宝館」があるのです。東郷平八郎書

撮影禁止ですから、入り口の手前から撮って見ました。甲冑が20体以上も展示されていました。

ポスターで雰囲気を感じてください。頼朝、義経奉納の甲冑は国宝でした。この頼朝奉納の甲冑は紫綾威(むらさきあやおどし)鎧(大袖付)と言われます。ちなみに義経奉納の甲冑は赤糸威(あかいとおどし)鎧(大袖付)といわれ小花があしらわれたどこか可憐さを感じるものでした。

先に生きた人たちは、敬虔な気持ちを持って、自然を大切にしたのでしょう。神様という名前を使おうと使わなかろうと、畏怖の気持ちを大切にして生きることを忘れないようにしたいと大三島大山祇神社のお参りは感じさせてくれました。


脳機能と運転能力

2018年08月07日 | 正常から認知症への移り変わり

新聞記事に目が留まりました。最近新しい読者の方がいらっしゃるようですから、以前に書いた記事もアップしてみましょう。
近所のJガーデンのアウトドアリビングが完成しました。

「自動車販売店で、車検を受けようとした男性(69歳)が認知症が疑われたために、店は警察に相談。警察と親族で運転をやめるように説得したが聞き入れず、自宅から車を走らせたところで道路運送車両法違反(無車検)容疑で現行犯逮捕。釈放の翌日病院で認知症と診断された」読売新聞
高齢者のさまざまな事故が報告されています。
最近は、上記の記事のように「認知症」にその原因を求めることが多くなってきて、私は当然の帰結だと思っています。
入口A

ちょっと感慨深くもあります。
つい最近まで「認知症」というと、私たちの区分でいう脳機能が「大ボケレベル」になった人たちのことでした。前頭葉機能はもちろんのこと、一般的な認知機能までもが極端に低下した状態に陥ってしまっているために、セルフケアも満足にできなくなってしまっている人たち。
別の表現にしてみましょう。見当識が曖昧なため、ここがどこか(徘徊)、今がいつか(夜中に騒ぐ)、目の前の人がだれなのか分からなくなっている人たち。
そういう状態になって「認知症」といったものです。
事故が多発するものですから、捨てておけなくなったんですね・・・
入口Bのゲートトップ

ドクターが「認知症」と診断してくださったようですが、さてどのレベルなのでしょうね。回復の手立ての指導はあったのでしょうか?
認知症高齢者による交通事故防止のカギは、前頭葉機能検査

症状から判断するのではなく、なぜそのような症状を引き起こすのかを脳機能から理解していく姿勢が本当に必要だと思います。
窓。まるで一幅の絵画です。

1年前に、テレビで「やすらぎの郷」という連続ドラマが放映されました。マスコミ関係で活躍して高齢になった人たちの老人ホームを舞台にいろいろなドラマが起きるのですが、ときどきあり得ない設定が顔を出しました。脳機能から言ってですが。ご参考までに。

認知症高齢者が140キロで高速道路逆走はムリー「やすらぎの郷」8/21~22放映

上記の記事にもリンクを貼っておきました。ずいぶん前に書いた記事ですが日常的に役に立つのはこの記事でしょう。ご一読ください。

正常から認知症への移り変わり「スピードが遅すぎて怖いんです」(2008年6月)


群盲評象

2018年08月04日 | 二段階方式って?

若い読者の方は、今日の表題?と思ったかもしれません。
フロックス(散歩途中、いつもきれいにお花を咲かせているお宅の方が、招じ入れてくださいました)

この成句の意味の解説から始めましょうか。
目が見えない人を集めて象に触ってもらい、それぞれキャッチした「象」の説明を求めると、それぞれの人が触った部分の説明を「象」と主張したというインドの故事から来ています。
触った場所が、鼻、耳、脚、牙、しっぽだとしたら、たしかにまったく違う説明に終始してしまうことはよくわかります。
キキョウ

「象」という全体を知らないために、自分が触った部分こそ「象」であると思い込んでしまう。正しいと信じ込んでいることが全体ではなくそのものの一部にしか過ぎないことに対する警句です。
差別用語の印象が強いためか、最近使われることが少ないようですが、「目が見えない」というのは象徴的で盲人というよりも物事の本質が見えない人の意味なのですが。ちなみにブッダは「悟りの境地にある人、つまり目覚めた人」という意味です。
ヒャクニチソウ

ついでに。
小人物には、大人物の評価はできないという意味にも使われます。
ヒャクニチソウ

閑話休題(カンワキュウダイ。それはさておき話を戻しての意味)
国立精神神経医療研究センターの「認知症のリスク因子研究」の紹介記事に目が留まりました₊。(2018.7.19.産経新聞)
見出しは「日常活動、社交性が大切」でした。40歳以上の男女を対象にネットを通じて調査するという新しいやり方で、半年のスパンを開けて二回認知機能検査を行うというものです。認知機能低下の項目として1「加齢」2「毎日の活動力や周囲への興味の減少」3「聴力の損失」4「体のどこかに痛みがある」5「人生が空っぽに感じた」などの項目が強く関係していた
結論として、「新しいことに取り組むと脳が刺激されるといわれる。他者との交流が予防策の一つになれば」との意見を紹介していました。
ヒャクニチソウ

報道されたのはほんの一部かもしれませんが、一瞥しただけで、質問したくなるところがたくさんあります。
認知機能は「単語をどのくらい憶えていられるかのテスト」ということで、いくらなんでもそれだけで認知機能のレベルを決めることができるかどうかという疑問。
先にあげた2「毎日の活動力や周囲への興味の減少」5「人生が空っぽに感じた」これらは、このブログで何度も話しているように前頭葉機能低下の症状です。つまり前頭葉機能が低下すると「新しいことに取り組む意欲も、他者との交流を求める気持ちもなくなる」のです。卵が先か鶏が先かの議論が必要なテーマです。
ルリタマアザミ

疑問は全部横に置いて、国立精神神経研究センターが、少なくとも認知症予防に「日常活動、社交性が大切」と発表したことを評価したいと思ったのです。
私たちエイジングライフ研究所は、認知症は前頭葉を含む脳全体の使い方が足りなくて発症する、いわば生活習慣病であることを、長く主張してきました。
日本における研究者分野の趨勢は、アミロイドβやタウ蛋白や脳の萎縮などに、認知症の原因を求め続けています。アセチルコリンが原因物質と言われたこともありますが、これは否定されました。アミロイドβ説も世界的には過去のものになりつつあります。例えば世界屈指の製薬メーカーである、イーライリリー社が「アミロイドβにターゲットをおいた認知症の治療薬開発からは手を引く。期待の大きさを理解していただけに残念」という発表があったのですよ・・・

【米イーライリリー】認知症治療薬「セマガセスタット」の開発を中止

そんな中で新しい視点を持ってくださったと、私はうれしく思いました。
コンロンカ

ところが、ところがです。
FBを眺めていたら、「認知機能を維持する『ノビレチン』で人生100年時代を凛と生きる」という宣伝ページが飛び込んできました。
これは宣伝のページではあるのですが、国立長寿医療研究センターのドクターが、その大部分の解説をしていらっしゃいます。
「認知機能維持に重要な3つの行動」として「運動」「食事」「社会・知的活動」をあげた後で、アルツハイマーマウスを使った実験で「ノビレチン」を投与するとアミロイドβがたまりにくくなるという結果や最近の研究結果までを紹介。
沖縄の高齢者が元気なのは「ノビレチン」を多く含むシークァーサー摂取のためという推論まで記されていました。
この花の名前は「度忘れ」と言われました。私も聞いたことはあるのですが度忘れ(笑)

「国立」を冠した研究機関に所属していらっしゃるドクターが、まったく違う見解を述べてしまわれるのが「認知症」という巨象なのです。
正しい視点を持って眺めたとき、いくら巨大でもその全体像を見ることはできます。その条件は二つでしょう。
生活実態からではなく、その実態を生み出す脳機能から見る。特に前頭葉に注目する。(マウスには前頭葉がないので、アルツハイマーマウスの実験では、ヒトの前頭葉機能は理解できません)
セルフケアもおぼつかないようなレベルではなく、正常レベルからどのように認知症が始まっていくかを知る。

スエ―デンのカロリンスカ研究所の研究発表を日経サイエンスで見つけて、ちょっとうれしくなったこともついでに報告します。
大規模調査で見えたカギ 生活習慣でリスク低減









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