脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

かくしゃくヒント38-脳出血を乗り越えて、今ジャズ喫茶オーナー

2023年05月26日 | かくしゃくヒント
友人が「女性写真家が撮った馬の写真展に行きましょう」と誘ってくれました。
場所を尋ねると「JAZZ倶楽部1946」。初めて聞く店名なので、さっそくグーグルマップで検索。伊豆高原桜並木から一本奥まっているので、今まで一度も行ったことがないところです。もうそれだけで未知への探検でちょっとワクワクしてきます。

写真展も素晴らしく、白馬が躍動している写真の前で、息がはずむような気がしました。でも今日は写真展の報告ではないのです。
珈琲をいただくつもりだったのにランチもオッケーといわれて、さっそくカウンターに席を用意していただきました。
テーブルのすぐ向こうにオーナーの笑顔が。そこそこお歳のはずなのに(店名に「1946」とあるのでこれはお生まれになった年だと推理した結果ですが当たり!)醸し出す雰囲気がおしゃれで明るく、とても話しかけやすいのです。

店内を移動されるときに、ちょっとご不自由な感じがありました。
私はどういう伺い方をしたか…「ちょっと歩きにくいようですね」と単刀直入に伺った気がします。

とってもフランクに「7年前に脳出血をやったんですよ」と話し始めてくださいました。
「後遺症としては、ことばの障害というよりもちょっと呂律が回らないということと、左半身にマヒが起きて寝たきり。その病院は安全第一の方針で、リハビリもしてくれない。マヒのせいだけでなく、こんなことをしていたら筋肉がなくなってしまってこのまま動けなくなってしまうのではないかと焦ったんです。
2か月後に退院ということになったときに『自分で治して見せる』と啖呵を切って退院。後は自分でやるしかないという状況になったこともよかったのかも。今じゃあ、運転もできるし東京だって平気に往復しますよ。
退院後は湯河原に別荘があったので、そこを拠点にして、よい病院にも恵まれリハビリに励みました。動けるようになったとき熱海に行ったんです。そこで出会ったのが『ジャズ喫茶ゆしま』。100歳近いと言われる高齢女性がきりもりしているお店で、大きな刺激を受けました。
一つはもう少し元気にならなくては!という思いと、もう一つはジャズをやり残していたという思い。
学生時代に先輩に連れて行ってもらったジャズ喫茶にのめりこみ、毎日通った日々のこと。車のBGMは全部ジャズにする程好きだったこと。
もともと、僕はやりたいことは徹底してやるタイプなのに、どうしてジャズのことを置いてきたのだろうと思いましたね。
日常生活はできるようにはなっていたのですが、もっと、もっとと欲が出てきました。結局、自分で自分の体と相談しながら様々なアプローチをしてみて、ほんとにあともう少しでゴールだろうと実感できるところまで来ています。『自分でなでる』ということもやるのですが、その時ジャズのリズムがぴったりなんです!
そうしてリハビリも続けながら、ジャズ喫茶を開くためにお店を探し始めました。熱海から始まってだんだん南下して伊豆高原のこのお店と縁があって、いろいろ手を入れて開店しました。一番のこだわりは音。学生時代に通い詰めたあのジャズ喫茶の『音』を再現したいけど、今はCDでしょう。
散々こだわって(ここの説明は私の理解が及びませんでした)二組のスピーカーを設置してまあ合格だと開店したのが2020年11月」
初めて私からの質問「まあ、ちょうどコロナですね!」

「そうなんですよ。それに僕はコーヒーにもちょっと自信があって、多分この辺で一番美味しいと思ってるくらいだけどね。最初は一日5人でもお客さんが来てくれたらいいと思って始めたものだから、特に焦りはなかったなあ。面白いものでお客さんが来てくれるようになると欲が出てくる。ちょうど手伝ってくれる人も決まってこのおいしいランチまで提供できるようになりました。
とにかくジャズ好きな人に、若いころ好きだった曲を聞いてもらって当時の記憶を呼び覚ませられたら脳が活性化するでしょう。それがやりたい」

右脳出血でかなりの後遺症を抱えて、ここまで「自力」で回復をした人を私はほとんど知りません、何人かのお顔が浮かぶだけです。

こんどは私がうかがう番です。
卒中の後遺症からここまで回復させることができた前頭葉はどうしてできあがったのか?どういう人生を送ってこられたのか?どういう前頭葉の使い方をなさってこられたのか?
一つも嫌な顔をされず、むしろイキイキと前半生を語ってくださいました。
そのお話をちょっと時系列に沿ってまとめてみます。
ご自分でデザインされた暖簾

大学の専攻は通信分野。ご両親が「堅かったので」といわれましたが、卒業後ご両親の意向を受けた選択だったのでしょうか「堅い」一流会社に勤務。ただし「3年は勤めよう」というつもりだったので3年で退職。「さあ何をやりたいか」と思ったときに浮かんだのはメーキャップアーティスト。専門学校に通って資格を取っても、思い描く仕事につながらない。次に挑戦したのは、企業勤務の時詳しくなったカメラ技術を生かしたプロカメラマンの道。ご両親の教えに沿ったかどうか聞き忘れましたが、その能力を発揮する場所として「堅い」霞が関官庁街をまず想定し、どの省庁が一番仕事があるだろうと考えた時、答えは全国に郵便局を抱える「郵政省」。詳しいお仕事の内容は伺いませんでしたが、写真作品が切手に採用されたこともおありだとか。そこから始めて霞が関の官庁にはほとんど関係ができたというのですからすごいことです。「きちんと予算付けしてもらった仕事をした」という説明もありました。
蒔絵が施されたお盆でコーヒーは提供されます。

とにかく話の中心には「自分が興味を持ったこと、やりたいことについては徹底的に追求した」という精神が感じられました。
カメラマンとしては風景が中心だといわれましたから、「日本中回られた方に聞くのは難しい質問でしょうが、どこの景色が…」と伺うと即答。
「ニセコのブナ林。春になるとブナの木の根元の雪が一足先に溶けて丸い土が見える、その景色」
そこで私が「十日町市松之山の美人林で教えてもらいました高齢化率42.3%-十日町市松之山」といったら「ニセコは規模が違う」と。オーナーの目にはニセコの広大なブナ林が見えているようでした。
「つい先日京都にも行ってみたら、ちゃんと思うような写真が撮れた」とおっしゃったので、とうぜんどこか尋ねます。
「天龍寺の奥の竹林。機材が重いけど様々に工夫して。けっこう自信がついたなあ。後は長崎にも行きたいし」
何というビビッドな心の動きでしょうか!

脳卒中は原則的に右脳か左脳かに起こります。脳卒中を起こしてしまうと、重症度は様々ですが後遺症は覚悟しなくてはいけません。後遺症も右脳か左脳の担う機能が障害されるという形で起きてきます。形の認識がおかしくなっても、ことばに障害がおきても、これは認知症ではありません。これは脳が損傷されたためにできなくなったこと、後遺症です。
認知症は脳機能全般に機能低下が起きると定義されています。
脳卒中後に脳血管性認知症になったといわれる人は、残念ながらたくさんいると思います。これは間違っています。
右脳でも左脳でも、卒中が起きてその結果後遺症が残った。卒中が起きてない方の脳は健全ですよ。でも「できないこと」はよく認識され「できる」ことには気が付かない。その結果脳卒中を起こしたのだから何もかもできない、できなくて当然だという誤解の下に、何もしない生活を半年も続けていると、病気直後には何ともなかった方の脳機能までもが、着々と低下してしまいます。ここで認知症への道が開けてしまうのです。
開業医が「脳血管性認知症は、だいたい発病後半年くらいして起きてくる」といわれるのは、実態を見ているという意味では正しく、脳機能という切り口がないのは、実体を見誤っているということになります。
脳卒中その後の後遺症という試練が降りかかってきただけでなく、認知症というさらに厳しい人生にはまり込まないようにすることは可能であるということをよく知っておいてほしいのです。
『JAZZ倶楽部1946』のオーナー麻賀進さんがその証人です。






認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。

「物忘れは認知症の始まり」ではない

2023年05月24日 | 前頭葉の働き
「物忘れは認知症の始まり」と思っている人は多い、というよりもこれは世の常識と言うべきものでしょう。
日本でも良く引用される、アメリカの精神疾患診断マニュアル(DSM) によると、認知症と診断するための第一要件として「記憶障害」が挙げられています。
でも「物忘れは認知症の始まり」これは間違い!
幻想的な大島

エイジングライフ研究所の主張を聞いてください。認知症は、脳が本来持っている正常老化に更なる異常な老化が加味されたものと考えます。その異常老化が起きるのはなぜかというと、脳の使い方が足りないから老化が早まるという極々単純なメカニズムなのです。
足腰は歳と共に衰える。体調を崩して安静にしているとあっという間に足腰の筋肉が衰えてしまうという状態によく似ています。これは廃用性(筋)萎縮と言われますが、脳の場合は、廃用性機能低下といえばピタリと状態を表現できると思います。
「脳を使わない」というのは、人生で起きてくる生活の大きな変化や出来事をきっかけに、生きる意欲を失ってしまって、生きがいも趣味も交遊もなく、当然運動もせず家に閉じこもっている状態です。そうすると脳の老化が加速されていくわけですが、その時に一番最初に老化を始めるのは、実は前頭葉機能なのです。
狩野川の鮎漁解禁

世の中では誰も気づいていませんが、二段階方式を導入した市町村の保健師さんが驚きながら報告してくれました。
「記憶チェックの項目に何の問題もないのに、前頭葉がはっきり不合格なんです!」
「MMSE(世界中で使われている簡易な知能検査。記憶もチェックする)が満点なのに、前頭葉検査が全然できません
「たしかに、物忘れの前に前頭葉機能低下があるんですね」
このように前頭葉機能だけが異常値にある状態が、認知症の最も早期の段階(小ボケ)です。
ところが認知症を脳機能からみるという考え方がない、つまり症状からだけみようとすると、小ボケを見落としてしまいます。
理由は前頭葉機能低下に気づかないから。前頭葉機能そのものも理解されているとはいえないから、当たり前といえば当たり前ですが。
本人は「最近の自分は何か変。注意を集中したり分配したりできなくて、なんだか上の空状態。興味が湧かない。とにかく意欲が落ちてしまって何もしたくない」ということには気づいていますが、これが認知症の始まりとは思っていないのです。
脳機能検査が必須ということがよくわかりますね。
河津町バガテル公園

「認知症の始まりは物忘れではなく、意欲低下」
このキャッチフレーズを、もう少し皆さんに知ってもらいたいと思います。
「意欲や興味」
変化のない、淡々とした日々の中から「意欲や興味」を引き出すことの難しさは、この3年間のコロナ対策の三密回避の生活の時に実感した人も多いのではないでしょうか?
Stay Homeといわれ始めた頃に、いろいろな、例えば愛読書を紹介しつつ友人にバトンタッチしたり、zoomを使って楽器を合奏したり、ダンスをしたりという働きかけがあって、一つの潮流になりました。それは、普通に仕事をしたり遊んだりする生活(そのような生活を支える脳の使い方をしている)が、その直前まであったから、誘いかけに応ずることができたというふうに思っています。
三密を厳守した3年後だと、あれほどの盛り上がりを見せたでしょうか?もちろん正常老化があるので高齢者の方が、脳を使わない影響は大きいのです。
私の日常生活を振り返ってみても、スケジュールがいくつか入っている週の方が、意欲的に生活ができていると感じています。
ニコライベルグマンの花束

意欲や興味は、もちろん元々の好き嫌いにも大きく影響されます。苦手な分野に対して意欲や興味を出すことは大きなエネルギーが必要になります。
私は人を招いて一緒に食事をするというようなことなら、すぐ意欲が出てきて動き始めることができます。と書きながら、3年前と比較してみると面倒に思う点はないだろうかと自問して…企画ということでは少し落ちてるかもと思いつつ正常老化もあるので一応合格かなとジャッジしました。
苦手なことは先延ばしの傾向は否定できません。

暖かい夏のような日が続いたのに、今日は一転して寒い雨の一日でした。
朝食後、懸案事項に取り掛かろうと決心したことはしたのですが、本を読んだり電話をしたり、時間はどんどん経っていきました。
テーマは動画の編集。
私の人生はホームビデオも撮らないままに過ぎてしまったのです。このアイフォンになって動画を少し撮り始め、ブログにほんの数回、動画をあげたこともあるのです。
狩野川

話は突然大きく変わります。
旅をする蝶として有名なアサギマダラ。私の住んでいる伊豆でも、秋に花を咲かせるフジバカマを植えてアサギマダラを呼んでいるところが何箇所もあります。南下していくアサギマダラの餌場ということですね。
何年か前に夏野菜の苗をホームセンターで買いました。金時草(キンジソウ)というネームプレートを初めて見て、植えてみようと思ったのです。
お浸しや天ぷらなどで食べたのですが、何しろ繁殖力が強くて、夫婦二人では食べきれない。どんどん増えて2〜3年のうちに一株がたたみ一畳にも広がりました。
道の駅伊豆月ヶ瀬

そして、ふと気づくとアサギマダラが来るようになっていたのです。
去年は10頭も群れ飛んで、まるで夢のよう。警戒心のない蝶で体に触りそうな時もあるくらいでした。
春にアサギマダラが来る伊豆。長旅の途中に好物があればアサギマダラへのエールにもなる。というワクワクした思いで何ヶ所か嫁入りさせました。ニューヨークランプミュージアム、りんがふらんか、シーフロントダイブショップ、まねきねこ。あとは友人たち。
伊豆高原駅のオリーブ

友人たちと情報交換もしたいので、構えておいて写真を撮るのですが、残念なことに蜜を吸う時には羽を合わせて立てるので、浅葱色が見えないのです。
色だけでなくヒラヒラ飛ぶ姿も優しく素敵なので、これは動画を撮るしかない!
撮りましたが、精一杯追いかけるのにほとんど写っていない。それどころか再生するとなんだか酔ってしまうありさま。
これは編集するしかないでしょう!と思い腰を上げたというのがことの顛末です。
最初は無料アプリをチェックしましたが、基本的なことだけできればいいので再検索。インストール済みのiMovieで十分といわれ画像説明を参考にしながら、トライ&エラー。
なんだかわからない…なぜできない…ある時突然納得できるという、全く想定内の経過でした。そこにいくまで持久力がちょっといりました。
1分50秒の動画を18秒にカットしました。
アサギマダラを見てください!

https://youtube.com/watch?v=s04jDO_Wxu8
どうしてでしょうか?YouTubeでグーブログと共有してるはずなのに、画面が出ません…
お手数ですが、コピペしてご覧くだされば…と。
もうひと工夫して見ました。これで多分ご覧いただけるかなと思います!


宮崎郁子 "Wally and Egon"展

2023年05月17日 | 前頭葉の働き
この展覧会が開催されたカスヤの森現代美術館のパンフレットの紹介文です。
「幼少期より人形に親しみ、独学で作り続けてきた宮崎郁子は1995年に画集を通しウィーンの世紀末転換期の画家エゴン・シーレ(1890-1918)の作品と出会い、その絵画に導かれるようにシーレの残した作品を主題にして自身の制作を続けている。それは、ただ単に絵画の登場人物を造形としてなぞるのでは無く、画面に向かうシーレに時空を越えて寄り添い、モデルたちに触れ、対話するように形作られていく。」
いきさつは後でお話ししますが、「どうしても行きたい!」と思って、横浜在住の友人にも声をかけて片道3時間かけて行ってきました。(5/13)
横須賀線衣笠駅が最寄駅。しっとりとした住宅地の中にカスヤの森現代美術館はありました。

「あ、これこれ。先日、上野の森美術館でのエゴン・シーレ展でも出会った!結構目にすることがある作品が、ドアを開けたら緑の庭をバックに飛び込んできました。

私たちが普段目にするのは、シーレが描いた絵画です。今ここで出迎えてくれているのは「絵」ではなくて「塑像」。でも「像」と呼ぶのに抵抗を感じるのは私だけではないと思います。
「シーレが見たその人がそこにいる」というような圧倒的な存在感を醸し出しています。
左端の水玉模様の洋服を着た方が、作者の宮崎郁子さん。
「形をなぞるのではなく、そのものにエゴン・シーレが相対した時に、シーレが感じたものと同じものをまずキャッチする。」と説明されました。言葉の意味はわかりますが、とてつもなく難しいことではないかとすぐに思い至り、次には「なぜ?そこまで?」という疑問が湧いてきました。
その答えの前に、私がカスヤの森現代美術館にどうしても行こうと決めた経緯をお話しします。
カスヤの森現代美術館
階段を登って。

ウエルカムの生花が素敵。

青く塗られた扉に斬新な意匠の取っ手が!
2018年6月に、高校時代の友人とチェコ旅行を楽しみました。仲間と別れて私たちはそのままプラハに残りました。
チェスキークルムロフへの遠足がその目的。これは大学時代の友人から「世界一素敵な町と言われるのが納得できるとってもかわいい町だから是非」と勧められていたからですが、事前情報を集めている時に、私たちがチェコに滞在しているぴったりその時に「エゴン・シーレアートセンターで日本人女性作家によるエゴン・シーレの人形展がある」ことがわかりました。
その作者は岡山在住の宮崎郁子さんということもわかり、FBで詳細を教えていただきました。
旅の大きな柱であったこの人形展。エゴン・シーレアートセンターに行ったらロープが張られていて休館。スゴスゴとチェスキークルムロフ観光だけを楽しんで帰ったのです。
それから約5年。上野の森美術館でのエゴン・シーレ展開催の情報を得て、これは行かなければと行きました。エゴン・シーレ
その後、カスヤの森現代美術館での宮崎さんの人形展の開催を知りました。
「なんというご縁!これは行かないわけにはいかない」と決心したものの、気がせくばかりで用事に紛れなかなか実現できず、ようやく会期が残り少なくなった5月13日、横浜在住の友人と出かけました。
なんと!その日には宮崎さん在廊中。5年前のことをお話しすると思い出してくださって、一気に気持ちが通じ合いました。

ヴァリー・ノイツェル(下着姿)
どの作品も、生身の人のように「そこにいる」のですが、今回一番取り上げられたのはシーレの恋人であったこのヴァリーさんでしょう。宮崎さんは生きている人に対するのと同じように、当たり前のように、さん付けで呼びました。
宮崎さんは「シーレが、その作品化しようとするモデルさんにあった時に、何を感じたか?どのような思いを持ったか?をわかろうとします。それがないと制作できません。始めた後でもわからなくなることがあって、その時はそのまま触らずに時間を置きます。1ヶ月とか置いておくと、フッと手を加えることができるのですよ」
模写してるのではなく、シーレが感じた気持ちを追体験することで、モデルに生命を吹き込んでゆく…そんな作業のように思いました。

枢機卿と尼僧

グラフ博士

ヴァリー(lover)

ヴァリーのナース服

これは題名は記録していませんが、シーレとヴァリーの寝姿という説明がありました。

カスヤの森現代美術館の館長さんも女性の方で、一緒に行った私の友人と4人、カフェでお話が楽しく盛り上がりました。
その時「どうして人形制作を?」という私の問いには、宮崎さんは笑顔で「シーレに一目惚れ」と答えられました。
「シーレは生きることにちょっと苦しそうなイメージがあったのですが…上野展の解説によるとエゴン・シーレの天賦の才能は早くからちゃんと評価されたんですってね」とお尋ねすると
「そうなんです。玄関ホール時代は幸せだったはずですよ。私はどんな時のシーレもそのままに受け入れます」


そのお話の時、若江館長さんが膝を打つようなことを言われました。
「世の中は、スリーDでなんでもできそうな気分になってきていますが、形はできても、思いや気持ちを込めるということになると大きな隔たりがあって、それは埋められないものだろうと…」
そうですね。それこそが前頭葉のなさしめるところ。AIが最も苦手とするところですから、おっしゃる通りです。
ところで、カフェの窓際のテーブルには、エーディトさん(シーレ夫人)が座っていました。紫色の上着に白い襟。
若江館長さんが「お日様が射した時のこの色が素敵でしょう?」と写真を見せてくださったのですが、その時のエーディトさんがどこか寂しそうだと思ってみていたら、宮崎さんが「エーディトさんはいつもどこか寂しげなんです」と言われました。寂しげに作ろうとするのではなく、出来上がってみると寂しげなのですって。
テーブルにはとても繊細な薔薇がいけられていました。エーディトさんとバラを写真に撮ろうとしてみている時に気づきました。
バラは生きていて、エーディトさんは生きてはいない。
カメラを通して私の目に映るバラはあまりに薄く透き通ったように感じられる花びらのせいか、あまり目にしない薄オレンジ色という色のせいか、丁寧に作られた造花のように見えます。
向こうに座るエーディトさんは、本当にそこでちょっともの悲しげに息をしているように感じられました。


2日後。一緒に行った友人から電話が入りました。
「国会図書館に来たので、少し探してみたら宮崎さんの書かれた文章が見つかったの。
とにかく苦しい生活があったみたい。読みながら、私涙が出たのよ。エゴン・シーレに出会った時は『一目惚れ』というより、ほとんど信仰の対象だったのかも。そこでなら深く息ができるという…だからこそあれだけ希求的に創作できたのかもねえ。心情の伝わる素晴らしい文章だった」
『ユリイカ2月号』ということでしたから、早速注文しました。届いたらゆっくり読ませていただきます。

カスヤの森現代美術館も素晴らしいところでした!





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Webを使ったコミュニケーション

2023年05月08日 | エイジングライフ研究所から
スマフォをためらっている友人たち(高齢者(笑))がいます。
「今更ねぇ~」
「結局、難しくて使いこなせなかったって聞くし」
「怖いことが起きたらいけない。法外な請求が来るとか」
「何かに巻き込まれたらいやだし。ほらフィッシングとか」
「もともと、電話でいいというのが信念だから」とまで言う人もいます。
5月に入った庭の花。小鳥の餌のひまわりの種から咲きました。

私はFBにも参加しブログも書いています。メールもラインも検索も使っていますし、Chat GPTにも挑戦してみました。
最近ちょっと違う効能を感じたことを報告しましょう。
長男がかかわっている会社が、沖縄県で興味深い事業を展開しています。
世界最先端Wi-Fiセンシング技術を使って、つまりマイクやカメラを使用せずに一人暮らしの高齢者をみまもるというものです。具体的には手のひらサイズのセンサーを室内に設置するだけで活動や睡眠を検知し、その結果を離れて住んでいる子供世代は24時間365日共有することができるというものです。
フランソアジュランビル

この「やさしいみまもり」というキャッチフレーズをもつ実証事業は、平成3年度の3市から平成4年度には沖縄県内12市町村まで広がっています。沖縄県全体の65歳以上一人暮らし世帯の60%を超えるところまで広がっているそうです。
このパンフレットがわかりやすいのですが、いつものようにここにアドレスを貼り付けたら読んでいただけるかどうか、やや不安。私の知識はこの程度です(笑)
アヤメ(でいいのか?)

この試みは、究極的なことを考えると孤独死を防ぎうるという目的があると思います。
けれどもそれを目的にしていないことは、パンフレットを見ればよく伝わってきます。自助、共助、公助の言葉がたびたび出てきます。
自助のイメージは、睡眠の質の低下に気づいた家族が受診を進め病気の発見につながるという感じでしょうか。
共助はこの活動を通して地域コミュニケーションの増加を図り、地域のつながりの再構築化をめざす。沖縄にある「結」の精神を取り戻すという言い方もできると思います。
公助は、これらの積み重ねで限りある公費をより有効に使おうとする考えです。
アルベルティーナ

モニター参加された方の感想に興味深いものがありました。
高齢者からは「みまもられていて安心」とか「自分の生活を振り返ることができる(全然動かなかったなど)」の感想が聞かれたそうです。離れて住む子供は「状況がわかって安心」ということは当然ながら「見守っている実感がある」さらに興味深いことに「コミュニケーションのきっかけになる」「連絡が増えた」という感想がみられたということです。
アンジェラ

「コミュニケーションや連絡が増える」状況は、間違いなく高齢者の脳を元気づけます。もちろん生のコミュニケーションの方が表情の読み取りや動作からの印象など脳が活性化される領域は広いのですが、お互いに気持ちはあってもほとんど連絡もなく過ごしている状況と比べると雲泥の差。
日頃の出来事を聞いたり、評価したり、励ましたり、無音な状態とは比べようもなくかかわることができます。「みまもり」の先には「かかわり」が待っていたということですね。
これは大きな自助努力です。この「かかわり」は認知症予防になりうるからです。「家族によるかかわり」から「地域によるかかわり」に発展させて行けたら、その可能性はさらに広がります。
ヒマラヤンポールムスク

私的な報告をつけたします。Webを使ってコミュニケーションを楽しんでいる具体的な報告です。
たまたま長男の趣味が生け花で、池坊を長くやっています。
月一度のお稽古日には長男や友人の皆さんの作品がFBにあげられて、ちょっとした小作品展。花材だけでなく池坊の精神のようなものも気づかされることがあって楽しみにしているのです。
生け花と無関係ではないと思いますが、長男はよく目についた植物(主に花)の投稿をします。
特に身近な野の花だと「私も探してみよう」とワクワク感いっぱい。うまく見つけられたらとても満足して、珍しいお花の時はメールで報告します。一言二言の会話で特別長く言葉を交わすわけではありませんが、このようなコミュニケーションのあり方はなかなか味があるものだと満足しています。(上の2枚がFBの写真、下一枚は私が撮りました)
ホウチャクソウ

キケマン

シャガ

ちょっと考えてみてください。
長男が写真を撮ってFBにあげることは簡単なことです。
ところが私がWebを使えないなら当然それを見ることができない。もし私に見せようと思ったらプリントアウトして、封筒に入れてあて名を書き切手を貼って郵送しなくてはダメ。現役で仕事している息子にそのような手間をかけさせることは忍びないから私の方から遠慮するでしょう。
花を通じたコミュニケーションのせっかくのチャンスを、みすみす逃してしまうのです。
セリバヒエンソウ

キランソウ

沖縄のみまもり事業はWi-Fiを使った新世代の事業で、高齢者はみまもられている状態といえるのですが、このWebの世界で高齢者が受け身になる必要はありません。今報告した長男のFBの花の写真は、とうぜん私宛ではないのに、その情報を勝手に受け取り散歩の目的にしたり、目にした植物がFB上のものと同一か検索してみたり、並べて眺めて満足したり、時には「伊豆にもありました!」と報告したり…私が勝手にWebの世界の情報を使って遊んでいるということですね。
たまたま、いま長男はアメリカ出張中で、いつものように風景、乗り物、食べ物などたくさん写真がFBにあげられます。もちろんアメリカの植物も。見たこともないものもあり、名前は聞いたことがあるものもあり(ハックルベリー。検索したら『ハックルベリーフィンの冒険』が出てきて懐かしさに浸りました)、ほとんど日本のと同じかと思われるものもあり(フウロソウやトクサ)。私の興味と一致してくれているとはいえ、ちょっとした海外旅行みたいです。
ハックルベリー

Webに関しては使いたいことが使えるだけでいいのですから、高齢だからという理由でせっかくの便利な世界に足を踏み入れないでいるのは惜しいと思います。




ピンクパンサー

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