脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

まだまだStay Home中、季節を教えてくれた花々

2020年05月27日 | 私の右脳ライフ
郵便局に用事があって、散歩を兼ねてわざわざ歩いて行きました。道端の花たちが季節がすっかり変わったことを教えてくれました。
ダチュラ
2mくらいもある大株

忍冬をスイカズラと読むことを知ったのはいつのころだったでしょうか。そして金銀花という別名に妙に納得したのも遠い日のことです。最後に知った別名がニューサックルで、これにはなかなかなじめません。だって私には和風な花でしかないものですから。

一か所から出ている花が金銀!まちがえても白黄って言わないでください。
とてもいい香りがします。

きれいなバラを探しながら歩いているのに、もうアジサイが色づいています。うれしい反面、戸惑いも。
私が住んでいる伊豆高原の城ヶ崎海岸には、城ケ崎アジサイという日本アジサイの原種が、遊歩道のすぐそばにたくさん自生しているのです。その城ケ崎アジサイの専門家平澤悟さんから貴重なお話を伺ったことがあります。
城ケ崎アジサイについて勉強しました
最近では、日本アジサイに惹かれて、我が家にも何種類か植えています。楚々とした風情がありますね。
我が家で、今まさに色づき始めたところです。直径8センチくらいです。

冬アジサイという日本アジサイもあります。これは花が大きいことと早咲きが特徴です。この写真は3月10日に撮ったものですがもうしっかり色づいています。もう花は終わりましたから早々と剪定し、挿木してあります。

散歩のときに日本アジサイを見かけることは珍しく、慌ててシャッターを押しました。このお花も10センチに満たないサイズでした。去年はこのお庭にあることには気づかなかったのですが・・・

ふつう、お庭に植えてあるのは、派手やかな西洋アジサイが多いように思います。
散歩途中のお宅。垣根の南側。

垣根の北側。

白花もありました。葉の勢いもあって白くても派手やかですね。

素直なアジサイ?

柏葉アジサイも咲いていました。これは北米から来たアジサイですって。

そうです。バラを探訪していたのでした。見事なバラたちがあふれるように咲いていました。ここは「ローズテラス」というおしゃれショップのオーナーのお家です。

アンジェラでしょうか?誰もいないのですが「あっ」と声が出てしまいます

アップ。

ヒマラヤンポールムスク(これは我が家のです。小さな花でいい香りがします)

優しいピンクのバラ。フランソワジュランビル。このバラはツルバラですが、誘引しないとツルが下がる珍しいタイプです。

実は明日、緊急事態宣言が解除になりましたので、河津町のバガテル公園にバラを見に行きます。
丹精込めてバラを育てていた係の方たちは、どんなに心急いていたことかと思うと、ギリギリ今年のバラを楽しめるタイミングでの解除宣言を一緒に喜びたいと思って。
バガテル公園には、何度も行っているのですが「今年のバラは、今年見ておきたい」と思うようになったのはいつのころからだったでしょうか。
4年前には、大学時代の友人と一緒に楽しみました。












7日間ブックカバーチャレンジ

2020年05月20日 | 私の右脳ライフ
Stay Home に呼応しているのでしょうね。フェイスブック上でバトンつなぎリレーがいろいろな形で繰り広げられています。
「7日間ブックカバーチャレンジ」というものに誘われました。
【読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1日1冊、7日間投稿する】
ルールは「本についての説明はナシで表紙画像だけアップ」&「その都度1人のFB友達を招待しこのチャレンジへの参加をお願いする」&「スルーOK、次の人を指名するかどうかも気分次第でOK」
何人かの人たちのを読んで、本というよりもその人に対する興味が深まる気がしました。チェーンメールという批判もあるのですが、スルーもできるし指名もしなくてもいいので・・・
ちょっと日記ぽくなりますが備忘録のつもりで記録しておきます。
海岸のトベラ。とてもいい香りです。

岩手県花泉町の保健師さんをなさっていたころから親しくしている小野寺ヨシ子さんから、バトンを受け取りました。お付き合いはもう15年以上になります。
東日本大震災の時、私は一関市で認知症予防の講演をしていました。小野寺さんは、その後に予定されていた近隣市町保健師さん対象の勉強会に先立って会場に来てくださっていたために、交通遮断の間お宅に泊めていただきました。
人との出会いこそ人生の醍醐味。
1日目
この本は、高校卒業の時に同い年の友人にプレゼントされました。今回読み直して、サン=テグジュペリが童話の形をとって親友に伝えたかったものを、この歳でまたもう少し理解できたような気がしました。
当時はどこまで読んだのか・・・真面目ではありましたが、精神的には幼かった自分がちょっとかわいくもあります。
2日目

しばらくの間かな習字を習いました。料紙作りもほんの少し。
そうすると、興味の幅が広がりますね。
3日目

一番長く楽しんだ習い事は茶道です。特に静岡県に住むようになってからは身近なところに茶花を見つけることができるようになって、茶花への関心が深まってきました。
この茶花の図鑑をどれほど眺めたことでしょう。
4日目

数年前に奈良への小旅行を予定しているといったら、長男が「何か本を読んで行くといいかも」と勧めてくれました。
学生時代に求めていたこの本を再読。土門拳のアップの写真の迫力と語りかけられているようなエッセイを久しぶりに堪能して、何度目かの奈良へ。
確かにガイドブックとは全く違う構えができていたような…負うた子に教えられるようになって何十年もたってしまいました。
5日目

奥付を見てみると昭和45年22版 定価400円。50年前!
この本は結婚した年に買い求めて、最初は夫のために、それからは子供たちのために活用しました。表紙だけでなく中身もボロボロですが、手にすると家族の笑顔が浮かび上がってくるようです。料理を習う間もなく結婚して、母の味をなんとなく再現していましたが、お菓子のレパートリーは足りなかったのです。
6日目

21年前に韓国で講演をしました。国際会議場で同時通訳という条件でしたが「せめて挨拶だけは韓国語で」と思っていたら、ご縁があって日本語修学のために来日していた若いご夫婦を紹介していただきました。彼らは韓国語の挨拶だけでなく、ハングルのパワーポイント作成までやってくれ、それ以来「韓国に住んでる子ども」です。毎年「里帰り」が続いています。
ある夏の帰省時のお土産がこの『神の雫』第1巻(その後44巻まで読みました)。
おかげさまで、海外出張時のワイナリー巡りが趣味という息子、ワインエキスパート資格を持つ息子の母として、ワインの味まではわからなくても、彼らの話に耳を傾けるくらいは、どうにかできるようになった。かな?
7日目

最後は一番新しく手にしたこの本と決めていました。
東京在住、テレワーク中の息子たちとは、メッセンジャーでたまに話しますが、先日の会話の中で新情報ゲット。
コロナウイルスからドーキンス『利己的な遺伝子』へと、話が飛んだ時
「高校時代のボクの二番目の愛読書。何度も読んだなあ」と聞けば、当然「一番は?」と質問することになるでしょう。
「一番は『この気もち伝えたい』だよ」
即、アマゾンで注文。あんまりかわいい本でびっくりしました。
13.5cm×15.5㎝。
そして多感な高校生がこの本を手にしている姿を思い浮かべて、しばし幸福感に浸りました。
最初に書き留めた「人との出会いこそ人生の醍醐味」
息子たちもこの言葉に異議はなさそうです。
ウノハナ

このチャレンジは、人生を振り返ることそのものでした。長く生きてきたのですから当然ですね。
反響のいくつかも記録しておきましょう。
『星の王子様』に長男のお友達から「この本好きでした」と。
『佐竹本36歌仙絵巻』「ずーと見たいと探していたんです!」息せき切った感じでお電話が。
『家庭で作る和洋菓子』「我が家にもあります」と伊豆在住の三人から言われました。そして子どもたちからも「覚えてる」「懐かしい」と返信が!
この7日間、不思議な充実感がありました。
そしてバトンを渡した友人が、それぞれにその人らしい本をあげてくるのを見て、楽しんでいます。


宣誓記述書ーターミナルの迎え方

2020年05月15日 | エイジングライフ研究所から

2017年5月(3年前)に書いた記事ですが。ご親切にgoo blog編集部からお知らせがきましたので再掲します。

大学時代の友人K子さんが、アートフェスティバルを楽しみに来てくれました。もう半世紀ものつきあいの大切な友人。友人というより姉妹のような間柄です。朝食後のテーブルであれこれと話に花が咲いていました。
終末期医療の話になりました。
「私たちって、ごく普通にこのテーマについて話すけど、世の中はまだタブーみたいね。『できるだけのことをしてあげたい。なるべく長く生きさせてあげたい』という公式発言は聞くことができるけど…」と私が言いました。K子さんが
「そうね。だからこそ、ちゃんと書いておかなくっちゃあ」

彼女は、ご両親それからミスターも見送っていますから、言葉に重みがあります。
「最期が近くなってきたときに、家族が『積極的な治療はもういりません。疼痛コントロールだけはお願いします』ということは大変なことなのよ。『何でもしてください』とドクターにすがる方がどれほど楽なことか。家族にそう言ってもらうには、本人の希望をきちんと伝えておかなくては無理だと思う。母がちゃんと尊厳死協会に入っていてくれたのは感謝だったわ。ところでもうやってるでしょ?」

「メールしてた時に思いついて、子どもたちに希望を書いたのね。そうしたら『委細承知。話し合って善処します』の返信をもらった」というと
「直筆でないとだめなのよ。今書いたら?」といわれました。長い付き合いの間、わたしに対するK子さんのアドバイスは、的を得ていることばかりですのでずっと受け入れることにしてきました。
「そうね。じゃあ書くわ」そうしたら、夫も「その後で書くから」。
この際さっさと済ませなくっちゃあと書いたのがこの下のメモ書きです。文字通りメモ用紙に下書きもせず書きました(笑)

「じゃあ、忠男さんも」というK子さんの促しに私の夫も書きました。

右脳優位の私、漢字が少なくかんたん。左脳優位の夫、漢字がたくさんで難しそう。「読む人を困らせないように、何をしてもらいたいかをはっきりさせるとこうなる」そうです。
「ふーん。こんなふうに書くといいのか」と、私はまた一つ勉強しました。今読み直して「回復が見込めない時」とか「終末期」とか書いてないなあと思いましたが、ひとまず子どもたちを悩ませることはないだろうと一安心しました。
「自筆、日付があれば有効よ」とK子さんも言ってくれました。
今日の写真は母の日プレゼントで届いた虹色カーネーション(まだオランダでしか栽培できない種類ですって)ですが、私からもスペシャルプレゼントを子供たちに用意してやることができました。

ターミナル期(回復見込みがなくなって臨終までの期間)にいわゆるスパゲッティ症候群といわれるような濃密医療を受けると、1週間程度で600万円から800万円かかるといわれます。入室制限があり手も握れないような治療を受けて。
「もし自費なら」と考えてみてください。それでも生きたいと本人が願い、家族も同意し、経費の用意も十分にできているなら、それは個人の自由です。私なら不要。
現実には保険が支払います。
ある町の保健師さんが「先日母が亡くなったのですが、レセプトを見ると800万円でした。役場の誰も何も言いませんが、私は町のために申し訳ないことをしたと思いました。1週間臨終が延びましたが、言葉を交わすでもなく、手足をさすってあげるでもなく、ただ死ななかっただけなのに、800万円」この哀切な言葉は忘れられません。

「『一か月後に死亡していたら、保険請求ができない』というシステムができれば、日本中からターミナル期の濃密医療はあっという間に消えていく」という言葉は、手広く病院や施設を経営していらっしゃる方から、20年くらい前にじかに聞きました。

追記
本文がパソコン作成されたものでも、日付署名が自筆であればいいそうです。
同級生が教えてくれました。
リビングウイルと事前指示書 
「変更があったのかも」とK子さんからも返事がありました。


実務研修会中止-コロナ後の高齢者対応を憂う

2020年05月11日 | エイジングライフ研究所から
平成7年(1995年)2月、阪神淡路大震災の直後にエイジングライフ研究所第一回実務研修会は開催されました。西日本から参加予定の皆さんが交通手段が途絶え多数欠席されましたが、その後24年間欠かすことなく実施してきました。
けれども、今年令和2年(2020年)は中止することに決定しました。
伊豆高原海洋公園より大島を望む
会場予約は半年前ですから、半年先にはこの自粛の体制も解消に向かうのではないかと2月くらいから様子を見ていました。
先日意を決して、近年参加している市町の保健師さんに電話をしてみることにしました。
一番最初にお話しした東北地方の保健師さんは
「相談窓口への電話対応に追われています。ほとんど叱責、怒りの電話で、対応するスタッフが疲労困憊してるんです」
お話は続きます。
「それよりも、この状態が落ち着いた時の方が怖いんです。高齢者が三密を避けて外出控えたら、脳の老化は加速しますよね!今から戦々恐々としてます」
私が口をはさみます。
「それぞれのレベルで脳機能が落ちていくことが予想されるけど、一番大切なのは正常だった人が前頭葉機能だけ年齢不相応なほど低下を加速させてしまった。そんな小ボケの人たちを見落とさないことね。その時、どうしても必要なのが・・・」
保健師さんがさえぎるように
「二段階方式の脳機能テスト!これなくしては小ボケの方の生活指導はできません。使えることは十分納得してます」
「ただ、対応しきれるか・・・そこが不安なんです。どういう状態が来るか・・・」
一番最初にお話した、その保健師さんの言葉を聞きながら、「今年の実務研修会は中止」とすでに決めてしまいました。
連着寺には巨木があります。
百日紅
さらに数人の保健師さんとお話しました。
認知症予防活動を自分のものとして積極的に取り組んでいる人ほど、今だけでなく、コロナ後も恐れていることがひしひしと伝わってきました。
「せっかくここまでやってきたのに。三密も外出も禁止では認知症の予防どころか、積極的に認知症にさせているようなもの」という困った声は、本当に私の胸に響きました。
閑話休題
母の日プレゼント到着
電話でのメッセージもあり、「コロナへの警戒を緩めないように。お母さんは、緩みがちなタイプだから」というご注意を受けました。
「はい。ご忠告承りました」と素直に返事していると
「ところで、これって高齢者にとっては大変なことでしょ?認知症が増えちゃうねぇ」
この世代(40代)でも認知症の本体が理解できてる!とちょっとうれしくなりました。(もちろんわが子なので、理解できているということもありますが)
二色寄せ植えのはずが枝変わり発生
一般の人たちは、「どうも、生活ぶりで認知症になるかどうか決まる傾向はある。楽しそうに生きがいを持って生活してる人はボケないよな・・・」という実感はあると思います。
一方で「認知症は怖い。認知症だけにはなりたくない。そんな認知症が生活実態だけで防げるはずもない・・・」
「権威ある専門家たちは、アミロイドとかタウとか、わからないことを言うし・・・」と不安に駆られもするわけです。
玄関先のイボタノキ

株もとのアヤメ

最近、高齢のご夫婦が散歩されている姿をよく見かけるようになりました。
きっと、「うちにジーとしてると足腰が弱るからせめて散歩でもして、足腰使わなくっちゃあ」と思っていらっしゃるのではないかと思います。
あー!脳も同じなんですよ!
使わなければ老化が進むのです。
散歩することも脳の働きなくしてはできないことですから、足腰だけでなく脳にも有効です。でも、もう一歩先へ。
松の雌花

「自分らしく生きている」という実感を探しましょう。楽しく変化のある暮らしにどうにかして持っていきましょう。
趣味的なことだって、テレビの見方だって、ウエブの挑戦だって、楽しむ種はそこここにあるはずです。

失語症者ががんばるときー右脳の出番

2020年05月06日 | 右脳の働き
散歩の途中にカエデの種を発見したのです。コロナで自粛していたからとは言いませんが、カエデの花には全く気付かずに過ごしてしまいました。季節に合わせてカエデは旅立つ準備をちゃんとしているではありませんか。

何とも言えない桃色と若草色の美しさ。昨今の落ち着かない世情とは無関係に、カエデの中ではきちんと季節が移り替わっていることに単純に心動かされました。

Stay Homeでも勉強してもいいはずですが、なかなか机の前に座る心境からほど遠く、それでもこれだけ続くとちょっとは落ち着かなくなって、「右脳訓練の報告ブログばかりではいけないなあ」と考えていたところのカエデの種との出会いでした。
写真は5/1の庭の花。カラー

脳外科で働き、脳損傷の方々にたくさんお会いできたということは、脳機能を身近に考えさせられることに直結しました。
運動マヒが一番わかりやすく、納得もしやすい。
損傷を受けた脳と逆側にマヒが起きてくる。中大脳動脈還流域だと上半身。後大脳動脈還流域だと下半身。大きく損傷されると半身マヒ。
患者さんにとってはなんと理不尽なことでしょう。直前まで全く何の支障もなく思い通りに動かせていた「自分」の体なのに・・・
一足早く色づく冬アジサイ

あるとき、気づきました。左脳障害の方と右脳障害の方とでは、リハビリに対する姿勢が、違うのです。
(ここでは一般的に、右手が利き手の方、《ということは言葉を司るのは左脳ということになります》のことを書いています。その中でももちろん個人差が大きいことは言うまでもありませんが、形式的にわかりやすく表現します)
左脳障害の方は、言葉に障害が残る方や、利き手である右手が使えなくなったりする方がいらっしゃるわけですが、左手で箸を使い字を書くようになられる方が多い。その努力が並大抵でないことは、あなたが右利きなら、左手で箸を使ったり字を書いてみればすぐにわかることだと思います。
運動のリハビリを受けるときでも、「歯を食いしばって」という印象を受けることが多いのです。言葉に障害が残っていて自由に言葉での表現ができない中でも「歩けるようになりたい」とか「〇月〇日までには退院したい。娘の結婚式があるから」「左手でも調理はできるようになって退院したい!家族の食事作りは私の仕事だから」などと訴えてこられます。
キンギアナム

一方で、右脳障害の方たちは、ちゃらんぽらんな印象を受けることが多いのです。言葉に重みがないというか、上滑りというか。状況にそぐわないことを真顔で話します。
右脳に障害を負ったわけですから、体のマヒは左半身に起きてきます。上半身なら左手のマヒ(利き手ではないことに注意)。下半身なら左足。
ことばを司る左脳は、障害されていませんから病前とまったく同様に言葉を繰ることができます。脳から外界に向かう「話す」「書く(利き手は病前と同様に使えるわけですし)」、外界から脳へ向かう「聞く」「読む」そのすべてに支障はないのです。そして繰り返しますが、利き手は使える状態が維持されています。
ところが、院内では些細といえどもちょっと不思議な事件が起こります。
雲南黄梅

歩行訓練時、リハビリのスタッフが、苦笑しながら「もう少しだけがんばりましょう」と毎回励まします(意欲欠如)。
左半身マヒのため車いすに乗って神経心理テストを受検中、検査終了したら立ち上がろうとするので検査者は肝を冷やすことになります(病識欠如)。
廊下を歩くとき、左側の壁に何度もぶつかってしまいます(左空間失認)。
配膳された食事の左側を無視したかのように残してしまいます(左空間失認)。
マヒのために難しい動作については援助してあげても、洋服がうまく着られません(着衣失行)。
ちょっとしたことで突然泣き始め、そうかと思うとすぐに平常に戻ることもあります(感情失禁)。
一番に咲いたピンクパンサー

右脳が障害されて引き起こされるのは、言葉を担当する左脳が障害されていないため、左半身の運動障害だけと考えられてきましたが、上にあげたように多彩な「後遺症」があることを知らなければいけません。
右脳に障害を受けている場合に、いちばん戸惑うことは「場にそぐわない発言をする」ことだと思います。
例えば、左脳障害の人がまだ慣れない左手で一生懸命絵を描いているのを目にすると「下手だね」とはっきり言ってしまいます。
リハビリの必要性を滔々と弁じた後「今日は雨ふりだから、リハビリは休み」とか、排泄や食事で失敗して服やベッドが濡れてしまったら「なぜだろう?」はまだしも「雨漏り?」などといわれたら、びっくりしてしまうでしょう。
小鳥用のひまわりの種から

一方で、左脳障害を抱えた人で忘れられない方(実は何人もいます)の話をしたいと思います。
右利きの人が左脳を傷害されると、失語症という後遺症を持つことがあります。
運動性失語(脳から外界に向かう「話す」「書く」が主に障害される)と感覚性失語(外界から脳へ刺激が入ってくる「聞く」「読む」が主に障害される)に二分されます。そしてその両方に重い障害が残ったとき全失語というのです。
全失語の状態で退院した方の家族からの話です。
「家の中では車いすですが、ちゃんと留守番してくれるんですよ。帰るとうれしそうですし『お留守番ご苦労様。ありがとう』というとちゃんと伝わってます。
お食事もおいしそうに食べてくれるし、好物を用意するとほんとにうれしそうにしてくれます。『ありがとう』は言えませんが、ありがとうと思ってくれてることがよくわかります。
体の世話は大変なこともありますが、でもまだまだ家族でやっていかれます」
話せないし、こちらの言ってることもはとんど理解できないにもかかわらず、状況の理解ができるということですね。そして言語外のコミュニケ―ションが、私たちにはできることを教えてくれています。右脳の底力を感じました。(もちろん前頭葉あっての生活ですけれど)
それと、このケースは家族関係の良さがベースになっているのは論を待ちません。

もうおひとりご紹介します。
静岡県春野町にお住まいだった井口実さん。私の長年の友人の弟さんです。これは井口さんからいただいたはがき大の塗り絵です。

井口さんは年若くして脳卒中になり右半身マヒで車いす生活になりました。言葉の障害は「聞く」ことは大体理解できているのではないかと想像したそうですが、「話す」ことに関しては声は出せますが、全く話せないのです。
「ジグソーパズルや絵などを楽しむ力は何も障害されていない。音楽やら歌はお好きですか?ゲームはできるかしら」などとお話したことはありました。
その後、友人から「塗り絵に凝ってる」という情報が届きました。60歳代の男性ですから、少しでも完成作品に満足してもらえるものがあるといいなあと思っていたら、「虫」がテーマの絵葉書を見つけたので「少し小さすぎるかも。でもこのパターンは珍しいし」と送りました。

もともと右利きだった人が、左手で描いているのですよ。色合いを考え、グラデーションを付けて。
頂いた私もうれしかったですが、ご本人にとっても達成感あふれる活動だったようです。またホームの方も玄関やディルームに飾ってくださって、作者の説明をしてくださったそうです。そして傍らでちょっと誇らし気に見ている弟さんの姿を、友人も何度か見たといっていました。
そのようなときに仏像イラストレーターの田中ひろみさんとお知り合いになりました。
ご本を見た時「これだ!」とひらめき、早速お届けしました。

田中さんは、次々とお寺や仏像関係の御本を上梓されています。塗り絵の本までありました。これこそ求めているもの!でした。だって「色」を使いますから、右脳の出番がそれだけ増えることになりますから。

「まさに、はまった」ということばがぴったりだったようで、心を込めて丁寧に描かれたそうです。
次々に見事な作品になり、完成させては、皆さんに差し上げていかれたそうです。見る側の意識も、一番近い言葉で表現するなら「ありがたい」。
「脳卒中にかかったのに。しかも右手が不自由になっても、負けないで左手で、こんなに細かく見事に描いてくださった!」ではなかったでしょうか。
作者の田中さんも励ましのお手紙を書いてくださったり、そのどれもが井口さんのモティベーションを高める刺激になったと思います。このしっかりとした笑顔をご覧ください。

実は井口実さんは、余病を併発して一昨年末に亡くなられました。
一番最後の作品が、死出の旅立ちのお供になったと聞きました・・・
左脳の障害のために右手マヒ、失語症という重い後遺症を乗り越えただけでなく、周りの人たちに感動を与えることまでされて・・・
井口さんは、見事に井口さんの人生を全うされましたね。    合掌


(繰り返しておきますが、右脳障害については個人差が多くあります。ただこの症状を「後遺症」と理解できる人が少ないことをいつも気にしてきました。「できないことを理解することが、その人への援助の出発点である」ということは私の仕事の原点ですから、理解していただきやすいようにシンプルに書いてあります)

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