私の家は、海に近く低い所にあるので残念ながら雨でしたが、車で3分もいけばうっすらと雪景色でした。
ベトナム料理教室の友人のS藤さんが、伊東市街の自宅駐車場を撮った写真を送ってくれました。
大室高原に住む私の友人(と言わせていただいていいのでしょうか?第二の人生をさまざまに充実させながら楽しんでいらっしゃる80歳男性!)の今日のブログもご覧ください。ちょっと標高が高くなるといかに雪が多くなるか、よくわかります。
ブログの右欄「自己紹介」も読んでくださいね。
「歩くこと・パソコンを使うこと・土を弄ること、この三点を軸に生活の活性化を図り、少しでも身体能力と知的能力の衰退を防いで、できるだけ他者に依存せず自立できる後期高齢者の生き方を実現するよう努力したい。」 拍手・拍手
今日は月一度のベトナム料理教室の日。
午後から雨も上がったので、散歩を兼ねて歩いて行きました。春の花が目に止まりました。繰り返しますが朝雪だったんですよ!
サクラとミモザが満開。びっくりしたことでしょう。沈丁花も開き始めています。
さて今日のベトナム料理の献立は三種類です。
魚の和え物。下味をつけた刺身を生春巻きのようにして食べます。
ベトナム料理は、野菜がたっぷりでヘルシーだとよく言われます。
里芋のチェーは材料が里芋とココナツミルクと砂糖だけで、全部家にそろっていましたから、帰宅してすぐに挑戦。
とても美味しくできました。つまりまた食べました。いくらヘルシーでも食べすぎはいけませんねえ。と目下反省中。
「反省」は言うまでもなく前頭葉機能のひとつです。私の前頭葉が活発に機能している証拠ではありますが、私の場合、食欲に関しては前頭葉機能のうちの「抑制」がなかなか利いてくれません・・・
ま、それにしても、食べ過ぎということは正常者にも起きることですよね。
小ボケになると
同じものをたくさん買ってくる。
献立が、びっくりするほど単調。
手際や手順が悪い。
材料の切り方が雑。
やたらと鍋を焦がす。
食器や盛り付けや季節感などに配慮がなくなる。など
中ボケになると
作る量が多すぎる。
違う料理を混ぜてしまう。
味付けが変になる。など
味付けに関して普通は塩辛すぎて食べられないことが多いのですが、砂糖が入ってないぜんざいだって作ります。さしずめ今日の献立なら、デザートのチェーが砂糖なしで塩辛いことになるでしょう。
ただ、中ボケになると危なっかしくて料理をさせられなくなることが多いです。
ベトナム料理を楽しめることに感謝したいと思います。
この旅館の建物の大部分は登録有形文化財に指定されています。
玄関
富士山と投網の指物細工
紫檀の床柱
アールヌーボー調の欄間(クモ)
格子模様の細工が、廊下の窓枠などそこここにありますが、その3センチほどの一片ははずしたりはめたりできる程のち密さで、職人さんの指先は0.何ミリを感じることができるといわれることが納得できました。
人間の脳って素晴らしいですね。ただしこれも実践の中から身につくことで、考えるだけではだめです。
ひとつが前を流れる狩野川の水を利用した水力発電所の復活(このサイトからは落合楼村上復活の理念がよくわかります。私はすぐにサポータ気分になりました)。
もうひとつが、さまざまな文化的なイベント。
「道成寺」(安珍清姫伝説のほうがわかりやすいでしょうか)を、合間合間に大鼓や鼓や能管の拍子を発しながら謡、仕舞をなさりながらの解説で一気に引きこまれました。
その後、シテに能装束をつけていく様子を見せてくださいました。
前シテ(白拍子) 蛇なのでウロコ模様
かわいい模様の腰巻
さらに表着(うわぎ)
鬘(人毛ですって!)
面を付けます
烏帽子も
この後、釣鐘の中で、後シテにどのように「変身」して行くかを一つずつ見せてくださいました。
後シテ1 般若の面、ウロコ模様が!
劇的変化を狙った後シテ2
能というと、動きも音も最小限という印象です。
講演の締めくくりに青木先生はこのようにおっしゃいました。
「能を演ずるということは、骨から動くといわれるほどの強い肉体と、感ずることのできる柔らかい(ここでちょっと間があって)心が必要です」
今日の体験を通して「能と脳」についてちょっと考えてみました。
あの緩やかな動きは、知らなければダダの動きというふうにしか受け取れませんが、学んでみるとかすかな動きの中にも象徴的なものが込められていることがわかりました。ここには左脳の出番があるということです。
謡はセリフですから言葉の意味がわかるところからスタートで、もちろん意味を知るには歴史的なことや文学上の常識なども必要ですね。勉強が不可欠(左脳)!いっぽう声音そのもので、怖いほど感情表現を担うのは右脳の分野です。
「楽器の音」と「人の掛け声」の効果は、思った以上に臨場感や緊迫感を高めます。つまりこれは理性的なものというよりも微妙に感覚的なものだということですね(右脳)。演奏そのものが楽譜ではなく「阿吽の呼吸で」行われると聞いたことがあります。
そして実際に能に触れてみると、その効果はこれなしには能は成立しないと思うほどなのです。
館内に飾られていた創作面
頂いたパンフレットに興味深いことが書かれていました。
「能をせん程の者の、和才あらば、申楽を作らん事、易かるべし。これ、この道の命也」風姿花伝書より
エイジングライフ研究所の二段階方式を用いると、知的な障害を持った高齢者も見つけることができます。
実務研修会を受講してまだ間もないM市U田保健師さんからの質問です。このケースが何例目かを聞き忘れましたが、まだ初心であることは間違いありません。でもよく記録されていましたよ。
1.わからない・やれないと感じた問題は、テスターが励ましてもやろうともしない。計算・文を書く・模写・前頭葉テストに関しては
「そういうのはわからん」
「難しいからやれません」
「わからんよう」
を多発されて、A4版白紙には名前だけしか書かれない。
MMS得点は17/30点
2.説明が伝わりにくく「理解できているのかな」と感じることが多かった。
また同行の娘さんの話として
「母は小さいころから奉公に行っていたため ほとんど学校にも行っていなかった。学歴も小学校のみ。読み書きができないから結婚後は父がすべてやっていた。だからできなくて当たり前」と記載されていました。
さらに、
「母は農業と自動車部品の組み立ての内職もやってきた。今でも、調理などの家事はやれており、家族も困ってはいない。
平成14年に父が脳梗塞で要介護状態になり母が介護してきた。
平成18年に父が亡くなったら外出もせず閉じ込もり状態になっていて、楽しみがない。
こういう生活を続けることはよくないと思うので、どこかに通所をさせたい」という希望があっての面接だったのです。
本題から外れますが、書かずにはいられません。
一般の人たちは、認知症の本質を知っていて、
「これだけ何もしないとボケてしまうかも」と思うのです。
実に正しいことですよ!
U田保健師さんは、
「勉強をしてこなかったためにMMSが低いと判断していいのでしょうか」と書きながら、どこかでひっかかるものがあったと思います。だから質問してこられたのですね。
6年生は、「100-7」ができないでしょうか?
文が書けないでしょうか?
図形の模写ができないでしょうか?
ちょっと考えればわかることです。
相手(今回は娘さん)の言われたことを大切にそのままに受け取り過ぎると、「勉強をしなかったから」脳機能検査がができなかったことになってしまいます。
今日の日本に住んでいれば、基本的に文盲の方はいないと考えていいのです。
「開拓時代に小学校2年までしか行ってない」人でも、その後の生活の中で、ふつうの読み書きには問題がなくなるものです。
脳機能検査で正答にならない時に考えるべきことについては
「テストができないということは…」にまとめましたね。
①テスターのやり方が悪い
②被検査者が集中できていない
③被検査者の脳機能に問題がある
例外的に被検査者がふまじめだったり拒否的だったりする場合もあります。
今回は①②③のどれでしょうか?
6年まで学校に行ったのに「できない」のです。「わからない」のです。「難しい」のです。
③ですよね。
私たちは③脳機能に問題があるというときには、「脳に器質的な変化が最近起きた」と考えがちですが、このように生来的に知的な問題があることもあります。
とくに自分の身辺のことはできても社会的な場では、だれかの指示や庇護のもとでないと行動できないレベルのごく軽い知的障害の方は、面談だけではなかなかわかりませんがテストをすれば一目瞭然です。
もっと確実に「生来的」を確認するには、幼い時から学習面での問題があったことや職業歴や家庭生活の状態などを聞きとって、大人になってから前頭葉機能障害があることが分かれば、十分です。
知的な障害がある時の特徴は、「見当識」や「想起」がいいのに、より簡単な下位項目での失敗が目立つと言い換えてもいいのです。
下位項目の低下順が違うときには、脳の老化が加速したとはとらえません。
この人の場合 、時の見当識は
「平成?・・・わからんよう・・・」でしたが他は満点。
A4版白紙には書けませんが。
想起は2/3。
まさに典型例といえます!
「今後は生きがいディサービスなど定期通所できるように支援していきたい」とU田保健師さんは方向性を示してくれました。
そうですね。関係者にこの方の特徴をよく理解してもらうことが、適切な支援に繋がる必要条件になります。
ストレチア(極楽鳥花)の観察をしました。名前の通りほんとに鳥の形をしています。
1月の初め、友人K子さんから来た一通のメールが発端です。
「話はまったく関係ありませんが、極楽鳥花は切花になると自力で咲けない、って知っていましたか?お正月に買った花屋さんが『今最初の花が咲いていて、次の花はそっと引っ張らないと出てこない』と教えてくれました」
伊豆は暖かいので、ストレチアは露地でも大丈夫なのです。
私のうちにもストレチアの株があります。そして1月だというのに花が咲いているのです。
元気のいいつぼみもいくつか見つけました。
そういう条件が整っていたので、このメールを読んで、「観察してみよう!」と思いたちました。
1月10日 一つの苞から三つも花が咲くなんて知りませんでした!
1月25日 最初の花がしぼんで、つぼみはようやく少し顔を出しました
2月5日 つぼみは大きくなってはいますが・・・咲きそうもありません
今の状態ではつぼみを引っ張りあげることはできそうもありませんので、とにかくまず古い花をはずしてみました。
2月8日
やってみないとわからないものです。
花弁の下部分が太くて長く、恋占いの時のように花弁をソットとるというイメージとは程遠いのです。
そしてもう一つ。
「つぼみを引っ張りあげることはできそうもない」と考えていたのですが、やってみると右の写真のように花弁につられるようにつぼみがいとも簡単に上がってきたのです。
こんなことなら古いはながらを早くとってやるべきだったと反省しました。
考えるのは左脳主体
実行するのは右脳主体
評価反省するのは前頭葉
何かを始めるときに、書物や人の意見を勉強することが、スタート地点になることは当然でしょう。
一方で、自分で体験して納得することは、応用編につなげやすいと実感していますが、皆さんはいかがですか?
今回のストレチアの観察でも「意識して観る」のと「なんとなく眺める」のとは情報量が全く違います。
「つぼみを引っ張りあげることはできそうもない」と考えるのと、実際に「つぼみをひっぱりあげてみる」ことには、大きな基本的な違いがあることを知りましょう。
ただ自分の観察したものが、少数の例外でないように気をつける必要はありますね。
認知症の問題も然り。学ぶだけではなく、よく見、よく聞き、自分で納得してみましょう。
多数例に当たればあたるほど、認知症は生活習慣病と同じようなメカニズムを持っていることに気づかれると思います。
趣味も生きがいも交遊もなく、運動もしない、そんな「ナイナイ尽くしの生活」が続くうちに脳の老化が加速されていくのです!
さて、ストレチア。この後はどうなるでしょうか?
やっぱり自力では咲けないのでしょうか・・・
一つの苞から三つの花を咲かせ、その後にまた苞を立ち上げています。(そこからも複数の花が咲きました)
切り花と比べて、咲いていくスピードがこんなにも速いということも全く知りませんでした。
K子さん、ありがとう。
私のブログは文字サイズを「大」で書いていますので、表示→文字のサイズ→大と設定されてから読まれたほうが読みやすいと思います。
1月17日と1月24日、二回も「伊東温泉七福神めぐり」を楽しみました。
一回目は友人に誘われて。
二回目は、日本語がペラペラのオーストラリア人を連れて。
「七福神の安置されている寺社を巡拝するのが七福神めぐりですが、このお参りをすると水難、火難、盗難など七つの災害が除かれ生命財産が守られ七つの幸福が授かるといわれます」左パンフレットより
二回もいけば、疑問点もはっきりしてきていろいろ調べてみたくなります。
そういうときにはパソコンは便利ですね。
七福神とはとか
全国七福神一覧など、皆さんもどうぞご参考になさってください。
二日ともお天気に恵まれ楽しいミニトリップでした。
伊東市の歴史観光案内人の方のガイド付きでしたが、寺社や七福神の説明だけでなく、伊東市の歴史にも解説は及びました。
「伊東市では毎年伊東祐親まつりというのが行われます。
源頼朝が娘と恋仲になって子供までなしたため、この祐親は平家に忠誠を尽くそうとして、子を殺害し頼朝暗殺もたくらむのですが、危うく逃げた頼朝は熱海伊豆山で北条政子と出会い、鎌倉幕府を始めたわけです。このドラマチックな展開はNHKの大河ドラマの舞台にぴったりだと思うのですが・・・」と破顔一笑。
「笑う門には福来たる」です。
帰宅したら我が家にも福が来ていました。
N県A市O田保健師さんからの手紙です。
「・・・略。H地域で二つ目になる教室が始まり、今日テストをしてきたところです。生きがいディサービス通所者の訪問も始めているため、12月からテストテストの毎日です。基準をもって通所の可否を決定できることをありがたく思っています。・・・略」
エイジングライフ研究所の二段階方式って便利なんですよね。二段階方式の手技をこのように使いこなしてくださることが、何よりの私の「お年玉」です。
七福神巡りをしてよかったなあ(笑)