脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

小さな喜びークラスメートたちの楽しみ

2020年10月29日 | 私の右脳ライフ
伊豆高原は、散歩をするのに良いところがたくさんあります。マスクはしないで歩けます。だって密になるほど人がいません!
夕方になって、急に思い立って歩き始めました。
伊豆大島はこちらから言うと東にありますが、なんとなく空が染まっている感じが伝わりますか?夕方の東の空もきれいです。

散歩のときには心惹かれるものを見つけようと思って歩いています。同じ道を歩いていても見つかるものですね。うさちゃん発見。

こちらは最初はよくわかりませんでした。これは「うさぎさん」といわなくては。

お花は季節ごとに楽しませてくれます。
ホトトギスが盛りになってきました。我が家のホトトギスは色はちょっと濃いですが可憐な風情があります。

散歩道で見つけた、ほとんど白色に近い薄紫色のホトトギス。

花の色と大きさにびっくりしていたら、すぐにまた別のホトトギスが。

昔、茶道を楽しんでいたころの思い出がよみがえってきました。図鑑で見かけた「玉川ホトトギス」をみたいと思っていたちょうどその時に、先生が茶花に活けてくださって、おけいこの席が盛り上がりました。だって玉川ホトトギスは黄色なのです。
「もうひとつ黄色の『上臈ホトトギス』がありますが、これはなかなか手に入りません」と先生がおっしゃったのも、いま耳に聞こえるようです。
庭にも季節の移り変わりが。
サザンカの木が大きくなって、空を見上げたらたくさん咲いていてびっくりしました。これは背伸びして撮りました。

縞ダイダイ。見つけた人はみんな「これなんですか?」と声をあげます。「スイカ?」とおずおず聞いた都会人もいました(笑)。直径は10センチ近くあります。私の育った北九州では、鍋のポン酢にはこのダイダイを使ったものです。ここでまた思い出はたくさん蘇る…

夏の花たちも頑張ってます。ルリマツリ。

ストレチア。

クフィア。

カヒリジンジャー。

二度目のキンモクセイもたくさん咲きました。

でも数日前の雨で散ってしまいました。また来年の10月まであの香りはお預けですね。

前のブログにも書きましたが、歳をとってくるほど「生きる姿勢を問われる」ことに気づかなくてはいけません。「自分らしく、生きがいや楽しみを見つけて生きていくこと」は、外ならぬ「脳の健康のため」に何よりも重要です。
2017年の半世紀ぶりの帰省に合わせて、中学校時代のクラスメートが連れて行ってくれた北九州市若松区響灘緑地。
左は響灘緑地バラ園の管理者。右がクラスメート。
11月の右脳訓練―ふるさと北九州

カンガルーとも遊びました。

その翌年、高校の同窓会総会出席のためふるさと北九州に帰省した時に、クラスメイト達と中学校のクラス会を楽しみました。55年ぶり!
その後、仲間たちはほんとに生活を楽しみながら充実した時間を過ごしてくれているようで、FBに投稿が続いています。ご夫婦で、お仲間と、もちろん単独行もあり、一緒にいろんなところに連れて行ってもらっているような気持になっています。
もっとすばらしいのは半世紀を超えて、今、新鮮に昔のクラスメートたちが集って楽しむ時間を作っていることです。
タイ式マッサージができる友人はその技術で仲間をいやしたり、一緒にウオーキングしたり、コンサートに行ったり、カラオケ(メンバーは博多と北九州と離れているにもかかわらず!)を楽しんだり、個展を開く友がいればさっそく見に行ってくれたり。
山岳部だった友人と、山の話で盛り上がるケースもあります。
コロナでもちろん自粛の期間があったのですが、少しずつ楽しむ方向に舵を切ったようです。直近のお知らせは、紅葉狩りをして飯塚(ちょうど中間位?)の温泉で集合して一日楽しむのだそうです。離れていますが気持ちは参加、ほんとにうれしいお知らせが続きます。

クラスメートに送るフロクです。実物を見に来てほしくて…
函南町からみた、本当の夕方の西の空はこんな感じです。左端の真ん中の色が薄いところは駿河湾。

富士山中心で。


小さな楽しみ

2020年10月27日 | 私の右脳ライフ
考えてみれば、旅に行かなくなった状態にも少しは慣れてきたということでしょうか。
日頃の生活を振り返ってみると、台所に立って料理をしていることが多いことに、改めてびっくりしています。「料理が好きだったんだ」と再認識しています。芸術的な作品を作ったりせず、もっぱら手料理で満足しているのですからクリエイティブじゃないんですねぇ…
ステイホームの楽しみをあげてみましょう。
友人が「貝に植えてみたら?」と貝殻を持ってきてくれたのでさっそく挑戦。なんとなく増えてしまった多肉植物を植え替えてみました。名前すら知らないままに増えてしまった多肉たちの三種植え。

この紫色は「紫御殿」という雅な名前がついていますが、訪ねてきた方から「ボクはこれはいいと思わないな」といわれて、かえってかわいがってるものです。

花も紫色です。

これは7センチくらいの巻貝

一緒に写すと大きさがわかります。

この際と思って我が家の多肉植物を眺めて見ました。
よくよく見ると、表面全体にほんとに小さな毛が密生していました。

同じようでもちょっとずつ違う!
葉の先に赤い点が見えます。これから寒くなるともっと赤くなるのでしょうね

これは紅葉はしそうもありません。

ハオルシアは一時期盗難事件などで騒がれたこともありますが、私のハオルシアはありふれたものです。主な株の大きさは8センチくらいなものです

みずみずしい感じが伝わりますか?動物の水分補給になると聞いたこともあります。

ちょっと珍しいゴーラム。別名は宇宙の木なんですって。宇宙人を連想させるかららしいですが、今回ハロウイン用に顔つきの鉢に植え替えてみました。これで高さは10センチあるでしょうか。

月下美人の整理をした時に、取り除いた葉を挿しておいたら、ちゃんとつきましたよ。見たことのない芽が伸びていました。

「その気」になったら、庭に出ても目の付け所が違ってきます。枯れないようにただ水をやっているのと、「この前見つけた芽はどうなってるかな?」「この前の赤い点は?」
視点をちゃんと持ちましょう。意識的に生活するのと漫然と生活するのとでは、脳の使い方には大きな差が出てきます。状況が限られるからこそ、小さな喜びや発見を求めるようにしましょうね。




一枚のショウキズイセンの写真から

2020年10月17日 | 私の右脳ライフ
友人から「どうして鍾馗蘭というのでしょうね」と写メが到着しました。我が家の近所にも一群れの鍾馗蘭がありますから、早速写真を撮りに行きました。ちょっと調べてみたら「玄宗皇帝がマラリアにかかったときに、夢に出てきて玄宗皇帝を病から救った大鬼が鍾馗。花弁の波打った様子を鍾馗髭に例えた名前」だそうです。ショウキランというランの別種があるため、ショウキズイセンといわれることも多いようです。
なんと贅沢なベッド。
ところでこれはカマキリなんでしょうか?初めて見る色だし羽もちょっと違うような。気になったまま、私の中では変わった見たことのないカマキリのつもりでした。今よくよく見るとカマがありませんでした!
でも、詳しく調べるほど虫好きではありませんので・・・
ショウキズイセンを最初に目にしたときには、「赤や白のほかに、黄色のヒガンバナがあるんだ」とびっくりしました。
何もないところから花茎が伸びてきて、花を咲かせ、その後葉が茂るのも、ヒガンバナと同じです。
ピンクのネリネを見た時も「さっぱりしたヒガンバナ」
ダイアモンドリリーをいただいた時は「華奢なのに豪華な小型ヒガンバナ」
と全部ヒガンバナで統一していましたが、思い立って検索してみることにしました。
結論は、全部ヒガンバナ科でした。
・ヒガンバナ科の中にリコリス属(ヒガンバナ属ともいう)とネリネ属がある
・リコリス属:ヒガンバナ・ショウキズイセン・ナツズイセン・キツネノカミソリなど
・ネリネ属:ネリネ・園芸種としてはダイヤモンドリリーが有名
・原産地の違い:リコリスは東アジア。ネリネは南アフリカ
・蕊の違い:リコリスは長く反り返る。ネリネはオシベ・メシベとも同じ長さ。
・葉の出る時期:リコリスは花が咲いた後。ネリネは同時のことが多い。
リコリス属で一番きれいといわれるのがショウキズイセン。

あれこれ検索していいると、興味深いことがたくさん出てきて、あっという間に時間がたちます。
ネリネは南アフリカ原産なのに、イギリスで品種改良が進みました。その理由のひとつは南アフリカ金鉱脈発見につながるようで、20世紀初頭にロスチャイルド家の方が見事な園芸種まで育て上げたらしい…
シロバナは、赤いヒガンバナとこのショウキズイセンの掛け合わせという説明も見つけました。

検索していると「青いヒガンバナ」の語句が何度も出てきました。「もしあるならば、見てみたい」衝動に駆られまたまた検索したら、これはなんと架空の花で「鬼滅の刃」に出てくる花でした。
Stay Home で前頭葉機能低下
で報告したように「鬼滅の刃」見てますから、内容はよく理解できました。

赤いヒガンバナからは「青」は想像すらできませんが、検索途中に「ハナニラ」もヒガンバナ科という記述がありました。
ハナニラは多くは白い花ですが、時々は青い花も咲いています。

ヒガンバナ科のさらに上の分類にアガパンサス科もあるのです!。確かにアガパンサスはヒガンバナにも似ていますね。

ヒガンバナからは想像もつかない、青いヒガンバナを考え付いた「鬼滅の刃」の作者は、すごい。
調べたならそれもすごいし、単なる直感的な思い付き、創造力だとしたらもっとすごいことだと思いました。
一枚の写真から、興味の赴くままにいろいろ調べて楽しかったです。
花が好きだからできるので(右脳がベース)、虫に関してはとてもここまで調べられません。
どうしても虫を調べる状況になったら調べるでしょうが、それは左脳が主体のむしろ仕事の領域となるでしょう。新発見は喜びかもしれません。と書きながら、やっぱりそれはちょっと無理だろうと思いました。
好きなことをやって喜びを感じ、同時に喜びにつながったわが意欲を実感できると、それは生きる力にもなると思います。



記憶まちがい

2020年10月12日 | エイジングライフ研究所から
10月7日「伝説のロックギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンさん死去」のニュースを目にしました。その時、私の頭の中には、ほんとにいろいろなことが浮かび上がってきました。
多肉植物のお引越し

・息子たちが成長した磐田の家。
・子どもたちの部屋。
・そして、音楽を楽しんでいた子供たち。
・さまざまな絵を入れて手作りしていたカセットテープの入れもの。
・「コンサートに行きたい」というので、「大学生になるといくらでも行ける」というと「今、聞きたい。それにもう来日はないかもしれない」といったこと。
・その言葉で、私は即、納得したこと。
・チケット発売の日、電話がつながらなくて、延々とかけ続けたこと。
・予約できたら、達成感とともに、私が行くのではないのに妙にうれしかったこと。
ブルーサルビア

まだまだ、記憶は続きます。
会場は名古屋。
仕事が休めず、学校のお迎えや駅への送迎を友人に頼んだこと。
満足して帰ってきたこと!
トレニア①

と、ここまで幸せな思い出に浸っていればよかったのですが、子どもたちについメールを送りました。
速攻で、息子から返信があり、
「懐かしいね。名古屋に行ったんだよね」
そうそうと二人で盛り上がっていました。
そこにもう一人の息子からユーチューブ付きで返信が。
「名古屋に行ったのは、スティングの気がする」
私「じゃあ、この記憶は全部スティングの間違い?😰  」
「多分ね。でもヴァンヘイレンもかなり聴いたバンドだよ」
トレニア②

私「そういえば、電話口でスティングといった気がする」
「ボクの記憶だとヴァン・ヘイレンなんだけどね」と最初に返信してくれた息子が慰めてくれました。
私「青年期には、ヴァン・ヘイレンもスティングもどちらも好きだったのね」
「今でもヴァン・ヘイレン好きだよ」
私「ま、記憶ってこんなものです。お騒がせしました」
サンゴバナ


せっかくなので記憶についてまとめておきましょう。
記憶の過程を「記銘する」-「保持する」-「想起する」とすることは、大体どの本にも書いてあることです。
ほんとは、「記銘する」時にどのように前頭葉が関与するかによって、その記憶が鮮明だったりそうでなかったり、よく思い出せたり思い出せなかったりするのですが、不思議なことにそこに触れている説明はほとんどないと思います。
「どうしても覚えないといけないと集中して覚える」のと「適当に覚える」のとは差があるでしょう。
集中させるのは?そうです前頭葉の働きですね。
ちなみに「記銘する」という分野は、加齢とともに能力が低下していきますが、前頭葉機能の年齢推移を考えると納得せざるを得ません。
金木犀

短期記憶と長期記憶という分け方もあります。
短期記憶は一度に覚えられる記憶で、保持時間は30秒くらいとか、一度に覚えられるもの(たとえば数)は Magical 7といって容量は7±2 などといわれます。
長期記憶は、容量に限度はなく永続的に保持される記憶。
ちょっと考えても、「その間にだって記憶はあるよね」ということで、ワーキングメモリーの考えが出てきました。
「脳の前頭前野の働きの一つで、作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理する能力 で作業記憶、作動記憶と呼ばれることもある」
この働きが悪いと同時に二つのことが遂行できないとか、言われたことが実行できないなどの生活上にトラブルが発生すると指摘されています。確かにこれは前頭葉の機能のひとつですが、あくまでも他の認知機能や記憶と横並びに考えられているところが大問題です。

さて長期記憶は「宣言的記憶」と「非宣言的記憶」の二つに分けられます。
「宣言的記憶」は「What」についての記憶。
①エピソード記憶(個人の出来事に関する記憶)
②意味記憶(一般的な知識)
「非宣言的記憶」は「How」についての記憶。手続き記憶とも。
①技能・習慣
②プライミング(事前に受けた情報によって、行動に影響が出る)
③古典的条件付け(二つの刺激を対提示して行動変容が起きる。パブロフの犬の実験)

私に起きたのは、エピソード記憶の想起まちがいでした。
一番大切な「誰」を間違えたとはいえ、当時のことがまざまざとシーンとなって甦りました。もちろん子供たちの姿も、色彩も、空気感も、言葉の音そのものも、30年を超えて迫ってきました。
車にスティングのテープが入っていて、英語の歌詞が日本語に聞こえるといって盛り上がったことも思い出しました!
ところで、この記事を書きながら、チケットの値段を覚えてないことに気づきました。自分にとって意味が大きいものと、小さいもので記憶の強さが変わってしまうことを実感しました。
考えたら、私はヴァン・ヘイレンを聞いていませんでした。





(続)高齢者の危険運転(再掲)

2020年10月09日 | 前頭葉の働き
池袋暴走事故の初公判が始まりました。
テレビのニュースで、莉子ちゃんが「お誕生日’’ありがとう’’」と帰宅したパパを出迎えながらプレゼントを渡す動画を見ました。小さい子は、こういう時に「ありがとう」って確かに言います!それに対して松永さんは「うれしくて涙が出そう」と答えていました。
余りにも幸せな日常生活を見せてもらって、涙がこぼれました。そしてこの幸せを突然に奪われたやりきれない思いを1年半も…と思うと、どうしても何かしたくなりました。再掲です。2020年10月9日記

(続)高齢者の危険運転
2019年04月30日 | 前頭葉の働き

前回の投稿に対して、友人からお返事がありました。
「言い過ぎかも知れませんが、加害者は正に『万死に値する』と、憤怒しています。間違っているでしょうか」
私の返信「本当に。亡くなられた母子の夫(父)の会見は、涙なしでは見られませんでしたね。前頭葉機能に注目すれば、事故を起こす人達を事前に知ることができるのですが…」

唐突ですが、光市母子殺人事件の本村洋さんのことを思い出してしまいました。
悲嘆の深さから言ったら、同じ・・・
本村さんは「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の最も若い発起人として、加害者に手厚いだけの人権保護を、被害者にこそ認めるべきだと活動を進めてこられたことで有名です。どんなに苦しい日々だったことでしょう。この活動は20年間くらいも続いたと思いますが、犯罪被害者基本法制定という、まさに司法に風穴を開けることに結実しました。
「2人が生きた意味や証しを残してあげたかった。2人の犠牲があってこの法律ができた。この中に2人はいる」たしかこのように言われました。
何の過失もないのに急に命を奪われてしまうということでは、まったく同じ。残されたご遺族の悲嘆やもっていきようのないい怒りも、まったく同じ。そして最愛の家族の写真を公開するという苦渋の決断をしたことも根底ではつながっています。
松永さんは会見でこう言われました。
「少しでも運転に不安ある人は、車を運転しないという選択肢を考えてほしい。また周囲の人も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安のある人がいるなら、いま一度家族内で考えてほしい。それが世の中に広がれば交通事故による犠牲者を減らせるかもしれない。そうすれば妻と娘の少しは浮かばれるのではないかと思います」

私はどうしても知っていただきたいと思うのです。
このような重大な事故につながる「アクセルから足を離しブレーキを踏む。または停車させる」という判断が下せないのは、単なる老化だけではなくはっきりとした前頭葉機能低下があるということなのです。
逆に言えば、老化があるわけですから高齢になるほど危険性も増すことになります。でも、年齢だけではないのです。その人の前頭葉機能がどのくらい若々しさを保っているかがカギなのです。今回の加害者が「87歳」ということがクローズアップされていますが「87歳」でも、対応できる前頭葉機能があれば運転はできますし、たとえ「65歳」であっても前頭葉機能が十分に働いていないと運転は無理だということになります。

今、認知症予防に関しては「デュアルタスク(歌いながら歩くというように、運動と頭を使うという二つのことを同時にやる、ながら運動。)」ということばが席巻しています。

考えてもみてください。自動車を運転している時には、ふたつどころではない注意力分配が要求されます。そもそも何のために運転をしているのか。時間の制約はあるのか。いくべき道を考える。混雑状況により道の変更をすることも。信号や道路標識の認知。スピード、ガソリンその他のメーター表示のチェックも。前だけでなくバックミラーもサイドミラーも確認が必要。同乗者がいれば会話をし、時によったらラジオや音楽を楽しむ。運転終了後の行動のシュミレーションだって、苦も無くこなします。「そうだ。卵と牛乳を買って帰らなくっちゃあ」
もちろん大前提として、人に対しまた他車に対しても安全運転には最大の注意集中力を注がなくてはいけません。

これだけのことを同時進行させる能力がなければ、運転はできません。その能力を現行の高齢者認知機能検査がなしえているでしょうか?
もし、運転不能の高齢者を運転可と判定したとしたら、公安委員会の責任も問われなくてはいけません。
もし受診していて「年齢相応です、認知症ではありません」と診断した医師がいたら、同様です。
ちょっと過激と思われたかもしれません。
実は、友人の返信を読みながら、少しネットで検索してみました。田中亜紀子さんというライターが書かれた
「法に定められた『運転免許取り消し方法』」という記事を発見しました。田中さんは元校長先生だったお父様が認知症が進んでいく様を間近で感じ、事故を起こす前にどうしても運転をやめさせたいと思ったのです。
(私の記事ですがご参考までに。スピードが遅すぎて怖いんです。自動車運転に関して認知症の初めにはどのようなことが起きるかまとめてあります)

田中さんの記事は、家族すら理解してもらえないところから始め、ようやく運転ができない状態にまで持って行った過程が詳細に書かれています。幸い他者を巻き込む事故はなかったのですがお父様の転倒事故(前頭葉の状況判断力がないということの怖さに直面して心が震えました)などを経て、免許証を返納することができたいきさつが書かれています。現に心配のご家族がいらっしゃる方は、田中さんは何度も原稿を書かれていますので、クリックして次々にお読みください。

以前、病院に勤務していたときには「この前頭葉機能では運転は無理です」と何度も言いました。心臓でも肺でも肝臓でも腎臓でも、その機能に問題があったら「してはいけないことを禁止する」でしょう。それと同じような感覚でした。
それでも本人が言うことを聞かないといわれると「接触事故なら知れていますが、あたった相手が人だったらどうしますか!」と厳しく言いました。
小ボケのレベルにとどまっていると、納得できる場合が大半だったと思います。中ボケでも運転していることはざらにありますが、そうなると「問題ない」と言い張り、隠れて乗ってしまったりもして家族は苦慮したことと思います。
さて上述の田中さんの記事によると、「表技」があるのです。長くなりますが引用です。
【それは道路交通法第百三条(免許の取り消し・停止等)に記されている。認知症だけでなく他の精神疾患、アルコール・麻薬の中毒者など様々な「運転に適さない病気や症状」の人にも適用される。
もし認知症と診断された場合、公安委員会のフォーマットの申請書に医師が診断を記入し提出する。用紙は家族が運転免許センターにとりにいっても、医師が専用のものをダウンロードしてもいい。ポイントは認知機能の衰えや認知症の疑いでなく、「認知症」ときちんと診断されていることだ。ほかの精神疾患などもしかり。
その申請が公安委員会審議され、法令に即した状況と判断されれば、通常1ヵ月以後に行政処分の免許取り消しに向けた「聴聞会」の通知が本人に来る。本人はかなり驚くだろうが、聴聞会への出席を拒否すると自動的に取り消し。出席しても新しい証拠、つまり「認知症ではない」という新しい診断書などを聴示できなければ、免許は取り消しになる可能性が高い】


簡単な道のようですが、一番の問題は、認知症の定義がはっきりしていないことです。今回の事故を起こしてしまった飯塚さんが認知症かどうか受診したとします。現状では多分「認知症」とは診断されないと思うのです。
認知機能検査としてよく使われるMMSがたとえ満点であっても、前頭葉機能が不合格である小ボケがあることを誰も知りません。膝の不調で受診中だった医師は「(膝のために)運転は控えた方がいい」といったそうですが、膝が万全でも運転不可の状態があるとは全く想定外だったことと思います。
ちょっと夢想しました。
・松永さんをはじめ、高齢者の危険運転で命を落とした方たちのご遺族の思いを国民がしっかりと受け止めて、この情報(医師が認知症と診断すると免許取り消しになる)が広く周知徹底される・・・
・家族が運転に異常を感じて受診したにもかかわらず「認知症ではない」と診断されて、免許取り消しができないままに事故を起こしてしまう。
「認知症でない」と診断された高齢者の事故が続く(のはとても困るのですが)と、認知症の線引きに変化が起きるのではないか?医師に対する糾弾もあるでしょうし、新しい流れが生まれる可能性があるのではないかと夢想してしまいます。

さらに検索を進めていくと、とんでもないページに行き当たりました!
「認知症と診断された人たちから免許証を取り上げるべきでない」というのです。
「運転ができなくなると、脳への刺激が減ることになって認知症が進行する。その人の『かく生きたい』ということを保証しなくてはいけない」
「松永さんの前でいえるのですか?」と詰問したくなりながら、思いつきました。
若年認知症と誤診されている、側頭葉性健忘症(前頭葉機能は正常、記憶力だけに問題が起きる。このブログのカテゴリーから具体例にあたってください)の人たちを前提にした発言に違いありません。ことほど認知症の理解は進んでいないのです。
松永真菜さんと莉子ちゃんのご冥福を心からお祈りします。ご遺族の皆様、言葉もありませんがどうぞ生き抜いてください。

もしよかったら、以下の記事もお読みください。
高齢者の危険運転
スピードが遅すぎて怖いんです


伊豆高原の秋だよりーさくらの里

2020年10月08日 | 前頭葉の働き
しばらくご無沙汰しました。家の近所の散歩にも飽きて、大室山の山すそにある「さくらの里」に遠征しました。
大正解。さわやかな青空とススキの穂波を満喫しました。

これはパンパスグラスですが、今回初めて白く輝く穂株と、くすんだ薄茶色でつややかさのない穂株があることを発見。「パンパスにも二種類あるのね~」と発見を一応喜んだのです。
その翌々日のFBに、高校時代の友人がなんとパンパスグラスの写真を投稿。その説明文にびっくりさせられました。
「パンパスグラスは雌雄異株で、雌株は花穂が大きく、光沢のある美しい銀白色をしていて、雄株の花穂はくすんだ茶色をしている」
まさに秋の空。

知識の入手方法といえば、まず本から。それに最近はネット検索という方法も。とても便利ですぐに役立ちます。
でも図鑑にしろネットでの画像検索にしろ、「パンパスグラスは雌雄異株」と知ったとき、どう感じるでしょうか?「そうなんだ」と納得するだけではないでしょうか。
今回のように、パンパスグラスを二種類見て「種類が違う」と推論して、その直後に真実を知ったときの情報量は、喜びを含めて何倍にも跳ね上がると思いませんか?
私は脳を動かす力があると実感しました。
樹間から望む富士山にはまだ雪がありません。雪のかわりに雲がたなびいていました。

知識は左脳。体験は右脳。
知識はあくまでも「知っている」ということに過ぎません。体験に裏付けられた知識は、生活の中にイキイキと座を占める気がします。知識が「生活の知恵」になった感覚です。
脳の中では前頭葉が大活躍してるのです。前頭葉がなければ、知識は知識。体験は体験にとどまる…
今回は知識は後から飛び込んできましたから、ただただ足元の野の花に目を奪われて楽しい散策の時を過ごしました。
アザミ

彼岸花がまだきれいでした。

名前を知らない野の花

ピントぴったり

こちらは種の方にピントがあってしまいました。

大室山リフト乗り場にはお天気に誘われて観光客もちらほら。

小さな火山(スコリア丘)の大室山に、なぜ鳥居があるのか不思議に思いませんか?
大室山には、大室山浅間神社があるからです。木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祭ることが多い浅間神社の中で珍しく、木花開耶姫命のお姉さんの磐長姫命(いわながひめのみこと)が祭られています。
そのいわれをウィキべディアからまとめてご紹介しましょう。(神名表記は統一されていません)
「父の大山祇神(おおやまつみ)の希望で、姉の磐長姫命、妹の木花開耶姫命ともに、天孫である瓊々杵命(ににぎのみこと)に娶ってもらおうとしたが、美人の妹しか見初められず、姉は返されてしまった。
大山祇神は怒り、『私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう』と告げた。
木花開耶姫命はすでに天孫の子を身籠っていたので、大室山に茅で産屋を設けさせ、中に入ると火を点けさせ、炎の中で火の神を3柱、無事に出産した。」
三柱の神々は火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)。火須勢理命(ホスセリノミコト)は神武天皇の祖といわれています。
と、いう知識はお話しできますが、大室山頂の神社に足を運んだ前と後では、説明から浮かび上がる物語には大きな違いが生まれるはずです。
その前に、興味がない人は読み続けることもできなかったはずですが。

Stay Homeを続けていると、変化を求めている自分がいることに気づきます。毎月のように旅に出ていたのですから、ここまで家にいるのは確かに不自然です。でも旅に行くのは、まだ私の中では不要不急の用事なので、原則は家にいるのです。
その原則の中でも、三密に注意して小さな外出をすることは脳の刺激には十分なりますね。
翌日は久しぶりのイベントもありましたので、二日続けてさくらの里で遊びました。この子たちに会いました。


ブログ村

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