脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

正常から認知症への移り変わりー時の見当識から類推可能な重症度

2020年07月29日 | 正常から認知症への移り変わり
7月27日に「どのようにボケは進んでいくのか―治せるレベルで起こす『事件』」の記事をアップしましたが、最後の「正常から認知症への移り変わり―時の見当識から類推可能な重症度」のリンク先を間違えていたことを発見。大切な情報なので正しい記事を再掲します。

ボケ始めはどういうことがおきてくるのか、続けていろいろ書いてみました。
研修会でも強調するように、生活していく時、その原点をなすものは「見当識」(特に時)です。
見当識には三つあります。
「今何時か」「ここはどこか」そして「私は誰で、あなたは誰か」この三つの見当識が確実でないと、安定した生活は望むべくもありません。
今日はその見当識の中でも、MMSの成績と相関が大きい「時の見当識」の落ち方についてまとめてみます。
見当識が低下していく順番は、時→所→人ですが、最初に低下が始まる「時の見当識」ですら、実は小ボケの状態ではまだあまり影響は出ていません。
トケイソウ
             
小ボケの終わりごろになって、今日の日付がややあいまいになってきます。
関心が薄くなったり、一日二日間違えたりしますが、指摘されるととてもよく納得してくれます。
我が家のルノアール

中ボケになると、まず本人がしつこいほど聞くようになりますが、いくら教えてあげても「ざるに水」状態になって今日の日付はあいまいなままになります。
つまり見当識の中で最も早く低下し始める「時の見当識」ですら、いくら注目していても、ボケの早期発見はできないということになります。
我が家のグラナダ

大切な情報を! 時の見当識の低下順です。
まず日付があやふやになります。ちょっと間違えても修正できるまでが小ボケ。日付があやふやになって、すぐに修正できなくなったら中ボケに入ったことになります
それも一日二日の間違いから、上旬中旬下旬程度はわかっている状態、何日かまったくわからない状態まで幅があります。
日付がすっかりわからなくなってから、今年が何年かわからないということがおきてきます。
でも、そのときなら今が何月かはわかっているのです。ここまでが中ボケの真ん中で、改善の可能性がとても大きいレベルです。
次に、今が何月かすっかりわからなくなってくるのですが、そこまでいくと中ボケの真ん中を越えて下限に近づいてきていますから、なかなか改善は難しくなります。

年と月の関係と同様に、今何月かがわからなくても、今は夏とか冬とか季節はちゃんと分かっている状態が、まず起きてきます。
そしてその後に季節感が無くなるのです。
そのレベルになると今の季節が何なのかはっきりしませんから、夏なのにセーターを着たりマフラーを巻いたりし始めます。冬なのに夏の格好をすることもあるにはありますが、頻度は夏に冬の格好をするほうがはるかに多いのです。
中ボケの下限ということになります。ここまでくると維持を図るのが精一杯でしょう。
そしてここまでくると「ボケたんじゃない?」と囁かれるようになりますよね。
去年のダリアが咲きました

大ボケになって、昼と夜を取り違えて、夜中に電気をつけて回ったり、騒いだり、果ては会社や田んぼに行くと言い張ったりします。
そうすると、そう「気の毒にボケた」って言うんですよね?

「時の見当識」に注目しても、小ボケは発見できませんが、大ボケの症状を見せる前に、いろいろなレベルや段階があることを知っておくことも大切でしょう。
「時の見当識」に関連して、北海道K町のK保健師さんの話が面白くて忘れられません。               
「教室に来るのに、十分時間をとって来る人はまあまあです。
ほんとに元気な人は大体駆け込んできます。だって皆さんすることがたくさんあって忙しいんですから」
「あまりにも早々と来る人は事情をよく聞かなくてはいけません。家人の都合で、『ついでがあるから早いけど送っていくよ』というケースがあるからです。
そういう時は本人は何か持ってきて時間つぶしをしています。本とか手芸とか俳句ノートとか」
「1時間も早く来るときは、友達と会うのが楽しみでついつい早く来たという場合もあるし、時間を間違えているのかもしれません。
時間を間違えているときは、持ってこなくてはいけない物を持ってき忘れたりというようなトラブルが他のシーンで起こります。そしてまた、その手のトラブルを繰り返すのです。こういう人が小ボケ」
ホテルの七夕飾り

「中ボケの人は、教室開催日を間違えてしまって、一人だけ別の日に来ます。
何度も『今度の教室は何日だったでしょうか』と電話がかかってきたりすることもよくあります。そういう時は、結論的にはほとんど間違えてしまうんですけどね」
インパチェンス

このように、症状は、興味深く聞くことができるでしょうが、保健師さんたちは専門家なのですからその次の段階が大切なのです。
この症状は、どういう脳機能レベルなのかを類推する癖をつけてください。
もちろん繰り返しお話しているように、まず、脳機能テストが必要条件ですよ。
自分の中で、この脳機能ならこのような行動(症状)という物差ができるためには、脳機能テストの実践と生活実態の聞き取りが不可欠なのです。
早くその物差を身につけていただきたくて 、軽い症状からの推移を書いたのです。

以下は言い訳です。
前記事は、2008年に書いた、「正常から認知症への移り変わり」シリーズをまとめての再掲でした。
記事一覧から探しだして、転記するだけならば簡単なのですが、当時使っていたblogzineが終了goo blogに移行したのです。そのためにレイアウトが崩れ読みにくくなってしまうので、1記事ずつその対応をしなくてはいけませんでした。
50枚近くある画像を1枚ずつダウンロード→保存→画像フォルダーにアップロード→記事の体裁を整える。
この失敗は集中力が途切れてしまったために起きたのだと思います。
集中力は、当然前頭葉の働きですから、これもまた注意信号かなと思いつつ、こうして訂正するだけの反省と工夫(両方とも前頭葉機能!)もできると、自らに言い聞かせています(笑)
でも若いころには起きなかった失敗には違いありません・・・




どのようにボケは進んでいくのか―治せるレベルで起こす「事件」

2020年07月27日 | 正常から認知症への移り変わり
エイジングライフ研究所では、認知症の重症度を脳機能検査を通じて理解します。つまり症状を見てレベルを決めるのではないということなのですが、昨日久しぶりの友人と電話でおしゃべりしていて気づきました。
1.どこでも、脳機能検査ができるわけではない。
2.もしできても、認知症の最早期に機能低下を起こす前頭葉機能のチェックができるところがほとんどない。
(これは前頭葉機能そのものの理解が進んでいないことが主な原因です)
認知症はある日突然ひどい見当識障害(時:昼夜がわからない。所:徘徊を起こす。人:家族かどうかもわからない)を起こすわけではありません。このようなひどい状態、つまり手遅れの状態になって見つけても、回復は見込めません。
今朝の庭仕事中、パセリにキアゲハの幼虫発見!
イモムシ状態ならすぐに飼育箱に移動させることは簡単。「つまめるならば」の条件が付きますが。
サナギになっても、その状態を維持することに注意を払えば飼育箱に入れることはできます。
でも、チョウチョになってしまえば、捕まえることは大変です。
ちょうど、イモムシ=前頭葉機能だけが低下状態の小ボケ。回復は容易です。
サナギ=前頭葉機能に続けて一般的な認知機能にも支障がでてきている状態の中ボケ。回復させるには本人だけでなく家族を含め多くの努力が必要です。
チョウチョ=前頭葉機能はほとんど働いていないうえ、認知機能にもできないことがたくさんある大ボケ。もはや回復は困難で、介護を受けながら生きていくことになります。
イモムシの例えがいいのかどうかわかりませんが、小ボケを見落とさないために、既述記事ですが、生活のいろいろなシーンで見られる症状を列挙しておきましょう。この一連の記事も、友人から具体例が知りたいといわれて書いたものです。
 
 
 
 
 
 

日本文化の粋二つ

2020年07月25日 | 私の右脳ライフ

友人から落合楼村上のことを訊ねられました。「昔行ったことがある」と記事を探し出しました。10年も前ということに驚き、そして内容も結構おもしろいと思いましたので再掲します。(2010年2月12日初投稿)

天城湯ヶ島の落合楼村上で催された「能を楽しむ会」に行ってきました。
この旅館の建物の大部分は登録有形文化財に指定されています。

この登録制度にのっとった宿泊施設は全国にありますが、この落合楼村上は「普通の家一軒の建築費が100円、立派な家が1000円の時代に20万円以上もかけて造られたもの(ご当主の説明より)」だけに、使用されている部材も見事なら、大工さんや指物大工さんのたちの匠の技が素晴らしい。確かに残さなくてはいけない文化財だと思いました。
玄関
              
富士山と投網の指物細工
 
紫檀の床柱

アールヌーボー調の欄間(クモ) 

格子模様の細工が、廊下の窓枠などそこここにありますが、その3センチほどの一片ははずしたりはめたりできる程のち密さで、職人さんの指先は0.何ミリを感じることができるといわれることが納得できました。
人間の脳って素晴らしいですね。ただしこれも実践の中から身につくことで、考えるだけではだめです。

実はこの立派な落合楼も倒産の憂き目にあって、7年前にそれを再生したのが今の落合楼村上。再生のために工夫の限りを尽くされ、またそれを続けていらっしゃる様です。
ひとつが前を流れる狩野川の水を利用した水力発電所の復活(このサイトからは落合楼村上復活の理念がよくわかります。私はすぐにサポータ気分になりました)。
もうひとつが、さまざまな文化的なイベント。

有形文化財の旅館を舞台に、重要無形文化財保持者の能楽師青木道喜さんの講演が開催されたのです。
「道成寺」(安珍清姫伝説のほうがわかりやすいでしょうか)を、合間合間に大鼓や鼓や能管の拍子を発しながら謡、仕舞をなさりながらの解説で一気に引きこまれました。
その後、シテに能装束をつけていく様子を見せてくださいました。
前シテ(白拍子) 蛇なのでウロコ模様

かわいい模様の腰巻 
     
さらに表着(うわぎ)
2010_0211_143100p1000014_2                       




鬘(人毛ですって!)

面を付けます。

烏帽子。

この後、釣鐘の中で、後シテにどのように「変身」して行くかを一つずつ見せてくださいました。
後シテ1  般若の面、ウロコ模様が!

劇的変化を狙った後シテ2
 
能というと、動きも音も最小限という印象です。
講演の締めくくりに青木先生はこのようにおっしゃいました。
「能を演ずるということは、骨から動くといわれるほどの強い肉体と、感ずることのできる柔らかい(ここでちょっと間があって)心が必要です」

この「心」は言葉や理屈で説明されたものを理解して感じた気持ちになるのではなく、それを超えた「感ずる力」のことをおっしゃっているのだと思いました。それはまさに右脳の世界!

今日の体験を通して「能と脳」についてちょっと考えてみました。
あの緩やかな動きは、知らなければダダの動きというふうにしか受け取れませんが、学んでみるとかすかな動きの中にも象徴的なものが込められていることがわかりました。ここには左脳の出番があるということです。

謡はセリフですから言葉の意味がわかるところからスタートで、もちろん意味を知るには歴史的なことや文学上の常識なども必要ですね。勉強が不可欠(左脳)!いっぽう声音そのもので、怖いほど感情表現を担うのは右脳の分野です。

「楽器の音」と「人の掛け声」の効果は、思った以上に臨場感や緊迫感を高めます。つまりこれは理性的なものというよりも微妙に感覚的なものだということですね(右脳)。演奏そのものが楽譜ではなく「阿吽の呼吸で」行われると聞いたことがあります。
そして実際に能に触れてみると、その効果はこれなしには能は成立しないと思うほどなのです。
館内に飾られていた創作面

頂いたパンフレットに興味深いことが書かれていました。
「能をせん程の者の、和才あらば、申楽を作らん事、易かるべし。これ、この道の命也」風姿花伝書より

世阿弥が、右脳も左脳も必要だということを言っています。


小ボケの発見ーMRI正常・IQ148でも安心しない

2020年07月19日 | 画像だけにたよらない
友人の友人の話です。
去年、定年退職なさった男性。海外駐在まで含め立派に勤め上げられたらしいです。退職後は、近所の子どもたちに学習指導や英語を教えるボランティアに励み、母校のグリークラブで楽しみ、奥様との旅行もまた趣味のひとつと伺えば、それだけで、私は「体も脳もお元気で、充実した第二の人生をスタートされたなあ」と、安心します。ところが、認知症を心配して受診したというのです。
今日の写真は雨のあいだを縫って行った伊豆長岡パノラマパーク。

ロープウエイで7分。

ロープウエイ山上駅を出ると、チケットとは違ってこの時期らしい富士山が眼前に。姿を現したり隠れたり忙しいこと。

エイジングライフ研究所は、認知症になるかならないかはその人の生き方にかかっていると主張しています。
特にカギを握るのは前頭葉。いかにその方らしくイキイキと生活し続けるか。その生活を実現させるのが、脳の司令塔である前頭葉の機能です。

一言に脳機能といってしまいますが、前頭葉機能と脳の後半領域の機能(これを知的機能、認知機能、高次機能などといいます)には大きな差があります。レベルが違うのです。前頭葉機能は最高次機能といわなくては実態を反映しませんが、それ以前にほとんど認知されていないという、とっても不思議なことが起きています。
例をあげましょう。
前頭葉白質部を切断するロボトミー手術を思い出してみてください。重篤な精神病の治療法としてロボトミーを考案したモリスは、1949年ノーベル賞をもらったのですよ。薬ができたためといわれていますが、ロボトミー手術は50年代半ばに入ってから行われなくなりました。たぶんとんでもない後遺症(人格変化、無気力、無感情、注意欠如等々)が次第に明らかになったことも影響してると思います。
でもこの後遺症が前頭葉機能そのものだという認識にはつながりませんでした。
先日行った淡島。ひとつ前の記事ウインダムグランド淡島

世界中で使われる知能検査で一番信頼性の高いものはウェクスラ―知能検査でしょう。
ウェクスラー成人用知能検査WAISは改訂を重ね現在WAIS-Ⅳです。ⅢからWMI(ワーキングメモリー指標。ほんのちょっと前頭葉機能がかかわる項目)が導入されました。
ウェクスラー記憶検査WMSもいまはWMS-Ⅲですね。東大の杉下守弘先生が日本語版を作るとき、標準化について協力したことを思い出しました。
WAISは世界中で使われ、約70年の歴史がありますが、脳機能を三頭建馬車にたとえた時、ウェクスラーの知能検査はあくまでも、馬の能力を測っているにすぎないのです。

上図の「脳力」は前頭葉機能のうちでも最も加齢の影響を受けやすい注意集中・分配力の年齢推移を表しています。
他の身体能力や内臓機能や外見(!)と同様に、前頭葉機能といえども、加齢とともに黒い線で表しているように直線的に低下していきます。それは正常老化であり、脳力が低下することそのものが、認知症ではありません。
人は高齢になれば、必ず全員ボケているわけではありませんよね。
正常老化を超えて、老化が加速されて行くとき、認知症への道を進むことになるのです。その条件は脳の使い方が足りない生活が続くということです。
頼朝公

「生きがいも趣味もなく、交遊も楽しまないで、運動もしない」というナイナイ尽くしの生活は、三頭立ての馬車が停まっているようなものです。廃用性機能低下といいます。
その始まりは状況を判断して何をどうするのかを決める御者が出番をなくしている状態といえばわかりやすいでしょうか。
脳機能からみて、認知症には3段階あります。
小ボケ:前頭葉の機能低下が始まっているが、左脳右脳の機能は正常範囲、家庭生活はできるが社会生活は困難。大体3年続きます。早ければ早いほど回復は容易です。
中ボケ:さらなる前頭葉機能低下、左脳右脳の機能も低下が始まる。家庭生活にも支障。この期間は2~3年あって、中ボケまでは回復可能なレベルです。
大ボケ:前頭葉機能の低下が著しく、左脳右脳の低下も進む。セルフケアにも問題が出てくる。ここから種々の問題行動を経て、寝たきり状態へ。この大ボケのレベルになると回復は困難になります。残念なことに世の中ではこのレベルになって「ボケちゃった」といいます。小ボケ・中ボケの回復可能段階で見つけられないから、「ボケたらおしまい」という恐怖が高齢者を苛むのです。
百体地蔵尊

認知症を怖がる必要はありません。前頭葉機能が自分らしくきちんと働いている自覚さえあれば。なぜならば、脳が正常老化を超えて老化を加速し始めるときには、必ず前頭葉機能から低下を始めるからです。
そしてもちろんそれだけではなく、その機能をチェックできる体制が整うことが必要なのですけど(エイジングライフ研究所の考えを導入した市町村では検査体制ができています)。
ところが、長谷川式、MMSという簡便な知能検査からWAISまで。世間に流布している検査はすべて脳の後半領域の機能だけを測定します。それでは小ボケが見つけられません。小ボケで見つけることこそ、認知症の回復には必須のものなのに…

友人の友人の話に戻りましょう。
ドクターの説明
「MCI(軽度認知障害)には至っていない」その根拠として
「MRIの所見。①前頭部は年齢並みより少し委縮気味。②左海馬5%ほど委縮。現時点では全く問題なし」
「WAISはIQ148、WMSはIQ128でともにすばらしい成績。以前はWMSももっと良い成績だったのが、低下が始まっていて、その差が大きくなったので『おかしい』と感じる事象が増えてきたのだろう」

画像診断では、その形態はわかりますが機能はわかりません。(このブログ右欄カテゴリーから『画像だけにたよらない』を読んでください)
「年齢を超えた萎縮とか5%の萎縮」とかドクターから宣告されて、ショックでなかったでしょうか?その言葉でいたく傷つく人もいます。そしてそこからボケていく人も。
それとこの説明は、脳(形ですけど)は老化していくという暗黙の了解があります。おもしろいですね。
萎縮があるかどうか、小さな多発性脳梗塞(ラク―ナ)があるかどうかは、脳機能には何の関係もありません。
どの程度働いてくれているかどうかは機能検査しなくてはわからないのです。今回は一番丁寧なWAISまで実施(そしてすばらしい成績)。でも、前頭葉の機能テストは未実施ですね。
肝心の前頭葉機能についての言及がない。どんなに馬の能力が高くても、指令が出ないと宝の持ち腐れです。

と、わざわざ驚かしておいて、私の推理を言っておきます。
1.多分大丈夫でしょう。
機能的には、WAISとWMSは1時間から場合によれば2時間もかかる検査なので、それにちゃんと対応でき、成績も上々だったということから、司令塔としての前頭葉がうまく機能したことになります。状況判断力、注意の集中力や分配力、意欲などが正常に働いて、「馬」の能力をきちんと引き出せたと考えるわけです。
最初に書いたように「退職後、近所の子どもたちに学習指導や英語を教えるボランティアに励み、母校のグリークラブで楽しみ、奥様との旅行もまた趣味のひとつ」というような生活がほんとうに楽しめていたら、脳は老化の加速は起こしませんから。
2.一つ気がかりなことがあります。
受診に至る経緯です。何がきっかけで受診されたのか?どんなエピソードがあるのかないのか。ご自分だけにわかる「違和感」の有無とか。
たんに世の中の風潮に乗っただけならばいいのですが。ちょっと医療費がもったいなかったかなぁ(笑)
先月書いた前頭葉機能低下?―「忘れる」のではなくも読んでみてください。






ホテル ウインダムグランド淡島

2020年07月13日 | 私の右脳ライフ
コロナはもちろん、雨続きで遊びにくい状況が続いていますが上手に遊んでいますよ。
先日は歯科検診で東京に行きましたが、東京で感じる緊張感に比べると伊豆高原はやはりのんびりしたところがあります。散歩していても人にほとんど会いませんからマスクは不要ですし。軒先に近づいても誰何されませんし。こんなかわいい写真も撮れました。

ご近所の親しくしているご夫婦2組と、ウインダムグランド淡島に行きました。1泊2食55,000円が10,678円という優待券が届いたのでお誘いしました。

3分間の船の旅。

バブルのころに建てられたものらしく、お部屋も全室スイートのオーシャンビュー。それにもまして目を惹かれたのが館内のそこここに飾られた美術品の数々。
一緒に行ったお一人がイタリア美術に詳しいドイツの方で、ホールに入るなり
「あ、カッラーラの大理石」と、作品に近寄りました。

そこで簡単なレクチャーを受け、新知識をゲットできました。
「世界で一番良質、一番きれいな白色大理石の産地。ミケランジェロの作品もここの大理石で作られました。カッラーラに住んで制作を続けていらっしゃる日本人の方もいますよ」
後で散歩した時にわかりましたが、その日本人の方の作品がありました。
桟橋からも見えます。

ウエディングセレモニーを行う場所でしょう。私たちが泊まった部屋からも同じような景色が見えましたが、最上階特別室(シラク大統領が泊まられたお部屋)見学中にパチリと撮った写真の方がきれいです。右端のカナリーヤシの陰に小さく見えます。

『意心帰』安田侃

「シラクルーム」へ続くエレベーターホール

「シラクルーム」入り口

「シラクルーム」玄関プレート

「シラクルーム」南欧風の明るい軽やかなリビング。

「シラクルーム」応接コーナー

「シラクルーム」ベッドルーム

「シラクルーム」コーナーの日本画

美術品のオンパレード

島内散歩もしました。ワインセラーを兼ねたトンネルを通って。

奇岩が続きます。

500段以上の階段をいとわず淡島神社へも参拝。

弁天様でした。

古びたお社も。

私は一人旅も好きなのですが、今回のように気の合った友人たちとの旅はまた別の楽しみがありますね。いろいろなシーンでの様々な会話が脳を活性化させてくれたことが実感されます。








失語症者ががんばるときー右脳の出番(再掲)

2020年07月07日 | 右脳の働き
2か月前の2020年5月6日の記事ですが、パソコンの整理をしていたら、後半にご紹介した井口実さんの写真を発見したので再掲します。話せなくても、利き手が使えなくてもしっかりと生き続けることができるということが納得できるお顔です。


以下、記事本文です。
散歩の途中にカエデの種を発見したのです。コロナで自粛していたからとは言いませんが、カエデの花には全く気付かずに過ごしてしまいました。季節に合わせてカエデは旅立つ準備をちゃんとしているではありませんか。

何とも言えない桃色と若草色の美しさ。昨今の落ち着かない世情とは無関係に、カエデの中ではきちんと季節が移り替わっていることに単純に心動かされました。

Stay Homeでも勉強してもいいはずですが、なかなか机の前に座る心境からほど遠く、それでもこれだけ続くとちょっとは落ち着かなくなって、「右脳訓練の報告ブログばかりではいけないなあ」と考えていたところのカエデの種との出会いでした。
写真は5/1の庭の花。カラー

脳外科で働き、脳損傷の方々にたくさんお会いできたということは、脳機能を身近に考えさせられることに直結しました。
運動マヒが一番わかりやすく、納得もしやすい。
損傷を受けた脳と逆側にマヒが起きてくる。中大脳動脈還流域だと上半身。後大脳動脈還流域だと下半身。大きく損傷されると半身マヒ。
患者さんにとってはなんと理不尽なことでしょう。直前まで全く何の支障もなく思い通りに動かせていた「自分」の体なのに・・・
一足早く色づく冬アジサイ

あるとき、気づきました。左脳障害の方と右脳障害の方とでは、リハビリに対する姿勢が、違うのです。
(ここでは一般的に、右手が利き手の方、《ということは言葉を司るのは左脳ということになります》のことを書いています。その中でももちろん個人差が大きいことは言うまでもありませんが、形式的にわかりやすく表現します)
左脳障害の方は、言葉に障害が残る方や、利き手である右手が使えなくなったりする方がいらっしゃるわけですが、左手で箸を使い字を書くようになられる方が多い。その努力が並大抵でないことは、あなたが右利きなら、左手で箸を使ったり字を書いてみればすぐにわかることだと思います。
運動のリハビリを受けるときでも、「歯を食いしばって」という印象を受けることが多いのです。言葉に障害が残っていて自由に言葉での表現ができない中でも「歩けるようになりたい」とか「〇月〇日までには退院したい。娘の結婚式があるから」「左手でも調理はできるようになって退院したい!家族の食事作りは私の仕事だから」などと訴えてこられます。
キンギアナム

一方で、右脳障害の方たちは、ちゃらんぽらんな印象を受けることが多いのです。言葉に重みがないというか、上滑りというか。状況にそぐわないことを真顔で話します。
右脳に障害を負ったわけですから、体のマヒは左半身に起きてきます。上半身なら左手のマヒ(利き手ではないことに注意)。下半身なら左足。
ことばを司る左脳は、障害されていませんから病前とまったく同様に言葉を繰ることができます。脳から外界に向かう「話す」「書く(利き手は病前と同様に使えるわけですし)」、外界から脳へ向かう「聞く」「読む」そのすべてに支障はないのです。そして繰り返しますが、利き手は使える状態が維持されています。
ところが、院内では些細といえどもちょっと不思議な事件が起こります。
雲南黄梅

歩行訓練時、リハビリのスタッフが、苦笑しながら「もう少しだけがんばりましょう」と毎回励まします(意欲欠如)。
左半身マヒのため車いすに乗って神経心理テストを受検中、検査終了したら立ち上がろうとするので検査者は肝を冷やすことになります(病識欠如)。
廊下を歩くとき、左側の壁に何度もぶつかってしまいます(左空間失認)。
配膳された食事の左側を無視したかのように残してしまいます(左空間失認)。
マヒのために難しい動作については援助してあげても、洋服がうまく着られません(着衣失行)。
ちょっとしたことで突然泣き始め、そうかと思うとすぐに平常に戻ることもあります(感情失禁)。
一番に咲いたピンクパンサー

右脳が障害されて引き起こされるのは、言葉を担当する左脳が障害されていないため、左半身の運動障害だけと考えられてきましたが、上にあげたように多彩な「後遺症」があることを知らなければいけません。
右脳に障害を受けている場合に、いちばん戸惑うことは「場にそぐわない発言をする」ことだと思います。
例えば、左脳障害の人がまだ慣れない左手で一生懸命絵を描いているのを目にすると「下手だね」とはっきり言ってしまいます。
リハビリの必要性を滔々と弁じた後「今日は雨ふりだから、リハビリは休み」とか、排泄や食事で失敗して服やベッドが濡れてしまったら「なぜだろう?」はまだしも「雨漏り?」などといわれたら、びっくりしてしまうでしょう。
小鳥用のひまわりの種から

一方で、左脳障害を抱えた人で忘れられない方(実は何人もいます)の話をしたいと思います。
右利きの人が左脳を傷害されると、失語症という後遺症を持つことがあります。
運動性失語(脳から外界に向かう「話す」「書く」が主に障害される)と感覚性失語(外界から脳へ刺激が入ってくる「聞く」「読む」が主に障害される)に二分されます。そしてその両方に重い障害が残ったとき全失語というのです。
全失語の状態で退院した方の家族からの話です。
「家の中では車いすですが、ちゃんと留守番してくれるんですよ。帰るとうれしそうですし『お留守番ご苦労様。ありがとう』というとちゃんと伝わってます。
お食事もおいしそうに食べてくれるし、好物を用意するとほんとにうれしそうにしてくれます。『ありがとう』は言えませんが、ありがとうと思ってくれてることがよくわかります。
体の世話は大変なこともありますが、でもまだまだ家族でやっていかれます」
話せないし、こちらの言ってることもはとんど理解できないにもかかわらず、状況の理解ができるということですね。そして言語外のコミュニケ―ションが、私たちにはできることを教えてくれています。右脳の底力を感じました。(もちろん前頭葉あっての生活ですけれど)
それと、このケースは家族関係の良さがベースになっているのは論を待ちません。

もうおひとりご紹介します。
静岡県春野町にお住まいだった井口実さん。私の長年の友人の弟さんです。これは井口さんからいただいたはがき大の塗り絵です。

井口さんは年若くして脳卒中になり右半身マヒで車いす生活になりました。言葉の障害は「聞く」ことは大体理解できているのではないかと想像したそうですが、「話す」ことに関しては声は出せますが、全く話せないのです。
「ジグソーパズルや絵などを楽しむ力は何も障害されていない。音楽やら歌はお好きですか?ゲームはできるかしら」などとお話したことはありました。
その後、友人から「塗り絵に凝ってる」という情報が届きました。60歳代の男性ですから、少しでも完成作品に満足してもらえるものがあるといいなあと思っていたら、「虫」がテーマの絵葉書を見つけたので「少し小さすぎるかも。でもこのパターンは珍しいし」と送りました。

もともと右利きだった人が、左手で描いているのですよ。色合いを考え、グラデーションを付けて。
頂いた私もうれしかったですが、ご本人にとっても達成感あふれる活動だったようです。またホームの方も玄関やディルームに飾ってくださって、作者の説明をしてくださったそうです。そして傍らでちょっと誇らし気に見ている弟さんの姿を、友人も何度か見たといっていました。
そのようなときに仏像イラストレーターの田中ひろみさんとお知り合いになりました。
ご本を見た時「これだ!」とひらめき、早速お届けしました。

田中さんは、次々とお寺や仏像関係の御本を上梓されています。塗り絵の本までありました。これこそ求めているもの!でした。だって「色」を使いますから、右脳の出番がそれだけ増えることになりますから。

「まさに、はまった」ということばがぴったりだったようで、心を込めて丁寧に描かれたそうです。
次々に見事な作品になり、完成させては、皆さんに差し上げていかれたそうです。見る側の意識も、一番近い言葉で表現するなら「ありがたい」。
「脳卒中にかかったのに。しかも右手が不自由になっても、負けないで左手で、こんなに細かく見事に描いてくださった!」ではなかったでしょうか。
作者の田中さんも励ましのお手紙を書いてくださったり、そのどれもが井口さんのモティベーションを高める刺激になったと思います。このしっかりとした笑顔をご覧ください。

実は井口実さんは、余病を併発して一昨年末に亡くなられました。
一番最後の作品が、死出の旅立ちのお供になったと聞きました・・・
左脳の障害のために右手マヒ、失語症という重い後遺症を乗り越えただけでなく、周りの人たちに感動を与えることまでされて・・・
井口さんは、見事に井口さんの人生を全うされましたね。    合掌


(繰り返しておきますが、右脳障害については個人差が多くあります。ただこの症状を「後遺症」と理解できる人が少ないことをいつも気にしてきました。「できないことを理解することが、その人への援助の出発点である」ということは私の仕事の原点ですから、理解していただきやすいようにシンプルに書いてあります)

(続)コロナ見舞いが到着

2020年07月05日 | 私の右脳ライフ
日記代わりに記録しておきます。
前々回のブログコロナ見舞いが到着で、素敵な手作りマスク(義理の娘作)が届いたことを書きましたが、また新しいマスクが!

彼女の趣味である伊勢型紙彫で作った型で染めたものです。前回と同様の「西村大臣マスク」のちょっと小さいバージョン。ピッタリでした。

総柄のは、麻の葉文様をアレンジしたデザインでしょうか。
たぶんそうでしょう。魔除けの意味がありますから。彼女はこういう細かいところにまで気が付くのです。
小さな段ボール箱のなかに、いろいろなものが詰め込まれていてなんだかうれしさが倍増する感じです。「うわー」とか「え!」とかつぶやきながら、頬が緩むのを感じるのが、またうれしい。
前回にも入っていましたが、マスクの中に入れるフィルター。一つずつ取り出しやすいように付箋付き。心遣いありがとう💛

久しぶりに出張した長男の仕事がらみのお土産1。

久しぶりに出張した長男の仕事がらみのお土産2。

これを送ろうと思ってくれたんですね、きっと。マスク制作を間に合わせてくれてありがとう。まだまだ続きます。
7月1日からレジ袋有料。一つは「俺の」と夫が。

マスクケースがいるなあと思ってました。携帯用アルコール除菌ジェルも。

私の大好物。

お菓子をもう一つ。前回にも送ってくれたのですがそのお店は初めてで、『蕪村庵』という名前の通り、包装紙やパッケージに蕪村の句が印刷されていました。

「かっぱの こいするやどや なつのつき」と声に出してみると、字足らず。よくよく見てみると「河童」に「かわたろ」とルビが降ってありました。電話でその話でちょっと盛り上がったので、また送ってくれたのでしょう。
今度の俳句は冬の句でした。「月雪の おさめや筆の かけところ」でいいと思いますが、今度尋ねてみなくっちゃあ。

品物のやり取りだけでも十分に楽しいものですが、その前後に言葉を交わすことでさらに喜びが増します。
と書きながら、「ことば」がなくても、「気持ち」があれば。
品物に込められたその気持ちを感じ取ることができれば、会話をしたのと同じだと実感しました。
「かわいいマスクができましたよ」
「亮輔さんのお土産です」
「一日からレジ袋有料になりますよ」
「お出かけの時に使ってください」
「お母さんの好物はやっぱり入れないと」
「蕪村、また楽しんでください」

今回のように、品物それ自体が何か語り掛けてくるような品選びってすごいです。右脳ー前頭葉の連係プレイですね!
ありがとう!
追記
メールのやり取りがありました。
私「そうだ!忠男さんが漏らした言葉を忘れていました。『すごいね。これ売れるよ』だって。だから私が慌てて『売るとしたら高いよ~だってオンリーワンだから』って言ったんです」
その返信「うれしい限りの誉め言葉。調子に乗っちゃいそうです😀 高い値がつくように頑張りますp(^-^)p」
かわいいこと。




電話のたびに警告音がー皆さんの前頭葉、大丈夫?

2020年07月01日 | 前頭葉の働き
コロナの影響で、長電話が増えました。もちろんラインやメールも使ってますけど。続けて同じような結論になったので、ブログでも警告発信しましょう。(今日の花は伊豆のアジサイ尽くしで)
コロナのせいで、誰にとっても「普通でない、ここ数か月」がありましたね。この自粛生活が私たちの前頭葉も自粛させてしまったということにもう少し目を向けてほしいのです。
前頭葉は、今自分が置かれている状況を理解し、そして今自分が何をなすべきかを判断します。そして実際に行動に移し、その結果修正すべきは修正しながら、その行動を続けさせる・・・というような、まさに脳の司令塔の役を担っています。

どこにも行かず、誰とも会わず、昨日も今日も明日も同じ一日を続けていても、それなりに前頭葉は役割を果たしていますが、変化に富んだ楽しい日々をくらしていた人にとっては別世界に生きているようなものですね。
東京の友人と久しぶりの長電話。彼女は1か月に6回はコースに出るほどのゴルフ好き、人の世話にいつも心を砕いているし、ランチだけでなく夕食も外で知人と楽しむというような生活を送っているのです。
できたら読んでいただきたいのですが、一番言いたいことは
「前頭葉機能がちょっとしたことで(例えば今回のStay Home、ケガや体調不良が続くとか、心配事が起きてしまうとか)、今までとは刺激の質量ともに変わってしまうと、前頭葉が、正常老化の道ではなくて老化を加速させる道の方を向いてしまうことを知ってほしかったからです。そしてその最初は必ず自覚があります(だから、生活を改めて小ボケにならないでください)」ということにつきます。
この話を聞いて友人が「わかる!」と一言。
「自粛生活に入ったときに、まず断捨離をやったのね。前からやらなくっちゃあと思っていたし、私手際がいいんでドンドンはかどってやってて楽しかった。それからお庭をきれいにしたのよ。雑草を全部抜いて、お花を植えて見違えるほどきれいにしたの。その次には今までクリーニングに出していた洋服を手洗いしてみたら、それがまたうまくいって。達成感があったわぁ。
と、いうふうに人から見たら自粛生活何のその、楽しくイキイキと生活してるって思われていたと思うのね」
お話は続きます。
「でもね。マスクだし、出かけないととにかくお化粧はしないでしょ。洋服を考えることもないし。
今言われてすぐに思い当たったのは、『行きたくなくなった』ってこと。今は自粛も解けたので、出かけてるのよ。でもそのスタートの気持ちが違う。確かに前とは違うことがよくわかる」
「その違いって、自分ではわかるけど、人から見たらわからないような感じなのでしょう?」と私。
「そうそう。今は前みたいに出かけてるし、今絹子さんと話さなかったら自分でも自覚してなかったかもしれない」
また私「どんなに外から見て大丈夫なようでも、『大丈夫!』と判断するのは自分の前頭葉だから、前頭葉が満足できる生活をしてないと、ちょっと微妙に元気がなくなる・・・でも、今は生活が元にもどってるし、何より私の話で自覚できるところがすごい。本当に前頭葉が元気がなくなる方向に向いた時って、必ず自覚できるから覚えておいてね。ズルズルその生活を続けて小ボケへ至る道を進まないでね」
また別の友人と電話で話しました。83歳の彼女は、家業の農作業の手伝いや家事などを分担してこなしています。
ちょっとハードかなと思うことも再々あったので、「少しお仕事量を減らした方がいいんじゃないか」とお話したこともありましたが、「本当に家族にとって役に立つ仕事をこなさないと、あまり意味がないから」という信念を感じて黙ってみていました。
私「いつも、お仕事量が多いと心配してたけど、今回のような思いがけないことが起きると、『ちょっと違ったかな』って思ってます。もし分担のお仕事がないと想像してみたら、けっこう大変なこと。何をしても、しなくても自由。それってどうでしょうか?必ずやることが83歳というお歳であることは、よかったんじゃないかって思ってました」
友人「私もそう思ってました。確かに体がちょっと辛いということが増えてきたけど、頼りにされていることは気分がいいこと!
それより自粛だったでしょう。前のように時間を作ってちょっと遊びに行くとかランチに行くとかしなかったでしょう。そうしたら、自粛が終わっても行きたくなくなっちゃたの。不思議ねえ」
そこで東京の友達に話したことを繰り返しました。
友人「とっても納得!ちょっと自分を励まして、前のように遊びに行くようにしよう・・・っと」
そこで私はあわてて「7月の第3水曜日に楽しい音楽会があるから、伊豆高原バターノートまで足を運んできて!」こういうふうに具体的に動きを促すことは大切なのです。気持ちは理解しても、行動にまで移すのにはもう一つエネルギーがいりますから。
友人「バターノート!何度も行ったことがあるわ。マダムとも顔なじみだし」
結論が出ました。体調の問題が起きないならば、来てくれるそうです。
おもしろいのは、このような会話のやり取りだけで電話の声がだんだんと明るく若々しくなってくるのですよ。
このような気になる電話事件も。
久しぶりの知人とおしゃべりしていたら「ピンポーン」の音が聞こえたので、慌てて電話を切りました。
その後、その知人から届いたメールには、要略してこんなことが書かれていました。
「先ほどは失礼しました。来客は同じマンションの方でした。ご自身の結婚以来の、ご主人や姻戚関係での苦労話等が次から次に話し出したら止まらず、延々と昼過ぎまで。そうなさりながら溜まった腹立つ感情を解消されておられる、その聞き手でした。私達より年上の方々にとって聞いてくださる相手は少ないのが現実のようですからずっと聞きました。自粛期間、マスク着けてなのです」
このお客さんは、ちょっとおかしいですね。あ、前頭葉が老化を加速しているという意味ですよ。
中学校の同級生から、全く同じ内容の電話が2回かかってきたことも、実は気になっています。
彼女にとって不本意な家庭内での事件があったので、電話が来ることは少しもおかしくないのです。その電話が2回あってもおかしくはありません。そのくらい承服しかねる事件だったことは、私にもわかりますから。
ただその2回目の電話の時「前にも言ったけど」とか「何度も聞いてもらって」とかいうことばが全くないのです。1回目と同じ私の反応や言葉にも、「そうよね~」とか「やっぱり絹子さんもそう思う?」とまったく同じように返事が返ってきます。
この違和感。もう一度かかったら教えてあげなくてはと思いましたが、幸いなことに、かかってきていません。
2度吐き出したら気がすんだのでしょうか?それならば単に私の取りこし苦労で、こんなうれしいことはありません。
義姉ともおしゃべりしました。
上に書いたような電話事件の話をしたら
「よくわかる。こういう生活でだんだん意欲的でなくなっていって、『このままこうして干からびてボケていくのよね~』と思ってた」だいたい義姉はいつも悲観的に「歳を取ったらだんだんボケていくのよね」といいます。そのたびに私は
「普通に歳を取っていくのとボケるのは違う道。体と同じように脳にも加齢現象はあるけど、それは正常老化というか『歳のせい』でみんなに起きること。小ボケへの道は全く違う道筋だから!ナイナイ尽くしの生活、とにかく楽しみのない生活がいけないの」と答えます。
「そうよね。もう出られるようになったから、友達に声をかけて遊びに行ったり食事に行ったりしなくっちゃあ」こういう話の時には声は弾むものです。その義姉の声を聞きながら、私も言いました。
「誘えるお友達がたくさんいてよかったね。お姉さんのためでもあるけど、そのお友達のためでもあるわけだから。まったく『情けは人の為ならず』でみんなでボケないように楽しまないと。
ボケない秘訣が『楽しむこと』でよかったわ。だって誰にでも心を込めて楽に言えるでしょ?ずっと言ってきたけど、なかなかこんな簡単なことがボケないカギと思ってもらえないのよね。
今度のコロナ自粛のせいで、前頭葉の元気がなくなったと感じることができる人には、ちょっといい警鐘になるはずよね」

近所の「ニューヨークランプミュージアム&フラワーガーデン」のあじさい園は、ほんの少し盛りを過ぎていました。
一緒に行った友人と「来年はもう少し早く来ましょうね」といいながら、二人同時に顔を見あって「来年のことは言えないわね・・・」
でも気持ちが暗くなったわけではありませんよ。
また二人同時に顔を見あって「だから、とにかく楽しまなくっちゃあ」で吹き出しました。そうです、こういう生き方は、とってもお勧めです。

ブログ村

http://health.blogmura.com/bokeboshi/ranking_out.html