解らない。
人の行動。人生。
「保守派の論客として知られる評論家の西部邁(にしべ・すすむ)さんが21日早朝、東京・大田区田園調布の多摩川河川敷から多摩川に飛び込んで自殺した。救出され都内の病院に搬送されたが、同8時37分に死亡が確認された。78歳だった。著作活動のほか「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)などで活躍した西部さんは50代から独自の死生観を展開。最近、著書などで自殺をほのめかし、独自の「最期」を決意していたようだ。
21日午前6時40分ごろ、大田区田園調布5丁目の多摩川河川敷で、西部さんの長男から「父親が飛び込んだ」と110番があった。駆け付けた警察官が救出した際には意識がなく、河川敷では遺書が見つかった。長男は同日未明に自宅から姿が見えなくなったため、捜索願を出していた。
同居する親族は本紙に「つい最近も、外で人と会っている時は元気にハシゴ酒で『首から上は元気なんだ』と上機嫌で朝まで飲んだりしてました。でも、ウチにいるときは頸椎が曲がっていたこともあって『痛い、痛い』とよく昼寝したりはしてました」と語る。
衝撃的な自殺を遂げたが、親族は意外にも冷静だった。西部さんはかねて独自の死生観を持ち「病院死は嫌だ」と家族に漏らし、著書にもその思いを遺していた。
「過去に喉頭がん、頸椎の病気で入院し『動いてはいけません』と言われたのが、すごく嫌だったようです。自分の最期についても本に書いていたのがすべてだと思います」(親族)
昨年12月に発売された“最期の書”と帯に記された著書「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)」で西部氏は<病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。…
おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄(いじ)り回されたくないからだ>と表現。
病院死ではなく「自裁死」(自殺)を選ぶ可能性に触れ<人生で三度めの述者の短銃入手作戦が、前二回と同じく入手先主の突如の死によって頓挫><自死用の武器調達はおおむね合徳に当たると考えてきた>ともつづっていた。
4年前に亡くなった愛妻の8年間の自宅介護を振り返り<自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない、そんなことをするのは廉恥心に悖(もと)る、と考える方向での生き方をする者がいて、述者はそうした種類の人間なのである>とも。
そのうえで、あとがきには西部さんの事務所で日頃から手足となってきた愛娘宛てに<僕はそう遠くない時機にリタイアするつもりなので、そのあとは、できるだけ僕のことは忘れて、悠々と人生を楽しんでほしい>とも書いていた。
10年近く続いていたTOKYO MXテレビで司会を務めるトーク番組「西部邁ゼミナール」(土曜午前7時05分)に出演し、1月5日に最後の収録を終えていた。番組関係者は「1月分の番組の収録は終わっていました」という。
番組関係者も西部さんの近著で死生観を理解していたこともあり、動揺が感じられなかった。
「50代の時から自分の生き方の結末を考えていた方で、最近は若者をとにかく励ますことを信条に、私たちともつい先週、朝まで飲んだばかりでした。…
娘さんや息子さんに迷惑がかからないように人生を終えることはいつもおっしゃってました」(番組関係者)
北海道・長万部町生まれ、東大在学中は東大自治会委員長として60年安保闘争で指導的役割を果たした。専門は社会経済学で、横浜国立大助教授などを経て東大教養学部教授となった。その後「朝まで生テレビ!」などの討論番組をはじめ、保守の論客として活躍した。
同番組で司会を続ける田原総一朗氏(83)はこの日、ツイッターで「とてもショックだ。昨年の10月にラジオ番組でご一緒した。奥さんが亡くなって、自分も体調が悪く歩きにくいと言っていた」などとつぶやいた。
論壇誌「発言者」と後継誌「表現者」を主宰していたが、昨年、顧問を引退。近年は周囲にも自殺の可能性をほのめかす発言をし、翻意を求めても、覚悟を固めた様子だったという。
西部さんの遺書には「葬式はやらないでほしい」とも書かれていたという。」
人生の時間は、解らないものだ。
人の行動。人生。
「保守派の論客として知られる評論家の西部邁(にしべ・すすむ)さんが21日早朝、東京・大田区田園調布の多摩川河川敷から多摩川に飛び込んで自殺した。救出され都内の病院に搬送されたが、同8時37分に死亡が確認された。78歳だった。著作活動のほか「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)などで活躍した西部さんは50代から独自の死生観を展開。最近、著書などで自殺をほのめかし、独自の「最期」を決意していたようだ。
21日午前6時40分ごろ、大田区田園調布5丁目の多摩川河川敷で、西部さんの長男から「父親が飛び込んだ」と110番があった。駆け付けた警察官が救出した際には意識がなく、河川敷では遺書が見つかった。長男は同日未明に自宅から姿が見えなくなったため、捜索願を出していた。
同居する親族は本紙に「つい最近も、外で人と会っている時は元気にハシゴ酒で『首から上は元気なんだ』と上機嫌で朝まで飲んだりしてました。でも、ウチにいるときは頸椎が曲がっていたこともあって『痛い、痛い』とよく昼寝したりはしてました」と語る。
衝撃的な自殺を遂げたが、親族は意外にも冷静だった。西部さんはかねて独自の死生観を持ち「病院死は嫌だ」と家族に漏らし、著書にもその思いを遺していた。
「過去に喉頭がん、頸椎の病気で入院し『動いてはいけません』と言われたのが、すごく嫌だったようです。自分の最期についても本に書いていたのがすべてだと思います」(親族)
昨年12月に発売された“最期の書”と帯に記された著書「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)」で西部氏は<病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。…
おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄(いじ)り回されたくないからだ>と表現。
病院死ではなく「自裁死」(自殺)を選ぶ可能性に触れ<人生で三度めの述者の短銃入手作戦が、前二回と同じく入手先主の突如の死によって頓挫><自死用の武器調達はおおむね合徳に当たると考えてきた>ともつづっていた。
4年前に亡くなった愛妻の8年間の自宅介護を振り返り<自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない、そんなことをするのは廉恥心に悖(もと)る、と考える方向での生き方をする者がいて、述者はそうした種類の人間なのである>とも。
そのうえで、あとがきには西部さんの事務所で日頃から手足となってきた愛娘宛てに<僕はそう遠くない時機にリタイアするつもりなので、そのあとは、できるだけ僕のことは忘れて、悠々と人生を楽しんでほしい>とも書いていた。
10年近く続いていたTOKYO MXテレビで司会を務めるトーク番組「西部邁ゼミナール」(土曜午前7時05分)に出演し、1月5日に最後の収録を終えていた。番組関係者は「1月分の番組の収録は終わっていました」という。
番組関係者も西部さんの近著で死生観を理解していたこともあり、動揺が感じられなかった。
「50代の時から自分の生き方の結末を考えていた方で、最近は若者をとにかく励ますことを信条に、私たちともつい先週、朝まで飲んだばかりでした。…
娘さんや息子さんに迷惑がかからないように人生を終えることはいつもおっしゃってました」(番組関係者)
北海道・長万部町生まれ、東大在学中は東大自治会委員長として60年安保闘争で指導的役割を果たした。専門は社会経済学で、横浜国立大助教授などを経て東大教養学部教授となった。その後「朝まで生テレビ!」などの討論番組をはじめ、保守の論客として活躍した。
同番組で司会を続ける田原総一朗氏(83)はこの日、ツイッターで「とてもショックだ。昨年の10月にラジオ番組でご一緒した。奥さんが亡くなって、自分も体調が悪く歩きにくいと言っていた」などとつぶやいた。
論壇誌「発言者」と後継誌「表現者」を主宰していたが、昨年、顧問を引退。近年は周囲にも自殺の可能性をほのめかす発言をし、翻意を求めても、覚悟を固めた様子だったという。
西部さんの遺書には「葬式はやらないでほしい」とも書かれていたという。」
人生の時間は、解らないものだ。