甲南ロー関係の記事を書こうと思ったのですが,まだ関連する情報の収集ができていないので,先に民法関係の記事を書きます。法律の専門的な話ですので,興味の無い方は適当に読み流して下さい。
今回は,7月16日に開催された第74回会議の論点のうち,前回取り上げなかった,債権の消滅時効の問題について取り上げます。
<参 照>
民法(債権関係)の改正に関する要綱案の取りまとめに向けた検討(1)(法務省HP)
http://www.moj.go.jp/content/000112861.pdf
1 現行法の規定内容とその問題点
債権の消滅時効に関する現行法の主な規定は,以下のとおりです。
(1) 原則
権利を行使できるときから10年間(民法166条1項,167条1項)
(2) 商行為によって生じた債権
権利を行使できるときから5年間(民法166条1項,商法522条本文)
(3) 弁護士,弁護士法人または公証人に関する債権(民法171条,172条)
① その職務に関し受け取った書類についての責任は,事件終了時または職務執行時から3年で消滅
② その職務に関する債権は,その原因となった事件が終了した時から2年,または事件中の各事項が終了したときから5年を経過したときに消滅
(4) 3年の短期消滅時効(民法170条)
① 医師,助産師又は薬剤師の診療,助産又は調剤に関する債権
② 工事の設計,施工又は監理を業とする者の工事に関する債権(工事が終了してから3年)
(5) 2年の短期消滅時効(民法173条)
① 生産者,卸売商人又は小売商人が売却した産物又は商品の代価に係る債権
② 自己の技能を用い,注文を受けて,物を製作し又は自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
③ 学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育,衣食又は寄宿の代価について有する債権
(6) 1年の短期消滅時効(民法174条)
① 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権
② 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給した物の代価に係る債権
③ 運送賃に係る債権
④ 旅館,料理店,飲食店,貸席又は娯楽場の宿泊料,飲食料,席料,入場料,消費物の代価又は立替金に係る債権
⑤ 動産の損料に係る債権
(7) 不法行為による損害賠償請求権(民法724条)
被害者または法定代理人が損害及び加害者を知ったときから3年,または不法行為の時から20年
上記のうち(3)から(6)までについては,あまりに煩雑であり解釈上の疑義も生じているので,すべて廃止する方針が固まっていますが,仮に(3)から(6)までをすべて廃止してしまうと,従来これらの短期消滅時効が適用されていた債権の消滅時効期間が長くなってしまうので,原則的な時効期間をどのように見直すかが重要な論点になっています。
2 現時点における改正の方向性
この点について,中間試案で示された改正案は以下の3案です。
【甲案】 「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持した上で,10年間(同法第167条第1項)という時効期間を5年間に改めるものとする。
【乙案】 「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点から10年間(同法第167条第1項)という時効期間を維持した上で,「債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)」という起算点から[3年間/4年間/5年間]という時効期間を新たに設け,いずれかの時効期間が満了した時に消滅時効が完成するものとする。。
【別案】 【甲案】と同様に「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持するとともに,10年間(同法第167条第1項)という時効期間も維持した上で,事業者間の契約に基づく債権については5年間,消費者契約に基づく事業者の消費者に対する債権については3年間の時効期間を新たに設ける。
なお,甲案,乙案,別案のいずれも上記(2)(商事債権に関する消滅時効,商法522条)を民法典に取り込む考え方であるため,民法改正が実現すれば商法522条は廃止されることになりそうです。
黒猫自身としては,現行法の考え方に最も馴染みやすいという理由から別案を支持しているのですが,経済界などでは,そもそも民法に消費者や事業者の概念を持ち込むことに対し批判的な意見が根強いため,今のところ別案が通る可能性は低そうです。
そして,検討(1)の5~7頁によれば,法務省としては乙案を採用した上で,時効期間は5年間とするという考え方を採用したいと考えていることが分かります。これを条文化すると,以下のようになるでしょう。
債権は,債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)から5年間,または権利を行使することができるときから10年間行使しなかったときは,時効によって消滅する。
この条文だけでは,「権利を行使することができる時」が2回出てくるので意味が分かりにくいかも知れませんので,いくつか事例を挙げて説明します。
<事例1>
甲弁護士は,依頼者乙と平成33年4月1日に民事訴訟事件を受任し,全面勝訴した場合の報酬金を50万円とした。甲弁護士は,平成35年6月1日に全面勝訴判決を勝ち取り,同日事件は解決した。
このような事例で,仮に乙が約定どおりの報酬金を支払わない場合,現行法では民法172条により事件終了時から2年で,つまり平成37年6月1日の終了をもって,報酬金債権は時効により消滅します(民法140条本文により初日不算入)。
これに対し,仮に平成33年4月1日までに上記内容の新法が施行された場合,甲弁護士は平成35年6月1日に「債権発生の原因及び債務者を知った」ことになりますので,そのときから5年で,つまり平成40年6月1日の終了をもって,報酬金債権は時効により消滅することになります。この場合,「権利を行使することができるときから10年間」という規定が適用される余地はありません。
<事例2>
甲(貸金を業としない個人)は,乙に対し,平成33年4月1日に金100万円を貸し渡し,返済期限を平成35年3月31日と定めた。
この事例で,仮に乙が返済期限までに100万円を返済しない場合,現行法では民法167条1項により,権利を行使することができるときから10年で,つまり平成45年3月31日の終了をもって,貸金返還請求権は時効により消滅します。
これに対し,仮に平成33年4月1日までに上記内容の新法が施行された場合,甲は乙に金を貸し渡した当時(平成33年4月1日)から「債権発生の原因及び債務者」を知っていたと考えられるものの,この時点ではまだ債権を行使することができないので,「権利を行使することができるときから5年」で,つまり平成40年3月31日の終了をもって,貸金返還請求権は時効により消滅することになります。この場合にも,「権利を行使することができるときから10年間」という規定が適用される余地はありません。
<事例3>
甲は,乙を従業員として雇用し建設作業に従事させていたが,甲の安全配慮義務違反により乙はじん肺に罹患してしまい,平成33年1月15日に,乙は医師からじん肺である旨の診断を受けた。これを受けて乙は労働基準監督署に業務災害の認定を申請し,平成35年6月1日,乙は労基署から労災認定を受けた。
このような事例の場合,現行法ではそもそも「権利を行使することができる時」はいつかという解釈上の問題がありますが,判例(長崎じん肺事件,最判平成6年2月22日民集48-2-441)によれば,最終の行政上の決定を受けた時から消滅時効が進行するものとされていますので,乙の甲に対する損害賠償請求権が消滅するのは,平成45年6月1日の終了時ということになります。
これに対し改正法は,上記のような場合には医師の診断を受けた時から10年間,または行政庁の最終決定を受けた時から5年間で損害賠償請求権が時効消滅する,という考え方を想定しているのではないかと思われますが,「権利を行使することができる時」の解釈につき現行法の判例と同様の考え方を採るのであれば,乙の甲に対する損害賠償請求権が消滅するのは,行政庁の最終決定を受けたときから5年,つまり平成40年6月1日の終了時ということになり,やはり10年間という規定が適用される余地はないことになります。
もっとも,新法下では10年間という規定に意味を持たせようとする解釈論が提唱される可能性もありますが,使用者の安全配慮義務違反が問題になるような事例では発症から労災認定まで相当長い年月がかかることもありますので,それによって被害者の権利行使が不当に妨げられる結果となる可能性も否定できません。
法務省のレジュメでは,事例3のような債権は一般的な取引債権と比べてごく例外的なものとも考えられるから,甲案を支持する立場からも乙案への支持を検討する余地があるのではないか,別案に対しても実際上時効期間の差異は相当に乏しくなっているように思われるなどとして,何とか乙案で取りまとめようとする意図が窺われます。
さらに,法務省案では,不法行為に関する消滅時効の規定(民法724条,前記(7))も廃止し,不法行為債権も含めた消滅時効制度の一元化も検討の対象とすることを示唆しています。
乙案は,内田参与が事務局長を務めた民法(債権法)改正検討委員会により提案されたものであり,法務省サイドの本音としては何とかこれを採用したいのでしょうが,実際の法務省案は「時効期間の短期化は不合理である」との厳しい批判に応える内容にはなっておらず,時効の起算点をめぐる解釈論が混乱し紛争が多発するという懸念も解消されていません。
とは言え,消滅時効の問題は他の論点と異なり,前記(3)から(6)までの現行規定が不合理であることにほとんど異論はなく,単純に現行規定を維持すればよいという問題でもありません。今後の議論の行方が注目されます。
今回は,7月16日に開催された第74回会議の論点のうち,前回取り上げなかった,債権の消滅時効の問題について取り上げます。
<参 照>
民法(債権関係)の改正に関する要綱案の取りまとめに向けた検討(1)(法務省HP)
http://www.moj.go.jp/content/000112861.pdf
1 現行法の規定内容とその問題点
債権の消滅時効に関する現行法の主な規定は,以下のとおりです。
(1) 原則
権利を行使できるときから10年間(民法166条1項,167条1項)
(2) 商行為によって生じた債権
権利を行使できるときから5年間(民法166条1項,商法522条本文)
(3) 弁護士,弁護士法人または公証人に関する債権(民法171条,172条)
① その職務に関し受け取った書類についての責任は,事件終了時または職務執行時から3年で消滅
② その職務に関する債権は,その原因となった事件が終了した時から2年,または事件中の各事項が終了したときから5年を経過したときに消滅
(4) 3年の短期消滅時効(民法170条)
① 医師,助産師又は薬剤師の診療,助産又は調剤に関する債権
② 工事の設計,施工又は監理を業とする者の工事に関する債権(工事が終了してから3年)
(5) 2年の短期消滅時効(民法173条)
① 生産者,卸売商人又は小売商人が売却した産物又は商品の代価に係る債権
② 自己の技能を用い,注文を受けて,物を製作し又は自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
③ 学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育,衣食又は寄宿の代価について有する債権
(6) 1年の短期消滅時効(民法174条)
① 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権
② 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給した物の代価に係る債権
③ 運送賃に係る債権
④ 旅館,料理店,飲食店,貸席又は娯楽場の宿泊料,飲食料,席料,入場料,消費物の代価又は立替金に係る債権
⑤ 動産の損料に係る債権
(7) 不法行為による損害賠償請求権(民法724条)
被害者または法定代理人が損害及び加害者を知ったときから3年,または不法行為の時から20年
上記のうち(3)から(6)までについては,あまりに煩雑であり解釈上の疑義も生じているので,すべて廃止する方針が固まっていますが,仮に(3)から(6)までをすべて廃止してしまうと,従来これらの短期消滅時効が適用されていた債権の消滅時効期間が長くなってしまうので,原則的な時効期間をどのように見直すかが重要な論点になっています。
2 現時点における改正の方向性
この点について,中間試案で示された改正案は以下の3案です。
【甲案】 「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持した上で,10年間(同法第167条第1項)という時効期間を5年間に改めるものとする。
【乙案】 「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点から10年間(同法第167条第1項)という時効期間を維持した上で,「債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)」という起算点から[3年間/4年間/5年間]という時効期間を新たに設け,いずれかの時効期間が満了した時に消滅時効が完成するものとする。。
【別案】 【甲案】と同様に「権利を行使することができる時」(民法第166条第1項)という起算点を維持するとともに,10年間(同法第167条第1項)という時効期間も維持した上で,事業者間の契約に基づく債権については5年間,消費者契約に基づく事業者の消費者に対する債権については3年間の時効期間を新たに設ける。
なお,甲案,乙案,別案のいずれも上記(2)(商事債権に関する消滅時効,商法522条)を民法典に取り込む考え方であるため,民法改正が実現すれば商法522条は廃止されることになりそうです。
黒猫自身としては,現行法の考え方に最も馴染みやすいという理由から別案を支持しているのですが,経済界などでは,そもそも民法に消費者や事業者の概念を持ち込むことに対し批判的な意見が根強いため,今のところ別案が通る可能性は低そうです。
そして,検討(1)の5~7頁によれば,法務省としては乙案を採用した上で,時効期間は5年間とするという考え方を採用したいと考えていることが分かります。これを条文化すると,以下のようになるでしょう。
債権は,債権者が債権発生の原因及び債務者を知った時(債権者が権利を行使することができる時より前に債権発生の原因及び債務者を知っていたときは,権利を行使することができる時)から5年間,または権利を行使することができるときから10年間行使しなかったときは,時効によって消滅する。
この条文だけでは,「権利を行使することができる時」が2回出てくるので意味が分かりにくいかも知れませんので,いくつか事例を挙げて説明します。
<事例1>
甲弁護士は,依頼者乙と平成33年4月1日に民事訴訟事件を受任し,全面勝訴した場合の報酬金を50万円とした。甲弁護士は,平成35年6月1日に全面勝訴判決を勝ち取り,同日事件は解決した。
このような事例で,仮に乙が約定どおりの報酬金を支払わない場合,現行法では民法172条により事件終了時から2年で,つまり平成37年6月1日の終了をもって,報酬金債権は時効により消滅します(民法140条本文により初日不算入)。
これに対し,仮に平成33年4月1日までに上記内容の新法が施行された場合,甲弁護士は平成35年6月1日に「債権発生の原因及び債務者を知った」ことになりますので,そのときから5年で,つまり平成40年6月1日の終了をもって,報酬金債権は時効により消滅することになります。この場合,「権利を行使することができるときから10年間」という規定が適用される余地はありません。
<事例2>
甲(貸金を業としない個人)は,乙に対し,平成33年4月1日に金100万円を貸し渡し,返済期限を平成35年3月31日と定めた。
この事例で,仮に乙が返済期限までに100万円を返済しない場合,現行法では民法167条1項により,権利を行使することができるときから10年で,つまり平成45年3月31日の終了をもって,貸金返還請求権は時効により消滅します。
これに対し,仮に平成33年4月1日までに上記内容の新法が施行された場合,甲は乙に金を貸し渡した当時(平成33年4月1日)から「債権発生の原因及び債務者」を知っていたと考えられるものの,この時点ではまだ債権を行使することができないので,「権利を行使することができるときから5年」で,つまり平成40年3月31日の終了をもって,貸金返還請求権は時効により消滅することになります。この場合にも,「権利を行使することができるときから10年間」という規定が適用される余地はありません。
<事例3>
甲は,乙を従業員として雇用し建設作業に従事させていたが,甲の安全配慮義務違反により乙はじん肺に罹患してしまい,平成33年1月15日に,乙は医師からじん肺である旨の診断を受けた。これを受けて乙は労働基準監督署に業務災害の認定を申請し,平成35年6月1日,乙は労基署から労災認定を受けた。
このような事例の場合,現行法ではそもそも「権利を行使することができる時」はいつかという解釈上の問題がありますが,判例(長崎じん肺事件,最判平成6年2月22日民集48-2-441)によれば,最終の行政上の決定を受けた時から消滅時効が進行するものとされていますので,乙の甲に対する損害賠償請求権が消滅するのは,平成45年6月1日の終了時ということになります。
これに対し改正法は,上記のような場合には医師の診断を受けた時から10年間,または行政庁の最終決定を受けた時から5年間で損害賠償請求権が時効消滅する,という考え方を想定しているのではないかと思われますが,「権利を行使することができる時」の解釈につき現行法の判例と同様の考え方を採るのであれば,乙の甲に対する損害賠償請求権が消滅するのは,行政庁の最終決定を受けたときから5年,つまり平成40年6月1日の終了時ということになり,やはり10年間という規定が適用される余地はないことになります。
もっとも,新法下では10年間という規定に意味を持たせようとする解釈論が提唱される可能性もありますが,使用者の安全配慮義務違反が問題になるような事例では発症から労災認定まで相当長い年月がかかることもありますので,それによって被害者の権利行使が不当に妨げられる結果となる可能性も否定できません。
法務省のレジュメでは,事例3のような債権は一般的な取引債権と比べてごく例外的なものとも考えられるから,甲案を支持する立場からも乙案への支持を検討する余地があるのではないか,別案に対しても実際上時効期間の差異は相当に乏しくなっているように思われるなどとして,何とか乙案で取りまとめようとする意図が窺われます。
さらに,法務省案では,不法行為に関する消滅時効の規定(民法724条,前記(7))も廃止し,不法行為債権も含めた消滅時効制度の一元化も検討の対象とすることを示唆しています。
乙案は,内田参与が事務局長を務めた民法(債権法)改正検討委員会により提案されたものであり,法務省サイドの本音としては何とかこれを採用したいのでしょうが,実際の法務省案は「時効期間の短期化は不合理である」との厳しい批判に応える内容にはなっておらず,時効の起算点をめぐる解釈論が混乱し紛争が多発するという懸念も解消されていません。
とは言え,消滅時効の問題は他の論点と異なり,前記(3)から(6)までの現行規定が不合理であることにほとんど異論はなく,単純に現行規定を維持すればよいという問題でもありません。今後の議論の行方が注目されます。