本来は,手術あけの5月くらいまでブログ更新はしないつもりでしたが,日弁連の「法曹養成制度の改善に関する緊急提言」(2011年3月27日付け)を読み直して,さすがにこれは一言言っておくべきだろうな,と思い至りました。
提言の前文は日弁連HPに掲載されているのでそちらをご覧頂くとして,黒猫流に提言の趣旨をまとめると,
1 法科大学院は,入学定員をさらに削減した上で,奨学金の拡充などの措置を図るべきである(法科大学院自体の存続の是非については触れず)
2 司法試験の受験回数制限を5年間で5回に緩和するなど,司法試験制度の見直しをすべきである
3 司法修習生に対し,廃止された前期修習に代わる何らかの集合的な修習を実施すべきである
4 司法修習生の給費制を維持すべきである
といったところです(提言のうち,意味不明瞭な部分は省略しています)。
言うまでもないことですが,今の日本は東日本大震災とそれに伴う原発事故で,未曾有の国難に直面しています。被害の規模や範囲もさることながら,被災地を復興しようにも国の借金はすでに限界に達しており,復興の財源を捻出するためには国民に新税を課すしかないという,国家としても末期的状況にあります。そのような状況の中,漫然と「法科大学院に対する国の財政支援の充実」とか,「司法修習生に対する給費制の維持」などといったカネのかかる施策を訴えてみたところで,果たして何パーセントの国民が納得してくれるのでしょうか。
司法修習生の給費制については,昨年から貸与制に移行するはずだったところ,土壇場で施行が1年延期されたという事情がありますが,国会で貸与制の施行延期が決まったのも,その1年間で法曹養成制度の在り方全体について速やかに検討し見直しを行うということが前提になっていましたが,上記提言は,日弁連における従来の主張(会長が宇都宮弁護士に替わる以前のもの)からほとんど変化していません。
実際,一部の弁護士さんの中には,「このような事項は総会決議を経るべきだ」という意見もあったところ,理事会の見解は従来における日弁連の意見を変更するものではないから理事会決議でいいということらしく,この提言が従来の意見から実質何の進歩もないということは,いわば日弁連自身が認めていることです。
もっとも,今の日弁連で法曹養成制度に関する方針をゼロベースから議論しようとしたら,おそらく意見が百出して結論など出せないというのが結論でしょうし,会長選挙でトップをすげ替えても実質何も変わらないというのは,宇都宮弁護士が見事に実証してくれました。
そんなわけで,新しい法曹養成制度の在り方については,日弁連の意見が実質「なし」という状況の中で,国民の皆様に直接判断して頂くしかない状況となっているわけですが,その中で黒猫がなぜ法科大学院制度不要論を唱えているかということを,従来の記事に補足して若干述べておきたいと思います。
今年の初め頃,弁護士会の図書館に法科大学院関係の雑誌が置いてあったので,暇つぶしにちょっと読んでみたところ,司法試験その他司法制度の在り方を論ずる学者二人の対談が載っていましたが,それを読んで黒猫は,改めて法科大学院に対し絶望させられることになりました。
実情を知らない人のために若干説明しておくと,法科大学院の教員には大きく分けて「研究者教員」と「実務家教員」がいます。研究者教員というのは,大学卒業後どこかの大学院で法律学を専攻し,そのまま大学の准教授や教授となって,法科大学院でも教鞭を取っている人のことで,一部の例外を除き(旧)司法試験に合格したわけでもなく,弁護士や裁判官などの実務を経験したこともありません。
これに対し,国から法科大学院に派遣された裁判官や検察官の教員,及び法科大学院にスカウトされた弁護士の教員を一般に「実務家教員」と呼んでいます。アメリカのロースクールでは,研究と実務を行ったり来たりするのがごく普通で,このようなカテゴリー分けをする必要はないくらいなのですが,日本の大学では,法科大学院が出来た後も実務経験ゼロの「研究者教員」が幅を利かせています。
実務経験がないということは,実際の事件がどのようなルートで依頼者から弁護士のところに来て,弁護士が現場でどのような判断を必要とされるか,全くニーズを把握していないということです。むろん,弁護士も知的職業なので,実務上いろいろな本を参照する必要がありますが,実務に入ってから読む本は,ほとんどが裁判官や弁護士などの実務家が書いた本です。黒猫も学生時代は学者の書いた本もいろいろ買って読みましたが,実務に入ってからは,それらの本のほとんどは埃をかぶっています。ごく一部の例外を除いて,法律学者の書いた本というのは,実務家にとってはどうでもいいことしか書かれていないからです。
そういう「研究者教員」が,実務法曹を養成する法科大学院教育を主導したらどういうことになるか。前述の対談を読む限り,どうやら研究者教員は,現行の司法試験(論文試験)の在り方を強く批判しているようです。すなわち,今の論文試験は,問題文を読んだその場で解答することが求められており,その論点に関し学者の書いた文献を読んでじっくり検討する時間が与えられていない,と。
以前,このブログにコメントを頂いた法科大学院生と思しき方で,課題のレポートがあったところ,自分の頭で考えて書いたレポートには低い評価しか与えられず,最高裁判所調査官の解説を丸写しにしたレポートには平気で高い評価が与えられるのが法科大学院の実態である,という趣旨のコメントがありました。
当初,黒猫はそれを読んで,「その教員は頭が悪くて,学生が自分の頭で考えたレポートと専門家の論文を丸写しにしたレポートの区別も出来ないんだな」と思っていたのですが,どうやらその考えは誤りだったようです。その対談では,よりによって法律学初心者の分際で,与えられた問題に対し自分の頭だけで考えてレポートを書くとは何事だという趣旨の発言も載っており,その他の発言も総合すると,どうやら研究者教員の本音としては,法科大学院生のレポートは自分の頭で考えるのではなく,法律学の権威と言える人が書いた文献を参照して(ほとんど丸写しにして)書くのが正しい在り方だと考えているらしい,ということが分かりました。
そして,研究者教員にとってあるべき「司法試験」の在り方というのは,問題を読んでその場で解答する能力ではなく,与えられた問題に関するこれまでの学者が書いた文献を読みあさり,これまでの学説の到達点を踏まえて自分の見解を述べるという,いわば何ヶ月も掛けて博士論文を書くような能力を測る試験であるようです。
・・・言うまでもないことですが,実務では依頼者の質問にその場で回答したりすることもありますし,ある程度調査をして回答する場合でも,判例を調べてその傾向を分析する程度で,実務の傾向とは無関係に学者がごちゃごちゃ議論していることを参照することはありませんし,また参照する時間も実益もありません。
要するに,法科大学院の「研究者教員」達は,実務上のニーズとは全くかけ離れた「研究者としての」教育を学生に与えており,司法試験の傾向がそれとかけ離れていることに腹を立てているらしいというのが,黒猫によるその対談の読後感です。
そういえば,昨年の夏頃,法科大学院制度を何とか擁護しようとして弁護士会が開いたシンポジウムに黒猫が出席したところ,講演者として来ていた教員はいずれも実務家教員で,研究者教員はいませんでした。たぶん,研究者教員と実務家教員とでは,一緒の講演会で対談することもできないほど,法科大学院教育に対する考え方が根底から食い違っているのではないかと思います。
法科大学院制度を擁護する人達は,もはや10年も前の審議会意見書にある「少人数で密度の濃い,きめ細かな授業」の実現というお題目を唱え続けていますが,その内容が実務上のニーズと合致しているか否かは全く問題にしていません(日弁連による今回の提言にも同じことが言えます)。法曹実務家として本当に役に立つ教育をしているのであれば,企業などがそれに注目して法曹以外の需要も自ずと増えるはずですが,実際の法科大学院卒業生は,司法試験に合格できなければほぼ社会的に無価値と考えられています。それは,法科大学院教育そのものが実務的に無価値であることの証拠に他なりません。
もっとも,現行制度が仮に何十年もそのまま続けば,こうした研究者教員と実務家教員の溝も徐々に埋まっていき,研究の内容も実務を踏まえたものに変わっていく可能性もゼロではありませんが,今年の予備試験には既に9,000人近くが出願しており,今後予備試験の出題傾向が明らかになり対策を立てやすくなれば,出願者数はさらに増えるでしょう。
実務法曹になろうとする人の大半は,法科大学院ではなく予備試験突破を目指すようになり,現行法の実質5段階にわたる予備試験ルートは煩雑に過ぎるとして簡素化され,法科大学院そのものが将来的に空洞化するということは,もはや予測ではなく将来の事実を述べているに過ぎません。
法科大学院を廃止すべきだということは従来から主張してきましたが,特にこういう国家の非常事態では,何万人もの人々が困難な避難所生活等を強いられており,その生活再建や復興の財源捻出も覚束ないというのに,一方で法科大学院なる無益な事業のために何十億円もの国家予算が浪費されている現実に心の痛みを禁じ得ません。むしろ弁護士会が率先して法科大学院の廃止を訴え,それで浮いた国家予算を少しでも復興に回してくれというのが,国のために今の弁護士会がなしうる唯一の貢献ではないかとさえ思えます。
また,今次の原発事故に伴い,国から金をもらってひたすら自己保身の発言を繰り返すばかりの「東大教授」には,多くの皆様がご立腹されているものと思いますが,このような傾向は原子力問題関係の研究科にとどまるものではなく,法律学関係の「東大教授」が法科大学院に関し言っていることも,本質的には似たようなものです。
法科大学院の実務教育で,司法研修所の前期修習を代替するという当初の構想は法案成立時から明らかであったにもかかわらず,実際には前期修習の代替など全然出来ていないことが明らかになると,そのような構想は(自分達の責任ではなく)関係者の「誤解」であると言い切りました。法科大学院修了者の就職難も,悪いのは自分達ではなく世間であると言わんばかりの発想で,企業などに一定数の弁護士雇用を義務づければいいなどと平気で発言しています。
見苦しいまでの自己弁護と責任転嫁の繰り返し。自分もつい10年ちょっと前には,親のすねをかじってあんな人間の授業を有り難く聴いていたのかと思うと,自己嫌悪に陥ってしまうほどです。
もっとも,法科大学院を廃止した上で,司法試験の合格ラインをどの程度に設定するか,すなわち司法試験の合格者数を年間どのくらいに設定するかは,別途の考察が必要です。弁護士会の中にも,現状の需要を考えれば年間1,000人程度まで減らすべきだという意見もあれば,年間3,000人とすることには賛成という意見もあるようです。
もっとも,司法試験の合格者数を年間3,000人程度まで引き上げた場合,現行の司法修習は定員オーバーで実施できなくなりますので,おそらく公認会計士試験と同じように,司法試験合格者に対し何年かの実務経験を要求し,司法修習に代わる実務補習と修了試験などを課した上で弁護士資格を認めるといった制度になるのでしょう。
ただし,このような制度を導入した場合,現行公認会計士試験と同様の問題を抱えることになります。現行公認会計士試験は,公認会計士登録に必要な実務経験を積める就職先がなく,旧制度下の「会計士補」という制度も廃止されてしまったので,試験に合格しても監査法人等の就職先を見つけられなければ何らの資格も肩書きも得られないという,国家的詐欺ではないかと思えるくらい非情な試験制度となっており,現に就職先のない「待機合格者」が大量に発生しています。
司法試験については,公認会計士業界と異なり法律事務所に「弁護士未満」の人を雇って実務経験を積ませるような慣行はないことから,おそらく大半の法律事務所は,弁護士資格も持たない司法試験合格者など採用しないでしょう。仮に採用されても,おそらく一般の事務員やアルバイト並みの給料しか期待できません。実務経験ゼロで,レベルも下がりまくった「司法試験」の合格者より,実務経験のある事務員の方がよほど役に立ちますからね。
そうなると,司法試験合格者を仮に年間3,000人程度まで増加させた場合,実際に弁護士になれるのは弁護士の子弟など既存の法律事務所に「つて」のある人だけで,現行制度以上に弁護士の「世襲化」が進むと予想されます。有権者の皆様がそれでもいいと判断されるのであれば黒猫も特段口は挟みませんが,職業の世襲化などという中世へ逆行するかのような現象が,日本の未来にとって好ましいとはとても思えません。
こういう政治状況では,なるべく安上がりな制度設計が好まれるでしょうから,司法修習生に対する給費制を現状のまま維持するのは難しいかもしれません。しかし,貸与制という発想は現在より合格者数がはるかに少なかった時代の,「司法修習の修了者は裁判官,検察官あるいは弁護士になって皆高給を取っているだろう」という状況から生まれたものであり,仮に現状のまま貸与制に移行しても,修習生に貸したお金の大半は回収困難で戻ってこない可能性が高く,債権回収にかかる費用も馬鹿にならないので,国の財政的にはあまり変わらないと思います。
提言の前文は日弁連HPに掲載されているのでそちらをご覧頂くとして,黒猫流に提言の趣旨をまとめると,
1 法科大学院は,入学定員をさらに削減した上で,奨学金の拡充などの措置を図るべきである(法科大学院自体の存続の是非については触れず)
2 司法試験の受験回数制限を5年間で5回に緩和するなど,司法試験制度の見直しをすべきである
3 司法修習生に対し,廃止された前期修習に代わる何らかの集合的な修習を実施すべきである
4 司法修習生の給費制を維持すべきである
といったところです(提言のうち,意味不明瞭な部分は省略しています)。
言うまでもないことですが,今の日本は東日本大震災とそれに伴う原発事故で,未曾有の国難に直面しています。被害の規模や範囲もさることながら,被災地を復興しようにも国の借金はすでに限界に達しており,復興の財源を捻出するためには国民に新税を課すしかないという,国家としても末期的状況にあります。そのような状況の中,漫然と「法科大学院に対する国の財政支援の充実」とか,「司法修習生に対する給費制の維持」などといったカネのかかる施策を訴えてみたところで,果たして何パーセントの国民が納得してくれるのでしょうか。
司法修習生の給費制については,昨年から貸与制に移行するはずだったところ,土壇場で施行が1年延期されたという事情がありますが,国会で貸与制の施行延期が決まったのも,その1年間で法曹養成制度の在り方全体について速やかに検討し見直しを行うということが前提になっていましたが,上記提言は,日弁連における従来の主張(会長が宇都宮弁護士に替わる以前のもの)からほとんど変化していません。
実際,一部の弁護士さんの中には,「このような事項は総会決議を経るべきだ」という意見もあったところ,理事会の見解は従来における日弁連の意見を変更するものではないから理事会決議でいいということらしく,この提言が従来の意見から実質何の進歩もないということは,いわば日弁連自身が認めていることです。
もっとも,今の日弁連で法曹養成制度に関する方針をゼロベースから議論しようとしたら,おそらく意見が百出して結論など出せないというのが結論でしょうし,会長選挙でトップをすげ替えても実質何も変わらないというのは,宇都宮弁護士が見事に実証してくれました。
そんなわけで,新しい法曹養成制度の在り方については,日弁連の意見が実質「なし」という状況の中で,国民の皆様に直接判断して頂くしかない状況となっているわけですが,その中で黒猫がなぜ法科大学院制度不要論を唱えているかということを,従来の記事に補足して若干述べておきたいと思います。
今年の初め頃,弁護士会の図書館に法科大学院関係の雑誌が置いてあったので,暇つぶしにちょっと読んでみたところ,司法試験その他司法制度の在り方を論ずる学者二人の対談が載っていましたが,それを読んで黒猫は,改めて法科大学院に対し絶望させられることになりました。
実情を知らない人のために若干説明しておくと,法科大学院の教員には大きく分けて「研究者教員」と「実務家教員」がいます。研究者教員というのは,大学卒業後どこかの大学院で法律学を専攻し,そのまま大学の准教授や教授となって,法科大学院でも教鞭を取っている人のことで,一部の例外を除き(旧)司法試験に合格したわけでもなく,弁護士や裁判官などの実務を経験したこともありません。
これに対し,国から法科大学院に派遣された裁判官や検察官の教員,及び法科大学院にスカウトされた弁護士の教員を一般に「実務家教員」と呼んでいます。アメリカのロースクールでは,研究と実務を行ったり来たりするのがごく普通で,このようなカテゴリー分けをする必要はないくらいなのですが,日本の大学では,法科大学院が出来た後も実務経験ゼロの「研究者教員」が幅を利かせています。
実務経験がないということは,実際の事件がどのようなルートで依頼者から弁護士のところに来て,弁護士が現場でどのような判断を必要とされるか,全くニーズを把握していないということです。むろん,弁護士も知的職業なので,実務上いろいろな本を参照する必要がありますが,実務に入ってから読む本は,ほとんどが裁判官や弁護士などの実務家が書いた本です。黒猫も学生時代は学者の書いた本もいろいろ買って読みましたが,実務に入ってからは,それらの本のほとんどは埃をかぶっています。ごく一部の例外を除いて,法律学者の書いた本というのは,実務家にとってはどうでもいいことしか書かれていないからです。
そういう「研究者教員」が,実務法曹を養成する法科大学院教育を主導したらどういうことになるか。前述の対談を読む限り,どうやら研究者教員は,現行の司法試験(論文試験)の在り方を強く批判しているようです。すなわち,今の論文試験は,問題文を読んだその場で解答することが求められており,その論点に関し学者の書いた文献を読んでじっくり検討する時間が与えられていない,と。
以前,このブログにコメントを頂いた法科大学院生と思しき方で,課題のレポートがあったところ,自分の頭で考えて書いたレポートには低い評価しか与えられず,最高裁判所調査官の解説を丸写しにしたレポートには平気で高い評価が与えられるのが法科大学院の実態である,という趣旨のコメントがありました。
当初,黒猫はそれを読んで,「その教員は頭が悪くて,学生が自分の頭で考えたレポートと専門家の論文を丸写しにしたレポートの区別も出来ないんだな」と思っていたのですが,どうやらその考えは誤りだったようです。その対談では,よりによって法律学初心者の分際で,与えられた問題に対し自分の頭だけで考えてレポートを書くとは何事だという趣旨の発言も載っており,その他の発言も総合すると,どうやら研究者教員の本音としては,法科大学院生のレポートは自分の頭で考えるのではなく,法律学の権威と言える人が書いた文献を参照して(ほとんど丸写しにして)書くのが正しい在り方だと考えているらしい,ということが分かりました。
そして,研究者教員にとってあるべき「司法試験」の在り方というのは,問題を読んでその場で解答する能力ではなく,与えられた問題に関するこれまでの学者が書いた文献を読みあさり,これまでの学説の到達点を踏まえて自分の見解を述べるという,いわば何ヶ月も掛けて博士論文を書くような能力を測る試験であるようです。
・・・言うまでもないことですが,実務では依頼者の質問にその場で回答したりすることもありますし,ある程度調査をして回答する場合でも,判例を調べてその傾向を分析する程度で,実務の傾向とは無関係に学者がごちゃごちゃ議論していることを参照することはありませんし,また参照する時間も実益もありません。
要するに,法科大学院の「研究者教員」達は,実務上のニーズとは全くかけ離れた「研究者としての」教育を学生に与えており,司法試験の傾向がそれとかけ離れていることに腹を立てているらしいというのが,黒猫によるその対談の読後感です。
そういえば,昨年の夏頃,法科大学院制度を何とか擁護しようとして弁護士会が開いたシンポジウムに黒猫が出席したところ,講演者として来ていた教員はいずれも実務家教員で,研究者教員はいませんでした。たぶん,研究者教員と実務家教員とでは,一緒の講演会で対談することもできないほど,法科大学院教育に対する考え方が根底から食い違っているのではないかと思います。
法科大学院制度を擁護する人達は,もはや10年も前の審議会意見書にある「少人数で密度の濃い,きめ細かな授業」の実現というお題目を唱え続けていますが,その内容が実務上のニーズと合致しているか否かは全く問題にしていません(日弁連による今回の提言にも同じことが言えます)。法曹実務家として本当に役に立つ教育をしているのであれば,企業などがそれに注目して法曹以外の需要も自ずと増えるはずですが,実際の法科大学院卒業生は,司法試験に合格できなければほぼ社会的に無価値と考えられています。それは,法科大学院教育そのものが実務的に無価値であることの証拠に他なりません。
もっとも,現行制度が仮に何十年もそのまま続けば,こうした研究者教員と実務家教員の溝も徐々に埋まっていき,研究の内容も実務を踏まえたものに変わっていく可能性もゼロではありませんが,今年の予備試験には既に9,000人近くが出願しており,今後予備試験の出題傾向が明らかになり対策を立てやすくなれば,出願者数はさらに増えるでしょう。
実務法曹になろうとする人の大半は,法科大学院ではなく予備試験突破を目指すようになり,現行法の実質5段階にわたる予備試験ルートは煩雑に過ぎるとして簡素化され,法科大学院そのものが将来的に空洞化するということは,もはや予測ではなく将来の事実を述べているに過ぎません。
法科大学院を廃止すべきだということは従来から主張してきましたが,特にこういう国家の非常事態では,何万人もの人々が困難な避難所生活等を強いられており,その生活再建や復興の財源捻出も覚束ないというのに,一方で法科大学院なる無益な事業のために何十億円もの国家予算が浪費されている現実に心の痛みを禁じ得ません。むしろ弁護士会が率先して法科大学院の廃止を訴え,それで浮いた国家予算を少しでも復興に回してくれというのが,国のために今の弁護士会がなしうる唯一の貢献ではないかとさえ思えます。
また,今次の原発事故に伴い,国から金をもらってひたすら自己保身の発言を繰り返すばかりの「東大教授」には,多くの皆様がご立腹されているものと思いますが,このような傾向は原子力問題関係の研究科にとどまるものではなく,法律学関係の「東大教授」が法科大学院に関し言っていることも,本質的には似たようなものです。
法科大学院の実務教育で,司法研修所の前期修習を代替するという当初の構想は法案成立時から明らかであったにもかかわらず,実際には前期修習の代替など全然出来ていないことが明らかになると,そのような構想は(自分達の責任ではなく)関係者の「誤解」であると言い切りました。法科大学院修了者の就職難も,悪いのは自分達ではなく世間であると言わんばかりの発想で,企業などに一定数の弁護士雇用を義務づければいいなどと平気で発言しています。
見苦しいまでの自己弁護と責任転嫁の繰り返し。自分もつい10年ちょっと前には,親のすねをかじってあんな人間の授業を有り難く聴いていたのかと思うと,自己嫌悪に陥ってしまうほどです。
もっとも,法科大学院を廃止した上で,司法試験の合格ラインをどの程度に設定するか,すなわち司法試験の合格者数を年間どのくらいに設定するかは,別途の考察が必要です。弁護士会の中にも,現状の需要を考えれば年間1,000人程度まで減らすべきだという意見もあれば,年間3,000人とすることには賛成という意見もあるようです。
もっとも,司法試験の合格者数を年間3,000人程度まで引き上げた場合,現行の司法修習は定員オーバーで実施できなくなりますので,おそらく公認会計士試験と同じように,司法試験合格者に対し何年かの実務経験を要求し,司法修習に代わる実務補習と修了試験などを課した上で弁護士資格を認めるといった制度になるのでしょう。
ただし,このような制度を導入した場合,現行公認会計士試験と同様の問題を抱えることになります。現行公認会計士試験は,公認会計士登録に必要な実務経験を積める就職先がなく,旧制度下の「会計士補」という制度も廃止されてしまったので,試験に合格しても監査法人等の就職先を見つけられなければ何らの資格も肩書きも得られないという,国家的詐欺ではないかと思えるくらい非情な試験制度となっており,現に就職先のない「待機合格者」が大量に発生しています。
司法試験については,公認会計士業界と異なり法律事務所に「弁護士未満」の人を雇って実務経験を積ませるような慣行はないことから,おそらく大半の法律事務所は,弁護士資格も持たない司法試験合格者など採用しないでしょう。仮に採用されても,おそらく一般の事務員やアルバイト並みの給料しか期待できません。実務経験ゼロで,レベルも下がりまくった「司法試験」の合格者より,実務経験のある事務員の方がよほど役に立ちますからね。
そうなると,司法試験合格者を仮に年間3,000人程度まで増加させた場合,実際に弁護士になれるのは弁護士の子弟など既存の法律事務所に「つて」のある人だけで,現行制度以上に弁護士の「世襲化」が進むと予想されます。有権者の皆様がそれでもいいと判断されるのであれば黒猫も特段口は挟みませんが,職業の世襲化などという中世へ逆行するかのような現象が,日本の未来にとって好ましいとはとても思えません。
こういう政治状況では,なるべく安上がりな制度設計が好まれるでしょうから,司法修習生に対する給費制を現状のまま維持するのは難しいかもしれません。しかし,貸与制という発想は現在より合格者数がはるかに少なかった時代の,「司法修習の修了者は裁判官,検察官あるいは弁護士になって皆高給を取っているだろう」という状況から生まれたものであり,仮に現状のまま貸与制に移行しても,修習生に貸したお金の大半は回収困難で戻ってこない可能性が高く,債権回収にかかる費用も馬鹿にならないので,国の財政的にはあまり変わらないと思います。
そうですか?
世襲制っていっても、受験資格が制限されているわけではないし、司法試験に合格した以上、必要最低限の知識は担保されているし、実務経験も備わっていれば、親の職業がどうあれ特に問題はありませんが。
そうは言い切れないから問題になってるんじゃないですか。
言い切れない?
つまり合格者のレベルが低いと。
それは単に試験の問題の質及び合格基準の問題。
そうなってくると、まず弁護士を目指そうとするのは、親類が弁護士をやっているという人たちが大半になってきます。法科大学院で選抜する以前に、合理的な頭を持った人が寄りつかなくなってしまうということです。
親が弁護士として経済的に成功すれば子供が自動的にそれを引き継ぐことができ、非世襲の新規参入が非常に難しい… そういうのでもいい、というのもそれはそれで一つの世界観だとは思いますが、底辺が狭まり、優秀な人が参入してくる余地が減っていくことは避けられないでしょう。
特に問題はありません。要は試験に受かったかどうかだけです。
合格者に問題があるなら、それは試験の問題です。
事実上世襲制なぞになれば限られた条件の限定された集団からの選抜になってしまいます。多様な経験と優秀な頭脳を持った人間が受験生の母集団に参入して選抜されれば結果的に合格者の質と法律家のレベルも上がるはず。もちろんバカな二世は一生実務に出れないでしょうが国民にとっては有難いことだと思います
それ以上のレベルに上げる必要性はありませんし、多様な経験も優秀であることも特に必要ありません。
だとすれば
多様な経験と優秀な頭脳を持った人間が予備試験受験生の母集団に参入して選抜されることにより結果的に合格者の質と法律家のレベルも上がるはずですよね。
新司法修習は後期修習を2期に分けているので、年間3,000人程度まで実施できるよう制度設計されているのではないでしょうか。
また、法律学を学ぶ法科大学院で、学者の書いた文献を読み漁るのことの何が悪いのでしょうか?
ちょっと、頭が悪いと思います。