式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース
教職員に対し、日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要する通達を憲法19条違反とした、画期的な判決が出たようです。さらに、通達に基づいてなされた具体的な処分を争うのではなく、通達が出た段階における「義務がないことを確認する訴え」の適法性を認めたことも画期的であり、司法試験の受験生にとっては無視できない重要判例になるでしょう。
黒猫は、高校時代に校長が処分覚悟で日の丸掲揚を取りやめた事件を目撃しており、日の丸・君が代の類は法的に強制すべきものではないと思っています(なお、国歌にはむしろ『地上の星』の方がふさわしいと思っています)ので、この東京地裁判決については支持しますが、画期的な判決というものはえてして高裁で破棄されやすいものだからなあ・・・。
教職員に対し、日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要する通達を憲法19条違反とした、画期的な判決が出たようです。さらに、通達に基づいてなされた具体的な処分を争うのではなく、通達が出た段階における「義務がないことを確認する訴え」の適法性を認めたことも画期的であり、司法試験の受験生にとっては無視できない重要判例になるでしょう。
黒猫は、高校時代に校長が処分覚悟で日の丸掲揚を取りやめた事件を目撃しており、日の丸・君が代の類は法的に強制すべきものではないと思っています(なお、国歌にはむしろ『地上の星』の方がふさわしいと思っています)ので、この東京地裁判決については支持しますが、画期的な判決というものはえてして高裁で破棄されやすいものだからなあ・・・。
私は、公務員という存在は、職務命令の前には緒のこれを虚しくして、粛々としてこれに従い、行政を執行する存在だと思っています。教師もまた、教育という行政に従事する公務員です。自由業ではない。いかに共謀罪には個人的に反対する警察官や検察官も、共謀罪の逮捕状の執行を、個人の思想良心の自由を根拠に、拒否することは許されないはずです。
また、教師には教育の自由が憲法上保障され、教育基本法も行政による「不当な支配に屈することなく」教育がなされるように規定されている。一般の公務員とは違う。
教育を行う権利は、教師という誰に対しても責任を負わない一部の職業人に与えられたものではなく、国民の権利であり、国民から権力を付託された公権力によって指揮監督されなければならない。
教師だけでなく、マスコミに権力がないなどとは、到底信じられない。行政権は、曲がりなりにも立法権及び司法権からチェックを受けるが、マスコミは誰からもチェックを受けることがない。私には、三権分立によって絶えずチェックを受ける国家権力(行政権)が、第4権力たるマスコミより自由だとは思えないし、国家権力よりマスコミが信用できるとも考えられない。
「当たり前の儀礼」であるから従えというのは非論理的であり、少数者の人権保障の観点からは反論として成り立たない。
あなたの言う権力とは社会的権力を含む広義のものであろうが、憲法が直接規律するのは国家権力である。そして国家権力は自由権の享有主体になりえないし、むしろ権力が不自由であることが憲法の目的とするものなのである。
マスコミより権力を信用するのはあなたの内心の自由です。
例えば…
独島は韓国の領土
南京大虐殺では30万以上の市民が殺された
天皇家の起源は朝鮮
日本軍占領地の東南アジア各地で従軍慰安婦狩りが行われた
創氏改名は強制で、従わないものは投獄・殺害された
靖国参拝は中国の許可を得なければしてはいけない
とか…
学級崩壊起こしてたんでしょ。
生徒のあらたな船出を卒業式で盛大に応援してくれる教師がいる一方で、自分の事情を振りかざして式をぶち壊す教師がいるのって異常だね。
そんな教師に教わりたくないという生徒の
教育を受ける権利こそ守ってくださいよ。
彼らこそ物言えぬ真の弱者だ。
パワーハラスメント反対。
そして、公務員として、職務を行っている最中の出来事ですよね。
なんでそこで、個人の思想良心の問題になってくるんですかね。式は現にぶちこわれてるんでしょ。
国旗国歌の強制の善し悪しはありましょうけど、いやなら式を壊す方法ではなくって、教師辞めるなり、公務時間外で国旗国歌法改正の運動でもすればいいんで、ちょっとおかしいですね。
昔ながらの左翼運動とでも言いますか、国民的支持は得られないでしょうね。恵まれてる公務員がわがまま言ってるとしか見えませんから。
何よりも困るのが、本当に問題になるような強制が行われたときに、社会全体がそれにちゃんと反対できなくなることです。
右翼が愛国愛国と言ったもんだから、愛国ってのが一時期変なイメージであったように、思想良心の自由の濫用は、思想良心の自由の価値を下げますね。
公務員にも思想良心の自由は当然保障されます。
社会全体が反応せざるを得ないような権力の濫用がなされた段階でようやく反対の声を挙げているようでは手遅れなのです。権利は主張し続けなければいとも簡単に奪われるものなのです。
「私はあなたが何を言っても賛成しないが、私はあなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう。 」(ヴォルテール)
今回の件で問題とすべきは,処分の対象となった教師たちの思想の当否ではなく,卒業式における日の丸・君が代の強制が,公立校の教師の職務との関係で真にやむを得ないものといえるか,という点でしょう(警察官等にとって法律の執行はまさに職務の本質的な内容であるのに対し,教師が日の丸へ起立したり君が代を斉唱することが職務の本質的内容に当たるといえるかどうか)。
実際には,日の丸・君が代問題が校長等の管理職と日教組との権力闘争の道具として使われていたりするのでしょうが。