最近,青山学院大学法科大学院の浜辺陽一郎教授(弁護士出身)のフェイスブックによる発言が,ネット上で物議を醸しているようです。問題の発言内容は以下のとおり(Schulze BLOGに掲載されたスクリーンショットに準拠しています)。
今年の法科大学院入学者が2,698名しかいなかったのに,司法試験予備試験受験生は1万人を超えるとの報道。日本の法科大学院の学費などは,アメリカのロースクールと比べれば全体として遙かに安く,経済的負担はかなり軽減される仕組みがあるのに,いろいろ理由をつけて予備試験受験者がこれほど多いのは,いかに司法制度改革のことも知らず,手前勝手に「自分だけはできる」と勘違いしているか,とにかく早道でエリートの切符がほしいという人が大勢いることを示している。心の貧困によるものか,または何も知らないで司法試験を目指す人たちが,こんなに多くいるなんて・・・。どういう気持ちで予備試験を受けているのか,よく調べてもらいたい。もちろん,ごく一握りの人たちは,何やってもできますが,そんな「ペーパー試験合格」の一発屋を社会が望んでいるわけがないでしょう。
引用元のSchulze先生は,法科大学院の教員が法曹志望者を馬鹿にしていることにショックを受けられたようですが,黒猫は下位ローの教員ほど学生を馬鹿にする風習があることを知っているので,いまさら驚いたりはしません。このような発言をしてしまうのは,浜辺教授自身の「心の貧困」によるものなのでしょう。
ただ,この発言内容には,部外者の騙されやすい「ウソ」が2つほど含まれているので,これを指摘しておきます。
第1に,「日本の法科大学院の学費などは,アメリカのロースクールと比べれば全体として遙かに安く,経済的負担はかなり軽減される仕組みがある」とする点。
アメリカのロースクールの年間授業料は概ね3万ドルないし5万ドル(日本円で約300万円~500万円)程度であり,金額そのものは確かに日本の法科大学院の方が安いですが,以前の記事でも書いたように,アメリカの連邦奨学金にはIBR(収入基準返済プログラム)という救済制度があり,奨学金債務がいくら膨れあがっても,年収から最低生活費を引いた金額の15%を25年間(2014年度については10%を20年間)払い続ければ,残りの債務は免責される仕組みになっています。
これに対し,日本学生支援機構による奨学金には,このような免責制度はありません。中途半端な返済猶予や減額返還制度はありますが,いかに収入が低く生活が苦しくても,死亡するか障害者になるか自己破産でもしない限り,奨学金債務が免責されることはありません。奨学金の返済を滞らせれば,機構から委託を受けた民間業者(おそらくはサラ金)から執拗な取り立てを受けます。
日本学生支援機構が行う貸与制奨学金に貸金業法の適用はないと解されているため,今のサラ金には出来ない違法取り立ても,機構(またはその委託を受けた業者)ならやりたい放題です。法科大学院卒業者の就職状況がアメリカのロースクール以上に悪いことも考え合わせると,>総合的な経済的負担はむしろアメリカのロースクール以上に重いとも言えるでしょう。
第2に,「もちろん,ごく一握りの人たちは,何やってもできますが,そんな「ペーパー試験合格」の一発屋を社会が望んでいるわけがないでしょう」などとする点。
要するに浜辺教授は,法科大学院では司法改革の理念に基づいた高度な教育が行われており,法曹を目指す者は本来法科大学院の教育を受けるべきなのに,実際には「いろいろ理由をつけて」予備試験を受ける人があまりにも多い,予備試験に合格するような「ごく一握りの人たち」は何をやってもできるが,そんなペーパー試験合格の一発屋を社会は望んでいないなどと言いたいのでしょうが,実際の法科大学院で行われている教育内容は,前回以前の記事でも書いたようによくなものではありません。
前回の記事のコメント欄で小山某という慶應ローの教授が書いた本を薦めている人がいましたが,その小山教授の書いた本を含め,法科大学院時代になって現れた新傾向というのは,要するに「法律学者が新司法試験向けの本を書くようになった」というに過ぎません。
極端なものには,刑法の基本書で「本書は判例説です」などと大書されていたり,知的財産法の基本書で司法試験向けの論証パターンが書かれていたりするものもありますが,今どきの法律学者が本を書いて自分の担当クラス以外の学生にも読んでもらえるのは,結局は司法試験対策の本でしかありません。法科大学院の授業内容もいろいろ迷走した挙げ句,学生に支持されて何とか生き残るのは,結局司法試験の受験対策をする授業でしかないのです。
法科大学院制度の理念としては,司法試験では測れない高度な法的素養を法科大学院教育で身に付けさせるという考え方があったようですが,そんな理念は学者の妄想の中にしか存在せず,現実の社会で実務経験以外の法的素養として唯一価値があると判断されているのは,司法試験合格(それも上位合格)しかありません。法科大学院の授業は色々あれど,本質的には二種類しかありません。それは「司法試験に役立つ授業」と「役に立たない授業」です。
法科大学院卒業者にせよ予備試験合格者にせよ,法曹として必要な知識や素養の多くは,司法試験合格後の修習や実務で磨かれていきます。裁判所や大手法律事務所は,実務でモノになりそうなダイヤの原石(若くて優秀な人材)を探しているだけであり,その需要に応えられるのはモラトリアムで法科大学院に入ってノロノロやっている人ではなく,厳しい競争に勝ち抜いた予備試験合格者である,というだけです。
19世紀末に出来たアメリカのロースクールは,それまで何の学歴も必要とされておらず社会的ステータスの低かったアメリカのロイヤーに「法務博士」という学歴の箔付けを行い,それによって(実際にはほとんど役に立っていないにせよ)社会的に意味があるものという評価を獲得することに成功しましたが,日本の弁護士は「司法試験合格」以上の箔付けを特に必要としておらず,法科大学院制度が日本に定着する基盤は始めから存在しなかったのです。
今年法科大学院に入学した2,698名の学生が,法科大学院の卒業によって得られるものは,司法試験の受験資格(しかも期限付き)だけです。法科大学院のうち上位校については,少なくとも司法試験を目指す学生の邪魔をしないように配慮している教員が多いようですが,下位校の教員はそのような配慮すらもありません。
浜辺教授の所属する青山学院ローは,司法試験の合格実績を見ても立派な下位校に属しますが,おそらく浜辺教授は,予備試験の受験生を冒涜する以上に,授業の中でレベルの低い自らの教え子たち(青山学院ローの入学者たち)を侮辱し,罵倒し,冒涜しているでしょう。
入学試験の難易度や学費の問題から上位校を諦め,何とか司法試験の受験資格だけは取ろうと思って下位校に入学した人は,卒業するまで役立たずの傲慢不遜な教員に耐え続けなければならず,法律家としての才能に関係なくそのような教員に耐えられなくなった人から順に,法科大学院を中途退学し法曹への道を諦めていくことになります。
さすがに,「心の貧困」によるものだとは思いたくありませんが,今でも年間2,700人近くの人が,法科大学院という名の罰金付き労役場に投げ込まれています。何も知らないで法科大学院を目指す人が,こんなに多くいるなんて・・・。どういう気持ちで法科大学院を受けているのか,よく調べてもらいたい。「ペーパー試験合格」の一発屋にすらなれない法務博士を社会が望んでいるわけがないでしょう,と言い返してやりたい気分です。
今年の法科大学院入学者が2,698名しかいなかったのに,司法試験予備試験受験生は1万人を超えるとの報道。日本の法科大学院の学費などは,アメリカのロースクールと比べれば全体として遙かに安く,経済的負担はかなり軽減される仕組みがあるのに,いろいろ理由をつけて予備試験受験者がこれほど多いのは,いかに司法制度改革のことも知らず,手前勝手に「自分だけはできる」と勘違いしているか,とにかく早道でエリートの切符がほしいという人が大勢いることを示している。心の貧困によるものか,または何も知らないで司法試験を目指す人たちが,こんなに多くいるなんて・・・。どういう気持ちで予備試験を受けているのか,よく調べてもらいたい。もちろん,ごく一握りの人たちは,何やってもできますが,そんな「ペーパー試験合格」の一発屋を社会が望んでいるわけがないでしょう。
引用元のSchulze先生は,法科大学院の教員が法曹志望者を馬鹿にしていることにショックを受けられたようですが,黒猫は下位ローの教員ほど学生を馬鹿にする風習があることを知っているので,いまさら驚いたりはしません。このような発言をしてしまうのは,浜辺教授自身の「心の貧困」によるものなのでしょう。
ただ,この発言内容には,部外者の騙されやすい「ウソ」が2つほど含まれているので,これを指摘しておきます。
第1に,「日本の法科大学院の学費などは,アメリカのロースクールと比べれば全体として遙かに安く,経済的負担はかなり軽減される仕組みがある」とする点。
アメリカのロースクールの年間授業料は概ね3万ドルないし5万ドル(日本円で約300万円~500万円)程度であり,金額そのものは確かに日本の法科大学院の方が安いですが,以前の記事でも書いたように,アメリカの連邦奨学金にはIBR(収入基準返済プログラム)という救済制度があり,奨学金債務がいくら膨れあがっても,年収から最低生活費を引いた金額の15%を25年間(2014年度については10%を20年間)払い続ければ,残りの債務は免責される仕組みになっています。
これに対し,日本学生支援機構による奨学金には,このような免責制度はありません。中途半端な返済猶予や減額返還制度はありますが,いかに収入が低く生活が苦しくても,死亡するか障害者になるか自己破産でもしない限り,奨学金債務が免責されることはありません。奨学金の返済を滞らせれば,機構から委託を受けた民間業者(おそらくはサラ金)から執拗な取り立てを受けます。
日本学生支援機構が行う貸与制奨学金に貸金業法の適用はないと解されているため,今のサラ金には出来ない違法取り立ても,機構(またはその委託を受けた業者)ならやりたい放題です。法科大学院卒業者の就職状況がアメリカのロースクール以上に悪いことも考え合わせると,>総合的な経済的負担はむしろアメリカのロースクール以上に重いとも言えるでしょう。
第2に,「もちろん,ごく一握りの人たちは,何やってもできますが,そんな「ペーパー試験合格」の一発屋を社会が望んでいるわけがないでしょう」などとする点。
要するに浜辺教授は,法科大学院では司法改革の理念に基づいた高度な教育が行われており,法曹を目指す者は本来法科大学院の教育を受けるべきなのに,実際には「いろいろ理由をつけて」予備試験を受ける人があまりにも多い,予備試験に合格するような「ごく一握りの人たち」は何をやってもできるが,そんなペーパー試験合格の一発屋を社会は望んでいないなどと言いたいのでしょうが,実際の法科大学院で行われている教育内容は,前回以前の記事でも書いたようによくなものではありません。
前回の記事のコメント欄で小山某という慶應ローの教授が書いた本を薦めている人がいましたが,その小山教授の書いた本を含め,法科大学院時代になって現れた新傾向というのは,要するに「法律学者が新司法試験向けの本を書くようになった」というに過ぎません。
極端なものには,刑法の基本書で「本書は判例説です」などと大書されていたり,知的財産法の基本書で司法試験向けの論証パターンが書かれていたりするものもありますが,今どきの法律学者が本を書いて自分の担当クラス以外の学生にも読んでもらえるのは,結局は司法試験対策の本でしかありません。法科大学院の授業内容もいろいろ迷走した挙げ句,学生に支持されて何とか生き残るのは,結局司法試験の受験対策をする授業でしかないのです。
法科大学院制度の理念としては,司法試験では測れない高度な法的素養を法科大学院教育で身に付けさせるという考え方があったようですが,そんな理念は学者の妄想の中にしか存在せず,現実の社会で実務経験以外の法的素養として唯一価値があると判断されているのは,司法試験合格(それも上位合格)しかありません。法科大学院の授業は色々あれど,本質的には二種類しかありません。それは「司法試験に役立つ授業」と「役に立たない授業」です。
法科大学院卒業者にせよ予備試験合格者にせよ,法曹として必要な知識や素養の多くは,司法試験合格後の修習や実務で磨かれていきます。裁判所や大手法律事務所は,実務でモノになりそうなダイヤの原石(若くて優秀な人材)を探しているだけであり,その需要に応えられるのはモラトリアムで法科大学院に入ってノロノロやっている人ではなく,厳しい競争に勝ち抜いた予備試験合格者である,というだけです。
19世紀末に出来たアメリカのロースクールは,それまで何の学歴も必要とされておらず社会的ステータスの低かったアメリカのロイヤーに「法務博士」という学歴の箔付けを行い,それによって(実際にはほとんど役に立っていないにせよ)社会的に意味があるものという評価を獲得することに成功しましたが,日本の弁護士は「司法試験合格」以上の箔付けを特に必要としておらず,法科大学院制度が日本に定着する基盤は始めから存在しなかったのです。
今年法科大学院に入学した2,698名の学生が,法科大学院の卒業によって得られるものは,司法試験の受験資格(しかも期限付き)だけです。法科大学院のうち上位校については,少なくとも司法試験を目指す学生の邪魔をしないように配慮している教員が多いようですが,下位校の教員はそのような配慮すらもありません。
浜辺教授の所属する青山学院ローは,司法試験の合格実績を見ても立派な下位校に属しますが,おそらく浜辺教授は,予備試験の受験生を冒涜する以上に,授業の中でレベルの低い自らの教え子たち(青山学院ローの入学者たち)を侮辱し,罵倒し,冒涜しているでしょう。
入学試験の難易度や学費の問題から上位校を諦め,何とか司法試験の受験資格だけは取ろうと思って下位校に入学した人は,卒業するまで役立たずの傲慢不遜な教員に耐え続けなければならず,法律家としての才能に関係なくそのような教員に耐えられなくなった人から順に,法科大学院を中途退学し法曹への道を諦めていくことになります。
さすがに,「心の貧困」によるものだとは思いたくありませんが,今でも年間2,700人近くの人が,法科大学院という名の罰金付き労役場に投げ込まれています。何も知らないで法科大学院を目指す人が,こんなに多くいるなんて・・・。どういう気持ちで法科大学院を受けているのか,よく調べてもらいたい。「ペーパー試験合格」の一発屋にすらなれない法務博士を社会が望んでいるわけがないでしょう,と言い返してやりたい気分です。
そんなにローでの教育が素晴らしいというのであれば院卒の受験資格を撤廃して正々堂々と戦うべきです。
それができないうちは予備試験を批判しょうが、予備試験受験生を批判しようが負け犬の遠吠えにしか聞こえません。
予備試験受験者が増加しているのは司法制度改革について知らないのではなく、よく調べた上で対価に見合った教育を受けられないとわかっているからでしょう。
むしろ司法制度改革についてよく分かっていると思いますよ。
それにしてもこの発言はひどい。こんな人間に法律家を名乗ってほしくないですね。心の底から軽蔑します。
医学部も国立は国家試験だけでなく、医学研究に半分以上力を入れてるし、私立(慶応を除く)は学費は高いけど、国家試験対策しかやってないというふうに棲み分けてるよ。
最終的には、医師、弁護士になるにしてもルートが多様なのは歓迎すべきことだと思う。
弁護士になることだけに夢中になって視野の狭い人間ばかりが社会に出ることがないように、余裕を持って2-3年間余計なことも学びながら、司法試験に望む人が2700人くらいいてもいい。
結論ははっきりとしている。大学が予備校に負けたのは、大学教師の側に問題があったからだ。大学と予備校との間の競争は、完全にオープンに、しかも、大学側に圧倒的に有利なルールのもとで行われてきた。大学は、単位や卒業で学生を威嚇することができるし、ともかくも大卒という肩書も与えることができる。こういう著しく非対称な条件下で戦われた競争で、われわれ大学教師は完敗した。学生は、予備校の方が自分たちのニーズに合うサービスを供給すると考えたから、何の強制もしないのに予備校に通うまでの話しだ。大学教師は、自分たちの企業努力で客を奪還せよ。ロースクール構想とは、つまりこういうことだ。自分たちの力に自信はない、しかし、学生に袖にされるのはプライドが許さない、そこで、お上に泣きついて、予備校に通じる道路をバリケードで塞いで下さいとお願いしているのだ。
有斐閣「書斎の窓」2000年1月号
入学2700人
卒業するのは、2400人くらい
予備試験は300人くらい
司法試験は、25%合格の2000人くらいかな。
今後は、
入学2000人
卒業1600人
予備400人
司法試験合格 40% 1200人
くらいで平衡状態になる気がする
>法科大学院という名の罰金付き労役場
相変わらず素晴らしい表現力に感銘を受けます。
後ろ暗いことがある奴ほど、必死になって法科大学院を擁護する。不自然なまでに。
併科刑でともに実刑だと目も当てられない
http://blog.goo.ne.jp/9605-sak
ただ、その議論はすでに、拙著「法科大学院で何を学ぶか・・・」(法学書院)や、拙著「弁護士が多いと何がよいのか」(東洋経済新報社)を出した時に、一部からひどい誹謗中傷を受けましたが、それとほぼ同じレベルの批判で、何も新味があるものではありません。いろいろと、その「お立場」からの議論をしたうえで、その結論は、「今でも年間2,700人近くの人が,法科大学院という名の罰金付き労役場に投げ込まれています。何も知らないで法科大学院を目指す人が,こんなに多くいるなんて・・・。どういう気持ちで法科大学院を受けているのか,よく調べてもらいたい。「ペーパー試験合格」の一発屋にすらなれない法務博士を社会が望んでいるわけがないでしょう,と言い返してやりたい気分です。」
ということでした。
私がどういう気持ちでこの問題に取り組んでいるかは、早稲田大学での学部での授業やゼミとか、青学での授業ではそれなりに説明していますけれども、そこで強調しているのは、法科大学院で何が行われているかということです。そこでの実態を踏まえると、現在、法科大学院に来ている人たちは、それなりにリスクをも認識しているだけ、前よりは気骨のある人たちが多くなっています。そして、たとえば多くの私学では授業料を免除するコースがたくさんあって、返す必要は全くない奨学金がたくさんあり、定員にはまだまだ余裕があります。法律家を目指すのであれば、どういう選択肢があるのかを調べればいいし、また司法制度改革の理念ももう少し関心を持ってほしいと思います。法科大学院では、まずそれを共有するところから始めます。これは社会改革の基本の理解です。それを「罰金付き労役場」とか、「何も知らないで法科大学院を目指す人が,こんなに多くいる」といいますが、私の認識では、これまでの司法制度の問題(拙著「司法改革」(文春新書)もご参照)を踏まえて、司法改革の流れを踏まえて、勉強した人は素直に法科大学院に入学しているわけで、そうした正道を歩んでいる人たちを侮辱する結論だったので、びっくりしました。こういうレベルの議論で批判されるのであれば、本望です。
法科大学院は、いやいや来ている人もいるでしょうが、それがすべてではないことも、よく調べてもらいたいですね。私の本意は、いろいろな著書に書いてきているし、いろいろなところで持論を展開しております。ただ、この論点について大きな対立があることは認識しています。また、改革には時間も必要ですし、一時的な混乱もあるでしょうが、そこはお互いの対場を考えながら、いろいろとそれぞれの立場で工夫してやりくりしているのです。「俺はやりくりしないぞ」なんて、言わないでくださいね。
世界的に通用する人材を育てるためには、昔の試験信仰は通用しないのです。そのためのプロフェッショナルスクールを育てていくことが必要です。これが司法制度改革審議会で議論した結論でした。そこで創設された法科大学院で学んだことは決して無駄にならないようなキャリアをいかに切り開いていくかが重要なのであり、その前提としての法科大学院をいかに充実させていくかが大きな課題です。それが試験ばかりに注目されているところに、現代のこの問題の一つの不幸の一因があるように思います。
とりあえず、夜遅くに自宅まで電話かけてきた伊藤塾の方、こんなもんでよろしいでしょうか?