宇都宮弁護士が日弁連の次期会長に就任することが決まってから、テレビ番組に出演する弁護士さんたちが、弁護士増員問題についてかなり積極的に発言するようになりました。これは黒猫としても意外だったのですが、テレビに出ている弁護士さんたちも、きっとこれまでは日弁連を敵に回すことを怖れて何も言えなかったのでしょうね。
ところで、宇都宮弁護士が日弁連会長選挙で掲げていた政策は、法曹人口問題については司法試験の合格者数を段階的に年間1500人程度まで削減を求めていくというもので、それに併せて受験回数制限の撤廃を求めていくなどといったことも主張されていました。それはそれでいいのですが、黒猫が一番気になったのは、法科大学院制度・司法試験制度の見直しについて大局的な考え方が示されていなかったことです。
民主党政権になってから、司法制度改革の方向性が何処に向かうか全く見通しがつかなくなっており、おそらく民主党政権下での方向性はこれから決まっていくものと思われるので、ここで法科大学院問題について過去の経緯をおさらいしておきたいと思います。
1 法科大学院誕生の背景
現在の、原則として法科大学院の修了者のみが司法試験を受験できるという新司法試験制度は、平成13年6月12日に出された司法制度改革審議会の答申に基づき、自民党政権下で法律として成立したものです。
旧司法試験下の問題点として主に指摘されたのは、論文試験の答案がまるで金太郎飴のようにパターン化しており、本当の法的思考能力が測れないのではないかということで、(司法制度改革審議会の考えとしては)必要とされた法曹人口の大幅増員を実現すると共に、新たに法曹となる者の質を確保するため、新設する法科大学院を新たに法曹養成の中核機関とし、法科大学院の修了過程を通じて徐々に不適格者をふるい落としていく、いわば点による選抜(一発試験主義)から線による選抜、という考え方が示されました。
もっとも、法科大学院の基礎となる大学の法学部は、それまで実務法曹を養成するためのノウハウを全くといってよいほど持ち合わせておらず、要するに法曹養成に関しては全くの素人といってよい機関でした。司法試験合格までの過程における法曹養成の役割はもっぱら司法試験の受験予備校に奪われており、大学の法学部は完全に蚊帳の外に置かれていたところ、司法制度改革審議会の委員となった大学の教授たちは、いわば国家権力を使って大学の失地回復を狙ったに過ぎないのです。
このように、明らかに不埒な動機で作られた法科大学院構想ですが、当時の自民党法務族議員たちは決してこのような構想を無批判に受け容れたわけではなく、国会の法務委員会では「一発試験のどこが悪いのか」「法案提出を一年延期してはどうか」などといった批判が相次ぎました。それを、立場上審議会の答申を何とか法律として成立させる必要のある法務省の官僚たちが、法科大学院の制度趣旨を懸命に説明したりして、何とか法案成立にこぎ着けさせたのです。いわば、法科大学院関連の法律は、小泉政権下の「審議会手法」によって作られた悪法の典型例です。
2 法科大学院教育の実態
当初の構想によれば、法科大学院では学者と実務家が協力して、実務法曹を養成する高度な専門教育が行われるものと関係者は夢想していたのかも知れませんが、もともと法律学者は実務教育については全くの素人なので、まともな教育が行われるはずはありませんでした。レベルの低い法科大学院では、そもそも教員に十分な教育・評価能力がなく、実務とは全く無縁な自己の学説を学生たちに押しつけたり、最高裁判所調査官の解説を丸写しにしただけのレポートに平気で高得点を与える教授などもいたと聞いています。また、人気のない大学では大学側の立場が弱いため、レベルの低い学生をふるい落とすこともできず、結局入学者の殆どを漫然と卒業させる結果となり、そのことを指摘されると「学生をふるい落とすのは正しい教育のあり方ではない」などと開き直る有様でした。
一方、東大ローに代表されるレベルの高い法科大学院では、たしかに実務法曹を意識した高度な専門教育が行われており、水準に達しない学生のふるい落としも比較的厳格に行われてはいましたが、もともと東大大学院の授業は既に弁護士資格を取得した人が受講してちょうどいいくらいのレベルであり(実際、大学院の実務家養成コースには現役の弁護士も少なからず入学していました)、学生の学習到達度というものを考慮しない徒に高度な専門教育は、結局「基礎が不十分で最先端の分野を中途半端にかじっている」卒業生を多数生み出す結果を招いたに過ぎませんでした。
そして、法科大学院の粗製濫造により、司法試験の合格率が当初の構想(7~8割)より大幅に下回ることが分かると、東大ローを除く法科大学院の多くは単なる司法試験の受験予備校と化し、当初の趣旨からすれば、一体何のために法科大学院を作ったのか分からない事態に陥ってしまったのです。
3 司法試験受験生及び合格者の質の低下
司法試験合格者の質の低下という問題は、旧試験の合格者数を増やし始めた時期から囁かれてはいましたが、特に合格者数を年間1500人程度に増やした平成16年・平成17年の旧司法試験では、民法の試験でG評価(かつての司法試験であればそれだけで不合格確定となるくらいのレベル)の答案を書いても合格できてしまうほどの惨状となり、司法試験の考査委員が「こんな答案を合格にしなければならないのか」と嘆くほどでした。
そして平成18年から新司法試験がスタートしましたが、二回試験の不合格者数などを見る限り、この時点では当時の旧試験合格者と明確な質の差は見られませんでした。もっとも、新司法試験受験者は、司法試験を受験するために何百万円もの学費と相当の時間をかけて法科大学院を修了することを余儀なくされており、制度の趣旨からすれば、旧試験の合格者より相当優秀でなければおかしいはずです。それが、実際には合格者の質の低下がもはや容認しがたいレベルに達していた旧58期~旧60期と大して変わらないレベルだというのでは、全く意味がありません。
法科大学院制度が、実質的には「司法試験の受験料を500万円にしただけ」などと揶揄されるようになったのもこの頃からです。
なお、新司法試験の問題は、法科大学院教育の成果を踏まえ、当初は実体法と手続法の融合問題なども出題されていましたが、実際には法科大学院の卒業生に融合問題などを解く能力は到底期待できないということがわかり、すぐに融合問題の出題は取りやめられました。
そして、問題自体は高く評価されていた論文試験の答案も、新試験では問題文が長いことから、ほとんど問題文を丸写しにするような答案が続出し、「旧試験では予備校の教える論証パターンの丸暗記が問題になっていたが、新試験では問題文を丸写しにするだけで合格できる」などと揶揄されるようになりました。
そして、法務省HPで公表されている平成21年度試験の採点雑感によると、この年は問題文を短くしたため丸写しの答案は減ったものの、事案の分析をほとんどせずに、一般論を展開して基準を「当てはめ」し、そのまま結論に至るという答案が多く、旧試験とは違った形での答案のパターン化が懸念される事態になっているそうです。
司法試験の合格者についても、二回試験の落第者がついに年間3桁に達したほか、司法修習生の多くはひたすら就職活動と二回試験対策に追われて修習に専念できていないという指摘もされ、司法修習の形骸化という憂慮すべき事態も発生しています。
4 悪循環
もともと、司法試験合格者を年間3000人にするといっても、それだけの合格者を受け容れられるだけの具体的な法的ニーズが実際に見込まれていたわけではなく、年間3000人という数字は単にアメリカの要求を無批判に受け容れただけでした。
そのため、具体的な見通しのない法曹増員政策の結果、数だけは多くても質は到底水準に達していない新人弁護士が毎年大量に発生し、その多くは既存の法律事務所に就職することも出来ず自宅開業等による即時独立を余儀なくされ、「ノキ弁」「タク弁」「ケータイ弁」などといった用語がちらほら使われるようになりました。
そして、そのような「ワーキングプア弁護士」の存在は新聞や雑誌などでもよく取り上げられるようになり、苦労して弁護士になってもろくな未来が待っていないことが世間的にも知られるようになったため、大学の法学部や法科大学院の人気は急速に低下し、入学志望者も激減していきました。
雑誌などが行う「取っておけばよかった資格ランキング」などを見ても、行政書士、司法書士、公認会計士といった資格がランク上位を占める中で、弁護士はランク外となってしまい、むしろ弁護士は不人気資格の代表選手のようになってしまっています。
そのような状況の中では、当然ながら有為の人材が法曹を志すはずもなく、それによって司法試験受験者のレベルはさらに低下し、レベルが下がりすぎて司法試験管理委員会もさすがにこれ以上合格者数を増やせないという状況にまで陥ってしまったのです。このような事態は、今後も放置しておけばますます悪化していくだけでしょう。
法科大学院が、当初期待されていた教育成果を全然挙げていない現状を目の当たりにしながら、なお多額の費用負担がかかる(しかも教育としてはほとんど無駄な)法科大学院の修了を新司法試験の受験要件として維持することは、職業選択の自由を定めた憲法22条に違反する疑いがありますし、政策論としてもこのままでは「司法の崩壊」を招くだけであり、明らかな失政です。
平成23年から実施される予備試験の内容及び難易度がどのくらいのレベルになるかは未だ未知数ですが、合格者数を不当に絞れば予備試験合格者が実務界で優遇され、法科大学院出身者がますますお払い箱とされてしまうのは容易に想定できる結果であり、一方帰省会各推進会議が主張していたように、法科大学院卒業者と予備試験合格者の司法試験合格率が概ね同レベルになるように難易度を設定するというのであれば、現在の法科大学院修了者の実力に鑑み、予備試験はかなり広き門となるでしょう。
いずれにせよ、法科大学院を法曹養成の中核機関とする構想は、もはや破綻することが目に見えて分かっており、現状の法制度を放置すれば、択一・論文・口述の3段階で構成される予備試験と、択一・論文の2段階で構成される本試験の両方を突破することが法曹となるために必要ということになり、受験生に過大な負担を強いることになるだけで、弁護士という職業の人気低下もとどまるところを知らない状態になると考えられます。
なお、予備試験については、自民党政権下でさえも、法文上規定されている予備試験の内容はむしろ司法試験そのものであり、法改正の必要があるというのが法務族議員の中では共通認識になっていました。それで制度の再検討が行われようとしていた矢先に政権交代が行われたわけですが、民主党は2005年衆院選のマニフェストに「法科大学院生が安心して勉強に専念できるよう、司法試験の合格率を7~8割にする」などという無茶なことを平気で書いていた政党ですから、おそらく司法制度のこのような実態についてはほとんど把握していないと思われます。司法試験制度の改善という一点については、民主党による政権交代は、議論が一からやり直しになるという意味で、むしろ裏目に出てしまっているのです。
民主党は、今年2月に法務省内でこの問題に関するWGを立ち上げ、夏頃を目処に新しい方針を示すことを目指しているようですが、ここでの議論の方向性がどうなるかは現段階ではよくわかりません。ただ、不当に法科大学院よりの結論が出された場合には、もはや民主党政権そのものに対してもNOを突きつけるしかないでしょう。
当面、司法試験合格者の数をある程度制限し、弁護士の質の低下及び雇用環境の悪化を少しでも食い止めるという政策は確かに必要でしょうが、仮に合格者数を年間1500人に減らしても、10年前の旧司法試験の合格者数が約1000人程度に過ぎなかったことを考えれば、今後もなおしばらくは弁護士人口の増加が続くことになります。
そして、もはや落ちるところまで落ちた弁護士という職業の人気を回復し、法曹界に有為の人材が入ってくるようにするには、少なくとも法科大学院修了という受験要件を撤廃することを前提に法曹養成制度全体の見直しを行う必要があり、税金の無駄遣いを防ぐという意味では、これによって不要となる法科大学院は即刻潰す必要があるでしょう。
宇都宮新会長が、そういった問題にまで踏み込んで強く日弁連としての意見を言ってゆけるかどうか、それがこれからの日弁連における注目点の一つだと黒猫は思います。
ところで、宇都宮弁護士が日弁連会長選挙で掲げていた政策は、法曹人口問題については司法試験の合格者数を段階的に年間1500人程度まで削減を求めていくというもので、それに併せて受験回数制限の撤廃を求めていくなどといったことも主張されていました。それはそれでいいのですが、黒猫が一番気になったのは、法科大学院制度・司法試験制度の見直しについて大局的な考え方が示されていなかったことです。
民主党政権になってから、司法制度改革の方向性が何処に向かうか全く見通しがつかなくなっており、おそらく民主党政権下での方向性はこれから決まっていくものと思われるので、ここで法科大学院問題について過去の経緯をおさらいしておきたいと思います。
1 法科大学院誕生の背景
現在の、原則として法科大学院の修了者のみが司法試験を受験できるという新司法試験制度は、平成13年6月12日に出された司法制度改革審議会の答申に基づき、自民党政権下で法律として成立したものです。
旧司法試験下の問題点として主に指摘されたのは、論文試験の答案がまるで金太郎飴のようにパターン化しており、本当の法的思考能力が測れないのではないかということで、(司法制度改革審議会の考えとしては)必要とされた法曹人口の大幅増員を実現すると共に、新たに法曹となる者の質を確保するため、新設する法科大学院を新たに法曹養成の中核機関とし、法科大学院の修了過程を通じて徐々に不適格者をふるい落としていく、いわば点による選抜(一発試験主義)から線による選抜、という考え方が示されました。
もっとも、法科大学院の基礎となる大学の法学部は、それまで実務法曹を養成するためのノウハウを全くといってよいほど持ち合わせておらず、要するに法曹養成に関しては全くの素人といってよい機関でした。司法試験合格までの過程における法曹養成の役割はもっぱら司法試験の受験予備校に奪われており、大学の法学部は完全に蚊帳の外に置かれていたところ、司法制度改革審議会の委員となった大学の教授たちは、いわば国家権力を使って大学の失地回復を狙ったに過ぎないのです。
このように、明らかに不埒な動機で作られた法科大学院構想ですが、当時の自民党法務族議員たちは決してこのような構想を無批判に受け容れたわけではなく、国会の法務委員会では「一発試験のどこが悪いのか」「法案提出を一年延期してはどうか」などといった批判が相次ぎました。それを、立場上審議会の答申を何とか法律として成立させる必要のある法務省の官僚たちが、法科大学院の制度趣旨を懸命に説明したりして、何とか法案成立にこぎ着けさせたのです。いわば、法科大学院関連の法律は、小泉政権下の「審議会手法」によって作られた悪法の典型例です。
2 法科大学院教育の実態
当初の構想によれば、法科大学院では学者と実務家が協力して、実務法曹を養成する高度な専門教育が行われるものと関係者は夢想していたのかも知れませんが、もともと法律学者は実務教育については全くの素人なので、まともな教育が行われるはずはありませんでした。レベルの低い法科大学院では、そもそも教員に十分な教育・評価能力がなく、実務とは全く無縁な自己の学説を学生たちに押しつけたり、最高裁判所調査官の解説を丸写しにしただけのレポートに平気で高得点を与える教授などもいたと聞いています。また、人気のない大学では大学側の立場が弱いため、レベルの低い学生をふるい落とすこともできず、結局入学者の殆どを漫然と卒業させる結果となり、そのことを指摘されると「学生をふるい落とすのは正しい教育のあり方ではない」などと開き直る有様でした。
一方、東大ローに代表されるレベルの高い法科大学院では、たしかに実務法曹を意識した高度な専門教育が行われており、水準に達しない学生のふるい落としも比較的厳格に行われてはいましたが、もともと東大大学院の授業は既に弁護士資格を取得した人が受講してちょうどいいくらいのレベルであり(実際、大学院の実務家養成コースには現役の弁護士も少なからず入学していました)、学生の学習到達度というものを考慮しない徒に高度な専門教育は、結局「基礎が不十分で最先端の分野を中途半端にかじっている」卒業生を多数生み出す結果を招いたに過ぎませんでした。
そして、法科大学院の粗製濫造により、司法試験の合格率が当初の構想(7~8割)より大幅に下回ることが分かると、東大ローを除く法科大学院の多くは単なる司法試験の受験予備校と化し、当初の趣旨からすれば、一体何のために法科大学院を作ったのか分からない事態に陥ってしまったのです。
3 司法試験受験生及び合格者の質の低下
司法試験合格者の質の低下という問題は、旧試験の合格者数を増やし始めた時期から囁かれてはいましたが、特に合格者数を年間1500人程度に増やした平成16年・平成17年の旧司法試験では、民法の試験でG評価(かつての司法試験であればそれだけで不合格確定となるくらいのレベル)の答案を書いても合格できてしまうほどの惨状となり、司法試験の考査委員が「こんな答案を合格にしなければならないのか」と嘆くほどでした。
そして平成18年から新司法試験がスタートしましたが、二回試験の不合格者数などを見る限り、この時点では当時の旧試験合格者と明確な質の差は見られませんでした。もっとも、新司法試験受験者は、司法試験を受験するために何百万円もの学費と相当の時間をかけて法科大学院を修了することを余儀なくされており、制度の趣旨からすれば、旧試験の合格者より相当優秀でなければおかしいはずです。それが、実際には合格者の質の低下がもはや容認しがたいレベルに達していた旧58期~旧60期と大して変わらないレベルだというのでは、全く意味がありません。
法科大学院制度が、実質的には「司法試験の受験料を500万円にしただけ」などと揶揄されるようになったのもこの頃からです。
なお、新司法試験の問題は、法科大学院教育の成果を踏まえ、当初は実体法と手続法の融合問題なども出題されていましたが、実際には法科大学院の卒業生に融合問題などを解く能力は到底期待できないということがわかり、すぐに融合問題の出題は取りやめられました。
そして、問題自体は高く評価されていた論文試験の答案も、新試験では問題文が長いことから、ほとんど問題文を丸写しにするような答案が続出し、「旧試験では予備校の教える論証パターンの丸暗記が問題になっていたが、新試験では問題文を丸写しにするだけで合格できる」などと揶揄されるようになりました。
そして、法務省HPで公表されている平成21年度試験の採点雑感によると、この年は問題文を短くしたため丸写しの答案は減ったものの、事案の分析をほとんどせずに、一般論を展開して基準を「当てはめ」し、そのまま結論に至るという答案が多く、旧試験とは違った形での答案のパターン化が懸念される事態になっているそうです。
司法試験の合格者についても、二回試験の落第者がついに年間3桁に達したほか、司法修習生の多くはひたすら就職活動と二回試験対策に追われて修習に専念できていないという指摘もされ、司法修習の形骸化という憂慮すべき事態も発生しています。
4 悪循環
もともと、司法試験合格者を年間3000人にするといっても、それだけの合格者を受け容れられるだけの具体的な法的ニーズが実際に見込まれていたわけではなく、年間3000人という数字は単にアメリカの要求を無批判に受け容れただけでした。
そのため、具体的な見通しのない法曹増員政策の結果、数だけは多くても質は到底水準に達していない新人弁護士が毎年大量に発生し、その多くは既存の法律事務所に就職することも出来ず自宅開業等による即時独立を余儀なくされ、「ノキ弁」「タク弁」「ケータイ弁」などといった用語がちらほら使われるようになりました。
そして、そのような「ワーキングプア弁護士」の存在は新聞や雑誌などでもよく取り上げられるようになり、苦労して弁護士になってもろくな未来が待っていないことが世間的にも知られるようになったため、大学の法学部や法科大学院の人気は急速に低下し、入学志望者も激減していきました。
雑誌などが行う「取っておけばよかった資格ランキング」などを見ても、行政書士、司法書士、公認会計士といった資格がランク上位を占める中で、弁護士はランク外となってしまい、むしろ弁護士は不人気資格の代表選手のようになってしまっています。
そのような状況の中では、当然ながら有為の人材が法曹を志すはずもなく、それによって司法試験受験者のレベルはさらに低下し、レベルが下がりすぎて司法試験管理委員会もさすがにこれ以上合格者数を増やせないという状況にまで陥ってしまったのです。このような事態は、今後も放置しておけばますます悪化していくだけでしょう。
法科大学院が、当初期待されていた教育成果を全然挙げていない現状を目の当たりにしながら、なお多額の費用負担がかかる(しかも教育としてはほとんど無駄な)法科大学院の修了を新司法試験の受験要件として維持することは、職業選択の自由を定めた憲法22条に違反する疑いがありますし、政策論としてもこのままでは「司法の崩壊」を招くだけであり、明らかな失政です。
平成23年から実施される予備試験の内容及び難易度がどのくらいのレベルになるかは未だ未知数ですが、合格者数を不当に絞れば予備試験合格者が実務界で優遇され、法科大学院出身者がますますお払い箱とされてしまうのは容易に想定できる結果であり、一方帰省会各推進会議が主張していたように、法科大学院卒業者と予備試験合格者の司法試験合格率が概ね同レベルになるように難易度を設定するというのであれば、現在の法科大学院修了者の実力に鑑み、予備試験はかなり広き門となるでしょう。
いずれにせよ、法科大学院を法曹養成の中核機関とする構想は、もはや破綻することが目に見えて分かっており、現状の法制度を放置すれば、択一・論文・口述の3段階で構成される予備試験と、択一・論文の2段階で構成される本試験の両方を突破することが法曹となるために必要ということになり、受験生に過大な負担を強いることになるだけで、弁護士という職業の人気低下もとどまるところを知らない状態になると考えられます。
なお、予備試験については、自民党政権下でさえも、法文上規定されている予備試験の内容はむしろ司法試験そのものであり、法改正の必要があるというのが法務族議員の中では共通認識になっていました。それで制度の再検討が行われようとしていた矢先に政権交代が行われたわけですが、民主党は2005年衆院選のマニフェストに「法科大学院生が安心して勉強に専念できるよう、司法試験の合格率を7~8割にする」などという無茶なことを平気で書いていた政党ですから、おそらく司法制度のこのような実態についてはほとんど把握していないと思われます。司法試験制度の改善という一点については、民主党による政権交代は、議論が一からやり直しになるという意味で、むしろ裏目に出てしまっているのです。
民主党は、今年2月に法務省内でこの問題に関するWGを立ち上げ、夏頃を目処に新しい方針を示すことを目指しているようですが、ここでの議論の方向性がどうなるかは現段階ではよくわかりません。ただ、不当に法科大学院よりの結論が出された場合には、もはや民主党政権そのものに対してもNOを突きつけるしかないでしょう。
当面、司法試験合格者の数をある程度制限し、弁護士の質の低下及び雇用環境の悪化を少しでも食い止めるという政策は確かに必要でしょうが、仮に合格者数を年間1500人に減らしても、10年前の旧司法試験の合格者数が約1000人程度に過ぎなかったことを考えれば、今後もなおしばらくは弁護士人口の増加が続くことになります。
そして、もはや落ちるところまで落ちた弁護士という職業の人気を回復し、法曹界に有為の人材が入ってくるようにするには、少なくとも法科大学院修了という受験要件を撤廃することを前提に法曹養成制度全体の見直しを行う必要があり、税金の無駄遣いを防ぐという意味では、これによって不要となる法科大学院は即刻潰す必要があるでしょう。
宇都宮新会長が、そういった問題にまで踏み込んで強く日弁連としての意見を言ってゆけるかどうか、それがこれからの日弁連における注目点の一つだと黒猫は思います。
弁護士の数なんて国民のごく一部なので、そんなことが選挙の争点になるなんてありえません。1億人のうちの3万弱の票に大した効果はないですよ。それが公害解決とか社会に働きかける運動ならともかく、自分たちのシステムのための運動だと、関係者以外にはどうでもいいことなので、話も聞いてもらえないでしょう。
さらに、ロースクールに反対ということで弁護士が団結しているわけでもありません。なんとなく昔の制度を懐かしむ弁護士は多いでしょうが、若手にはそんな郷愁はないですし、中堅以降の弁護士の郷愁を理論にして国民を説得するのは難しいですね。
それに、夏の参議院選挙で自民党とみんなの党の合計で過半数を占めれば民主党政権は力を失います。今の空気だとそういうことになりそうな感じです。
また、大学関係者の失地回復はむしろ当然のことでしょう。法曹養成が予備校に委ねられていたことこと異常であって、あるべき姿に戻っただけです。
ただ、今の法科大学院がうまく運営されているかというと、アメリカのロースクールのように人気があるわけではないし、問題はあるでしょうね。企業内弁護士の社会的地位を上げる工夫が必要です。
良くアメリカの圧力を批判する人は多いですが、今の弁護士法や司法制度は占領下にアメリカの監督の下でつくられたものなんですよ。
戦後の憲法もそうです。
外圧があったから否定するとなると、憲法や弁護士法、これまでの修習制度も否定しないといけなくなりますが。
世論を怖がっていただけでしょう。マスコミも規制緩和に賛成でしたし。弁護士が反対しても自分たちの利益で言っているのでしょうといわれるのがおちだし。
>当初の構想によれば、法科大学院では学者と実務家が協力して、実務法曹を養成する高度な専門教育が行われるものと関係者は夢想していたのかも知れませんが
夢想というより、妄想、現実逃避でしょう。企業は大学に職業教育を信頼していなかったのでしょう?法務省だって同じ。ロースクール作っても研修所をなくさなかったのがその証し。
>法曹界に有為の人材が入ってくるようにするには
有為がどの程度のものか分かりませんが、日本が今後は縮小していく以上、国内でしか活躍の場がない法曹資格はもはや箔付けにもならず、優秀な人材が最初に目指すものではないように思えます。海外の大学卒の方がまだマシでしょう。目指すとしても単なる通過点でしかないでしょう。無能では困るがそこそこ真面目で向学心があればいいのでは?
いやだから、法科大学院なんて無意味な参入障壁は
あらかじめ取り除いておかないといかんのじゃないかな
通過点でも何でもいいけれども、ギルドが自分のところの
レベルについてそこまで卑下をする必要もない
>東大ローを除く法科大学院の多くは単なる司法試験の受験予備校と化し、
>当初の趣旨からすれば、一体何のために法科大学院を作ったのか分からない事態に陥ってしまったのです。
【コメント】
ここは重大な事実誤認があります。
東大ローのことはどうか知りませんが
法科大学院は決して「単なる司法試験の予備校」ではなく、
学生の司法試験の受験勉強を妨害するために法科大学院が存在していると言って
決して過言ではありません。
教員は口を開けば「受験指導は文科省から禁止されている」の一点張りで、
明けても暮れても、司法試験の直前期になってもなお
司法試験と無関係な科目を履修しなければならず、
しかも出席は厳格に取るのでサボれないです。
電話帳みたいな分厚い資料を大量に毎週毎週、配布して予習と出席を強要します。
法科大学院は「単なる司法試験の予備校」とは程遠いものです。
弁護士が増えようがロースクール制度で
やっていこうが、そんなに司法制度が
嫌なら弁護士をやめたらどうですか。
通りすがりで読みましたが、自分の人生に
「覚悟」が持てれば周りなど気にせず自分の
道を歩めるでしょう。
私は「あっぱらぱあ」な新司法試験受験生ですが万一合格できても貴方のような方が先輩にいると思うと残念でならないです。(なおそんなに合格には固執していません。自分の世界を広げ、困った人の役に立てる1つの手段に過ぎないと思っています)
これほど長文で客観的(と考えてあげます)な文章を書く暇があったら、お体のために休むなり、御自身が「司法制度を変えてやるほど有為な人材となってやる!!」という気概で学修(学習・オベンキョではないです。御得意でしょうが)をされたらよいでしょう。
また、元気ならお仕事をされればいい。弁護士なのだから困った人を1人でも助けられる。
私は今年受験予定なので、日曜夕~月曜は少しのんびりライフ。
試験の日程に合わせたリズムで生活をし弁護士先生のブログ等サーフィンしてましたが、つまらないブログにあたってしまいがっかりです。
あまりに独善的かつ不愉快な内容だったのでコメントしてしまいました。
御邪魔を致しました。
欝は治ります。お大事に。
今年受験する人がこの時期(週1日でも)のんびりしていて良いんでしょうか。私が受験生だった頃もこういう感じの人はいましたが、やはり合格したのは何曜日でも同じように一日中勉強していた人ばかりでした。今は時代が違うのでしょうか。そうだとしたら余計なお世話で失礼致しました。
落ち着くかって問題ですよね
元の木阿弥の5~800で着地するようなら、いくら利害関係者が
お祭り騒ぎしたところで旧試水準の受験生以外消えてなくなるのではないかと
市場原理云々言いますけど、所詮日本は新卒就職市場以外が
それを代替していますからね
「以外」を削るのを忘れてた…
更新制度ってやつを導入したら早いのでは。Jリーグのように入れ替え制があってもよいかな。