原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2020東京五輪反対派から競技場建設トラブルに物申す!

2015年06月03日 | 時事論評
 私は2020年に東京にて開催されるオリンピック、パラリンピックに対し、その誘致運動が起こる以前より反対の立場を貫いている。


 その理由に関しては、当「原左都子エッセイ集」2013.9.9バックナンバー 「2020五輪後日本が堕落・荒廃しないための提案」 に於いて綴っているため、以下に一部を要約して紹介しよう。

 たとえ「非国民」と後ろ指を指され我がエッセイ集がバッシングにより炎上しようが、私は本日この記事を綴り公開したい。  昨日早朝にブエノスアイレスより届いた2020年五輪開催国決定の一報には、衝撃が隠せず意気消沈してしまった私だ…
 なんで、東京???
 そんなはずは絶対ないと信じていた。 何故ならば、東日本大震災発生より2年半が経過した現在に及んで尚“福島原発事故後処理失敗による汚染水垂れ流し”との、五輪招致候補3地の中で一番致命的な危険を抱えている日本だからだ。  それがどうしたことか、東京に決定した理由が「3候補地の中で一番安全」との発表ではないか??  我が耳を疑うしかない。
 安倍政権は政権奪取以降、一貫してアベノミクス経済政策により国民皆に“心理操作”を施し自分が政権を奪取した事であたかも経済復興が叶い、今後我が国が財政面でも活気付くとの報道ばかりをメディアを通じて吹聴し続けている。 しかも夏の参院選に於いて、国民達は自民党に大量の票を投入してしまった… またまた気をよくした安倍首相のターゲットは、2020東京五輪招致に傾いた。  
 安倍首相の参院選圧勝後の次なるアベノミクスのターゲットは、東京五輪招致だったことは火を見るより明らかだ。   それでもそれを知ってか知らずか、日本国内の子どもや若者は2020年五輪開催地に東京が選出された事に無邪気に喜んでいる様子だ。 世間知らずの若年層が自国五輪開催を無邪気に喜ぶ実態に関して、原左都子も許容したい気はする。  ただ今回の五輪開催に関しては阿倍政権が政権スタート後にそれを焦り過ぎたきらいがあるのは確かな事実だ。 
 2020年東京五輪開催がIOC総会で決定してしまった以上、「失敗」が許されるはずがない。 五輪において何が「成功」と位置づけられるかに関しては未知数ではあろうが、とにかく世界各国から参加して下さる選手、役員、そして観光客の皆さんの安全を保障できてこそ大会が成り立つと私は心得る。
 原左都子の現在の思いを正直に語るならば、阿倍政権自体が2020年まで持ちこたえているのかすら想像が付かない現状だ。  表題に掲げた通り、どうかどうか、2020年五輪開催後に日本が急激に堕落・荒廃して若き世代に暴動を起こさせぬ東京五輪準備を、政府と東京都は後7年間で施して欲しいものだ。
 しかも、五輪開催後も我々年寄りが安全に生き延びられる程度の国家財源を残しておいて欲しいのだが、これに関しては財政危機に瀕して尚五輪招致に及んだ我が国に於いては叶わぬ願いかもしれないね……。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 そうしたところ2020東京五輪誘致後わずか2年足らずにして、反対派としては到底許し難き開催準備に伴う国家と東京都間の実にみっともないいざこざに出くわした。

 先だっての2020東京五輪に関するネット報道より、その内容を以下に紹介しよう。

 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の建設をめぐり、国と東京都のバトルが勃発している。 そもそも一番の「売り」だったはずの開閉式屋根が間に合わないなど設計が大きく変わる見通しになっている。 加えて膨らむ総工費の一部として500億円を都が負担するよう国が求めたのに対し、都は根拠を明確に示すよう迫っている。「五輪の顔」はどこへいくのか
2015年5月18日、下村博文・文部科学相は都庁に舛添要一都知事を訪ね舛添知事に対し、「東京がスポーツ振興の場となるに伴い、費用の一部を負担願いたい」と訴えた。 これに対し舛添知事は、「全体のコストがどうなっているのか。500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」
そんな会話が交わされ、話し合いは平行線をたどったらしい。

新国立競技場建設に向けた流れを振り返るなら、東京五輪招致活動段階の2012年11月、英国の建築設計事務所が最優秀賞に決定。流線型のラインが近未来を予感させる斬新なデザインと8万人収容・開閉式屋根が特徴で総工費は解体費を除いて1300億円程度とされた。 ところが五輪開催決定後の2013年10月、下村文科相は総工費が3000億円に膨らむとの試算を明らかにした上で、「あまりにも膨大だ。縮小する方向で検討する必要がある」として、設計を見直す考えを示した。
これを受け同11月、新競技場の事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は総工費を1852億円に圧縮した。それでも当初想定の1300億円を上回っているが、全天候型にする開閉式屋根の設置方針は維持。さらに文科省の見直し作業の結果、2014年1月時点で総工費1625億円とされ、これが現時点の「公式数字」となった。
この後、解体作業に入るが、入札不調で業者選定は難航。2014年12月に3回目の入札でやっと決まり、2015年1月、予定から半年遅く着工に漕ぎ着け、9月末までに完了する見通し。 だがこの遅れで工期の短縮が必要になった。
かくて去る5月18日、文科省は競技場のフィールド部分を覆う開閉式の屋根の設置を大会終了後に先延ばしし、コスト削減策として可動式の観客席約1万5000席分を仮設にすることを検討していると発表するとともに、冒頭の下村・舛添会談となった。
 その後、都に負担を求める額が580億円に達すると報じられ、舛添知事は「全くいい加減。支離滅裂だ」(26日の記者会見)と厳しく批判。 この知事発言に、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が「思っていることは半分とか3分の1くらいに抑えて言わないと」と苦言を呈した。
下村文科相は翌27日、「(試算は)途中段階として首相官邸に報告したもの」と釈明しつつ、「もうちょっと当事者意識を持ってやってもらいたいなと思いますね。批判するのは簡単だけど、自分も五輪の開催都市の知事だという自覚で、一緒にやろうという思いを持ってもらいたいと思いますね」と異例の注文をつけ、さらに28日には知事が「(国が)言ってくることはお金出せっていうことだけだったら、それはおかしいでしょ」と再反論するなど、関係者間の不協和音は収まる気配がない。
  舛添知事は「都民が後で使えるレガシー(遺産)なら協力は惜しまない」との基本姿勢は示している。
 五輪という一大イベントを成功させるためにも、国民の理解は不可欠で、国には計画を修正する必要性、財源や五輪後の用途、収支見通しについて明確な説明をする責任があるのは言うまでもない。
 (以上、ネット情報より要約して引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 元々2020東京五輪開催反対派の私だ。
 その立場としては、五輪誘致後2年が経過しようとしているこの後に及んで、新国立競技場建設を巡り国家と東京都間で「お前がカネを出せ!」ナンタラカンタラの“茶番劇”が繰り広げられている事自体がお粗末過ぎる事に嫌気がさす。

 反対派の立場としては、元々新国立競技場など建設せずとも済んだとしか言いようがない。

 その立場にして敢えて今回の国家(下村大臣)と東京都(舛添知事)の“茶番劇議論”に口をはさむならば、この勝負は東京都の舛添知事側に軍配を上げたいのだ。
 と言うのも舛添氏側は、「都民が後で使えるレガシー(遺産)なら協力は惜しまない」との基本姿勢を示している点に於いてだ。 しかも舛添氏は下村大臣に対して、「全体のコストがどうなっているのか。500億円もの税金を都民に払えと言う以上、きちんとした根拠がないといけない」と明言している。
 
  これに対し、下村大臣側は論理破綻していると考察出来よう。
「もうちょっと当事者意識を持ってやってもらいたいなと思いますね。批判するのは簡単だけど、自分も五輪の開催都市の知事だという自覚で、一緒にやろうという思いを持ってもらいたいと思いますね。」
 原左都子に言わせてもらうならば、何だか高校や大学の文化祭のノリ発言ではなかろうか?
 こういう奴らって高校大学レベルで常に存在したものだ。 こちらが理路整然と反発しているのに「そんな事言ってないで仲良くしようよ」と、本筋をずらせば物事が解決可能と思っている単細胞人種は確かに存在した。 そんな奴ほどバックに控える権力者に頼りたがるのも世の常だ。
 その後下村氏をバックアップするべく(既に自民党内では形骸化した存在の)森喜朗氏が登場した事実など、自民党政権の“恥の上塗り”としか評価しようがない。
 

 ここはたとえ五輪開催反対派の私とて、議論の“論理性”に於いて勝る東京都知事舛添氏を応援したい。
 都知事の舛添さん、下村大臣(及び国家政権)打倒に向けて頑張れ!! 

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