2、3か月前から悩んでいる事象がある。
その事象とは、表題のごとく「新聞のデジタル購読をするべきか?」否か? である。
「原左都子エッセイ集」の古くからの読者の方々は重々承知であろうが、私は何十年来に渡って一貫して朝日新聞のファンである。 その朝日新聞が2、3か月前よりデジタル版を開設した当初より、その購読の程を悩んでいるのだ。
同じく朝日新聞ファンの身内に相談すると、身内自身は従来通り“紙の新聞”が希望とのことだが、私がデジタル購読したいのならたかが“プラス1000円”で両者の購読が可能なのだから、さっさとデジタル購読も付加すればよいとの意見だ。
確かに“たかが月々1000円”の負担増ではあるが、そのコストパフォーマンスの程を見極めたいのが原左都子の性分である。
そこで以下に、私なりにそのコストパフォーマンスの程を検証していくことにしよう。
新聞をデジタル購読することの <利点その1> として、パソコン、iPad等々の端末で新聞を読めることが挙げられる。
過去を振り返ると、私は20代後半頃から朝日新聞を職場に持参して、昼食後の休憩の残り時間に日々集中してそれを熟読し続けた事をバックナンバーで述べている。
20代前半頃までは、昼食時にこの私も職場の同僚との談話を楽しんでいた。 ところが周囲の同僚の結婚、出産等の環境変化に伴って昼休みの話題が子どもや亭主関連に偏向し始めるのだ。 当初は同僚達のその種の井戸端会議に多少の興味があった。
だが、徐々にこの話題に付き合って時間を潰すのはもったいない感覚が増大して来るのは、結婚志向の低い私にとっては必然的である。 そして、その後の私の昼休みとは単独で新聞を熟読する時間と相成ったのだ。
その頃の私は出かける間際に玄関先の新聞受けに配達されている新聞を、広告チラシも含めて鷲づかみで鞄の中に押し込んで、出勤を急いだものである。
今の時代であれば、iPadなる小型機器を鞄に入れておけば、昼休みに限らず電車の中等何処でも新聞のデジタル購読が可能ということであろう。 私にとっては、新聞のデジタル購読とはその過去の時代にこそ価値があったことを今さらながら実感させられて残念である…。
現在の私は、紙の新聞を何処かへ持参して読む機会など皆無だ。 その意味では、<利点その1>に関して、コストパフォーマンスは低いとの結論になりそうだ。
デジタル版の <利点その2> として、過去の記事1年分が検索し放題とのようだ。
私の場合、現在新聞を最も活用する場であるのがこの「原左都子エッセイ集」においてである。
現在私が朝日新聞を我がエッセイ集に活用するに当たって採用している方法は“スクラップ方式”である。 これに慣れている身としては、現在のところはこの方式で十分な感があるのだが、さてデジタル版の過去記事検索機能の実用性は如何なるものなのか? この点においてのコストパフォーマンスの程は不明だ。
次の <利点その3> は、“セレクト”及び“キーワード”機能であるようだ。
これを実行することにより、自分が欲する画面が自動的に配信されるようだが、これに関しても、一体どの程度の選択機能や精密性があるのかが不明である。
<利点その4> はトピックス性とのことである。
重大ニュースがあると超速報として画面に表示されるとのことだが、これは読者が新聞デジタル画面を開いている場合に限られるのであろう。
テレビにおいても速報テロップが流れるが、あの感覚と同様なのだろうか? テレビの速報の恩恵に与れるのはテレビを付けている時に限られるが、私はさほどテレビを見ないため速報に触れることも少ない。
同様にパソコンも1日において限られた時間しか開かないため、この機能も使いこなせないのではないかと考察する。
朝日新聞がデジタル版を開設した当初には、“無料お試し期間”が設定されていたようだ。 それを試しておけば上記の各利点に関して私なりに把握できたのであろうが、残念なことにそれを試行する時間が取れないでいた。
ただ私なりの乏しいネット経験でその“お試しぶり”を想像してみるに、パソコンを一日中開いておけるがごとく相当の時間の余裕がある人のみが、この種の利点のすべてを利用可能ということではあるまいか??
加えて、“紙”という文化が果してきたその機能の高度性も、今尚捨て難いものがある。
私は数年前にエジプトを訪れ、現在の紙の起源である“パピルス”の歴史文化に触れて来たのだが、紀元前の古代より現在に至るまで、一つの文明として情報伝達手段をパピルスや紙が担った歴史は重いものがあろう。
現代においては資源の有限性や環境保護の観点から、紙資源の利用を控えるべく世論が先行しているのが現状だ。 その観点から地球上において貴重な紙資源を再利用する技術が発展していることは何よりである。
その種の世論の背景を受けて、情報伝達手段のデジタル化が科学技術の急激な発展の歴史と共に目覚ましく進化を遂げる昨今である。 デジタル技術の発展自体は素晴らしい事であり、私もその恩恵を受けていることに感謝の日々である。
ただそのような時代背景の下、情報伝達手段を“紙”に依存するのは時代遅れで 「悪」、“紙”に頼らずデジタル化していくのが 「善」 とのステレオタイプで短絡的な発想が大手を振って世に蔓延してしまうのはどうであろう?
両者の利点を尊重し選択していく事こそが、現在に及んで古代より人間が築いてきた文明を後世に末永く伝承していける手段なのではあるまいか?
原左都子個人的には、“紙”が果す情報伝達手段の高度さ、及び芸術方面において果している偉業等も含めて、後々まで継承していきたい思いだ。
話を大きくしてしまったが、今現在この世に生きる人間にとって実際問題新聞のデジタル購読の価値は如何程なのであろう? (既にデジタル購読をご経験されている方々のご意見を賜りたく存じます。)
その事象とは、表題のごとく「新聞のデジタル購読をするべきか?」否か? である。
「原左都子エッセイ集」の古くからの読者の方々は重々承知であろうが、私は何十年来に渡って一貫して朝日新聞のファンである。 その朝日新聞が2、3か月前よりデジタル版を開設した当初より、その購読の程を悩んでいるのだ。
同じく朝日新聞ファンの身内に相談すると、身内自身は従来通り“紙の新聞”が希望とのことだが、私がデジタル購読したいのならたかが“プラス1000円”で両者の購読が可能なのだから、さっさとデジタル購読も付加すればよいとの意見だ。
確かに“たかが月々1000円”の負担増ではあるが、そのコストパフォーマンスの程を見極めたいのが原左都子の性分である。
そこで以下に、私なりにそのコストパフォーマンスの程を検証していくことにしよう。
新聞をデジタル購読することの <利点その1> として、パソコン、iPad等々の端末で新聞を読めることが挙げられる。
過去を振り返ると、私は20代後半頃から朝日新聞を職場に持参して、昼食後の休憩の残り時間に日々集中してそれを熟読し続けた事をバックナンバーで述べている。
20代前半頃までは、昼食時にこの私も職場の同僚との談話を楽しんでいた。 ところが周囲の同僚の結婚、出産等の環境変化に伴って昼休みの話題が子どもや亭主関連に偏向し始めるのだ。 当初は同僚達のその種の井戸端会議に多少の興味があった。
だが、徐々にこの話題に付き合って時間を潰すのはもったいない感覚が増大して来るのは、結婚志向の低い私にとっては必然的である。 そして、その後の私の昼休みとは単独で新聞を熟読する時間と相成ったのだ。
その頃の私は出かける間際に玄関先の新聞受けに配達されている新聞を、広告チラシも含めて鷲づかみで鞄の中に押し込んで、出勤を急いだものである。
今の時代であれば、iPadなる小型機器を鞄に入れておけば、昼休みに限らず電車の中等何処でも新聞のデジタル購読が可能ということであろう。 私にとっては、新聞のデジタル購読とはその過去の時代にこそ価値があったことを今さらながら実感させられて残念である…。
現在の私は、紙の新聞を何処かへ持参して読む機会など皆無だ。 その意味では、<利点その1>に関して、コストパフォーマンスは低いとの結論になりそうだ。
デジタル版の <利点その2> として、過去の記事1年分が検索し放題とのようだ。
私の場合、現在新聞を最も活用する場であるのがこの「原左都子エッセイ集」においてである。
現在私が朝日新聞を我がエッセイ集に活用するに当たって採用している方法は“スクラップ方式”である。 これに慣れている身としては、現在のところはこの方式で十分な感があるのだが、さてデジタル版の過去記事検索機能の実用性は如何なるものなのか? この点においてのコストパフォーマンスの程は不明だ。
次の <利点その3> は、“セレクト”及び“キーワード”機能であるようだ。
これを実行することにより、自分が欲する画面が自動的に配信されるようだが、これに関しても、一体どの程度の選択機能や精密性があるのかが不明である。
<利点その4> はトピックス性とのことである。
重大ニュースがあると超速報として画面に表示されるとのことだが、これは読者が新聞デジタル画面を開いている場合に限られるのであろう。
テレビにおいても速報テロップが流れるが、あの感覚と同様なのだろうか? テレビの速報の恩恵に与れるのはテレビを付けている時に限られるが、私はさほどテレビを見ないため速報に触れることも少ない。
同様にパソコンも1日において限られた時間しか開かないため、この機能も使いこなせないのではないかと考察する。
朝日新聞がデジタル版を開設した当初には、“無料お試し期間”が設定されていたようだ。 それを試しておけば上記の各利点に関して私なりに把握できたのであろうが、残念なことにそれを試行する時間が取れないでいた。
ただ私なりの乏しいネット経験でその“お試しぶり”を想像してみるに、パソコンを一日中開いておけるがごとく相当の時間の余裕がある人のみが、この種の利点のすべてを利用可能ということではあるまいか??
加えて、“紙”という文化が果してきたその機能の高度性も、今尚捨て難いものがある。
私は数年前にエジプトを訪れ、現在の紙の起源である“パピルス”の歴史文化に触れて来たのだが、紀元前の古代より現在に至るまで、一つの文明として情報伝達手段をパピルスや紙が担った歴史は重いものがあろう。
現代においては資源の有限性や環境保護の観点から、紙資源の利用を控えるべく世論が先行しているのが現状だ。 その観点から地球上において貴重な紙資源を再利用する技術が発展していることは何よりである。
その種の世論の背景を受けて、情報伝達手段のデジタル化が科学技術の急激な発展の歴史と共に目覚ましく進化を遂げる昨今である。 デジタル技術の発展自体は素晴らしい事であり、私もその恩恵を受けていることに感謝の日々である。
ただそのような時代背景の下、情報伝達手段を“紙”に依存するのは時代遅れで 「悪」、“紙”に頼らずデジタル化していくのが 「善」 とのステレオタイプで短絡的な発想が大手を振って世に蔓延してしまうのはどうであろう?
両者の利点を尊重し選択していく事こそが、現在に及んで古代より人間が築いてきた文明を後世に末永く伝承していける手段なのではあるまいか?
原左都子個人的には、“紙”が果す情報伝達手段の高度さ、及び芸術方面において果している偉業等も含めて、後々まで継承していきたい思いだ。
話を大きくしてしまったが、今現在この世に生きる人間にとって実際問題新聞のデジタル購読の価値は如何程なのであろう? (既にデジタル購読をご経験されている方々のご意見を賜りたく存じます。)
私は、インターネットのホームページを活用しています。
休日は、起きてる時間の半分は、パソコンを立ち上げっぱなしで、数時間に1回は、ニュースの更新があるインターネットのホームページを活用しています。
ニュースは、テレビが便利・・・、解説も付くし、動画も付くので、これ以上の伝達方法を、私は知りません。
震災の記事内容が、2転3転とするのを見て、新聞離れした私ですが、また戻って来るよ!
新聞、インターネットのホームページ、テレビとしばらく、この3つを見比べてみます。
利点その2と3は過去のデータ蓄積と言う面ではスクラップと同様の機能でありメリットも大きいと思われます。
利点その4トピックス性についてはどんなソフトウエアになっているのかはわかりませんが、スカイプの様に着信があり次第音声と表示で知らせてくれると便利ですね。新聞を開いた時にトップに表示するようになっているのかも知れません。
紙の使用以前にあった「木簡」も今では大きく評価されています。その点、デジタルはどんな形で残されていくのでしょう。一瞬にして無くなる可能性もゼロではありません。「紙は偉大です。」
その他の時間は、日常生活のペースが乱れてやるべき事に支障を来たすのが嫌で、意識的にパソコンを付けていません。
もしも新聞をデジタル購読にすると、ズルズルとパソコンを開いている必要がありそうなのを懸念します。
ニュースは私もやはりテレビですね。 速報ももちろんありますし、ドカドンさんがおっしゃる通りこれ以上のニュース伝達手段はないと私も思います。
ネットで新聞各社や週刊誌等のニュース報道を検索することが可能なため、私もそれをよく利用するのですが、これで十分ですよね。
そうなると、わざわざ月々購読料を支払ってまで新聞をデジタル購読する必要はないとの結論に達しそうです。
“紙の新聞”の有用性は捨て難いので、私の場合はやはりしばらくはこちらを利用した方が良さそうです。
isseiさんの詳細考察を読ませていただきますと、デジタル新聞に慣れたなら短時間で種々の機能処理が出来るようになって便利であろうことは想像がつきます。
ただ、現在の私は超多忙なビジネスマンという訳ではないため、現状維持でよいのかもしれません。
“紙の新聞”を楽しみながら、そのスクラップをちまちまと要約しつつ打ち込む作業もなかなか乙なものです。
やはりデジタル新聞の最大の利用価値とは、本文中の<利点その1>、すなわち外で端末を見たい場合にあるのではないかと思います。
そういう意味では、チラシ広告も含めて日々紙の新聞を持ち歩いていた我が多忙な職業人時代にこそ、デジタル購読をしたかったものです。
学校の世界でも、「教科書のデジタル化があと数年でなるという話もあります。」が、それもどうなのかと思います。というように色々あるようです。
本文中の〈利点その2〉は図書館では、データベ-スの「聞蔵」というものでできます。〈利点その2〉については、システムの導入を以前やっている状態ですから、期待はできます。
私は、普段「あらたにす」を使うことが多いですが、時間がある時に図書館で数紙読むことが多いです。レポートを書く材料だけでなく、他のことでもまだ紙媒体というものは必要だと思います。
テレビもデジタル化で機能は変わりましたが、コンテンツが酷いですね。変なクイズ番組より、スポーツやお笑いのほうが良いように思います。特に、ドラマも見ず、夜はニュースかドキュメント番組か読書、ネットで情報を見るぐらいしかしません。
テレビには希望はないですが、新聞は期待できます。しかし、マスメディアに踊らされない生活をしたいものです。
ところで今の学生さんとは論文を書くために図書館へ行くことがあるのでしょうか?
もちろん図書館自体もネットベース化されている時代ですから、それが果す機能も過去とは大いに異なっているものと察します。
私が学生の時代(私の場合2度の大学経験及び36歳時点で修士を取得するまで幾度も何十年に渡り学生を経験しているのですが…)は図書館で自分の学問に関する過去のペーパー論文等を紐解くのが常識の時代でした。
ホームズさんの場合、私などから見るとネット社会に慣れ親しむべく時代に生まれ育った世代であるように認識させていただいております。 それでもペーパー文化の価値の程がお分わかりとのご意見に安心させていただける思いです。
それにしても、ネット情報に頼るためにはパソコンを常時開いている必要がありますよね??
この現実が私にとっては辛いものがあります。1日のうちパソコンを開く時間を2時間程度に納めて、残り時間は自由気ままに世の中を我が足で歩みたい私にとっては、やはり日々の情報をデジタル新聞に頼ることは無理かもしれません。