原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人と話したい、でも相手がいない、そして孤独死……

2011年07月14日 | 時事論評
 大震災の発生後、仮設住宅に単身で移った後に孤独死するお年寄りの報道を見聞するのは、今回の東日本大震災が初めての事ではない。

 例えば過去における阪神大震災でも、同様に仮設住宅で孤独死したお年寄りの総数は悲しいかな230人を超えていたとの報道である。


 体育館等の避難所で暮らすお年寄りにとっては、事務的所用等何らかの用件で現場担当者や周囲と話す機会はあろう。 もしその機会がなくとも、同じ建物内に人がいて、そこがたとえ避難所という過酷な空間であれ人々が生活を営んでいる実態を間近に見ることが出来るだけでも、今後自らが生きていく少しばかりのエネルギーのお裾分けがもらえるということなのではあるまいか。

 ところが一人暮らしのお年寄りが仮設住宅に入居した時点で、“孤独死”の危険性が大きく拡大する実態の程は重々想像できる。
 朝日新聞7月6日の報道においては、仮設住宅に入居以降 「一ヶ月誰ともしゃべっていない」 お年寄りの実態を捉えていた。 そのお年寄りの地域では、自治会が立ち上がっておらず住民同士が集う機会がないらしい。 上記の年寄りは無言でテレビの前に座る日々を一ヶ月間耐えた後、さすがに限界だったのだろうか、自転車に乗って震災前からの知り合いが多く住む地域まで足を運び、やっと人と喋る機会を得たのだと言う。
 上記のお年寄りは、自転車で遠出可能な身体能力が備わっていたからまだしもよかった。 
 別の仮設住宅で手押し車に座ったまま一人で暮らすお年寄りは、地震発生時に胸と腰を骨折した痛手も抱えており、トイレに自由に行く事もななまらず紙おむつ生活の現状だそうだ。 せっかく抽選に当たって入居した仮設住宅だが知り合いもおらず、結局はそこでは暮らせない事を悟り、今は老人ホーム入居希望だと言う。

 この記事によると、自治体リーダーによる見回りや、仮設住宅に住む住民の交流の場となる集会所の設置などが重要であることが掲げられている。
 そして国政もこれらのお年寄りを「孤族」と呼び、それを支援するために特命チームを立ち上げてはいるらしい。 (その活動の程に関する報道を、一度たりとて見聞したことがないのだが…


 原左都子の見解も、被災地で孤立しているお年寄りに是非“愛の手”を差し伸べるべく対策を練るべき、という点では当然一致している。
 ただ、私の見解は上記朝日新聞記事が掲げている対策とは多少異なるのだ。

 と言うのも、私自身が現在「孤族」とも言えるお年寄りを身近に2人抱えている。
 それは我が母であり、そして義母である。 二人共被災地からは遠い地方に住み、日々一人暮らしをしている。 両人共に現在80歳近い年齢故にその年齢相応の若干の身体的不具合を抱えているものの、一人暮らしをするにあたって特段の障壁はない様子である。
 その2人がそれぞれに口を揃えて言うのだ。 「“老人会”のような集会に自治体から誘われて参加してみても、皆が同じ事を上から指示されてやらされるだけでどうもつまらない。ああいうのに参加するのはまだまだ先のことかもしれない…」
 そして、2人はそれぞれに自分の趣味に励んでいる様子だ。
  過疎地の田舎に住む我が母は、得意の手芸の腕を活かしてボランティアで老人ホームに手芸の指導をしに行ったり、あるいは週に一度俳句の会に通い、優秀作を会誌に掲載してもらっては充実感を得ているようだ。 
 はたまた大都会に住む義母は昔から社交ダンスを習っている。今尚ハイヒール姿が似合うスリムな義母は、ダンス会場では男性にモテモテのようだ。 美人で華やかで元々“舞台向き”素質の義母は最近合唱も始め、先だって舞台に立ったようだ。

 それでも、元々“お喋り”の我が母に関しては、“人との繋がり”を絶やさぬために日々工夫をしている様子を母からの電話での会話で私は感じ取っている。
 その一つが“病院通い”“接骨院通い”等、健康維持と会話のセットが叶う目的地に出向くという手段である。 特に接骨院では院長とすっかり仲良くなり、暇を見ては接骨院でマッサージをしてもらいつつ会話に励んでいる様子である。


 我が身内と大震災被災者とを比較してみても、らちが明かないことは承知している。
 それを承知の上でさらに原左都子の見解を述べるならば、仮設住宅の「孤族」を救済しようとして“通り一遍の地域論”を持ち出したところでそれは既に時代遅れではないかということだ。
 自治会リーダーによる見回りに関しては、もしかしたら孤立死に至る気配があるお年寄りを救えるかもしれない。
 ところが、大震災被災者とて“個性ある存在”であるという発想がまったく欠けているのが、「集会所」を設けたらどうにかなるだろうとの自治体の旧態依然とした案である。  もちろん、そこに集ってくるお年よりも存在するであろう。その種の人々にとっては「集会所」も有益であろうことは私も認める。

 世の文化や学術芸術そして科学の発展によりそんなことでは満足出来ず、付き合う相手は自分で選びたいお年寄りが現在増えている現状ではあるまいか?
 その一例として挙げたのが我が身内の母であり、義母である。

 東日本大震災被災者のお年寄りの中にも、自治体がしつらえた集会所に行きたいという発想が湧かないから、仕方なく仮設住宅に引きこもるしかないお年寄りも存在するかもしれない。 
 それを、まさか「被災者のくせに我がままだ」と叩く国政や自治体職員がいないことを望みたい。
 
 何故ならば、この原左都子も我が母や義母を超越しそうな “我が道を行く”タイプであるからだ。
 原左都子が老いても、自治体からの「老人会に入ろう」なる指示に大人しく従おうなる発想は皆無であろう。
 そのようなお上の指導に従って自らが欲しもしない場で自治体が指示するくだらない老人体操やパソコン教室に励んだり、お茶をすすりながらつまらない会話に耐えるならば、「孤族」の立場で死んだ方がよほどマシであることは目に見えている。


 どうか国や自治体は、仮設住宅における孤独死防止にあたって“お年寄は皆馬鹿”との発想に基づいた集団主義的救済策を提示することを考え直し、お年寄り個々に応じた対応策を吟味して欲しいものだ。
Comments (8)    この記事についてブログを書く
« ストレステストの内容及び結... | TOP | さあ我が娘よ、志望大学目指... »
最新の画像もっと見る

8 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
雨露しのげればそれで良い? (issei)
2011-07-15 14:22:42
仮設住宅での一人暮らしには問題が多いですね。阪神大震災など過去の経験が生かされていないようで残念です。国の孤族支援特命チームの活動も疑わしいものです。「雨露を凌げるだけでも良いだろう」と「上から目線の行政」では何の役にも立ちません。集会所みたいな場所の設置とボランティアなどによる訪問会話員(仮称)などの派遣も考えられて良いように思います。
人間の正常な営みが人との繫がり無しでは有り得ないことを示した「孤族問題」ですが、押しつけではない、個人の趣向をも大事にする「仮設住宅村」建設の必要性を示唆しているように思います。
返信する
ヒマなら忙しい仕事を・・・ (ドカドン)
2011-07-16 02:27:14
個性の強い老人に、行政が決めたプログラムは苦痛極まりないかも?
内職で、いくばかりかのお金を入るのが、いいのでは?

震災で、被害を受けているかもしれませんが、仮設住宅の老人に、ぜひとも内職を・・・。
返信する
人間は生かされている (TT・MX27)
2011-07-16 17:22:28
人間は人と交わる事で生かされていると、同僚との酒の席で、そんな話題になりました。何を持って交わりと言うのか?仕事や遊びや趣味!それらが奪われれば、死までは行かなくとも、ボケや痴ほう症の発症が起こるのでは?同僚達は早く定年になって好きな事をしたいと良く口にしますが!実際に退職した方の話では毎日が飽きると良く話に聞きますが、私も仕事がハードで体はかなりガタがきている事は言は舐めませんが、仕事から解放されて安ど感から気が抜け、早死に?特に高齢の方は環境が大きく左右される所が大きいと思います。井戸端会議でも良いのです人と交わる場を提供する環境を作って挙げる事だと思うのは私だけでしょうか。
返信する
isseiさん、仮設住宅の現状は雨露すらしのげず… (原左都子)
2011-07-17 08:19:01
仮設住宅とはそこで何十年も暮らす訳ではないでしょうから、ある程度“安普請”なのはやむを得ないかもしれませんが、雨露をしのげるどころか、雨漏りはするわ傾いてくるわのとんでもない欠陥建築らしいですね。 震度6程度の余震に耐えるのか心配な私です。

まったくもって、復興政策とは名ばかりで、形だけ整えればよいというものではないでしょうに…

国や自治体の「孤族」支援体制も大いなる発想の転換をするべきです。
にもかかわらず、いつまでも「学校集団原理」で物事を考える発想から抜き出せないですね。
集会所を作って上から目線でお年寄りを集めたところで、今のお年寄りの多様性には応えられないでしょう。
まったくもって、上から目線の陳腐な押付けにはうんざりです。
返信する
ドカドンさん、仕事自体がないかも… (原左都子)
2011-07-17 08:29:11
若い世代ですら仕事を探して彷徨っているこの超就職難の時代に、お年寄り向けの内職の需要がないように思えます。

内職と言えばそれをやっている主婦がいましたが、仕事としてそれを始めるとそのノルマが厳しく、体を壊すほどの重労働の割には収入は微々たるもので過酷な世界のようです。

それから、一人暮らしのお年寄りに内職はちょっと残酷なようにも思います。 ますます一人で家にひきこもる世界に陥ってしまうのでは…

年をとっても、クリエイティブでありたいものですね!
返信する
TT・MX27さん、私は年老いても主体性をもって生きていきたいです。 (原左都子)
2011-07-17 08:49:31
TT・MX27さん、「原左都子エッセイ集」をご訪問いただきコメントを頂戴しましてありがとうございます。

TT・MX27さんがおっしゃる通り、長年定職に就き1日のほとんどをその仕事に身を捧げて来られた方々が、定年退職後に如何に身を振って持て余す時間に耐えるかは大きな課題であることでしょう。

私事ですが、民間企業歴が長かった私が教員になった時、長過ぎる夏休みに大いに困惑したものです。 花の独身の立場でもその種の困惑がありましたから、お年寄りの定年後の苦悩を想像して余りあります。
その後出産のため退職した私ですが、その時には「子どもを育てる」という大きな課題を抱え、時間を持て余す困惑など一切なく今に至っています。

平均寿命が伸び、人生において「老後」の期間が長くなった今、如何にその時間を生きるかは皆にとって重要な課題であることでしょう。
上のドカドンさんへの返答でも書きましたが、年老いてもクリエイティブでありたいと私は思っています。
人に環境を作ってもらうのではなく、自分自身が主体性を持って自らの人生をコーディネートしていきたいものです。
この「原左都子エッセイ集」も、私にとってはその活動の一環であるかもしれません。
返信する
悲しいかな (tagu)
2011-07-19 08:06:54
 たしかに孤独死は 今回の震災等の影響で増えてるでしょうね

 今までならば そこまで手がまわった事も手が回らない

 福祉の状態なのでしょうね。

 それと人の性格 性質の中で 何となくピンと来る事も

 あると思いますが、 しゃべりたい人程 しゃべりが上手

 くは無く コミュニケーションが下手だったりする事が

 多いですよね、年配の方だけで無く まだ現役の先輩とか

 でも、自分の事ばかり話をして、結局はコミュニケーショ

 ンが成り立っていない、定年まじかの先輩とかもいます

 そういう人に限ってコミュニケーションをとりたがったり

 逆に なるべく人と交わりたく無い人でも、元々の

 言葉や表現の能力が高く相手の話も聞ける人は

 孤独になれなかったりしてますしね。

 会社社会でも 実はコミュニケーション上手だと

 思っていた人は ただ、権力をもっていただけで
 
 トップダウン指示でご満悦していた人が 会社人間では

 無くなったとたんに 孤独になってしまったり

 たしかに今回の震災以降 孤独死とか多くはなって来まし

 たが、実は今までのコミュニケーション能力では

 今の時代には対応出来なくなってしまっていたのでは?

 と思ったりします、支離滅裂ですいませんでした。
返信する
taguさん、まったく同感です。 (原左都子)
2011-07-19 08:58:17
taguさん、「原左都子エッセイ集」をご訪問いただきコメントを頂戴しましてありがとうございます。

taguさんが書かれている通り、“お喋り”であることと“コミュニケーション力”とはまったく異質のものです。
コミュニケーション力とは他者に対する配慮心であり、客観力が基本です。 それを備えている人との会話こそが充実したものであり、豊かな時間が共有できるというものです。

今の時代この配慮心と客観力を備えている人と知り合うことが実に困難です。
人と人とも思わず一方的に喋り散らす人が何と多いことでしょう。 それは暴力の一種であるとも表現できます。 
お互い既に十分な人間関係を築けているのならば、そういう時があってももちろんいいのですが、そうでない相手にただただ喋り散らされたのでは身が持ちません。

taguさんが書かれているように、権力を傘に自分の話ばかりを周りに聞かせる輩にもうんざりです。 そういう輩が年老いて孤独になった時の姿を想像すると、確かに悲惨でしょうね。

それからお年寄りとは老化現象なのでしょうか、配慮心や客観力を失っている方が多いようです。 
そんなお年寄り連中を「集会所」に集めたところで、真のコミュニケーションが成り立つ訳がありません。

個人情報の問題もあって、今の時代は特に見知らぬ人との会話が困難との社会背景もある中で、如何にお年寄りが「孤独」に陥らぬように支援していくかは困難な課題ですね。

将来、老化現象で配慮心と客観性を失って独りよがりに喋り散らす老人にならないように、今後も頭や思考の柔軟性を鍛える努力を続けていきたいと思います!
返信する

Recent Entries | 時事論評