原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人生終盤を迎えた高齢者は何に感激するのか?

2013年09月11日 | 時事論評
 (写真は、昨日9月10日に訪れた、東京都豊島区巣鴨に位置する巣鴨とげぬき地蔵より撮影したもの) 


 「原左都子エッセイ集」に於いてここのところ、阿倍政権の福島原発事故汚染水漏れ対応の遅れ、及びその醜態にもかかわらず、阿倍首相が2020年東京五輪招致に邁進し開催が決定してしまうとの予期せぬ事態に関する批判論評に邁進してきた私だ。
 
 お陰様で危惧していた「非国民」とのバッシングも炎上も無く、この通り「原左都子エッセイ集」は健在である。
 むしろ「賛同」に近い反応を頂戴し、感動している。
 我が国の民衆の中には 阿倍政権が欲する2020年までとの短期展望のみならず“この国を遠い未来までも真に守り抜き発展させたいと長い視野で志す仲間” が少数ながら存在する事実に、天邪鬼、一匹狼の私とて心強い思いである。


 話題を大幅に変えよう。

 昨日私は大学休暇中の娘を引き連れて、東京巣鴨のとげぬき地蔵及びその周辺の商店街を訪れた。
 何故「お年寄りの原宿」とも称されている現地を若き我々が訪問したのかというと、来年成人式を迎える娘の“お祝会”を、とげぬき地蔵に程近い土地に住んでいた(現在も住民登録地である)義母のためにこの地で実行するべきと心得たからに他ならない。
 と言うのも実際問題、現在生存している娘の父方・母方の両祖母達である高齢女性2人が、来年の孫の成人式まで生き延びているのか否かに関して不確実性が高い。  いやいやそれは顰蹙な話であり、おそらく祖母2人共に未だ比較的元気に生存している事と想像する。
 ただ、既に我が郷里の実母からは「東京まで遠出して孫の成人祝会に列席する体力が無いため欠席」と宣言されている。


 話題を上記写真の「巣鴨とげぬき地蔵」周辺に移そう。

 昨日原左都子親子がこの地を訪れようと欲したもう一つのきっかけとは、少し前にメディアを通じて見聞した報道につられてである。 メディア情報によれば、上述のごとく現在の巣鴨とげぬき地蔵周辺商店街は「お年寄りの原宿」と化していて、活性化しているとの報道だった!

 それを信じこの地を訪問した我々母娘だが、実に落胆させられる始末だ…
 確かに巣鴨とげぬき商店街を闊歩しているお年寄り連中を少なからず見かける。 しかも東京都心部の他の商店街には見られない光景として、店舗の経営者達自身が高齢化している。 その高齢経営者達が今時珍しく店頭で“客寄せ”行動に出ているのが、私の視線では多少物悲しい風景でもあり嬉しくもあるのだが……  (同じような商店街として東京浅草が挙げられるかもしれないが、巣鴨はかの地に比して格段に小規模である。)

 どうなのだろう?  今時のお年寄り達にとってはむしろ巣鴨とげぬき商店街のごとく、“客寄せ”を実行していた方が店内に入り購買行動に走り易いのであろうか?  少し若き世代の原左都子としては時と場合にもよるが、もしも我が欲する商品が置いてありそうな店舗では客寄せをしてくれた方が入店し易いイメージもある。 一方で、この店にはまったく期待できないと判断する店が“客引き”行動をしていたものなら、一瞬にして見なかったふりをして逃げ去るのみだ。

 おそらく原左都子とはさほど年代が違わないお年寄り連中とは、ショッピングに於いても我が行動とある程度類似するのではあるまいか?  そうだと仮定すると、「巣鴨とげぬき地蔵商店街」が一時メディアに取り上げられてしまったが故の功罪の程が見て取れるというものだ。
 参考のため、巣鴨とげぬき商店街とは上手く表現するならば昔からの商売伝統を守り抜く「老舗」の集合体であろう。 あるいは、巣鴨との高齢者嗜好の地で旧態依然としつつも、メディアが取り上げた事を有効利用して新たな購買層を狙った商法を展開しようと目論んでいるのであろうか。
 原左都子自身は、こんな商売地が東京の山手線沿いの目抜き通りに存在している事実を肯定したい思いだ。 ところが、現在の東京都心各所のショッピングプレイスに出向く機会が多い私だが、顧客それぞれに描くコストパフォーマンスに対応できるべく存立している店舗とは数少ないのが現実でもあろう。

 そんな感想を抱きつつ、当初の目的場所である我が娘の来年の成人お祝い会場ターゲットである「お寿司屋さん」に出向いた。
 夕方の早い時間帯でもあり、そのお寿司処は空いていた。 どうやら、来年の予約はずっと後でよいとのことで、ゆったりと一家でお酒とお寿司を堪能して帰宅した。
 一時の昔には、寿司屋で酒盛りをするとかなりの高額代金を請求されたものだが、これが今時の居酒屋並みであるのも、現在の寿司屋の宿命なのか?  それとも場所が「高齢者の原宿」である巣鴨故か??


 今回は我が郷里の実母に関する話題は、字数の関係もあり次回以降に回す事にしよう。

 JR山手線巣鴨駅近くに義母の自宅があるものの、現在ケアマンションに移り住む義母にとって今に至っては巣鴨とは時折り訪れる地との事だ。
 あえてこの地を我が娘の“はたちのお祝い”の場として提案した事が、義母にとって“粋な計らい”であるとよいのだが。  来年早々地元寿司屋におけるお祝い会合に義母に元気に出向いてもらい、感激しつつ孫の節目を祝福してくれる事に期待したい。