原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

いい年でしたか?

2009年12月28日 | 自己実現
 朝日新聞12月26日(土)別刷 「be」 “between” の本年最後のテーマは 「今年はいい年だった?」 であった。

 以外や以外、その回答において 「はい」が54% 「いいえ」が46%と、いい年だったと回答した読者が過半数を占めている。
 お~~、そうか。

 政権交代して100余日が経過した今尚、世界的大不況の経済情勢は世の人々の暮らしを直撃したまま、デフレ不況の回復に明るい兆しはまったく見えない。
 そんな“お先まっくら”かと思われた今年、「いい年だった」と答える人々が過半数を占めたことに、国民感情として予想外である方々も多いのではなかろうか。
 そこでとりあえずは、「いい年だった」「そうではなかった」それぞれの回答の背後事情を少し探ってみることにしよう。

 今回の朝日新聞の調査での「いい年だった」との回答の理由のトップには「趣味、交友、娯楽など生活面」での満足感が挙げられている。 次点には「子どもの誕生など家族関係」、そして「病気回復、メタボ解消など健康面」と続く。 どうやら、個人生活の充実ぶりが人々に“いい年感”をもたらしているようだ。

 片や「そうではなかった」との回答の理由のトップには「政治、経済など世相全般」とあり、次点が「失職、降格、減給など仕事」、続いて「病気、ダイエット失敗など健康面」とある。 いい年でなかった人々にとっては、やはり経済不況の直撃が前面に出ているようである。 病気も辛いしね…。(ダイエット失敗に関しては、それ以前の問題としてご自身の健康管理に日頃より留意してね、と個人的には申し上げたいのだが…)

 ついでに、この朝日新聞記事における 「来年は今年よりよくなる?」 との設問には、62%が「なる」との回答である。 
 ほーー!   皆さんこの不況下において意外と楽観的でいらっしゃるようだ。
 何が良くなるのかの圧倒的1位が「自分や家族」との回答であるところを推察するに、やはり個人生活の充実がその楽観感の根源であるようだ。
 片や「今年よりよくならない」回答の理由の圧倒的1位は「経済情勢」とのことである。


 私論に入ろう。

 今回の朝日新聞読者アンケート結果を考察する限り、世の人々が心の拠り所を何に求めているのかと言えば、それはやはり“個人生活の充実”に尽きるのであろう。 自分の生活に手短かな現象においてそれがたとえ些細な出来事であれ満足感がもたらされたならば、人々に「幸せ感」が生じるのであろうと推測する。

 一方で「今年はいい年ではなかった」とする回答者が、その因果を「政治、経済など世相全般」に理由付ける人が圧倒的多数であることも、マイナスの意味で興味深い心理状態である。
 厳しい考察をすると、“自分がいい年ではなかったことは、政治や経済など自分を取り巻く周辺環境が悪いのであり、これさえ改善されれば自分だって幸せに生きられるのに…” との“他力本願”的背後思想が読み取れてしまい、ちょっと辛い気分にもさせられる。

 結局は、いい年だった人もそうではなかった人も皆、“我が身息災”的思想を抜け出せていないところに人間の性(さが)の貧弱な本髄を見る思いであり、興味深くもある。


 そういうお前はどうなのか? と責められそうであるが、まさにこの原左都子とて“我が身息災”なこと、この上ない。
 私事を述べると、私の場合(情緒不安定たった思春期を別にしたら)基本的に毎年「いい年」の連続の人生であると豪語させていただこう。 
 その理由の第一は、様々な社会現象に問題意識を持ち続けられる感性を長年失わない人生を歩めていること、そんな自己への周囲からの反応に対しても繊細な感受性を維持しつつ臨機応変に対応していきたい意欲を持続できていること…  すなわち、社会的存在の一員としての観点を失うことなく生き延びたいエネルギーを、今尚我が心身に内在していると言い切れる自負があるためである。
 (この「原左都子エッセイ集」も、そんな私の生き様の一部を物語りつつ、それを表出する一つの手段であります。)


 (出来ましたら本年中に後もう一記事を綴りたいと考えておりますが、それが叶わぬ場合に備えて、ここで皆様に御礼を述べさせていただきたく存じます。) 
 本年も「原左都子エッセイ集」にご訪問下さった皆様、そしてコメント欄等で我が拙いブログを力強く支えて下さった皆様に心より感謝致します。
           
 皆様にとりまして今年がよき年であられ、来たるべく来年がさらにすばらしい年となられますことを祈願申し上げます!!                      
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